ペルーの「マチュピチュ遺跡」に関してですが、


①なんの目的で造られた都市なのか(なぜあのような場所に作る必要があったのか)
②インカの人々はどこへ消えてしまったのか(消えた経緯なども含めて)
③その他マチュピチュの謎と、それに対する説

に対する学者などが唱える様々な説を教えて下さい。
現在の最有力説である必要はありません。
ある程度有力なものを、「こんな説がありますよ」という感じで紹介頂けたら嬉しいです。
①に関しては「スペイン人から逃げるため」以外でお願いします。

なんだかめんどくさいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。

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  • 登録:2007/12/06 19:06:14
  • 終了:2007/12/07 06:17:19

回答(2件)

id:jealousy No.1

jealousy回答回数181ベストアンサー獲得回数32007/12/06 20:12:39

ポイント50pt

ショップ.学研 学校では教えてくれない失われた文明の謎

↑この本を参考にしてます。

建設の目的

①宗教センター説

 マチュピチュの孤立した立地条件と自給自足体制から、それがインカの宗教の聖域であったとする説。

②アクリャ説

 この地から173体の人骨が発見されており、その中の150体は女性で残りは子供だった。

 このことから、太陽の神殿に仕えた処女アクリャの住む場所ではなかったかとする説。

③地殻変動説

 巨大彗星の接近により引き起こされた大洪水により地面が削りとられ、その後の地殻変動により

 隆起、あのような山頂になったという説。

インカ人はマチュピチュを放棄し、更に奥地へ移住していったとの説がある。

id:ryota11

へぇ~~!

どれも面白いですね。

ありがとうございます!!

2007/12/06 20:26:21
id:kanan5100 No.2

kanan5100回答回数1469ベストアンサー獲得回数2752007/12/06 23:39:13

ポイント50pt

増田義郎『インカ帝国探検記』(中公文庫)にはこのように書かれています。

マチュ・ピチュで発見された約百の洞窟の中から、百七十三体のミイラが掘り出されたが、そのうち百五十体は女性のもので、しかも、残りの男性のミイラは、老人が大部分を占めているという。おそらくこれらのミイラは、太陽の処女(アクリャコナ)のものなのだろう。そして、頑丈な肉体労働者風のミイラがひとつもないという事実を、古記録にあるトゥパック・アマルーの反乱の際、兵士として役立つものはすべて召集された、という事実と結びつけ、さらに女性のミイラのある者が、頭を両手でつかみ、口を大きくあけて絶叫する表情を示していることなど考え合わせると、インカの最後の戦いに若者をぜんぶ徴発したトゥパック・アマルーは、自己の運命を予感し、たとえどんな事態がおこっても、太陽の都の秘密を守りぬくために、太陽の処女たちとわずかの残留男性たちを、ひとりのこらず殺させ、遺体を洞窟にほうむってから、山を下ったのではあるまいか。

http://q.hatena.ne.jp/1196935571

id:ryota11

ん~、これがやはり有力な説になるんでしょうか。

どこへ行ってしまったかというのは、案外そんなに説がないんですね。

ありがとうございます。

2007/12/07 01:11:55
  • id:ryota11
    ん~~、分からない・・・。
    マチュピチュの人々がどこへ消えたかのかが意外に分からないので、これを是非教えて下さい。。。
    まぁ確実にこれというのは謎なんでしょうから、
    有力な説をどうぞお願いします・・・。

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