生の本能は、いささか経験したが、死の本能は未経験である。
しかも、二度と経験できないらしいので、とても不安になる。
ただし、だれもが未経験なのだから、まっ、いいか……。
── 人類の社会文化の形成過程は、エロスに奉仕する一つの過程であ
って、ばらばらになっている個人、やがては家族、ついでさまざまの種
族・民族・国民を一つの大きな統一体としての人類に統合しようとする
生命過程である。しかもエロス(生の本能)とともにタナトス(死の本
能)に着目すると、文化の発達とは、エロスとタナトスとの間の闘争、
いいかえれば永過のエロスが解体と自己破壊の衝動とたたかいつつ、こ
れにうち勝っていく過程である。『文化の不満』におけるフロイトの予
言者的洞察「自然力の支配……自然力の助けをかりれば、最後の一人ま
でお互いを絶滅させあうことができるようになる。」時代──物質科学
と技術の加速度的進歩が“人間”を追い越した時代──それが現代であ
る。
つまりこの現代は、一方で文明・文化(エロス)が発達すればするほ
ど、その一方で解体と自己破壊の衝動も高まる。そんな生の衝動と死の
衝動の葛藤の激化──破局が、われわれを脅かす時代である。
── 小此木 啓吾《エロス的人間論 19700916 講談社現代新書》P311-312
生の本能は、いささか経験したが、死の本能は未経験である。
しかも、二度と経験できないらしいので、とても不安になる。
ただし、だれもが未経験なのだから、まっ、いいか……。
── 人類の社会文化の形成過程は、エロスに奉仕する一つの過程であ
って、ばらばらになっている個人、やがては家族、ついでさまざまの種
族・民族・国民を一つの大きな統一体としての人類に統合しようとする
生命過程である。しかもエロス(生の本能)とともにタナトス(死の本
能)に着目すると、文化の発達とは、エロスとタナトスとの間の闘争、
いいかえれば永過のエロスが解体と自己破壊の衝動とたたかいつつ、こ
れにうち勝っていく過程である。『文化の不満』におけるフロイトの予
言者的洞察「自然力の支配……自然力の助けをかりれば、最後の一人ま
でお互いを絶滅させあうことができるようになる。」時代──物質科学
と技術の加速度的進歩が“人間”を追い越した時代──それが現代であ
る。
つまりこの現代は、一方で文明・文化(エロス)が発達すればするほ
ど、その一方で解体と自己破壊の衝動も高まる。そんな生の衝動と死の
衝動の葛藤の激化──破局が、われわれを脅かす時代である。
── 小此木 啓吾《エロス的人間論 19700916 講談社現代新書》P311-312