日本シリーズ完全試合は一度もありません。
試合はホームゲーム。得点1-0.9回ノーアウトです。
一点差ですからホームランを打たれれば同点になります。
またニュースステーションを見ていて、アメリカなら変えないと言っていたような気がします。
野球選手をヒーローとして見ているのが理由だからだそうです。
このことは置いていて、私は正しい判断だと思います。
三連勝した上で最後のホームゲームですから。
ここで負けた場合、勢いを崩された上に、
札幌ドームで戦うことになるのでかなり不利だと思います。
ですから、決められるところできっちり決めるのは監督として正しい判断だと思います。
逆に、こんなところで変えられるのは落合監督以外今後絶対出てこないでしょう。完全試合は、いずれ達成される気がしますけど。しかもかつて中日は決断し損ねて勝利を逃してますし、今年の中日にとって最良の決断だったと思います。
1点差というあの局面で
日ハム打線がいくら貧弱だからといって
負けてたたかれるのは?
と、考えるとある意味正しいんだろう
ちょっと悔しいかもしれないですね~。ただ、当時の自分はチームの絶対的エースだったわけでもなく、その辺の自己主張をするよりは、落合に忠誠を誓うことを選んだかもしれません。
あと、間違って(失礼!)完全試合をしてしまった場合に、来シーズン以降に嫌でもついて回る「シリーズ完全試合男」という冠に悩まされること、重圧に押しつぶされることを考えればよかったかなと。それを落合監督なりコーチ陣が考えてくれた上での交代であったのなら、むしろ感謝しますね。
普通の采配というだけ。
ペナント中なら話題にもならない、終盤で疲れの出て来た投手を代えただけの、普通の采配であろう。
騒ぐ方がおかしい。
どちらでも結果次第
落合も明徳の監督も勝つために野球として面白い勝負(見せ場)を
捨てて自分のチームが勝つことだけを考えたという点で
一緒だと思います。
それはそのとおりなんです。だけどそもそもその面白い勝負を捨ててとか言うのは意味がないといっているんです。
(野球における面白い勝負、見せ場、勝負所、ピンチ、チャンスは全て違います)
別に逃げとか、そういう話は関係ないんじゃないですかね?
大ありです。むしろここが一番大事といっても過言ではありません。
しかし逃げが全て悪いわけではないんですよ。そこがちゃんと勝負所だと理解していることが大事なのです。
面白い勝負とか考えているようじゃ勝負所なんて見えてきません。
(勝負所が見えていない監督は間違っていると断言しましょう)
まとめると落合監督のあの采配を良いか悪いかなどと言うことは結果論でしかないので言及する意味がない。
そしてこれだけは断言できますが「面白い勝負を避けた」という理由で監督を批判するのは間違っている。
(立場の違う人間が批判をしてはいけない。仮に批判をするのならばその相手の土俵に立って批判をしなければならない)
日本野球の人気の低迷という話は全く話が別だと思いますが、そりゃちゃんと野球を見ていないからです。
「正々堂々」しか頭になくて弱い物がいかにして強い者に勝つかという戦略を考えなければ野球なんて面白いわけがない。
また、そういう次元の話なら日本のサッカーの試合を見て人気が低迷しない理由が謎です。
私だけですかイライラするのは。(たぶん私が素人だからよく分かってないからなんでしょうが)
まぁあのだらだらとした試合運び(3時間超!)は正直野球中継の不人気の主立った原因でしょうね。野球選手がイケてる感じは正直しない。
日本代表を比較すると野球はサッカーにかなり負けてるね。
ですな。
普通のシーズンの完全試合に賭けた星ですら目指さなかった日本シリーズの日本一が掛かった試合での…
現実はマンガを越え、そして落合にそれをロマンと感じることはなかったわけで
あの場面は極端な話、壊れてでも投げて欲しいというのがおやじロマン
そうすれば山井は星すら越えられたわけで
続投or継投、抑えるor打たれるの4つが起こりうる結果です。ただ監督はあの場面で
一番最善の策を選んだまでです。それ以上でも以下でもないです。
批判する人は常識でしかで考えられない人でしょう。何年経っても同じ考えでしょう。
他人の立場には立って考える事が苦手だと思います。
批判する人はあの場面で空気読めとか言ってます。では、観客のアンケートで決めろと
でも言っている様なものです。
たまには観客にそんな権限与えてる球団ってのも面白いかもしれません。
巨人くらいで試してみたらって思います。強くなったりして(笑)
正しいってのは、落合同様に明徳の監督も「いる」監督であるってことかな?
と思って書いたのです。
落合も明徳の監督も勝つために野球として面白い勝負(見せ場)を
捨てて自分のチームが勝つことだけを考えたという点で
一緒だと思います。
別に逃げとか、そういう話は関係ないんじゃないですかね?
最近、野球の人気の低迷ってのはそういうのが原因だと思いますよ。
王・長嶋時代の人気ってのはそういう見せ場があったからこそ
試合が盛り上がって今と違って野球ファンがたくさんいたんじゃないですかね?
そういう点では、今の日本の野球ファンがプロ野球に興味がなくなり
大リーグを見るようになったことを表す象徴的な出来事だと思いますよ。
中日を見てきた人は、ほぼ全員8回表終了時で既に「(1-0なら)代えるな」と思ったはず。たとえ川上でも落合は代えただろうと推察します。勝負事は結果論でなく、「同じシチュエーションならぶれずに同じ選択が出来るか」が鍵で、これが出来る落合中日はやはり強かったというところでしょう。
岡田阪神も多分、球児君に任せたでしょうね。
完全試合と言った所で、余ほどのファンで無い限り直ぐに忘れてしますもの。
見てみたかったと言う気持ちはあるが、これもまた勝負の世界なので
勝ちにこだわった事は評価できる。
面白いかどうかで采配するような監督は「いらない」といっているんです。
高校野球の建前は「教育」も含まれているわけでそういう側面でいけば間違いであるといえるけどね。
当たり前だけど野球の試合として考えるのなら何の間違いでもない。一つの選択肢に過ぎない。山井が続投するかしないかも同じ事。
落合監督と明徳の監督で同じ所は勝敗は関係なくてどういう結果になろうと非難を自分自身が浴びる覚悟で采配したと言うところです。
真剣勝負で「おもしろさ」なんてアホみたいな観点で采配する監督に選手がついて行くわけがない。
そりゃ外野の人(私も含めて)はなんも関係ないし責任を取るわけでもないのだから「つまらない」とか「間違っていた」とか何とでも言うだろうね。
私は野球が大好きなので次元の低い「魅せる野球」なんて見たくないです。
(新庄のお面をかぶったりなんて言うのはアレはあくまでおまけで新庄の全力で楽しくプレーしていたからこそアレが生きていた)
ちなみに「勝負」という観点ならば落合監督と明徳の例は全然違いますよ。
落合監督は逃げたわけでも何でもないけど明徳の例は完全に逃げです。
この「勝負」という観点はおもしろさとは全然違いますからね。勝つための方法論といえるかもしれません。
そういう意味では明徳の敬遠はかなり危険な賭だったと考えられます。
ぎりぎりで逃げ場が無くなったときおそらく負けたでしょうね。
(山井を続投しようが降板させようがあの場面では逃げたことにはならない)
完全試合なら文句なく日本一だったわけで、山井に最後まで投げさせる事はできたはずです。
逆に岩瀬が100%抑えられると言う保証もなかった訳で。
中日の日本一も53年ぶりですが、日本シリーズの完全試合(58年間)、中日の完全試合は一度もない。
舞台が北海道に移っても日本一の可能性はあったわけで、山井になげさせることはできたはず。
「山井が指の豆がつぶれたから」ということに口裏をあわせたみたいです。
山井にしたって完全試合は一生に一度でしょう。
可能性はほとんど消えました。本当に勿体ない話です。
松井が高校時代に連続敬遠された時のあの監督も正しいということかな?
どんなスポーツでも考えないやつは必要ない。
本当の意味の馬鹿には野球は(どのようなスポーツも)できない。
野球は英訳するとシンキングベースボールだからね。
続投!
つまらないね。
それは監督が決めることだからしょうがないけど
つまんない。
まあ、落合らしいと言えば落合らしいけどさ。
大事なのは自分の成果。
客の楽しみや試合の盛り上がりも記録も関係ない。
まあ彼の息子や奥さんを見ればわかるよね。
でも、彼はそういう人間だからしょうがない
もしそれが間違いであるのなら彼を監督に選んだ
球団の責任だな。
結果として代わった岩瀬投手も抑えたわけですから、私は完全試合達成したと考えてます。現在認知されている完全試合の定義からは外れるのかもしれませんが。そもそも完全試合はエラーも許されないわけなので、投手1人の力ではないです。
落合監督は交代かどうか迷った、という談話を残していますが、結果、山井の怪我と本人の「無理です」という返事があって交代を決断したそうです。
ただ、それにしても岩瀬というストッパーがいてこその迷いであって、これが岩瀬じゃなければ迷わず続投だったと思います。
ドラゴンズ投手陣の中では完全に別格扱いで、投手ミーティングも最後に岩瀬の同意がないと進まない、という話も『ナンバー』誌に掲載されていました。
さまざまな条件を考えたうえでの、勝利、日本一を最優先にした落合監督の交代の決断はしごく当然、個人的にも支持します。ドラゴンズファンのほとんどが落合監督を支持していると思います。