「今日をちょっと楽しく、ちょっと特別にすることって何だろう?家で過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた“リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運」。イエと日々に幸運を呼ぶ、幸福を招く、ちょっと幸せな気分になる、そんな暮らしのサプリを生み出していきませんか?衣食住、健康、リラックス、生活習慣…。日々の小さな幸せになることなら何でもOK!毎回のテーマをヒントに、幸せのサプリ、そこにこめた思いや由来とともにメッセージ下さいね。
※日本と世界の言い伝え&おまじないも常時募集しています!
#001 THEME:「花」「飲み物」「浴室」+「言い伝え&おなじまい」
サプリ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071114
プレゼントはコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20071028#SapriF
※今回の「いわし」ご投稿は11月19日(月)正午で終了とさせて頂きます。
私は子供の頃、朝顔の咲く様子が見たいと、ずっとつぼみを見つめ続けていたことがありました。じっと動かないかのように見えていたつぼみが少しずつ開いていく様子は、まるで太陽が地平線から昇ってくる時のような力強さがありました。生きている。命の躍動感がほとばしってくる。そんな感じでした。子供心に感動しましたね。
花ってただ綺麗なだけじゃないんだと。そこには秘められた力強さがあるんだと知った瞬間でした。
なのに花はこんなにも優しい。花の中には時々ハチや小さなコガネムシみたいなのがいたりしますが、美しい花弁に守られておいしい蜜をもらっている様子は、まるで母親にいだかれた赤ちゃんのようでもあります。
中には花びらも持たない地味な花もありますが、ちっこいくせに立派なおしべとめしべを持っている稲の花なんか、本当に一所懸命咲いてるなあと感動します。おしべが風に揺れると、おいらだって花なのさと誇らしげに見えさえもします。
私も稲の花のように地味で目立たない存在かもしれませんが、でも自分に誇りを持って花の時期を思いっきり謳歌して、そしてしっかりと実りにつながる人生を目指したいものだと思います。
「花命日」という素晴らしい命名をいただき、しみじみと感動しています。
華道と禅についてのお話がありましたが、禅宗ではないものの、たしかに華道は室町時代中期、京都にある頂法寺、いわゆる六角堂ですね、そこが発祥なんです。
このお寺の本坊にあたるのが池坊で、池坊の僧は頂法寺の御本尊様に花を供えるというのが大切な役割の一つになっていたんです。その池坊において発展し体系化されてきたものが現在の華道の基礎、というわけです。
ですから、華道のそもそもは、仏様に対する真心の奉仕そのものだったんですね。まさに花を生けるということは、祈りそのものだったわけです。
私も月に一度、母の月命日に生ける時は、心身を落ち着けて、本当に静寂の中で生けていきます。自分も花そのものになった気持ちで、花の持つ真心をしっかりと受け止めて、それを最大限に生かしていくことに専心します。
でも、普段生ける時は、逆に楽しむことに専心します。花と語らい、思いっきり楽しい気持ちで生けていきます。音楽なんかをかけながら、時には歌いながら生けることもありますよ。生け終わったら、花を前にしてお茶の時間。上手に生けられた時は、終わった後の一杯のコーヒーがこれまた格別です。
静寂の中で真剣に花と対するのも、思いっきり楽しみながら生けていくのも、どちらも仏教で言う三昧の境地。どちらも華道の神髄です。
私の流派は床の間サイズの生け花だけでなく、建築と花のコラボレーションみたいなこともやるんです。時には大きなビルの吹き抜けにそびえるような、生け花というよりオブジェみたいなものも生けますよ。もちろんそんな大きな作品は私なんかはとても手がけられませんが、出来上がった作品を拝見させて頂くと、もうPOPな感覚が弾け飛んでくるような作品だったりするんです。ああいうのは本当に、踊りながら生けているような感じですよね。実際には踊っていないでしょうが、でも心は花の周りで軽快なステップを踏みながら生けています。
皆さんが家で生ける時も、そんな感じを大切にして欲しいんですよね。わくわくと心が躍り出すような気持ちで花と語らう。いやー綺麗だねえ、ちょっと笑ってみようか、いいねいいね、はい目線ちょうだい、カシャ、なんていうカメラマンみたいに、花の持つ最高の顔を引き出し、一枝一茎一葉に至るまでの個性を活かしながら生けていく。ぜひそんな感じでやってください。生けている時間が楽しければ、生けたお花からも楽しい気持ちが溢れてきます。
鉢植えの場合は、サボテンの育ち具合に応じた鉢に毎年植え替えてやると長く元気が保てます。
鉢は丸いサボテンなら、その最大直径の一回り大きいくらいの鉢を選びます。
大きすぎたり深すぎたりする鉢は水はけが良くないのでサボテンには不向きです。
だから毎年大きさに合った鉢に植え替えてやるわけです。
植替えは地域によって多少気候が違いますが、まだ浅い春の3月中ごろがいいと思います。
植替えたらが終了したらその時だけは水をたっぷり与え、
10日間くらい半日陰で養生した後に日向に戻してやります。
でもサボテンは乾燥地帯の植物ですから、水やりは手間無しですね。
サボテンは春秋に成長期を迎えますので、その季節は週一くらいで与えますが、
夏なら隔週一回くらい、冬は3週間に一回くらいで大丈夫です。
ちなみに以前hanatomiさんが教えてくれた
植物に水をやる時は鉢の底まで水が通るようにたっぷりというやり方は、
サボテンの場合にも同じようです。
サボテンも、水をやる時はたっぷりと与えてやると元気がいいです。
土の表面が湿る程度に与えるのとは、ぜんぜん元気が違います。
おそらく水が土の粒子の間を通り抜けていくことで新しい酸素を呼び込むのだろうと思います。
daydayさんのお子さんたちは、毎年ご両親の記念のようなサボテンの花を見て育つことができますね。
親子でサボテンを眺めながら色々な語らいも生まれそうです。
長く長く親子でサボテンをかわいがっていってくださいね。
私には全く華道の経験がありませんが、
花を活けている時はきっと静寂の気が流れ、
花と水と人が一体になっていくような、
言い換えれば禅の境地のようになるのではないかと思うのです。
花を活けることで、きっとすばらしい安らぎが得られるでしょうね。
そうした祈りにも似た時間の中で花を活けて月命日のならわしとすることも、
美しすぎるくらい胸を打ちます。
親孝行したい時には親はなし、なんていいますが、
こんな形で孝行を貫いていくやり方があるのだと教えられた思いです。
私はまだ両親が健在ですから、このなにものにも代えがたい家族のために
花が活けられたらいいと思います。
華道のお家元に男性は少なくないようですから、男が活けても何も不自然ではありませんね。
私もお正月に向けて、少し活けられるようになってみたいと思います。
花を飾るという暮らしの楽しみが一つ増えそうです。
よく夢は人に話すと正夢にならなくなると言いますね。
それと同じ理由で、悪い夢は人に話すと消えるとも言います。
でも初夢だけは別ですね。
初夢は大きな心で、周りの人たちみんなと一緒に幸せになれるような夢を期待する。
そして見事そういう夢が見られたら、みんなに話して喜びを分かち合う。
その方がずっと夢が叶いそうです。
「それ、叶ったらいいね」
「その夢、私も応援するよ」
そんな声が響き合う新春が迎えられたらいいですね!
「ちちんぷいぷい」から、こんなに話が深まっていくなんて!
ほんのちょっとしたおまじないの言葉にも、
長い長い歴史の積み重ねがあるんですね。
「いたい、いたいの、どんだけ~」は笑ってしまいました。
タイミングが合ってしまうと延々と「ハッピーアイスクリーム返し」の繰り返しなんて、かわいらしいですね。私の子供時代にも「ハッピーアイスクリーム」はありましたが、なぜかやっていたのは女の子だけでした。
バスルームの壁一面に大きなディスプレイ。映画も見られるし、南国の海や山の紅葉や、あるいは銭湯のように富士山だって映せる。いいですね。そんな浴室が実現できるようになったらぜひほしいシステムです。私は岩風呂気分の映像がほしいです。
ちょっと前までは要注意でしたね。男が仲良く二人並んで乗車しているのも特徴でした(笑)。最近は3ナンバーが多いみたいですね。
「ね」ナンバーは、なぜいいのでしょうか。そういえば、「ぬ」も「わ」も似ていますね。「れ」ナンバーはどうなのでしょう。
そういえば昔ナンバーの文字を決める時にレンタカーはレンタルだから「れ」にしようと決まったのに、通達書の文字がゆがんで「わ」と読まれてしまったので「わ」ナンバーになったという話がありますが、本当でしょうか。
桜の花びらを掴むのは本当に難しいです。掴んだと思っても、するりと手の平から抜けていってしまいます。あれが掴めたら、本当に幸せになれそうですね。来年の春、挑戦です。
ダ・カーポというゲームがあって、それを元にした同名のアニメがあります。舞台は初音島という島で、そこはなぜか一年中咲き誇る桜におおわれた島なんです。
ところがこの散らない桜には秘密がありました。島にある一番立派な桜には、ある魔法がかけられていたんです。
一人の少女が少年に恋をします。しかし少年には妹がいます。家族として暮らしてはいますが、本当は義理の妹で血のつながりはありません。少女は少年の妹に嫉妬します。少女は魔法のかかった桜に思いを打ち明けます。すると桜は少女の心の奥底に隠された残酷な思いを聞き届けたかのように…。
ここからはネタバレになってしまいますので書けませんが、散らない桜が散ることで、この物語は完結していきます。これはフィクションですが、でも、散らない桜は止まった時間の象徴です。桜が散って、この物語の登場人物たちは一回りも二回りも大きく成長していきます。きっと現実世界の桜も、花びらを散らすことで、自分の時を刻んでいるのだろうと思います。
黒ナンバーはラッキーなんですか。近所の家に営業ナンバーの軽トラがあります。いつも深夜にならないとその車は帰ってきません。きっとお仕事、大変なんでしょうね。クロッキーの言い伝えは、頑張って働く車を見ると福が来るということなのでしょうか。いい言い伝えですね。
私も全く同じことをしていました。難しい数字の組み合わせでなかなか答えが見つからない時は、もう考えに考え続けましたね。やっと方法を見つけると、車内でバンザイしたくなるほど喜びました。逆に、あまりに簡単に10になってしまうと、ちょっと残念だったのを思い出します。
新しいビートルは全く変わってしまいましたね。リア駆動だったのもフロント駆動になって、乗り心地が全く変わってしまったそうです。何より残念なのは、あの愛嬌のある「顔」が全く変わってしまったことですね。
子供のころ、近所のお兄さんがとても車好きで、そのものズバリの黄色いビートルに乗っていました。見るとラッキーの言い伝えは知りませんでしたが、その車を見るととても楽しい気分になったのをおぼえています。
年の初めに喜びを分かち合えるような夢が見られたら、それこそラッキーですね。
そういえば落語にも夢の話があります。何という題名だか忘れてしまいましたが、長屋の熊さんだか八っあんだかが寝ている最中、嬉しそうに笑う顔をしたのが始まりです。
その顔を見たおかみさん、
「ちょいとお前さん、何かいい夢を見たんじゃないの?」
「いいやまだ寝入りばなで夢なんか見てねぇ」
「あらこの人ったら女房のあたしにも隠すほどいい夢を見たのかね、キーッ、悔しい!!」
と夫婦喧嘩。それを聞きつけた長屋の住人が仲裁に入って、
「なぁ兄弟、ここは俺にだけちょっとそのいい夢ってやつをきかせてくれないか」
「夢なんか見てねぇってば」
「て、てめぇ、兄弟分の間柄でも言えねぇのか、この野郎」
とさらに新しい喧嘩。そこへ大家さんが現れて、
「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然、この私に隠し事はありませんな?」
「へえ」
「で、どんな夢を見たんだい?」
「ゆ、夢なんて見てねぇんですよ、本当ですよ」
「なんだと?大家にも話せないということなら私にも考えがあります」
と、擦った揉んだの末についに男はお奉行所のお白州にまで引っ張り出されてしまうという大騒ぎ。
これは、良い夢を人に話すとかなわなくなるという言い伝えを下敷きにして、こんなに頑固に話さないということはよほどに良い夢だったに違いないという誤解が招く喜劇的ストーリーですが、初夢だけは別枠にしていきたいですねw
そうそう!白い線をまるで高い高い塀の上みたいに思って、外れないように歩くんですよね。ちょっと危ないですけど、自転車でもやっていました。白い線を外れないように、よたよたと。でも自転車でそんなことをしていると本当に危ないですから、よい子は真似しないでくださいね(笑)
日本人なら、白い菊などもいいかもしれませんね。日本を代表する花のひとつですし、菊の仲間の白い花ならほとんど一年を通して花屋さんの店頭などで見つけることができます。
それを、たとえば戦争を体験してこられた世代の方のお墓参りに行く時にたむけるなどの色々な方法で、故人を偲びつつ平和な未来を開いていく決意の現れとしていけると思います。また折に触れて、様々な機会に白い花を飾って、平和への思いを新たにしていけるといいですね。
In Flanders fieldsの詩はすばらしい訳と共に、私も本当に心に染み渡りました。
この詩が元になってRemembrance Dayが始められたのですね。アメリカやイギリスは今でも多数の戦争を行ってたくさんの犠牲者を出していますから、この詩は今も現実と密着したものとして受け止められているのだろうと思います。
でもこれからを生きる私たちは、二度と大地を血に染めない決意を持って、人々の心の中に純白の花を咲かせていきたいですね。それが戦場に倒れた人たちの、一番の願いだろうと思います。
家族の希望をサッと形にできるなんてすごいです。それもこんなにアイデア満載で。単に自作の腕に優れているだけでなく、やはり家族思い、親思いの心があってこそ実現できることなのでしょうね。私も見習いたいと思いました。
手紙って他の文章と違って、心がそのまま入りますね。
子どもたちの書く手紙を読むとき、どうしてこんなに楽しいのか(というか、笑いがこぼれてきちゃうのか……)。
この理由を考え、きっとハートが100%詰まっているからなんだろうと納得しました。
妖精への手紙は「あれが欲しい、これが欲しい」の理由付けとなってしまうサンタさんへの手紙とは味付けが異なり、いつもほのぼのとさせられます。
(英語で恐縮なのですが、よろしければmariabのThe Book Fairyへお越しください。拙い文章で張り切って本の紹介をしております。今月のブックレポート課題は「絵本」なので、現在のところ絵本中心の紹介になっています。http://d.hatena.ne.jp/mariab/)