ポール・グレアム「哲学入門」を翻訳しました。

http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20071106

原題は「How to Do Philosophy」です。
http://www.paulgraham.com/philosophy.html

英語に強い方、ぜひアドバイスいただければと思います。
よろしくお願いいたします。

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  • 終了:2007/11/11 21:43:25
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id:nofrills No.4

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ポイント250pt

こんにちは。以前、人力検索がきっかけでポール・グレアムの「もの」を拝読させていただきました。今回、途中まででもう限界!と思ったので最後までできていませんが、ご参考までに。


以下、

  英語原文

  現在の訳文

  → わたしの訳例

  ※ポイントひとこと解説

という形式で。


I had several motives, some more honorable than others. One of the less honorable was to shock people.

動機はいくつかあり、高尚さはさまざまだった。より低俗な理由の1つは、みんながびっくりすると思ったからだ。……の2文で2箇所。(日本語の訳文を一度読んだときに、ちょっと意味が取りづらかったです):

高尚さはさまざまだった。

→ 中には非常に高尚な動機もあった。


より低俗な理由の1つは、

→ それほど高尚でもない理由のひとつは、


College was regarded as job training where I grew up,

私が通っていた大学は職業訓練校と思われていたので、

→ 私が育った地域では、大学というのは職業訓練のために通うところだと思われていた(or考えられていた)ので、

※grow upは「成長する」⇒where I grew up「私が成長した場所」、つまり「出身地、故郷」です。


studying philosophy seemed an impressively impractical thing to do.

哲学の勉強はとても非実用的に見えた。

→ 哲学を勉強するなどということは、とてつもなく非実用的なことだと見られていた(or思われていた)。

※ここではseemedは、グレイアムの出身地の人々にとってそう思われていた、ということを表しているので、それを明示する日本語にするのが望ましいです。また、impressivelyの訳語として「とても」はちょっと平凡すぎてインパクトがありません。かといって私の参考例にある「とてつもなく」というのはちょっと大袈裟かもしれません。。。


I doubt I believed I understood them,

彼らの思想を理解したという確信はなかったが、

→ 彼らの思想を私がそのときに理解していたかどうかはわからないが、

※doubtは現在形、つまり筆者がこの文章を書いているときの気持ちを言っています。(この種類のケアレスミスは、全文を訳し終えてから最後にまとめて確認すると、確実に潰せると思います。)


I'd give Berkeley's Principles of Human Knowledge another shot in college.

次は大学でバークレーの「人知原理論」を試してみよう。

→ バークレーの「人知原理論」には、大学で、また挑戦してみよう。

※anotherの誤訳です。高校で読んで歯が立たなかった(あるいは身につかなかった)ので、大学でやり直そう、ということです。give ~ another shotで「~をもう一度やってみる」。


Anything so admired and so difficult to read

みんながあんなに推奨している難しい本なら、

→ みんながあんなに推奨していて、あんなに読みづらい本なら、

※difficult to readの訳抜けがあります。


【表記ゆれ】

その後26年が経ったが、私はいまだにバークリーを理解していない。

当時と今の違いは、バークリーを理解する価値はたぶん存在しないという……

※以上二箇所、要修正。他の箇所は「バークレー」なので、「バークレー」に統一を。


Wordsの章:

I did end up being a philosophy major for most of college.

私は結局、大学の大部分で哲学を専攻した。

→ 実際、(最終的には、)私は大学の間はほとんどずっと哲学専攻で過ごした。

※「大学の大部分で」の意味が日本語として不明瞭です。


It didn't work out as I'd hoped.

哲学は私が期待したほどには役に立たなかった。

→ それは私が期待していたほどの効果はなかった。

※まず、主語のItが何を指すかが問題です。ここでは直前の文の内容を指している(つまり「大学で哲学を専攻して過ごしたこと」)と考えるのが妥当ではないかと思います。つまり、「哲学を専攻してはみたが、期待したように、wisdomへの近道を突っ走る、ということにはならなかった」という内容。work outの訳語も検討の余地があります。参考訳では「効果がある」でやってあります。


I didn't learn any magical truths compared to which everything else was mere domain knowledge.

他の単なる専門知識よりも神秘的な真実を学ぶことはなかった。

→ それと比べたら、他のすべては単なる(特定分野内の)専門知識に過ぎない、というような魔法のような真実は、まるで知ることができなかった(or知ることはなかった、etc)。

※まず訳語レベルのこと。このmagicalを「神秘的」と訳出するのは問題です。前のセクションの、I thought studying philosophy would be a shortcut straight to wisdom. を参照。「wisdomに直結する近道」→magicalという連想です。

※構文レベルのことですが、compared to which ... は、when compared to the magical truths, everything else was mere domain knowledge. ということです。everything elseは「他のすべてのこと」(elseの訳抜け)。なお、truthsの複数形にも留意が必要ですが(「哲学」の文脈での扱い方があったはず……)、そこまでの検討をする時間はないのでご容赦ください。


But I do at least know now why I didn't (learn any magical truths ←前文から、補って考えてください).

だが私は今や、少なくとも哲学から学ぶことがなかった理由を知っている。

→ しかし少なくとも、今では、私がmagical truthsを知ることがなかったのはなぜかについては、わかっている。

※上記英文中に補った部分について、ご留意ください。


Philosophy doesn't really have a subject matter in the way math or history or most other university subjects do.

本当のところ哲学には、数学や歴史、その他の総合大学の科目が持っているテーマがない。

→ 哲学というものには、数学や歴史学など大学の科目にあるような、subject matterというものがあるというわけではないのだ。

※not really は「本当のところ~ではない」というほど強い表現ではありません。「~というわけでは(~というわけでも)ない」という程度の弱い表現です。


The closest you come to that is a knowledge of what various individual philosophers have said about different topics over the years.

それらしきものは、いろんな哲学者がいろんな話題について、長年にわたって言ったことの知識だ。

※日本語がイマイチ不明瞭です。

→ それ(subject matter)に最も近いと言えるのは、ながきに渡り、いろいろな哲学者がそれぞれ(<individualの訳抜けを修正)さまざまなトピックについて述べてきたことについての(<knowledge of ...のofの明確化)知識である。

※a knowledge の a が難しいですね。すみませんが、そこはあまり深く考えていません。


Formal logic has some subject matter.

記号論理学には若干のテーマがあった。

→ ……がある。

※いくつか上に書いたのと同じ種類の時制の訳ミスです。あとsomeは「若干の」というより「いくらかは」などの訳語のほうが適しているかもしれません。


I don't know if I learned anything from them.

私はそれらから何かを学ぶことができたかはわからない。

→ 私がそれらから何かを学んだかどうかはわからない。

※原文にcan/couldはないので、「学ぶことができた」はあまりよくないかも。


It does seem to me very important ...

……のは、私には重要に思われた。

→ ……のは、私には重要に思われる。

※時制。


to be able to flip ideas around in one's head

頭の中でアイデアのflipができるという事実や

→ 頭の中で概念のflipができることや

※it ... to do の構文ですが、「~すること」を「~することができるという事実」と訳すのは訳しすぎでは。

※【積み残し】flipの訳し忘れ。正確な訳語は記号論理学の解説を参照しないとわかりませんが、ideaはほぼ間違いなく「概念」でしょう。


to see when two ideas don't fully cover the space of possibilities, or when one idea is the same as another but with a couple things changed

2つのアイデアがすべての可能性を網羅できないことや、他が変化してもそのアイデア自体は変化しないことがあるという事実を発見できたのは

→ 2つの概念がthe space of possibilitiesを完全にcoverしないのはいかなる場合においてであるか、あるいは、一方の概念が、少数の要素(<things)の変更はあっても、もう一方の概念と同じであるというのはどのような場合においてであるかを確認する(<see)ことは

※部分的に英語のママになっていてすみません。訳語確定の際には、記号論理学の解説書などで確認する必要があります。

【構文の説明】

to see

  when two ideas don't fully cover ... ←seeの目的語の節その(1)

    or

  when one idea is the same ... ←seeの目的語の節その(2)

いずれの節も、when節=「いつ~するか」。(哲学のコンテクストでは「いかなる場合に~するか」でよいと思います。)


But did studying logic teach me the importance of thinking this way, or make me any better at it?

しかし論理学の勉強が、そのように考えることの重要性や、思考の上達を教えてくれたのだろうか?

→ しかし論理学の勉強が、そのように考えることの重要性を教えてくれたのだろうか? あるいはそのおかげで私はそれが上手くなったのだろうか?

※↑はやや直訳調ですが、「論理学を勉強したから、このように思考することの重要性が私にわかった、ということなのだろうか。あるいは論理学を勉強したから、それが上手くできるようになったのだろうか」という意味で、筆者の「反・哲学」なトーンが強くうかがえるところです。超訳が許されるなら、「論理学を勉強していなかったら、こういう思考の重要性に私は気付かなかったとでも?」などと訳します。


I am (and you are) a collection of cells that lurches around driven by various forces, and calls itself (= a collection of cells) I.

私は(そしてあなたも)、いろいろな力に動かされる細胞の塊で、細胞そのものが私なのだ。

→ ……、その細胞の塊を「私」と呼んでいるのだ。

※原文ではcalls itself I の I はイタリックですので、カギカッコでくくるのが順当です。このあとにもイタリックのIが出てくる箇所がありますが、そこも同様です。


But there's no central, indivisible thing that your identity goes with.

ある分割できない核に自分のアイデンティティがあるんじゃない。

→ しかし、自身のアイデンティティが存在する、中心的で分割できない何かなど、ない。(<直訳すぎですね。とりあえず、ということで)

※ central, indivisible thingに「核」という訳語を与えてしまうのは訳しすぎではないかと思います。直前の部分に出てくる「細胞」の「核(細胞核)」を連想させたりもしますし。


You could conceivably lose half your brain and live. Which means your brain could conceivably be split into two halves and each transplanted into different bodies.

脳の半分を失っても生きられるだろう。それはたぶん、脳を2つに分けて、別々の身体にそれぞれ移植できるってことを意味する。

→ 想像上では、人は脳の半分を失っても生きていられるということになる。ということは、想像上では、人の脳はふたつに分けて、別々の身体に移植できるということだ。

※イマイチ意味のわかりにくい英文ですね……仮定法のcouldもありますし、脳を半分に分けて2人に移植するなどということは現実ではありませんから、これは「仮定の話」です。したがって、conceivablyは「想像上では」がよいのではないでしょうか。また、conceivably = in theory という用例もありますので、「想像上では」ではなく「理屈では」としてもいいように思います。

http://thesaurus.reference.com/browse/conceivably


Imagine waking up after such an operation. You have to imagine being two people.

その後、起きることを想像しよう。自分は2人になったと思う必要がある。

※「起きること」という日本語からはwhat happens nextという内容が連想されますので、日本語を工夫しなければなりません。

→ そのような手術を受けたあとで目覚めた、と想像してみよう。自分が2人になったと想像するのだ。


このあとは……うーむ、この「脳移植手術」の話はここで終わりなのですね。「実は把握しきれていない『私』なるもの」の話の比喩として「2人に移植された脳」の話が必要なものなのかどうかもよくわからないのですが。(^^;)


原文をざっと読んでみたのですが、筆者の前提と私の前提とがどうにも相容れないみたいで、疲れてきたのでここで中断します。ウィトゲンシュタインについてのこの筆者の書き方には「そりゃないよ~」と思いますし、何より「哲学」をあれこれ一緒くたに扱いすぎで、ついていけなくなってしまいました。


あ、ざっと見て気付いた点だけ。

Everyday words are inherently imprecise.

日常的に用いられる語は、本質的に不正確だ。

→ 日常的に用いられる語は、本質的に不明確だ。

または:

→ 日常的に用いられる語は、本質的に、定義が不十分だ。

※imprecise = ill-defined, not precise, etc

http://dictionary.reference.com/search?q=imprecise


Wittgenstein is popularly credited with the idea that most philosophical controversies are due to confusions over language.

ヴィトゲンシュタインは一般的に、「哲学論争の大部分は言葉の混乱によるものである」と考えたとされている。

→ 一般に、「哲学論争の大部分はことばをめぐる混乱によるものである」と(最初に)考えたのはウィトゲンシュタインだとされている。

※confusions over languageのoverの訳抜けと、creditの訳しかた。なお、popularlyは特に訳出しなくてもよいかもしれません。


How did things get this way?

はたしてそんなことがあり得るの? 

→ どうしてこんなことになってしまったの(だろう)?

※今の訳文のままでもよい(というか意訳として成立している)と思いますが、原文の時制は過去です。this wayとは、直後の文の内容を指していると思われます。


それと、注の11で引用されているバートランド・ラッセルの手紙:

Hitherto the people attracted to philosophy have been mostly those who loved the big generalizations, which were all wrong, so that few people with exact minds have taken up the subject.


【訳例】

旧来、哲学に興味を持つ人たちといえば、思い切った一般化を好む人々でした。しかしそれがまったくの間違いで、まともな思考力のある人で哲学をやろうという人がほとんどいなかったのですが。

Laurence Goldstein, "Clear and Queer Thinking"(<Googleブック検索)で前後の文脈もわかります。ラッセルはここで、「数学」と「哲学」を対比しています。「数学的思考」は「哲学」にとって非常に重要なものだとラッセルが考えていたことが明確に示されている部分です。引用されている部分のあとで、ラッセルは数学的思考のできる何人かの名前を挙げていますが、その中で「彼なら願ったりかなったりだ」というように、ウィトゲンシュタインの名前が出てきます。

id:lionfan

nofrills様、丁寧なコメントありがとうございます。

ただいま修正いたしました。

2007/11/06 17:56:05

その他の回答4件)

id:NAPORIN No.1

回答回数4886ベストアンサー獲得回数909

ポイント100pt

えー、久しぶりにしゃしゃりでました。

(そっといい話ってあまりよくなくない?)

1パラ

カレッジは単科大(全文にわたって注意しながら置換すべき)。ユニバーシティみたいな総合大学ではないので、日本でも短大とか高専とかに偏見があるように偏見をうけがちなんですね。とすると一文目は「単科大で哲学を」というところに味噌があるので「単科大」の訳し落としは超まずいですし、shockは日本でも使うような「ショックを与え」または「びっくりさせ」たかったのでしょう。「私が通っていた大学は職業訓練校と思われていたので」(大学内部の問題?)というより、「私が育った地方では単科大=職業訓練校」と思われてた(大学外のオトナとかみんながぼんやり単科大をまとめてくくってた)のでしょう。

2パラ

honestは「素直」でいいのでは。

4パラ

「ちゃんと注意深く計画された順に課題図書を読んではいなかったしな。」

アサインは学校でいうと割り当てられた課題です(メモリ番地とかじゃなくて)。

「みんなが<あんなに>推奨している難しい本<なら、何かがあるはずだ、何が書いてあるかさえつかめれば。>」Anything=どんなモノでもいい!の選択をあらわすが、中でもあんなにみんなが褒めててあんなに難しい本、と狭めていきます。

6パラ

おそらくバークレーを理解する価値<はたぶん存在し無>いというその理由(ワケ)を、」この「おそらく」をここにおくと修飾先が不明です。英語ばかりでなく日本語でも、被修飾語の直前に形容詞を置くほうがわかりやすいです。

「言葉」から7パラでいいですか?

7パラ

「その他の総合大学の科目が持っているテーマがない。」ようやくユニバーシティ登場。褒められてます。

「哲学者の誰が何を発見したか、みんな忘れてしまったので、正しいといえるものはほとんどなかった。」→(長年のうち)ほんのいくつかしか実質的に正しい発見はないので、人々は哲学者の誰が何を発見したか忘れてしまう、では。(So) fewのsoをいきなり省略してあるけどso~that節っぽい気がします。自分だけじゃなくて他の学生も「ピープル」でうまくまきこみましたねw

8パラ

「それらから何を得たかも、」→「それらから全てを学んだかも」かなあと少しだけ

14パラ

「ソクラテス、プラトン、アリストテレス以前には、彼の者らの教義は「時として分析に迷い込むこともある理論的な宇宙論」として記述される。」

彼らは、他のおのおのの社会で(も)人々に宇宙論を発明させたモノになんであれ駆り立てられていたと推測される。」「彼ら」が哲学3巨人が現れる以前から存在し、現代には切れ切れにしか伝わらぬ、別のグループである、ということを文脈で明確にすべきです。

18パラ

「人工的」→「人工物」

特異性の直後

「壮大な概念をあいまいに書けば、未熟だが知的な好奇心にうずうずしている学生にとってはものすごく魅力的に見える何かを生み出す。」

特異点から6パラ目

ジェンダー→性別

ラテン系言語にのこる文法上の単語性別のことでは(ドゥンス・スコトゥス著「オルディナティオ」は読んでいませんが)?最近新聞で性観念として使われがちな「ジェンダー」とやると読者をミスリードしてしまいそう。

提案から4パラ目

もう一つの例は進化だ」この進化は、哲学が進化していくことでしょう。進化論は生物でダーウィンになっちゃうので(文中の別のところでは触れられているようですが)文脈上は違うように思われます。

相変わらず後半はざっとですみません。

id:lionfan

NAPORIN様、「いい話」はリンクミスでした。本当は↓。

http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20071105

さて、いろいろ直してきました。ありがとうございます。

>8パラ

>「それらから何を得たかも、」→「それらから全てを学んだかも」かなあと少しだけ

これはいちおう、そう直しましたが、正しいんでしょうか・・・。

2007/11/06 00:23:17
id:tsubo1 No.2

回答回数44ベストアンサー獲得回数3

ポイント80pt

途中で力尽きましたので、できたところまでで。

collegeは、単科大学ではなく、大学でいいんじゃないでしょうか。ユニバーシティと言うのがかったるい時に、大学の総称としてcollegeが用いられることもあります("College Football"はUniversityでおこなわれるFootballを含みます)。グレアムが卒業したのは、単科大学ではなく"University"であるところのコーネルらしいですし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%B...


Philosophy 101

「哲学入門のクラス」

米国ではクラスに3桁の番号が付いています。101は入門クラスの代名詞なので、「入門」と訳してやればいいでしょう。


I'd give Berkeley's Principles of Human Knowledge another shot in college.

「次は大学でバークレーのPrinciples of Human Knowledge を試してみるさ」

give one's shot: 試してみる


I don't know if I learned anything from them.

「私はそれらから何かを学ぶことができたかはわからない」


It does seem to me very important

to be able to flip ideas around in one's head

to see when two ideas don't fully cover the space of possibilities

これは、It does seem~にto be able to flip と to see が同格でかかっているのではないでしょうか。

「頭の中でアイデアをflipができるという事実や、2つのアイデアがすべての可能性を網羅できないことや他が変化してもそのアイデア自体は変化しないことがあるという事実を発見できたのは、私には重要に思われた」

flip や idea はおそらく哲学の分野で適切な訳語があるように思われます。

id:lionfan

tsubo1様、ありがとうございます。

ただいま修正いたしました。

2007/11/06 11:09:07
id:tsubo1 No.3

回答回数44ベストアンサー獲得回数3

ポイント80pt

it would not be a bad definition of math to call it the study of terms that have precise meanings.

「数学は正確な意味を持つ語の研究である、というのはそう悪い定義ではあるまい」

*that have precise meanings はterms にかかる。


Everyday words are inherently imprecise

「日常的に用いられる語は、本質的に不正確である」

*inherentlyの訳。


Most philosophical debates are not merely afflicted by but driven by confusions over words.

「ほとんどの哲学的議論は言葉に由来する混乱によって悩ましいものとされているばかりでなく、その混乱が議論を導いているのである」

*are not merely afflicted by (confusions over words) but driven by confusions over words という構文なのだと思います。


In fact, some of the most interesting questions you can ask about philosophy.

「実際のところ、それは哲学の中でもっとも興味深い質問のひとつと言って過言ではないだろう」


speculative cosmology

「憶測に基づく宇宙論」

*このspeculative は「憶測的な」というネガティブな意味で訳すといいと思うのですが、あんまり自信なし。


They were in effect arguing about artifacts induced by sampling at too low a resolution.

「彼らは実際の所、あまりに解像度の低いサンプリングによってもたらされたアーチファクトについて議論をしていたにすぎない」

*artifact: 観測や実験上の手続きによってうみだされたもの(計測機に由来するノイズとか)。「アーチファクト」と放置する以外にいい訳がありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A...

id:lionfan

tsubo1様、いつもありがとうございます。

ただいま修正いたしました。

2007/11/06 12:32:54
id:nofrills No.4

回答回数874ベストアンサー獲得回数159ここでベストアンサー

ポイント250pt

こんにちは。以前、人力検索がきっかけでポール・グレアムの「もの」を拝読させていただきました。今回、途中まででもう限界!と思ったので最後までできていませんが、ご参考までに。


以下、

  英語原文

  現在の訳文

  → わたしの訳例

  ※ポイントひとこと解説

という形式で。


I had several motives, some more honorable than others. One of the less honorable was to shock people.

動機はいくつかあり、高尚さはさまざまだった。より低俗な理由の1つは、みんながびっくりすると思ったからだ。……の2文で2箇所。(日本語の訳文を一度読んだときに、ちょっと意味が取りづらかったです):

高尚さはさまざまだった。

→ 中には非常に高尚な動機もあった。


より低俗な理由の1つは、

→ それほど高尚でもない理由のひとつは、


College was regarded as job training where I grew up,

私が通っていた大学は職業訓練校と思われていたので、

→ 私が育った地域では、大学というのは職業訓練のために通うところだと思われていた(or考えられていた)ので、

※grow upは「成長する」⇒where I grew up「私が成長した場所」、つまり「出身地、故郷」です。


studying philosophy seemed an impressively impractical thing to do.

哲学の勉強はとても非実用的に見えた。

→ 哲学を勉強するなどということは、とてつもなく非実用的なことだと見られていた(or思われていた)。

※ここではseemedは、グレイアムの出身地の人々にとってそう思われていた、ということを表しているので、それを明示する日本語にするのが望ましいです。また、impressivelyの訳語として「とても」はちょっと平凡すぎてインパクトがありません。かといって私の参考例にある「とてつもなく」というのはちょっと大袈裟かもしれません。。。


I doubt I believed I understood them,

彼らの思想を理解したという確信はなかったが、

→ 彼らの思想を私がそのときに理解していたかどうかはわからないが、

※doubtは現在形、つまり筆者がこの文章を書いているときの気持ちを言っています。(この種類のケアレスミスは、全文を訳し終えてから最後にまとめて確認すると、確実に潰せると思います。)


I'd give Berkeley's Principles of Human Knowledge another shot in college.

次は大学でバークレーの「人知原理論」を試してみよう。

→ バークレーの「人知原理論」には、大学で、また挑戦してみよう。

※anotherの誤訳です。高校で読んで歯が立たなかった(あるいは身につかなかった)ので、大学でやり直そう、ということです。give ~ another shotで「~をもう一度やってみる」。


Anything so admired and so difficult to read

みんながあんなに推奨している難しい本なら、

→ みんながあんなに推奨していて、あんなに読みづらい本なら、

※difficult to readの訳抜けがあります。


【表記ゆれ】

その後26年が経ったが、私はいまだにバークリーを理解していない。

当時と今の違いは、バークリーを理解する価値はたぶん存在しないという……

※以上二箇所、要修正。他の箇所は「バークレー」なので、「バークレー」に統一を。


Wordsの章:

I did end up being a philosophy major for most of college.

私は結局、大学の大部分で哲学を専攻した。

→ 実際、(最終的には、)私は大学の間はほとんどずっと哲学専攻で過ごした。

※「大学の大部分で」の意味が日本語として不明瞭です。


It didn't work out as I'd hoped.

哲学は私が期待したほどには役に立たなかった。

→ それは私が期待していたほどの効果はなかった。

※まず、主語のItが何を指すかが問題です。ここでは直前の文の内容を指している(つまり「大学で哲学を専攻して過ごしたこと」)と考えるのが妥当ではないかと思います。つまり、「哲学を専攻してはみたが、期待したように、wisdomへの近道を突っ走る、ということにはならなかった」という内容。work outの訳語も検討の余地があります。参考訳では「効果がある」でやってあります。


I didn't learn any magical truths compared to which everything else was mere domain knowledge.

他の単なる専門知識よりも神秘的な真実を学ぶことはなかった。

→ それと比べたら、他のすべては単なる(特定分野内の)専門知識に過ぎない、というような魔法のような真実は、まるで知ることができなかった(or知ることはなかった、etc)。

※まず訳語レベルのこと。このmagicalを「神秘的」と訳出するのは問題です。前のセクションの、I thought studying philosophy would be a shortcut straight to wisdom. を参照。「wisdomに直結する近道」→magicalという連想です。

※構文レベルのことですが、compared to which ... は、when compared to the magical truths, everything else was mere domain knowledge. ということです。everything elseは「他のすべてのこと」(elseの訳抜け)。なお、truthsの複数形にも留意が必要ですが(「哲学」の文脈での扱い方があったはず……)、そこまでの検討をする時間はないのでご容赦ください。


But I do at least know now why I didn't (learn any magical truths ←前文から、補って考えてください).

だが私は今や、少なくとも哲学から学ぶことがなかった理由を知っている。

→ しかし少なくとも、今では、私がmagical truthsを知ることがなかったのはなぜかについては、わかっている。

※上記英文中に補った部分について、ご留意ください。


Philosophy doesn't really have a subject matter in the way math or history or most other university subjects do.

本当のところ哲学には、数学や歴史、その他の総合大学の科目が持っているテーマがない。

→ 哲学というものには、数学や歴史学など大学の科目にあるような、subject matterというものがあるというわけではないのだ。

※not really は「本当のところ~ではない」というほど強い表現ではありません。「~というわけでは(~というわけでも)ない」という程度の弱い表現です。


The closest you come to that is a knowledge of what various individual philosophers have said about different topics over the years.

それらしきものは、いろんな哲学者がいろんな話題について、長年にわたって言ったことの知識だ。

※日本語がイマイチ不明瞭です。

→ それ(subject matter)に最も近いと言えるのは、ながきに渡り、いろいろな哲学者がそれぞれ(<individualの訳抜けを修正)さまざまなトピックについて述べてきたことについての(<knowledge of ...のofの明確化)知識である。

※a knowledge の a が難しいですね。すみませんが、そこはあまり深く考えていません。


Formal logic has some subject matter.

記号論理学には若干のテーマがあった。

→ ……がある。

※いくつか上に書いたのと同じ種類の時制の訳ミスです。あとsomeは「若干の」というより「いくらかは」などの訳語のほうが適しているかもしれません。


I don't know if I learned anything from them.

私はそれらから何かを学ぶことができたかはわからない。

→ 私がそれらから何かを学んだかどうかはわからない。

※原文にcan/couldはないので、「学ぶことができた」はあまりよくないかも。


It does seem to me very important ...

……のは、私には重要に思われた。

→ ……のは、私には重要に思われる。

※時制。


to be able to flip ideas around in one's head

頭の中でアイデアのflipができるという事実や

→ 頭の中で概念のflipができることや

※it ... to do の構文ですが、「~すること」を「~することができるという事実」と訳すのは訳しすぎでは。

※【積み残し】flipの訳し忘れ。正確な訳語は記号論理学の解説を参照しないとわかりませんが、ideaはほぼ間違いなく「概念」でしょう。


to see when two ideas don't fully cover the space of possibilities, or when one idea is the same as another but with a couple things changed

2つのアイデアがすべての可能性を網羅できないことや、他が変化してもそのアイデア自体は変化しないことがあるという事実を発見できたのは

→ 2つの概念がthe space of possibilitiesを完全にcoverしないのはいかなる場合においてであるか、あるいは、一方の概念が、少数の要素(<things)の変更はあっても、もう一方の概念と同じであるというのはどのような場合においてであるかを確認する(<see)ことは

※部分的に英語のママになっていてすみません。訳語確定の際には、記号論理学の解説書などで確認する必要があります。

【構文の説明】

to see

  when two ideas don't fully cover ... ←seeの目的語の節その(1)

    or

  when one idea is the same ... ←seeの目的語の節その(2)

いずれの節も、when節=「いつ~するか」。(哲学のコンテクストでは「いかなる場合に~するか」でよいと思います。)


But did studying logic teach me the importance of thinking this way, or make me any better at it?

しかし論理学の勉強が、そのように考えることの重要性や、思考の上達を教えてくれたのだろうか?

→ しかし論理学の勉強が、そのように考えることの重要性を教えてくれたのだろうか? あるいはそのおかげで私はそれが上手くなったのだろうか?

※↑はやや直訳調ですが、「論理学を勉強したから、このように思考することの重要性が私にわかった、ということなのだろうか。あるいは論理学を勉強したから、それが上手くできるようになったのだろうか」という意味で、筆者の「反・哲学」なトーンが強くうかがえるところです。超訳が許されるなら、「論理学を勉強していなかったら、こういう思考の重要性に私は気付かなかったとでも?」などと訳します。


I am (and you are) a collection of cells that lurches around driven by various forces, and calls itself (= a collection of cells) I.

私は(そしてあなたも)、いろいろな力に動かされる細胞の塊で、細胞そのものが私なのだ。

→ ……、その細胞の塊を「私」と呼んでいるのだ。

※原文ではcalls itself I の I はイタリックですので、カギカッコでくくるのが順当です。このあとにもイタリックのIが出てくる箇所がありますが、そこも同様です。


But there's no central, indivisible thing that your identity goes with.

ある分割できない核に自分のアイデンティティがあるんじゃない。

→ しかし、自身のアイデンティティが存在する、中心的で分割できない何かなど、ない。(<直訳すぎですね。とりあえず、ということで)

※ central, indivisible thingに「核」という訳語を与えてしまうのは訳しすぎではないかと思います。直前の部分に出てくる「細胞」の「核(細胞核)」を連想させたりもしますし。


You could conceivably lose half your brain and live. Which means your brain could conceivably be split into two halves and each transplanted into different bodies.

脳の半分を失っても生きられるだろう。それはたぶん、脳を2つに分けて、別々の身体にそれぞれ移植できるってことを意味する。

→ 想像上では、人は脳の半分を失っても生きていられるということになる。ということは、想像上では、人の脳はふたつに分けて、別々の身体に移植できるということだ。

※イマイチ意味のわかりにくい英文ですね……仮定法のcouldもありますし、脳を半分に分けて2人に移植するなどということは現実ではありませんから、これは「仮定の話」です。したがって、conceivablyは「想像上では」がよいのではないでしょうか。また、conceivably = in theory という用例もありますので、「想像上では」ではなく「理屈では」としてもいいように思います。

http://thesaurus.reference.com/browse/conceivably


Imagine waking up after such an operation. You have to imagine being two people.

その後、起きることを想像しよう。自分は2人になったと思う必要がある。

※「起きること」という日本語からはwhat happens nextという内容が連想されますので、日本語を工夫しなければなりません。

→ そのような手術を受けたあとで目覚めた、と想像してみよう。自分が2人になったと想像するのだ。


このあとは……うーむ、この「脳移植手術」の話はここで終わりなのですね。「実は把握しきれていない『私』なるもの」の話の比喩として「2人に移植された脳」の話が必要なものなのかどうかもよくわからないのですが。(^^;)


原文をざっと読んでみたのですが、筆者の前提と私の前提とがどうにも相容れないみたいで、疲れてきたのでここで中断します。ウィトゲンシュタインについてのこの筆者の書き方には「そりゃないよ~」と思いますし、何より「哲学」をあれこれ一緒くたに扱いすぎで、ついていけなくなってしまいました。


あ、ざっと見て気付いた点だけ。

Everyday words are inherently imprecise.

日常的に用いられる語は、本質的に不正確だ。

→ 日常的に用いられる語は、本質的に不明確だ。

または:

→ 日常的に用いられる語は、本質的に、定義が不十分だ。

※imprecise = ill-defined, not precise, etc

http://dictionary.reference.com/search?q=imprecise


Wittgenstein is popularly credited with the idea that most philosophical controversies are due to confusions over language.

ヴィトゲンシュタインは一般的に、「哲学論争の大部分は言葉の混乱によるものである」と考えたとされている。

→ 一般に、「哲学論争の大部分はことばをめぐる混乱によるものである」と(最初に)考えたのはウィトゲンシュタインだとされている。

※confusions over languageのoverの訳抜けと、creditの訳しかた。なお、popularlyは特に訳出しなくてもよいかもしれません。


How did things get this way?

はたしてそんなことがあり得るの? 

→ どうしてこんなことになってしまったの(だろう)?

※今の訳文のままでもよい(というか意訳として成立している)と思いますが、原文の時制は過去です。this wayとは、直後の文の内容を指していると思われます。


それと、注の11で引用されているバートランド・ラッセルの手紙:

Hitherto the people attracted to philosophy have been mostly those who loved the big generalizations, which were all wrong, so that few people with exact minds have taken up the subject.


【訳例】

旧来、哲学に興味を持つ人たちといえば、思い切った一般化を好む人々でした。しかしそれがまったくの間違いで、まともな思考力のある人で哲学をやろうという人がほとんどいなかったのですが。

Laurence Goldstein, "Clear and Queer Thinking"(<Googleブック検索)で前後の文脈もわかります。ラッセルはここで、「数学」と「哲学」を対比しています。「数学的思考」は「哲学」にとって非常に重要なものだとラッセルが考えていたことが明確に示されている部分です。引用されている部分のあとで、ラッセルは数学的思考のできる何人かの名前を挙げていますが、その中で「彼なら願ったりかなったりだ」というように、ウィトゲンシュタインの名前が出てきます。

id:lionfan

nofrills様、丁寧なコメントありがとうございます。

ただいま修正いたしました。

2007/11/06 17:56:05
id:kuro-yo No.5

回答回数171ベストアンサー獲得回数29

ポイント60pt

ソクラテス、プラトン、アリストテレス以前の者の教義は、時として分析に迷い込むこともある憶測に基づく宇宙論として記述される。

their doctrines could be described as speculative cosmology that occasionally strays into analysis.

辞書によると、"describe A as B"は、「AをBとみなす」という意味のようです。

また、"occasionally strays into analysis"「時として分析に迷い込むこともある」なんですが、私には「ひとたび分析をしはじめると、いつまでたっても終わらない」という意味のように思えます。

そこで、思い切って次のようにしてみました。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス以前の者の教義は、分析もままならない、憶測だけの宇宙論というほかない。

id:lionfan

kuro-yo様、ありがとうございます。

たしかにここは、正確さと読みやすさが両立しづらいところだと思います。

ですのである程度の意訳もOKだと思います。修正させて頂きます。

2007/11/07 06:13:35
  • id:NAPORIN
    補足訂正
    ・あ、異議をとなえられている「すこしでも学んだ」→「すべて学んだ」部分、ほんのしおりさまの指摘のほうが正しい気がしてきました。取り下げます。
    ・あと、一文目、冒頭のタイトル下の1つめの文章ですが、これやっぱり「単科大」訳し落としてると思います。「高校にいる時点で、単科大学の哲学科を志望しようと決めた」ので、「高校でもどこでもできる哲学を究めようとした」のとはだいぶ違います。
  • id:lionfan
    NAPORIN様、了解です。ありがとうございます。

    グレアムは総合大学に通っていたとのことですので、
    ここは「大学」にさせてください。
  • id:nofrills
    collegeは単に「大学」でいいと思いますよ。
    http://en.wikipedia.org/wiki/College
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6

    EXCEED 英和辞典(三省堂)によると:
    http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=college&kind=ej&mode=0&base=1&row=0
    > 単科大学; (総合大学の)学部; 専門学校; 〔米俗〕 大学;
    > 〔英〕 (Oxf., Camb.両大の)学寮; ……以下略……

    ※辞書の定義の羅列よりも、ウィキペディアの日本語版の「英語との相違」の項を見たほうがわかりやすいです。
  • id:nofrills
    lionfanさん、補足です。
    かなり下のほう、注[14]に含まれるgrammatical modesですが、文法でmodeというのは「法」のことです(「仮定法」などの「法」: moodとも)。
    http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=mode&kind=ej&mode=0&base=1&row=1
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_%28%E6%96%87%E6%B3%95%29


    同じ引用文中のa mode of conceptionも言語学方面で何か定訳があると思うのですが、探し出せませんでした。いずれにせよ、この引用文はword saladの実例として引用されている箇所で、しかも1300年ごろの人の文章を一部書き換えた1963年の文章とのことで、これを日本語に「翻訳」するのはかなり大変だと思います。(自分で最初から日本語にしたと仮定しても、word saladであることがわからない、単に難解な日本語の文になってしまいそうな気がします。)
  • id:lionfan
    nofrills様、ありがとうございます。
    この部分はぜんぜん訳がわからなかったのですが、
    わからなくても気にならない唯一の部分でした。
  • id:kuro-yo
    http://en.wikipedia.org/wiki/Word_salad

    "word salad"とは、もともとは精神医学の言葉のようですが、言語学的には、文法的には正しいけど意味を持ち得ない文章、の事のようです。
    例えば、"Colorless green ideas sleep furiously"のような文章です。生成文法では重要な考え方です。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Colorless_green_ideas_sleep_furiously

    で、John Duns Scotusという人は、the Subtle Doctorと言われるほど、緻密で難解な文章を書く人だったようです。
    http://plato.stanford.edu/entries/duns-scotus/

    件のGenderについての文章は、そういう緻密な文章をもとに、グレアムが作った、word salad、というわけで、文法合ってても意味はない、という事かもしれません。

    …ちなみに、訳してみました。

    「現実に対応するものが存在しない文法概念を明白に説明する文法概念であるがゆえに、知識人達がたとえそうする事に価値がないようなものでも思い描くようにしむけるような何かを、実のところ明白に説明するわけがない文法概念とは、性は似ていない。」
  • id:nofrills
    kuro-yoさんの訳、すばらしすぎます。涙が出てきました。

    また、私は元の注をウッカリ読み違えていたようです。
    元になった文がDuns Scotusの文章の英訳(Wolter, 1963)で、改変したのはグレアムですね。
    すみませんでした。
    > [14] This is actually from the Ordinatio of Duns Scotus (ca. 1300), with "number"
    > replaced by "gender." Plus ca change.
    >
    > Wolter, Allan (trans), Duns Scotus: Philosophical Writings, Nelson, 1963, p. 92.

    ときに、word saladは、スパムメール対策でもよく使われている概念だそうです。
    「フィルタを通り抜けるためだけに作られた、内容のない、spamとして判定されない語の羅列」
    という意味で。
    http://popfile.sourceforge.net/wiki/jp:faq:wordsalad

    Wikipediaの「色のない緑色の概念は激して眠る」のページのワードサラダの実例(特にスティーヴン・フライのもの)がとてもおもしろかったです。
  • id:kuro-yo
    実は、"mode of conception"を、文字通り(?)「妊娠の経過」(※)と解釈する訳も考えましたが、少し下品かなと思いましたので、割愛しました(笑)

    ※実際に、「妊娠の経過」という意味で使われていると思われるページがいくつも検索できます。

    また、Grammarは文法学と言って、キリスト教と深いかかわりがあるようです:この場合、経典の内容を正確に翻訳するという目的があったようです。そのような事を扱ったページも検索にかかります。
  • id:lionfan
    kuro-yo様、ありがとうございます。
    そのとおり訳文を修正させていただきます。
    なんか丸投げしてしまったみたいで申し訳ないです。

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  • [言語] 「色のない緑色の概念は激して眠る」 I have got some news from ... 2007-11-09 21:22:49
    http://en.wikipedia.org/wiki/Colorless_green_ideas_sleep_furiously ここで紹介されているスティーヴン・フライの「誰も聞いたことのない英文」がすばらしすぎる。 ”Hold the newsreader’s nose squarely, waiter, or f
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