【門外漢が聞くキリスト教神学】「ピンの頭の上で何人の天使が踊れるか」と言えば、たぶん日本では一番有名な神学論争のテーマだと思います。(神の存在証明を除けば)

「神学論争」という言葉が「無意味な議論」の代名詞みたいに使われるのも、かなりの部分これのせいではないかと感じます。
 
しかし、現代の部外者から見れば無意味きわまる議論でも、わざわざこんなテーマで議論をしたからには、当時の関係者には何かの必要性があったはずでは、と思うのです。
例えば、別のもっと重要な議論から派生したテーマだった、とか。
 
「ピンの上~~」という議論は、一体何の理由があってなされたものだったのでしょうか。
そして、もし可能なら、最終的にどんな結論が出て、それが何にどんな影響を与えたのか、知りたく思います。
 
よろしくお願いします。

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  • 登録:2007/12/15 00:57:37
  • 終了:2007/12/22 01:00:04

回答(2件)

id:ttamo No.1

たも回答回数175ベストアンサー獲得回数292007/12/15 16:08:31

ポイント35pt

Google で "How many angels can" と検索してみると、Wikipedia に How many angels can dance on the head of a pin? という項目がありました。

>「ピンの上~~」という議論は、一体何の理由があってなされたものだったのでしょうか。

The Straight Dope: Did medieval scholars argue over how many angels could dance on the head of a pin?

これなどを見るとトマス・アクィナスが「天使はどこかから別の場所へ移動するとき中間を通るのか」とか「同じ点に二人以上で存在することができるのか」ということを考えたようです。つまり「天使は物理的実体なのか、体積があるのか」という問いのようです。

それを後代のひとが「ばかだねえ」みたいな感じで言ったのではないかと。


>そして、もし可能なら、最終的にどんな結論が出て、それが何にどんな影響を与えたのか、知りたく思います。

トマス・アクィナスは、「天使にとって針の先も大陸も変わらない」と言ったとか。

影響としては、けっきょく、聖書と頭を使うだけで科学を進歩させることはできないという前例になったのでしょうね。

こうやって神学が行きづまる様子を見て、「神学と自然科学は別物である」とか「実験と理論の両輪が必要だ」ということに向かっていったのでしょう。

id:filinion

ありがとうございます。

なるほど、議論、というより、トマス・アクィナスが天使の性質について論じる時に触れたテーマなのですね。

(アクィナスの「神学大全」とは。予想だにしないビッグネームが出てきたのでびっくりしました)

 

>同じ点に二人以上で存在することができるのか

ということは、「何人が」と言っても、1人なのかそれ以上なのか、ということが問題なのですね。

ピン(または針)とかダンスとかは表現上の飾りだったと。

「天使が物理的実体を持つかどうかの議論」といえば、それなりに教義上の意義はありそうなテーマですが、その「飾り」のせいで馬鹿馬鹿しく見えてしまっているのが皮肉ですね。

 

>聖書と頭を使うだけで科学を進歩させることはできないという前例

そうですね……。

聖書解釈がどうなろうと、門外漢にはおよそ関わりのないことですし。

現代人の我々にとっては、何の影響も与えなかった、と言えるのでしょうね。

 

あ、今ようやくWikipediaを確認したのですが(すみません)、「ピンの先」うんぬんは史実ではない可能性もあるのですね。

 

ううん。

 

「生き残るのは、最も強い者でも、最も賢い者でもない。最も早く変化に対応できる者だ」(チャールズ・ダーウィン)

「君の主張には絶対に賛成できない。だが、君がそれを主張する権利は、絶対に守る」(ヴォルテール)

「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」(マリー・アントワネット)

 

……みたいなものでしょうか。

2007/12/16 20:29:53
id:KUROX No.2

KUROX回答回数3542ベストアンサー獲得回数1402007/12/16 13:33:23

ポイント35pt

>一般にスコラ哲学というと、中世の神学者たちが現代の眼からするとおそろしく

>空疎な議論を繰り返していたかのように捉えられがちです。確かに、例えば「同

>一空間に複数の天使は存在できるのか」といった問題が扱われているのを眼にし

>たりすると、私たち現代人は「なんのこっちゃ」と思ってしまうかもしれませ

>ん。この天使についての問題は13世紀後半に、当時の碩学ドゥンス・スコトゥ

>スが論じているものです。ですがこの問題、実は「個体がそれぞれに異なるのは

>なぜか、それはいかに異なるのか」「個体はいかにして個体になるのか」といっ

>た問題の一環として扱われているのです。個体をめぐる差異や生成の問題……こ

>れって、いわゆる「現代思想」がつい最近まで(そして今なお?)取り組んでき

>た問題そのものではありませんか。

October 12, 2004 より引用

http://www.medieviste.org/blog/archives/2004_10.html

現在でもそうですが、

中世では宗教に縛られてる部分が大きいので、そういう発想でもしかたがないかと。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%a4%a5%f3%a5%c6%a5%ea%a5%b8%a5%...

id:filinion

「哲学は神学のはしため」ってやつでしょうか。

神学の議論の中に、「現代思想」のテーマさえも含まれている……と。

 

ドゥンス・スコトゥス……の名は初めて聞きましたが、やっぱり大家なんですね。

「同一空間に複数の天使は存在できるのか」というのは、ある程度大きなテーマだった、ということでしょうか。

2007/12/16 20:20:25

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