あなたはフィクションとノンフィクションのどちらの方により感動しますか?

理由をつけて回答してください。
理由は可能な限り掘り下げてください。(なぜなぜ分析並みに)

回答の条件
  • 1人1回まで
  • 登録:2007/12/12 12:40:26
  • 終了:2007/12/18 21:13:53

回答(13件)

id:ito4367 No.1

ito4367回答回数1ベストアンサー獲得回数02007/12/12 13:04:48

ポイント20pt

フィクションの方が感動します。なぜなら、実際あったことで演技ではないからです。僕の場合は野球をしていたので特に野球を舞台にした映画、ドキュメントには感動することが多いです。

実際にあったことは、どんな脚本家やライターでも想像・イメージでは書けないと思います。

フィクションの方が見た後、納得ができます。逆にノンフィクションは本当かなー?と疑問が残ります。

id:Beirii

※フィクションとノンフィクションが逆ですよね?以下はフィクションとノンフィクションが逆であったとしてコメントしています。


実際にあったことでも、作品として公開する際にはそれを文章や言葉に変換する必要が生じます。

その時点で、それは厳密には事実では無くなると思うんですよね。ちょっと極論ですけど。

全ての事実をありのまま作品にすることは不可能なのではないでしょうか。

となると、作品に感動できるか否かは結局はその変換を行う人(脚本家やライター)の力量によるところが大きいのではないでしょうか。


個人的には、完璧な想像によって作られたフィクションとノンフィクションに違いは無いと思います。

もちろん、完璧な想像などあり得ないという根拠があれば話は別です。


ある日、野球を舞台にしたノンフィクションの作品にすごく感動したとします。

ところが後日、それが実はフィクションであったことを知ったとします。

恐らくがっかりすることでしょう。

しかし、あなたがノンフィクションであるとして観たその時に『感動した』という事実は変わることはありません。

とするならば、フィクションであるか否かという事実は、感動とは無関係であると言えると思います。

2007/12/12 14:09:02
id:THOM0708 No.2

THOM0708回答回数12ベストアンサー獲得回数12007/12/12 13:35:35

ポイント50pt

映画や小説に関しては、圧倒的にフィクションです。

ドキュメンタリーものの番組や何かも見ることは見ますが、多くの場合、僕はそれにある種の「胡散臭さ」を感じてしまうんです。ノンフィクションものの場合、ある極度に限定された視点から現実を切り取ることによって、逆に現実を歪めてしまうことが多い気がするんです。

例えば、よく重病の患者をドキュメントするような映画、番組、小説がありますが、大抵の場合、「如何にその患者が苦しそうか」「如何にその患者が頑張って病魔と闘っているか」を記録しようとしますよね。僕が常にそれらに対して感じるのは、「現実はそんな単純じゃない」ってことなんです。つまり、感動狙いがバレバレなんです。「現実をそのまま受け止める」というような姿勢のものもありますけどね。只、それをするのはとても難しいことなんだろうと思います。

これに反して、フィクションの場合、もともとが虚構なワケですから、僕は構えることなくその世界に入って、作品を楽しめるんです。現実どうこうと言うよりは、それがもつ世界観を楽しむことが出来るんですね。もちろんそれらの中には意味もなく(作品的にはもちろん受け取る側を感動させる意図で)人が死ぬようなしょうもないものもありますが、多くは、作中で様々な技巧や工夫を凝らして我々を動かしてくれます。フィクションは、無から有を作りだすものですから、それ自体に何らかの意義や、美しさのようなものがあるんだ、と僕は思っています。

穿った見方かもしれませんが、これが大まかな僕のフィクション、ノンフィクション観です。

id:Beirii

私なりにまとめてみました。

●ノンフィクションは事実と演出の境界に対する疑念が付きまとってしまい感動できないが、フィクションにはそれがない。

●フィクション/ノンフィクションに関わらず、基本的に制作側の意図が透けて見えると感動できない。


例えば、当事者から対面で実際にあったというお話を聞かされたとします。

お話の途中で聞きたいことを質問することもできます。

そして、そのお話はあなたの想像を超えたドラマティックなものであったとします。

とすればどうでしょうか。

#即ち、制作者の意図や演出に対する疑念が一切無い場合

2007/12/12 14:31:13
id:iwaamap No.3

iwaamap回答回数180ベストアンサー獲得回数102007/12/12 13:44:12

ポイント20pt

どちらかというとノンフィクションです。


基本的に、フィクションとノンフィクションという事は

作品を楽しむ間は関係ないと思います。

ノンフィクションと言えども

作品になっている時点で、事実以外の部分で

作成者の演出(コマ割り、音楽、など)が入っているでしょうし

「これは事実なんだ」という思い込みがあるかどうかに過ぎないでしょう。


ただ、ノンフィクションは事実であるので

作品に見る以外にも情報を参照できます。

題材になった事件や人物について知っていれば

感情の振れ幅は大きくなると思います。


私の場合は、こんな感じです。

id:Beirii

事実を背景としたノンフィクションでも同様なことが言えるかもしれませんね。

史実を題材とした作品は、ほとんどそのようなものなのでは無いかなと思います。


とすると、ここにフィクション/ノンフィクションの違いは無いのではないでしょうか。

2007/12/12 14:33:30
id:SALINGER No.4

SALINGER回答回数3454ベストアンサー獲得回数9692007/12/12 14:13:58

ポイント50pt

ノンフィクションは現実に存在したという圧倒的なリアリティに、フィクションは作者や製作者の創造力やエネルギーに感動します。それぞれ感動の質が違いますが、どちらかと言うとノンフィクションにより感動します。


フィクションにおける演出や演技というのは、あるときは作品がよりリアルに近づけるようにするための手法であると思うので、結局は現実というリアリティには勝てないと思うからです。ただ、リアリティは感動にとって重要な要素ではあると思いますが、感動する作品にリアリティが絶対に必要と言うわけではありません。


子供のころはむしろフィクションに感動しました。漫画家の作り出す世界に、小説家の書く情景に、映画監督が作るストーリーに。「こんなオチを考えるなんてすごいな」という感じです。ただそのうち、フィクションに慣れ、より感動するストーリーやオチを求めているうちに、感動するということに鈍感になっていってると感じました。更に、人の考えることの限界もひしひしと感じていました。


その頃見たドキュメンタリーに「小留学生(日本語タイトル:小さな留学生)」というのがあります。この作品中国から仕事で日本に来る家族を中国人の女の子を中心に描いたドキュメンタリーです。私は号泣して見たのですが、創作や演技を超えた現実にこそ感動はあると思えた作品の一つです。


もっと子供のころは今ほど多様なサブカルチャーが氾濫していたわけでもなく、日々の感動や関心は現実という自分のノンフィクションの中だけでした。そう考えるとノンフィクションに回帰したと言えるかも知れません。

id:Beirii

感動においてはリアリティが重要な要素であり、ノンフィクションは事実である分一歩抜きん出ているということですね。

例えば、事実を継ぎはぎしたようなフィクションの場合は演技や演出において差異は生じないのではないかと思います。

#個人的には演技や演出というものの創造性がそこまで低いかなというところに疑問を持ちます。


「小留学生」というドキュメンタリーに感動した理由、そして、今現在はどう思うのかが知りたかったですねぇ。

#ほとんどが子供の頃のことのようでしたので・・・

大人になって、フィクションに対しても見方が変わってきているものと思います。

同時に多くの現実を経験してきたことになりますし。

逆に言えば、より新鮮な方に感動する、ということなのでしょうか。

2007/12/12 15:06:08
id:toku4sr4agent No.5

toku4sr4agent回答回数349ベストアンサー獲得回数282007/12/12 15:43:00

ポイント20pt

こんにちは。

自分の場合、どちらかといえば(今までの傾向を分析すると)

「ノンフィクション」をもとにした作品のほうに感動していると思います。


例を上げるとするならば、NHKの朝ドラ。

モデルのいないドラマ、

もともとフィクションだった作品をもとにして作られたドラマを見ていると、

どうも話しの成り行きが主人公のご都合主義と言うか、主人公のよい方向にばっかり進んでしまう。

現実だったら普通はこんなことはしないだろう・・・と思ってしまう展開が多いです。

(最近のドラマを例に出せば、「どんと晴れ」はこっちに入るかも)


それに比べると、実話をもとにしている作品の場合、

ある程度の脚色はあるにしても、現実にあったことをもとにして作られているので、そうそう主人公の都合のよいように話しが進まないこともある、

また、主人公は様々な苦労を重ねた上で、それを乗り越え成功した場合、

「本当にこういう苦難を乗り切ったんだ」とある程度感情移入ができるからです。

(最近の作品だと「いもたこなんきん」はこっちに分類されるかも)


フィクションならば成功するまでのストーリーなど、

どうとでも書きようがある。実際にはこんなに話しはスムーズにいくはずがない・・・という穿った見方もしてしまう。


簡単にまとめると、

フィクション:主人公の都合のよいように話しが進みすぎることが多い。

「現実にはそんなことありえない」という展開も多い。

ノンフィクション:主人公の都合のよいように話しが進まないのがかえってはらはらして面白い。仮に、「現実にはありえない展開」と思っても

「実話を基にして作られている」ということは、「やっぱり現実にあったんだ」と思えてしまう。

といったところでしょうか。


参考になれば幸いです。

id:Beirii

ストーリーに関しては、それは作り方次第なのだと思います。

従いまして、ストーリー性とフィクションかノンフィクションかは直接は関係無いかなと思います。


それよりも回答を読んで感じたのは、フィクションかノンフィクションかという先入観が感動に影響する、ということなのかなと。一種のプラシーボ効果なのかもしれませんね。

しかしそれは『実話だから感動する』という前提のにおいて成り立つのだと思います。

なぜ実話は感動するのでしょうか?


ちなみに「おしん」はどうですか?

「おしん」は実話が基にはなっていますが、ほぼフィクションのようですね。

これは個人的な考えなんですけど、NHKの連続テレビ小説はその放送時間や放送期間の制約上、実話をそのままの形で放送するのは無理なんじゃないかと思っています。

たとえ実話が基になっているとしても、演出が入らざるを得ないのではないでしょうか。

即ち、NHKの連続テレビ小説は基本的に全てフィクションとみなすべきではないか、というのが私の考えです。

2007/12/12 16:55:12
id:rikuzai No.6

りくっち回答回数1366ベストアンサー獲得回数1412007/12/12 15:55:03

ポイント50pt

あくまで「作品」という縛りで、私自身のみに限定して答えるとすると、

数量的に見るとフィクションの方が感動した作品が多いと思います。

これは私のノンフィクションよりフィクションの消費量が圧倒的多いことが原因として考えられます。


ではなぜ私がノンフィクションをフィクションより消費していないかというと、

そもそもフィクションの作品数の方が圧倒的に多いということと、

多くのフィクションは「娯楽性」がないためです。


私は大抵こうした作品を消費する際、まず作品を構成するものの中に興味をひくものがあるかどうかを基準にして選択します。

この時、ノンフィクションかフィクションかという選択は、手法やソースの一つとして捉え、

その中に虚構があろうと事実のみであろうと興味をひかれなければそれまでですし、

その要素だけで判断していることはほとんどないと思います。

そういった意味では私が映画や小説などを好んで消費するとき、

「感動したい」という動機で選ぶことばかりではなく、基本的には「娯楽性」を求めているので、

この段階でフィクションを選ぶことが多くなっているということだと思います。

正直なところノンフィクションはテーマや素材が前面に出すぎたり、

事前にある程度情報を持っていないと理解しづらいことも多いため、

作品自体に重さを感じてとっつきにくいという印象があります。

また、フィクションはテーマや素材を「加工」して理解や共感を得られやすくすることができます。


たとえば原子力爆弾の怖さをテーマにしたものとして、

「原発事故を問う」というノンフィクションの本と、

「風が吹くとき」という絵本をあげた場合、

後者のほうがより多くの人にテーマの根幹を伝えられるように思います。

これはノンフィクション小説を映像化する手法自体にも言えると思います。


ただし、「感動する」割合としてはノンフィクション作品の方が多いと感じています。

これは上記のような基準で選んだとき、

テーマとして事実に即した内容による手法の方が理解・共感しやすいものは、

同じテーマでもノンフィクションを選ぶことが多いので、

作品自体のつくりがよほど悪くない限りは感動することが多いと思います。

また、テーマ・素材そのものに感動できる力を持ったものがノンフィクションの題材として使われることが多いということも一因ではないかと思います。



以上から、私の「感動」は、フィクション・ノンフィクションに関わらず、

基本はテーマの理解と共感であって、技術的な「感動」も含めて、

そのソースや手法が虚構か事実かという点にはあまり関係がないように思います。

おそらくこれは人が音楽に感動する機能について考えてみるとわかりやすいのではないかと思います。

音楽のテーマやソースについて多少の言及はあれ、それが感動の原因として論じられることはほとんどないと思いますので。




以上ご参考まで。

id:Beirii

あらためて質問文を見ると「~どちらの方により感動しますか?」というのが質を指しているのか量を指しているのか曖昧ですね。

実は質を指した質問のつもりでした。


基本的にはテーマの理解と共感が感動であって、フィクションかノンフィクションかは関係が無いということですね。

回答は主には量についてのものかなと思いましたが、質についてもやはり同じでしょうか。

テーマの理解と共感に対し、事実というスパイスが更に理解と共感を深める、ということは無いでしょうか?

2007/12/12 17:28:20
id:bakuto No.7

bakuto回答回数291ベストアンサー獲得回数162007/12/12 18:55:18

ポイント20pt

どちらかと言えばノンフィクションですね。


本当はどちらでも優れた作品ならば構わないのですが、結局感動とはどれだけ読者(視聴者)を作品に共感や感情移入をさせるかで決まると思います。


子供ならば「電車男」よりは「ドラえもん」や「ポケモン」に感動を覚える筈です。自分に身近で感情移入しやすい題材や、読者に理解しやすい感動の内容を伝える能力(表現力)が決め手だと思います。


ただ私があえてノンフィクションを選んだのは、一つは事実を元に脚本を書くので話の流れや人物の考え方、背景が「自然」になる事と、ある程度の文才が有れば「誰でも感動を伝えられる」事ですかね。

まあ、感動秘話とみんなが思うからそれを文章にする訳で、前もってリサーチをしている物語を文章にするのですからノンフィクションに感動するほうが自然かと思います。


フィクションで読者を感動させるには、それなりの人生経験や表現力、文章構成力が必要とされるので、こちらは作者の力量しだいですね。

id:Beirii

世の中にはフィクションを書く優れた作家が沢山います。

彼らの多くは「それなりの人生経験や表現力、文章構成力」を十二分に持ち合わせていると思います。

そしてそのような作家が書いた優れたフィクションである作品が無数に存在すると思います。

それらの作品をしても、やはりノンフィクションの方が感動すると言えるでしょうか?

2007/12/12 19:05:56
id:sokyo No.8

sokyo回答回数1372ベストアンサー獲得回数952007/12/12 21:35:58

ポイント20pt

こんにちは〜。

 

まずは何か書こう、と思って回答を書いてみたのですが、書き終わってから、id:Beiriiさんが

フィクションであるか否かという事実は、感動とは無関係であると言えると思います。

と書いていらっしゃるのを発見してびっくりしました。

要するに私が考えているのも同じコトです(汗)。

 

さて、私は映画を見たりはしないので、差し当たり文学のコトを想起しながら書きますね。

 

さて、回答ですが、基本的には、“どちらでもない”です。

ある作品が私に感動を与えたとしても、それがフィクションだから/ノンフィクションだからは理由にならないから。

単にその作品が感動を与えているのであって、そのフィクションさ/ノンフィクションさが感動を与えているのではありませんから。

 

私はコンテクストを消費しているのではなくて、単にテクストを消費しているんだと思っています。

例えば私には何人かお気に入りの作家さんがいます。

…というのはウソです。

私が気にしている作家さんが何人かいて、そのヒトの作品が私の気に入る率が高い、というだけのコトです。

作家さんが好きなのではなくて、その作品が好きなのです。

 

というのが建前ですが、実際にはどうかなぁ…。

好きな作家さんの作品を読むトキには、多かれ少なかれ期待している自分がいますし、

その結果 何でも好きに見えてしまっているかもしれません。

コンテクストが私の感動に(意識していないにしろ)影響を与えているんじゃないかなぁo

 

ちなみに、どちらかといえばフィクションのほうが、私の無意識にプラスに働きかけている可能性が高い気がしてます。

これまでの読書人生で、感動しちゃうフィクションには出会ったコトがありますが、

(不幸にも)感動しちゃうノンフィクションには出会ったコトがないからです。

id:Beirii

フィクションであるか否かという事実は、感動とは無関係であると言えると思います。

というのは、ito4367様の回答における以下、

フィクションの方が見た後、納得ができます。逆にノンフィクションは本当かなー?と疑問が残ります。

に対する反証として仮定した以下、

ある日、野球を舞台にしたノンフィクションの作品にすごく感動したとします。

ところが後日、それが実はフィクションであったことを知ったとします。

恐らくがっかりすることでしょう。

しかし、あなたがノンフィクションであるとして観たその時に『感動した』という事実は変わることはありません。

を想定した上でのお話ですので、これは結論のひとつと言えるものではありません。


sokyo様に感動を与えているものはなんでしょう。

それがわからなければ、感動とフィクション/ノンフィクションが無縁であるとは言えないと思います。


特定の作家に対する期待感が感動に影響している、というのはあり得るかもしれません。

ノンフィクションには基本的に作家はいませんから、それが理由だとすればフィクションにより感動する、ということになるかと思います。

しかし、期待感というのは必ずしも作者に依存するものとは思えません。

家族や親しい友人が口をそろえて『あのノンフィクションはすごい感動するよ!』と言えば、否が応にも期待感を募らせることになるでしょう。

となれば、やはりフィクション/ノンフィクションには依存しない、ということになるかもしれません。

『感動しちゃうノンフィクションには出会ったコトがない』という言葉には、『だからノンフィクションには期待できない』という想いがあるようにも思いますから、やはり期待感が感動に影響しているということなのかもしれません。


思ったのですが、ここで言う期待感はtoku4sr4agent様の回答のところで書いた先入観と同じものなのかもしれません。

sokyo様は特定の作家の作品に、toku4sr4agent様は実話と言うキーワードにそれぞれ期待し、それが感動に大きく影響しているのかもしれませんね。


#なんか妄想が過ぎる・・・

2007/12/12 22:13:20
id:lukino No.9

lukino回答回数88ベストアンサー獲得回数22007/12/12 22:12:39

ポイント20pt

圧倒的にフィクションです。

創られたものに対して、「人はこんなものが想像で創りだせるのか」と驚愕することもあります。

 

ノンフィクションの作品に対しては、「モトがあるじゃねーの所詮」と思ってしまうので、

その「起きた出来事」そのものに感動することはあっても、「起きた出来事を元にした作品」に

なれ合ってしまうことは(ひねくれた性格上)あんまりできません。

id:Beirii

非現実性に感動するから、と言うことですね。

そして、現実であると言う事実が感動に逆に働きかけているようです。

これはこれまでの回答における先入観・期待感が影響していると考えていいのかもしれません。

2007/12/12 22:32:27
id:nhate No.10

nhate回答回数74ベストアンサー獲得回数62007/12/12 22:13:18

ポイント20pt

ノンフィクションですかね。一長一短ですが。

フィクションは感動を練り上げようとする点に作為のわざとらしさを覚えますが、

ノンフィクションは感動を撮るためにできるだけそばに寄ろうとする強引さに違和感を覚えます。



以上が結論でした。

ですが、どうなんでしょうね?創作か事実かをあらかじめ知らされるようになったのは最近のことですし

それが本当に事実かどうかなんて、その語り手の胸先三寸ですよね?

昔面白くて感動した本で、「これは事実である。フィクションではない。」と書かれてて信用してたのに

後になって実はフィクションだったと知った、という経験をしたこともありやす。

フィクションとノンフィクションも語り手が決める設定のひとつではないですかね。

id:Beirii

制作側の作為を感じると感動できなくなる、ということですね。


フィクションとノンフィクションも語り手が決める設定のひとつではないですかね。

受け手側からすれば、確かにそうであると言えると思います。


フィクション・ノンフィクションと言う事実が後にそうではなかった、というようなケースはいくつかあると思います。

「一杯のかけそば」なんかもそのひとつで、フィクションだと思われていたお話が実はノンフィクション(事実を基に脚色されていた)であったことが判明しました。

#この件に関しては色々とごたごたしたものでしたが。

仮に、この「一杯のかけそば」というお話に「このお話はフィクションです」という断りがあったとしたら、それほど話題になったとは思えません。(これはあくまでも想像ですけど)

即ち、実際にフィクション・ノンフィクションであるかと言うことよりも、フィクション・ノンフィクションという設定かどうか、ということが感動に影響していると言えるのかもしれません。


「一杯のかけそば」の作者は巧妙にノンフィクションを創作しました。

そこには『多くの人はフィクションに対してより期待感が高まる』という考えがあったということなのかなと思いました。

2007/12/12 23:07:42
id:yoidene No.11

yoidene回答回数8ベストアンサー獲得回数02007/12/13 02:11:20

ポイント1pt

ノンフィクション>フィクションですかね。

やはりフィクションは感動させようとして、考えだされたものですが、

ノンフィクションは考えだされたものでなく、もしかしたら自分自身が体験してたのかもしれないことだと

思うので、私はノンフィクション派です。

id:Beirii

う~ん、ここにきてこの回答ですか・・・

可能な限り掘り下げた理由を知りたいのです。


感動させようとして考え出されたフィクションにyoidene様が感動できない理由はなんでしょうか?

実社会を背景にしたフィクションは数多くあるかと思いますが、そのようなフィクションにおきましては自分自身が体験する可能性は充分にあるかと思われますが、いかがでしょうか?

よろしければコメントにご回答ください。

2007/12/13 12:50:59
id:fdg790 No.12

fdg790回答回数75ベストアンサー獲得回数02007/12/15 11:15:44

ポイント1pt

ノンフィクションの方が感動します。フィクションというものは架空の話ということを前提にして

やっていますから見ている時点でフィクションなんだという気持ちに入ってしまいます。フィクションでの感動ものをヒットさせるということはかなり難しいと思います。ノンフィクションは実在の話をベースにしてやっていますからこちらにも感動が伝わってきやすいです。

id:Beirii

う~ん、ここにきて(ry


『フィクションなんだという気持ちに入ってしまいます。』そして興ざめする、ということだと思うのですが、なぜフィクションなんだと思うと興ざめしてしまうのでしょうか?

実在の話がベースだとなぜ感動が伝わりやすいと思うのでしょうか?


『フィクションでの感動ものをヒットさせるということはかなり難しいと思います。』とありますが、例えば劇場版アニメーション映画にはヒットした作品が沢山あると思います。

それらをしてもそうであると言えるでしょうか?

よろしければコメントにご回答ください。

2007/12/16 10:43:44
id:lazytongs No.13

はさみ回答回数30ベストアンサー獲得回数02007/12/16 16:31:51

ポイント20pt

こんにちわ。まず失礼ながら最初に苦言を言わせていただきたいのですが、これはあまり意味の無い分析だと私は思います。そもそもノンフィクションと呼ばれる書籍には多分にフィクションとされる内容が入り込んでいる、つまり脚色されているのが普通であり、そのような細工をほどこさなければ本として成立しえないからです。つまりフィクション、ノンフィクションという対立軸は成立しえないと私は考えます。

まぁ、その前提を敢えて抜きにしてにするならば私はフィクションの方が感動できるという方を支持いたします。実際のところ現実世界で起こりうる出来事というのは限界があり、それを描いたノンフィクションでは感動できる、感銘を受ける事において限度があります。(だからこそ前述した脚色を施す必要がでてくるわけです)

しかしながらフィクションは純粋に人間の想像力を元にして作られた作品です。人間の想像力というのは限度が無いといっても過言では無く、つまるところ完全に「現実に起こった」という事が多少の脚色を施したとしても不可能な事でもフィクションならば可能にしてしまうえるわけです。その点において、フィクションの方がより感動を呼び起こせると言えるのではないでしょうか?


まぁもちろんノンフィクションにも良い作品はたくさんあります。(沢木耕太郎などは私は好きです)そして、フィクションにも素晴らしい作品はたくさんあります。あまりこういう風に二元論的に物を考えない方がよろしいのではないでしょうか?


若輩が生意気な事を申しあげてすみません。読み流していただければ幸いです。

id:Beirii

想像力のベースとなる世界の広さが、ノンフィクションにおいては現実世界に縛られるために、それに縛られることの無いフィクションの方がより感動できる、ということでよろしかったでしょうか。


たとえば現実世界をベースとしたフィクションにおいても同様でしょうか。

やはり感動は制限されてしまうと思いますか?

また、空想世界をベースにしたものは現実世界をベースにしたものよりも感動する、ということになるでしょうか?


現実・非現実のどちらがより想像力を掻き立てるか。

これはこれで非常に興味深いテーマではあります。

個人的には、非現実は想像力を広げ、現実は想像力を深めるのではないか、と思いました。

現実世界をベースとしたお話は、その現実世界の世界観がそのままお話に反映されることになります。

観るものは現実をよりリアルに想像することができるようになるわけですね。


『ノンフィクションは存在しない』という考え方につきましては、THOM0708様とのやりとりの中でも出てきました。

それはひとつの考え方としてありだと思っていますし、それは真実であるかもしれません。

私が知りたいのはフィクションとノンフィクションのどちらがより感動できるか、ということではなく、その理由です。

世間一般的に見ればフィクションとノンフィクションと言う区分は確かに存在していますし、そして、私は一般的にはノンフィクションの方がより感動すると思っている人が多いのではないかと感じています。

その理由を知りたいのです。

そしてこれは単なる好奇心に他なりません。

2007/12/16 17:45:36
  • id:toku4sr4agent
    toku4sr4agent 2007/12/12 15:47:47
    もしかして
    http://q.hatena.ne.jp/1197099066
    のいわしに書いた私の一言・・・関係ありますか?
    http://q.hatena.ne.jp/1197099066/131219/#i131467
    です・・・。
  • id:Beirii
    いえ、最近はてブ界隈で話題になっている↓のエントリに触発された質問です。
    http://d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209
    メタブクマ
    http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209
  • id:Beirii
    質問者としては、各回答には基本的に反証を試みています。
    その方がより理解を深めることができるのではないかと思うためです。
    他意はないのでご了承ください。

    とはいうものの、私自身、なんだかフィクションとノンフィクションの境界があやふやになってきてしまっています・・・。
  • id:THOM0708
    回答者2です。
    Beiriiさんのまとめ、合ってます。
    「意図がすけてみえる」と言うのは、まぁ程度によりますが、フィクションの場合、優れた技巧やメタファーを介した作品であれば、問題ありません。
    僕の場合、テーマそのものももちろん大事ですが、テーマの表現方法にも同等かそれ以上の価値を置きますので。
    ただ、Beirilさんが言うような場合、どうでしょうか…、また話が違ってくると思います。
    まず、対話的である点。僕に質問の権利が与えられているということは、ノンフィクション映画や小説とは性質を異にしていますよね。表現者とコミュニケーションが出来るワケですから。
    ただし、そのような場合、おそらく僕は途中で質問等しませんから、純粋なストーリーテリングの形をとると思います。
    そう仮定し、さらに僕が話し手の表現する世界にどっぷり引き込まれるのなら、私はもちろん彼と彼のストーリーに深く感動し、評価するでしょう。
    しかし、私は、事実を個人が「語り手」の形を採って聞き手に語るストーリーテリングは、純粋なノンフィクションとは捉えません。もちろん物語は現実に起こった事なのでしょうが、その物語は否応なく「話し手」というファクターがかかってしまいます。彼の、身振り手振り、語り口などを含めて彼の語る「作品」となる訳ですから。

  • id:Beirii
    THOM0708様

    >>
    しかし、私は、事実を個人が「語り手」の形を採って聞き手に語るストーリーテリングは、純粋なノンフィクションとは捉えません。もちろん物語は現実に起こった事なのでしょうが、その物語は否応なく「話し手」というファクターがかかってしまいます。彼の、身振り手振り、語り口などを含めて彼の語る「作品」となる訳ですから。
    <<

    とすると、おおよそノンフィクションというものは存在しなくなるのではないかなと思います。
    即ち、完全なフィクションか、ノンフィクション風フィクションか、という。
    #私自身、途中からそのことに気付きまして・・・
    残るのは自分が当事者であるという場合ですが、それはまた別でしょうしねぇ。

    でも逆に言うと、純粋なノンフィクションが存在するとすればノンフィクションの方が感動する、ということになりますか?
    ・・・って、なんだかややこしくなってきましたが。
  • id:SALINGER
    「フィクションとノンフィクションのどちらの方に」と質問文にある以上、フィクションとノンフィクションに差異が無いというのを言われるのはおかしいと思います。
    「どちらの方に?」と聞かれたのに、「どっちも同じじゃない?」「だってどっちかって聞いたから・・・」と狐につままれたような感じです。
  • id:THOM0708
    やっぱそこですか、僕も書いた後、気づきましたw
    そうですね~、純粋なノンフィクションですか…、多分感動するんじゃないですかねぇ…それは素晴らしい作品なんだろうと思いますよ。
    というのは、「純粋なノンフィクション」というのは、この定義からすると、「現実そのもの」ということになるじゃないですか。
    となると、受け手が主人公となってその世界を経験するってことになるでしょう?否応なく感動しますよね。日常的過ぎてつまらないってことにもなり兼ねますが。
    もちろん僕はそんな夢のような作品には出会ったことはないですけど。
  • id:Beirii
    SALINGER様

    SALINGER様は回答において、
    >>
    フィクションにおける演出や演技というのは、あるときは作品がよりリアルに近づけるようにするための手法であると思うので、結局は現実というリアリティには勝てないと思うからです。
    <<
    と書きました。
    これを私は『ノンフィクションは現実であるが故にその演出や演技はフィクションよりもリアルである』ということであると解釈しました。

    それに対し私は、
    >>
    事実を継ぎはぎしたようなフィクションの場合は演技や演出において差異は生じないのではないかと思います。
    <<
    と書きました。
    事実を継ぎはぎしたようなフィクションの場合は、その場面場面はノンフィクションに他なりませんよね。
    したがって、そのようなフィクションとノンフィクションとの間においては、『ノンフィクションは現実であるが故にその演出や演技はフィクションよりもリアルである』は成り立たないのではないか、というのが私の回答です。

    私が差異が無いと言っているわけではなく、SALINGER様の回答はあるケースにおいてはフィクションとノンフィクションとの間において差異が無くなるのではないでしょうか?ということです。
  • id:Beirii
    THOM0708様

    「純粋なノンフィクション」とは「現実そのもの」であるとするならば、THOM0708様の回答に従えば純粋なノンフィクションは間違いなく感動するということになりますね。
    そこに何の意図も疑念も無いということが前提となっているのですから。
    これはこれでひとつの結論であると思います。
    ありがとうございました。
  • id:SALINGER
    誤解していたらすいません。
    質問は差異があるという前提の質問だと思ってましたので、特殊なケースを掲示されてフィクションとノンフィクションの差異をが無くなると言われても、「そうですね」としか・・・。
    そもそも、人によって何に感動するかばらばらなのに、広く回答者の意見を聞くのは分かりますが、それぞれに反証する意味がわかりませんでした。
    気を悪くしたらすいません。

    >これを私は『ノンフィクションは現実であるが故にその演出や演技はフィクションよりもリアルである』ということであると解釈しました。
    念頭とするノンフィクションに若干の違いがあるようです。私がより感動するノンフィクションはリンクにもあるドキュメンタリーのように出演者が極力演技をしていないものでした。説明不足ですいませんでした。
    それで、『ノンフィクションは現実であるが故にその演出や演技はフィクションよりもリアルである』という意見ではありません。誤解させて申し訳ありませんでした。
  • id:takejin
    ノンフィクションの定義は?具体的に示せます?
    1 実映像だけで構成された「ドキュメンタリー」
    2 部分的に実映像が挿まれる「実話」
    3 出来事を再現する「再現フィルム」
    4 事実をトレースするが、基本的に俳優が出演する「ノンフィクション」
    5 実話を元に再構成した「物語」
    6 実際にあった出来事を、新しい視点で見直す「新解釈映像」
    7 実際にあった出来事に『インスパイア』されて作った「フィクション」
    8 まったく自分の頭の中で全てを作り上げた「フィクション」

    たぶん、たくさんの人が感動してくれそうなのは、5番かな。
    先入観なしで見たら、8番が一番感動するのでは。
    どちらも、構成と演出が重要なので。へたくそが作ると、1でも感動できないんですね。(まあ、どれでも「へたくそ」の場合は同じだが)

    4番:「大統領の陰謀」
    5番:「日本のいちばん長い日」
    6番:「JFK」
    という感じですが。いかが?
  • id:SALINGER
    私は1 実映像だけで構成された「ドキュメンタリー」で、
    外国の家族の暮らしぶりとか延々と見たいですw
  • id:takejin
    穿った私は、
    「取材の入っていない日は、もっと部屋汚いのかも・・・」
    とか思うことも(たまに)あります。
    わが妻は更に過激な時は、
    「これ、普段着なのかしらね」
    とか言ったりします。(あ、いつもじゃないですよ。結構、目を真っ赤にしてみてることの方が多いので、念のため)
    映っていないところはどうなのよ、といつも気になる私です。
  • id:SALINGER
    お母さんは必ず前の日に美容院に行ってて、姉はよそ行きの服とか着てそうですね。
    突撃隣の晩御飯っていっつもそんなにオカズ食べてるのか・・・とか。
    過剰な演出が気になるから、返って演出が少ないものを求めるのかもしれません。
  • id:Beirii
    SALINGER様

    私の方こそ気を悪くさせてしまったみたいで申し訳ありませんでした。

    >>
    そもそも、人によって何に感動するかばらばらなのに、広く回答者の意見を聞くのは分かりますが、それぞれに反証する意味がわかりませんでした。
    気を悪くしたらすいません。
    <<
    それぞれに反証している理由は、各回答者様の回答が図らずも本当の理由ではない可能性があるからです。
    私は、個人に依らずフィクションとノンフィクションにおいてどちらか一方がより感動するという理由があるとするならばそれを知りたいと思って質問を立てました。
    質問文において「理由は可能な限り掘り下げてください」としているのもそのためです。
    従いまして、各回答において反証の余地がある場合には反証を試みているというわけです。

    >>
    質問は差異があるという前提の質問だと思ってましたので、特殊なケースを掲示されてフィクションとノンフィクションの差異をが無くなると言われても、「そうですね」としか・・・。
    <<
    カモノハシはたまごを産みますがそれでも哺乳類です。
    この場合『たまごを産むから哺乳類である』というのは成り立たないことになります。
    確かに大抵の場合は『たまごを産むから哺乳類である』で間違い無いのですが、これは私の求めている理由にはならないのです。

    ただし『私がより感動するノンフィクションはリンクにもあるドキュメンタリーのように出演者が極力演技をしていないものでした。』ということであれば、これまでのお話とはちょっと変わってきますね。
    演出の有無、というか制作側の作為というものが感動に影響するというお考えはTHOM0708様と共通するものがあるかなと思いました。
    ありがとうございました。
  • id:takejin
    「アルジャーノンに花束を」に涙し、「フランダースの犬」は最後まで見られないし、「忠臣蔵・倉之助妻子の別れ」で自分の頬を伝う涙に驚いた私は、フィクション側かな。
    過剰ではないけれど、そこここに見える演出の妙、に感動します。

    ドキュメンタリーだと、取材している人が写ったり、声が聞こえたりするのはOK。川口探検隊みたいなのって、興ざめしません?そのカメラの乗っている(はずの)ボートで、その力尽きそうな男の子のカヌー引いてあげれば?と思ってしまうので。
  • id:Beirii
    takejin様

    敢えて私からはフィクション、およびノンフィクションを定義しておりません。
    回答にバイアスが掛かるのを防ぐ為です。
    各回答者様の回答から各回答者様の考える定義を推測し、それに基づいて反証してみています。
    本当の理由が見つかった時、同時にフィクションとノンフィクションも定義されるのではないかと思っています。

    ちなみに「大統領の陰謀」、「日本のいちばん長い日」、および「JFK」のどれも見たことがありません・・・
  • id:SALINGER
    Beirii様

    内容がどんどん本題とずれてしまうことをご容赦ください。

    >それぞれに反証している理由は、各回答者様の回答が図らずも本当の理由ではない可能性があるからです。
    本当の理由を書いていないと疑えばきりが無いのではないでしょうか。本人が一番知っている理由を、本人の言葉を信じないで反証で得られるのでしょうか。問題を深く掘り下げたいならば新たな問題提起をするほうがいいと思います。

    私が全ての場合フィクションとノンフィクションに差異が生じると言っているのであれば、一つの反例を示すことで成り立たないと言うことができます。ですが、私は必ず差異が生じるとは言ってないので、一つの反例を示し成り立たないと言うのは論理的ではないです。

    若輩者の戯言と思っていただければ幸いです。
  • id:Beirii
    takejin様(追記)

    逆に優れた演出にこそ感動する、ということですね。
    SALINGER様も回答で仰られておりましたが、演出を評価する基準のひとつとしてリアルかどうか、というものがあるかと思います。
    takejin様の言う優れた演出において、このリアルさは影響しますか?
    それがノンフィクションであるならば、演出はフィクションに対してよりリアルになるかと思われます。
    #ただ、演出におけるリアルさというのは単純に現実に忠実かどうかということだけではないような気もするんですけど、それをうまく表現できません。
    感動する演出って何なんでしょうねぇ。

    川口探検隊も見たこと無いんです・・・当時地方にいたので・・・
    藤岡弘探検隊とは違うんですよね?
  • id:SALINGER
    藤岡弘探検隊は川口探検隊とほとんど同じというか、オマージュですかね。
    ドキュメンタリーとしては川口探検隊ってかなり特殊な例ですよw
    ドキュメンタリーの名を借りたフィクションですかね。
    でも、手をピラニアに食われたりリアルなところもあったね。
  • id:THOM0708

    Beiriiさんはソクラテス的産婆法に従って真理(と言ったら大袈裟ですが)を追求しようとしてるんじゃないですか?
    つまり、対話・問答によって本人にも気づかなかったような矛盾を見つけ、誤解のない形でその人の意見を明確にしよう、というような。
    個人的にそういう方法は嫌いじゃないので、フォローしますが。
  • id:takejin
    リアルとは、なんぞや。ですね。
    「ブレード・ランナー」
    「モスラの幼虫が東京の街を進むシーン」
    「スターウォーズのXウィングファイターの格納庫」
    「エイリアンの宇宙船」
    は「リアル」といってしまえる。(実物なんて無いのに)

    でも、「動物奇想天外」(の一部だけど)はリアルじゃないなぁ、と思う。
    主観ばっかりの「所さんの目がテン」は、リアル。

    ※ 自分がその場にいることを想定できること、をリアルと言ってしまいましょうか。

    それだと、「歌舞伎」や「アニメ」で感動できないな。リアルの正反対、「形式」なので。

    ※ 映像ならばカメラの、小説ならば書き手の、その視点が自分の視点と重なるならば、リアルと思える。そして、そこから見える景色から伝わる何かが感動を呼ぶのでは。
    このリアル感が無いと、感情移入できないかも知れませんね。
  • id:Beirii
    takejin様

    コメントにも関わらず回答いただきありがとうございます。
    この<リアル>って難しいですね。
    例は私もほぼ同じように感じますし、確かにそれが感動に影響しているようにも思えます。
    イマジネーションを働かせるトリガとなり得るもの、かななんてちょっと思いましたがそれだけでは無いようにも思えます。

    何か面白いことを思いついたら是非ご回答ください。
  • id:takejin
    操演ならテグスが、手品なら種が、スタジオならスタッフが、ロケならマイクブームが、見えてしまうと「一発で」興ざめしてしまう。
    この辺の「リアル感」かも。

    ちょっと、寝ながら考えます。
  • id:SALINGER
    図らずも読み返すと自分の回答の説明不足や不備も実感するところです。

    まず、「小留学生」を見てどう感動したか。
    当初、それについても書こうとしたのですが、製作者の張麗玲がどんなに苦労してその作品を撮ったということから、話のストーリー、少女の心情、日中の問題まで膨大な文章を書かなくては正確に伝わらないのではと思うと、それを書いてもただ単にその宣伝でしかないので辞めました。ただ、つまるところはその少女の生々しさ(リアリティ)に軽いショックを受けたということでした。
    もちろん「小留学生」にも演出はあります。ですが図らずも編集した張麗玲さんが素人っぽくて過剰な演出にならなかった(メーキングでわかりますが)、そのままでしか撮れなかったことが幸いします。
    では、なんでリアルに感動するのか、それは説得力だと思えます。
    人それぞれ何に感動するかは違うかもしれませんが、共通して言えるのは何に感動するかはそれぞれの経験に基づくと思うのです。
    少女の涙というリアリティの持つ説得力に感動したということは、自分は虚構ばかりの世界に飽きていたからだと思えます。
    もちろんすばらしいフィクションや演技もあります。天才じゃないかと思うような創作物もあります。
    それらを追い求めるうちに要求はどんどん厳しくなり、相対的につまらないと思える作品が増えていきます。
    どこかで見たようなオリジナリティのかけらも無い作品。
    2・3話見るだけでその先のストーリーが全部予想できてしまうようなメロドラマ。そんなのばかりです。
    ほんの少しでも真実っぽいものが見たいという欲求が「小留学生」を見て自分を感動させたのかと思えます。
    そして、それは大人になってからのことで、「その頃」というのは「子供の頃」のことではなく、直前の「人の考えることの限界もひしひしと感じる」ようになってからのことのつもりで書いていました。
  • id:rikuzai
    お疲れ様です。
    では質問者さんの意図に沿って反証の反証を。
    (もちろんルール的なものでそれ以外の意図はございません(^。^))

    >実は質を指した質問のつもりでした。

    私の論証は(というほどじゃないか)、
    まず過去実際に私が「感動した」作品について限定し、
    数量的(比較的客観的かなと)に結論を出してから検証し、
    その原因と傾向について述べています。

    その原因と傾向について述べた部分が主に質について述べているのと同意ですので、再度ご参照ください。

    >テーマの理解と共感に対し、事実というスパイスが更に理解と共感を深める、ということは無いでしょうか?

    もちろんあります。ですがそれは一対一の関係ではないですよね。
    深めることもあれば、逆に興ざめになることもあるかと。
    (その実例については他の方が幾つか述べられていますね)
    逆にフィクションにおいても、虚構というスパイスが圧倒的な量の事実の理解と共感を深めることがあります。
    (「南極物語」などに代表される「泣かせ」を目的とした動物映画のほとんどは事実を元に再構成されていますが、
    動物の演出が最大のネックであることは周知の事実でしょう)

    そもそも「感動」は人によって様々で、どんな感動作でも感動しない人は存在するでしょうし、
    十人中一人だけが確実に感動するようなニッチな作品もあるでしょう。
    そして何かに心動かされるということは、その人間の経験などの積み重ねによって変化するもので、
    去年見ても感動しなかった作品を今年みたら滂沱の涙、なんてこともあると思います。
    そういう意味では例によってなにかしらの基準を持って各人が検討しないといけないのではと思います。
    たとえばフィクションとノンフィクション作品それぞれの自分が一番だと思う作品をあげてもらい、
    どちらの方が感動の度合いが大きいかということについて論じてもらうとか。


    ただし、私は↑の質問に対してはそれこそ感動の「質」が異なると回答してしまいそうですが。
    感覚的にはピューリッツァ賞をとった戦場写真と、ピカソのゲルニカを比較しているような気分です。
  • id:takejin
    をを、ゲルニカ。
    いま、ゲルニカから得られる感動って何だろう、と考えていたところです。
    全然リアルじゃありません。再現フィルムでもありません。
    でも圧倒的な存在感と迫力です。
    もともとのゲルニカの真実を知らなくても、受け取るエネルギーは変わらないと思うのです。

    やはり、作る側・届ける側の「思い入れ」が最も「感動」に直結しているのではないかな。
  • id:Beirii
    コメント遅れててすみません
    もう少しお待ちいただけますでしょうか
  • id:Beirii
    SALINGER様

    コメントありがとうございます。
    >>
    人それぞれ何に感動するかは違うかもしれませんが、共通して言えるのは何に感動するかはそれぞれの経験に基づくと思うのです。
    <<
    これまでの回答者様の回答から、私もそのように思います。
    これまでの経験から、フィクション・ノンフィクションに対して先入観を持つ。
    そして期待感は感動のゲイン係数として作用しているかのようです。

    今回のコメントで一番興味深いのは「小留学生」という作品を観たときのくだりです。
    まずタイミング。
    フィクションに食傷気味であったということが、「小留学生」を観たあとの感動に何らかの影響を与えているようにも思いました。
    巷にあふれる物語の多くはフィクションであると思います。
    とするならば、ノンフィクションの希少性が期待感を増す、ということはあるかもしれません。

    もうひとつは素人っぽい演出(というか高度な演出が不可能であった為に結果としてそうなった)がリアリティを増した、というところ。
    そのような素人っぽい演出をフィクションで可能にするのはとても難しいことであると思います。
    であるとするならば、これに関してはフィクションの方がより感動する、と言えるのかもしれません。
    私は「小留学生」という作品を観たことが無いのでなんともいえませんが、ドキュメンタリー風な演出のフィクションで「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という映画がありましたね。
    これは感動する類の作品ではありませんでしたが、非常に話題になりましたね。
    リアリティを増す演出において、ドキュメンタリーとは最も有効な手段なのかもしれません。

    ドキュメンタリーに関しては、ウィキペディアに本質問にも関連するような興味深いことが色々と書かれています。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC
  • id:Beirii
    rikuzai様

    コメントありがとうございます。
    >>
    その原因と傾向について述べた部分が主に質について述べているのと同意ですので、再度ご参照ください。
    <<
    了解です。

    >>
    何かに心動かされるということは、その人間の経験などの積み重ねによって変化する
    <<
    私もそのように思います。
    本質問を一般化するような単純な理由など無いんじゃないかとも思っています。
    しかしながら、世間には「感動の実話」を宣伝文句とした物語が沢山ありますよね。
    そこには「実話はより感動する」という暗黙の了解が世間にはある、ということなのかなと思います。
    一般的に「実話はより感動する」が成り立つとするのなら、そこには何らかの理由があり、更に言えば多くの人間が共有している経験などが存在する、ということではないでしょうか。
    それを知るのに本質問が適当かと言えば不適当ですねぇ、確かに。
    ここまでコメント駆使しなければならないのですからねぇ・・・
    質問者自身は楽しんでしまっていますが・・・
  • id:Beirii
    rikuzai様、takejin様

    私も色々と考えている中で絵画における感動ってなんだろう?と思ったりしました。
    そもそも風景画ってフィクション?ノンフィクション?とか。
    が、さすがにここまでくるとフィクション・ノンフィクションという視点から大きく外れてしまいますからねぇ。


    takejin様

    >>
    作る側・届ける側の「思い入れ」が最も「感動」に直結しているのではないか
    <<
    難しいですねぇ。
    物語を作る側・届ける側の「思い入れ」とはどのような形で表出するのでしょう。
    あるいは、観る側は何をもってその「思い入れ」を知ることができるのでしょうか。
  • id:Beirii
    質問を終了します。
    コメントにてお付き合いいただいた方々に多めにポイントを振り分けました。
    ありがとうございました。
  • id:takejin
    Beirii様
    ポイント送信ありがとうございました。
    なかなか面白い内容だったと思います。

    思い入れのやり取りが、作品の良し悪しと思ってます。
    そして、様々な受け取り手に対して表現しつくすことが、作り手の思い入れ。その作り手の思いを汲み取ろうとする意識が、受けての思い入れだと思います。
    これは、作り方の問題であり、フィクション・ノンフィクションを超えたところにあると思っています。

    この議論を見ていて、なにかすっきりしました。ありがとうございました。

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