第2回目のテーマは「性格が激変したキャラクター」です。連載も長いこと続いているとキャラクターの性格も初期設定からどんどん変化していくことも多いです。その変化は『ダイの大冒険』におけるポップのように成長とういう意味で変わる場合もあるし、『美味しんぼ』の海原雄山のように原作者の都合?のために変わってしまう場合もあります。みなさんの中で凄い変化をしたキャラクターは誰でしょう?
回答の形式は【①キャラクター名・登場作品②キャラクターの性格変化の説明③その変化に対するあなたの感想④どうしてそのように性格が変化したのかあなたなりの考察】でお願いします。
TBして、お持ちのブログでこのテーマについて語っていただくことも大歓迎です。
① ジョジョでおなじみ荒木飛呂彦先生のSTEEL BALL RUNに出てくるサンドマンです。
② このマンガ1巻の第一話ではサンドマンがインディアンに追われるシーンから始まります。第一話を見る限り今回はサンドマンというやつが主人公で、ジョジョじゃないから、今までのシリーズと一線を引いた作品なんだと思いました。第2話を見ると、ツェッペリの子孫が主人公で、それでも今までのジョジョシリーズと違うんだな。第3話、結局ジョジョか~い!となるわけですが、しばらくの間サンドマンはきっとそのうち仲間になるに違いないと思ってました。しかし、待てどもサンドマンは仲間にならず、11巻で普通の敵として現れあっけなくやられてしまいます。
③ 第一話の意味ありげな登場の仕方はなんだったんだ・・・。しかもしかもいつのまにか凶暴なやつになってるし、サンドマンはじつはサウンドマンだったなんていう無茶振り。
④ ただ、荒木先生は前作ストーンオーシャンの最後から自分のマンガの主人公を見失う傾向?にあったから、その余波と考えれば納得もいきますが、結局のところジョジョの血統とスタンドに落ち着くあたりはファンの一人としては荒木先生頑張ってと声を大にして言いたい。
①ピッコロ
②大魔王からなんかいい人に
③所詮人の子かと・・・
④人気のあるキャラクターだから残していくためにそうせざるを得なかったんだろうなぁ
①「うしおととら」の秋葉流
②軟派な兄ちゃんからいかれた天才に
③ちゃんと理由があってああいうキャラだったんだなぁ
④どこから想定していたかは分からないけどたぶん最初から考えていたんじゃないかなぁと思う
他にもいっぱい良そうなんだけど今は思いつかない。
基本的なパターンはピッコロみたいに人気があるから変えざるを得なかったというのが多い気がする。
ご回答ありがとうございます。
ピッコロは確かに変わりましたね。少年漫画だと、最初は悪役のライバルキャラが人気があると仲間になり、主人公と信頼関係を構築するというのが黄金パターンですね。
①こち亀の両津、中川
②両津は初期の頃、とにかく理不尽に怒りまくるキャラでした。
子供にも厳しかったし発砲する数も今の比じゃなかったです。
しかし今では普通に子供に優しかったり、良識的な面を多く見せています。
中川は最初はもの凄くキザで両津よりも無茶をするキャラでした。出勤時に派出所に車で毎回突っ込んだりとか。
それが次第に両津に常識を説く側になり、その後は全裸になるなどギャグキャラに。
③賛否両論らしいですが、私は今のほうが好きです。
ただ無茶するだけじゃなく内容がうまく構成されてる感じなので。
④当時は子供向けのギャグ漫画という要素が強かったせいもあると思います。
今では時事ネタを多く取り扱った大人向けのギャグ漫画という感じ。
作者と両津が一緒に成長してるという気もしますね。最初から読んでいくと両津がだんだん社会に詳しくなっていき、大人な分析も多くなっていくのが伺えます。
ご回答ありがとうございます。
こち亀は日本を代表する長寿作品。時代によって作品のジャンルが変わり、それに伴いキャラクターも変化していますね。
「作者と両津が一緒に成長してる」とはなるほど。言われてみると両津が作者秋本氏の投影であり、秋本氏の成長が両津に現れているよう感じます。
①寄生獣 の泉進一
②一般的なごく普通の少年から論理的・合理的な考えをするように
(死んだ犬はただの肉の塊だ・・・のような)
③まぁ、ストーリーの設定上、仕方がないと。そんな新一も嫌いではないです。
人間ぽいとこもいっぱい残ってましたし。逆にミギーがどんどん人間ぽくなっていきましたねぇ。
④設定上は、体内にミギーが細かく分散したからとなっていますね。ま、それが無くてもあぁいう状況になれば自然と変わっていくのかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
この場合のキャラクターの性格の変化が「ストーリーを構成する要素」として扱われ、「作者の意図せぬものとしての変化」とは一線を画すものといえるでしょうか。
新一の人間という「不安定な感情」とミギーの寄生獣という「無機質な論理性・合理性」が互いに影響しあい、混ざり合っていくという描写は凄まじいものがありますよね。
①キャラクター名・登場作品
両津勘吉・こち亀
②キャラクターの性格変化の説明
1~10話ぐらいだとまったくの別人です。
とにかくところかまわずキレまくる、殴る、撃つ、脅す。極悪人です。
今も金銭関係とか欲望には弱く無茶をすることもありますが、暴力的な部分は90%以上無くなってます。年に1回は思い出を語る回があって優しい両さんを見せたりもしてますね。
③その変化に対するあなたの感想
今のほうが好きです。
④どうしてそのように性格が変化したのかあなたなりの考察
長年続いてるので、作者の性格と少しリンクしてるのかもしれませんね。
年をとると丸くなるといいますから。
あとは時代背景?PTAがいろいろとうるさい時代ですからね・・・
①キャラクター名・登場作品
ディオ・ジョジョの奇妙な冒険
②キャラクターの性格変化の説明
1~3部では相当な極悪人でしたが、ストーンオーシャンでの回想シーンでは親友を作ったり、世界征服とは違う目的を持ったりしていました。
③その変化に対するあなたの感想
まあ何百年も本を読み続けていたら思想の変化が起こっても不思議ではないと思いますが、年代的には3部のディオと同時期ぐらいのはずなのでちょっと無理があるかなーと。
④どうしてそのように性格が変化したのかあなたなりの考察
荒木氏が人気が高いディオをなんとか再登場させたかったのではないでしょうか。
あの性格のままでは新しいストーリー作りが難しかったのではないかと思います。
ドラゴンボールはベジータもそうですね。
でも最後のほうにはつじつま合わせで「カカロットは俺が人の心を取り戻すのをわかってたようだ」みたいな台詞があったと思います。
ピッコロもその辺の設定がちゃんとあったような気がしますが・・・どうだったかな。
ジョジョの登場人物もディオ以外はなんだかんだで最後には設定の範囲に収めてる気がします。
サンドマンも再度登場する可能性が高いような。このままだと領地を取り戻せないので最初のストーリーに意味が無くなりますからね。
ご回答ありがとうございます。
両津の暴力性が排除された理由を考える上で、時代背景というのも重要なファクターですね。少年漫画を少年が読んでいた時代、その保護者による社会的圧力は逃れられなかったものだったんでしょうね。
いわれてみれば、ディオやベジータのような当初絶対悪として現れた敵役が人気があるが故に、ストーリーで再登場すべく新たな性格の奥行きを獲得するというパターンというのは確かにあるように感じました。奥が深い!
①三井寿/スラムダンク
②「バスケ部なんてぶっつぶしてやる!」→「俺がこのチームを勝利に導いてやる!」
という風に、バスケ部を廃部に追い込むために現れたヤンキーから、バスケ部のエース(自称)へと変化しました。
③最初は正直、「え?元バスケ部?はぁ??」という風に、なかなかついていけなかったのですが、ボコボコにされたバスケ部員たちが割とすんなり三井を受け入れている様子を見て、また、三井自身が自分の振る舞いを後悔している描写を見て三井が好きになりました。
ヤンキー時代の振る舞いを思えば、バスケ部に復帰するのも随分勇気がいっただろうし、そのことを忘れずにチームのために頑張る姿がカッコイイと思いました。
④安西先生の言葉が三井の心を動かしたからじゃないでしょうか(しかし、安西先生がもっと早く(三井が一年生の頃)に様子を気にしてあげれば、三井もあんなにグレなかったんじゃないかなぁとも思ってしまいます)。
ご回答ありがとうございます。
ヤンキーからバスケ部への復帰、その時点で三井の苦悩が解消されたわけでなく、バスケプレイ中にもスタミナのなさに過去の振る舞いへの後悔を覚え、それでも頑張り立ち向かっていく三井の姿には自分も好感を覚えました。
キャラの性格がエピソードを通じてガラリと変わるのではなく、それ以前も引きずりながら変わりゆく姿はいいものですよね。
漫画は連載当初から3、4年くらい、最近はもっぱらアニメなんですが、性格が激変したキャラクターと言えば、クレしんのネネちゃんが思い浮かびます。
1.桜田ネネ・「クレヨンしんちゃん」
2.(前)多少おませなところはあるものの、優しくて可愛らしいごく普通の女の子。ママの怒りモードを見て「いつものママじゃなーい」と涙ぐむことも。
(今)女の子らしいところは残っているものの、目的の為には手段を選ばない、有無を言わさず従わせる、まるで女王様キャラ。時には恐喝まがいな言動も駆使することも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%8B%E3%81%B...
3.数年のブランクを空けて見た時は驚きでした。でも彼女のママがもともと裏表ある性格なので、影響を受けたということで納得する点もあったりしましたが。
4.例えば風間くん(初期の優等生でキザなキャラ→いじられキャラでボケツッコミどちらもこなす)なんかはストーリーの都合上の変化かもしれません。実は少女漫画オタクだったり、しんのすけとの親密さとか。
ネネちゃんに関しても、普段は優しいネネママをしんのすけが怒らせる→「いつものママじゃなーい」のパターンを打破したかったというのもあるかもしれませんが、とにかくあの変わりようは特別じゃないでしょうか。
まるでジャイアン化。
リアルおままごとにしんのすけ達を巻き込む強引さは、自分の歌を聞かせようとするジャイアンを彷彿させます。
実はリアルでも男女一緒に遊ぶくらいの年齢の子供たちって、女の子の方が強いんじゃないかな。本来は大人向けの『クレヨンしんちゃん』なので、それを強調したかったのかと穿ってみましたがどうでしょうね・・・。
それにしても、ママだけでなく娘も凶暴化するようになって、桜田家のパパは大変だなぁと我が身に置き換えてみて同情・・・ってことはないですよ(笑)
ご回答ありがとうございます。
STEEL BALL RUNは最初でいろいろキャラを出してきて読者への思わせぶりはすごかったですね。よく考えてみると荒木先生はキャラの設定?が破綻していくことが結構あるような・・・でも、それも作品のある意味魅力なのかな。