私は五感で感じたものからインスピーレーションを得て絵や文章・旋律を頭の中でイメージすることがあります。
しかし、頭の中のイメージを何らかのカタチにしようとする際に問題・欠陥があるようでうまくカタチにすることができません。
才能が無いと言えばそうなのかもしれませんが、それで終わらせるにはあまりにも悔しすぎます。
頭の中のイメージをうまくカタチにできる方はどのようにカタチにしているのでしょうか?
「自分はこうしている」や「初めはうまくなかったけどこうしたら上達した」などうまくカタチにする為のTipsをお教えください。
重要なのは、最初から「形」にしようとしないことだと思います。
最初から文章にしようとしないで、単語でも何でも、とりあえず形にして連ねてみることをお勧めします。
イメージをいきなり文節にしなくても、箇条書きや単語として羅列していくだけでも、大まかな形としてまとめることはできます。
頭の中においておくと、忘れてしまったり、変化してしまったり、ぼやけてしまったりすることがほとんどです。
イメージしたことを、100%取り出して何かに残すことは無理だと思いますが、形にできる範囲でも何でも残すことで、残しておくだけでなく、思い出したりする鍵になったりもします。
辻褄があわなくても、意味が分らない形であっても、とりあえず取り出して並べることで、後から修正したり整えたりすることができます。
最初から完璧や完成形を目指さないこと、これがポイントだと思います。
こんばんは。私はたいしたものは作れないですけれど、日記以外の文章を書くことも好きですし、すごいものを書く方に対して畏敬の念を抱いています。
>頭の中のイメージをうまくカタチにできる方はどのようにカタチにしているのでしょうか?
ご質問の件ですけれども、もしかしたらジャンルが異なるかもしれませんが、頭の中から出力するという点では共通する点もあると思いますので、下記のような書籍を手に取られるとヒントが見つかるかもしれません。
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
次に私の体験ではなく、村上春樹さんの言葉になってしまうのですが「大量に小説を読んだ」そうです。絵を描く方なら、絵を、音楽を作る方なら音楽を大量に自分の中にストックすることが有効みたいですね。
また、できあがった作品を推敲したり試行錯誤したりする際に、あれこれ感想を述べてくれる存在や、あるいは同じように創作活動をしている方と交流を持つと、もくもくと一人で作業するよりも良いかもしれません。
以上三点、私の成功譚でなくて恐縮なのですが、少しでも参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
ちょうど物語の体操は入手した所です。まだ途中までしか読んでないのですが、現時点では物語を作る方法について書かれているようでイメージの断片を再構築するのには役に立ちそうですがイメージの出力については言窮されていないようです。もう少し読み進んでみます。
もう片方の方も入手して読んでみます。
情報を大量にストックするのは有用だと思いました。いろんな情報を集めて自分の肥やしにするのは必要ですね。
周囲に創作活動をしている人がいないのでそういう方との出会いは少し難しいです。どういう所なら出会えるんでしょうかね…。
こんばんわ。なにかとても真面目に悩まれているようですね。
はてなの質問や回答を書くことでもトレーニングにはなると思いますよ。
あなたは、今この質問文を創作されて発表されました。オリジナリティーのある質問だと思います。
ではオリジナリティーはどこから産み出されたのか?
それはあなたの意欲、欲求や欲望から産み出されました。
それでは自分の欲求や欲望はどのような形をしているのか?
自分は何が欲しいのか?何がしたいのか?
実はこれこそが創造の源であり、多くの制作者の生命線でもあります。
制作のためのテクニックは、自分の創造物に社会性を与えるための技術と言っても間違いではありません。
例えば画家ならデッサンや色の使い方、形の組み合わせ方などを学びます。
物書きなら文章の書き方の類型(起承転結など典型例でしょう)などを学びます。
語彙や雑学などの参考資料を揃えたり、面白そうな分野に首を突っ込んで遊んだりします。
それらはあなたの欲望を実現するための手段として学ばれ調べられ記憶されるべきです。そうでなければ疲れるだけで意味がありません。
一番大切なのは自分のオリジナリティーを大きくする事であり、テクニックや参考資料はオリジナリティーを元にして膨らませていく物だと思います。
そしてどんな文章を書きたいのか?格好良い台詞か?魅力的な女性か?美しい風景描写か?奥深い感情描写か?社会の真実か?あなたは何を求めるのか?それを探し続ける作業が制作だと思います。
欲望の無いところには何も生れません。
簡単なことですがインスピレーションなどはあなたの欲望を元にして産み出されるのです。
ありがとうございます。
何かを作るための意欲や欲求は大切ですね。少しから周りしている感じはしますが意欲はあると思います。
テクニック等はまだまだ未熟です。その辺は精進してみます。
問題はそれらを用いて作り出したイメージをどうやって出力するかです。そこがうまくできなくて悩んでいます。
思いのまま表現をするというのは、まず実生活での他者との会話を取り上げてみても意外とできていないものです。
たとえば、美容室へ行ってスタイリストさんと髪型について相談したとします。
よくある色々な髪型が載っている本がありますが、それを見てもイマイチしっくりくる髪型がなかった場合。
あなたの理想のヘアーカットをしてもらうには、色々なスタイルの載った本から、『後ろはAのような感じ、前髪は下げるけど、Bよりも短くないくらい。』といったように様々な例を挙げて、さらにスタイリストさんと長さや色、ボリュームなどについて話す必要があります。
もしかしたら、ある人はあこがれの誰かの写真と同じようなカットがいいと言い、写真をもって行くでしょうし、カラーにしてもカラーチャート(染め具合の見本みたいなもの。)である程度の細かい色の指定もするでしょう。
表現が下手な人というのは、例を出す引き出しが少ないようにも思います。
同じ事を表現するにも色々な表現があり、言葉の並べ方ひとつでも随分と印象が変わります。
自分の場合ですが、言葉で伝わらない場合、絵や、写真、時には音楽など色々なツールを駆使します。
簡単なプレゼンテーションみたいなものでしょうか。
全く畑違いな事をしてみることで、自分の表現に対し冷静になれることがあります。
ありがとうございます。
私も髪を切ってもらうとき思うようにイメージが伝えられなくて想定していた髪型と違って涙する、なんてことがあります。
それはやはりイメージをうまく出力できない所に起因しているんじゃないかと思います。
一つのイメージを様々な方法を用いて出力しようとするというのは面白いと思いました。出力方法は一つだけという訳じゃないんですよね。
いちばん大切なのは、「常にアウトプットすることを意識する」ことだと思います。
ご自身が感じたこと、形にしたいと思ったイメージを
常に、なんらかの形で頭の中に出す=アウトプットすることを心がけてみてください。
表現方法はなんでも構いません。文章でも絵でも音楽でも。
そういった訓練を心がけるうちに、自然と
自分なりの表現方法が見つかってくると思います。
すべてのイメージのアウトプット方を見つけることは難しいかもしれません。
でも、すべてをアウトプットする必要がないこともわかってくると思います。
イメージを何らかのかたちで具現化することは、訓練だと思います。
筋肉と同じで、常にしていなければ動かなくなってしまうものだと思います。
ありがとうございます。
反復練習は必要ですね。言うなれば脳の筋肉のようなものですから。
思うように出力できないと途中で投げ出す癖があるのでまずはそれを直して少しでもいいから出力できるように努力してみます。
とある小説家が言ったことなのですが、
「『話すように書く』なんて言うけれど、現実的には文章なんて読んだ風にしか書けないだろう」
と。
僕は主に文章なんかを結構書くので、文章についてのアドバイスみたいなものを記しておきたいと思います。
L-Abschiedさんはイメージはある、とおっしゃってますよね。
つまり、原泉はあるわけです。でもそれを形にするには手段という水路が必要だと思います。
いくら素晴らしいアイディアがあっても、言葉を知らなければそれを伝えることはできません。
音楽や絵画などではそれがいくらか緩やかですが、文章は特にそれが顕著ですよね。
なので、とにかく模倣から始めるのが一番だと思います。
文章だったらうまい人の文章をそのまま書いてみたり、絵画だったら模写してみたり。
とにかく、アウトプット、出力の練習をしてみるのが一番だと思います。
そして、いろんな模倣をすることにより、初めてオリジナリティーのあるものが表現できるのではないでしょうか。
文章に限って言えば、所詮は文字列の組み合わせです。
組み合わせなので、組み合わせる元が必要です。それは、自分で創造することはできません。
たくさんの例を知り、自分の中でいったん分解し、再構築する。
これが大切だと僕は思います。
ありがとうございます。
源泉はあってもそれを使えるようにする道がなくては意味がないですよね。私にはその道を造る能力が欠けているようです。
それをどうにかするには道を造る練習が必要と言うことでしょうか。
早くしないと源泉が消えてしまうと言う焦りはありますが急がば回れでいった方がいいのかもしれませんね。
文章でならたくさんの例を知るというのは本を読むと言うことでしょうか。
まだまだ足りないと思うので色々読んでみます。
私の場合の話をすると
「発表する」という機会をたくさん、作りました。
量をたくさん作るということをしようと思ったんですが
作っていても、ただ、むなしく、なんのためにやっているのかわからなくなりました。
そしてやったことはメルマガです。
メルマガは書いたら、必ず読者に届きます。
そして、届いたメルマガを返信すると、私にメールが届きます。
そのやりとりのなかで
自分の書いたものがどう伝わっているのか。
その反応を見るのが面白くて、すぐにやめてしまう自分でも
随分長く、続くようになりました。
今は読者数が14万部にまでなっています。
また、このメルマガからの収入も相当あり、同年代の給料よりずっと高いと思います。
今、ヤフーで「ネット 稼ぐ」で検索すると一番上にでてくるメルマガです。
お金儲けには興味ありません。
ただ、発表する機会はたくさん作った方がいいというのは同意です。
あきらめないことです。
自分の納得がいくまでやりきる事です。
注意しなければならないことは、頭の中に浮かんだものは非常に自分にとって心地良い物ですが、いざアウトプットしてみるとそれほど魅力的でない場合が多々あります。
自分の自己満足ならそれで良いと思います。
不特定多数に見てもらいたいなら、アウトプットして魅力的でないと認識してからの勝負です。
さらにブラッシュアップして良い物にする努力をしなければなりません。
ありがとうございます。
諦め癖がついている私には少し難しいですががんばってみます。
出力したものを発表したことがあまりないので不特定多数の反応について考えたことはありませんでした。
その辺も気をつけて修練してみようと思います。
形にすることについては既に回答がいくつも出ているので、ちょっと違った視点から説明してみたいと思います。
"Genius is in the details" という言葉があります。完成された作品を見て私たちは作者の着想の素晴らしさに感動しますが、その着想の素晴らしさを支えているのは着想そのものではなく、着想を具体化している細部すべてであるということです。スティーヴン・キングがどこかで、「物語の楽しみはプロットにあるのではなく、肉付けの部分にある」というようなことを書いていました。創られるモノというのはあくまで心を砕いて創られた具体的な細部の積み重ねだということです。
もちろん、核となる着想無しに細部のテクニックにこだわるのは無意味です。が、別の見方をすれば、核となる着想---あなたの頭にひらめいたイメージ---の役割は、膨大な細部が発散しないようにつなぎ止め、また細部が完成するまでモチベーションを維持するためのものでしかないとも言えます。アイディアがまるきり無価値だというわけではありませんが、しばしばアイディアの価値は過大評価されます。アイディアは料理の材料でしかありません。良い食材を手に入れることと、それを料理することは(関連はあるものの)別の話ですし、それぞれ別のトレーニングが必要です。
なので、今まで細部を積み上げるトレーニングをしてこなかったのなら、アウトプット出来ないのは当然です。苦もなく次々とアウトプットを出しているように見える人を見て「才能がある」と思うかもしれませんが、それはその人が誰に言われるでもなく、好きでアウトプットを続けて来たことがトレーニングになっていたというだけです。(もちろん才能というものはありますが、それが問題になるのはアウトプット出来るとか出来ないとか言っているのよりもずーっと先の話です)。充分に表現の技術をトレーニングすれば、ほとんど意識しなくても着想からアウトプットが流れ出すような感じになるでしょうが、それは技術が身についていることが前提ですね。
なぜ「とにかく形にしてみる」ことが強調されるかというと、具体的なものにするには細部を創らざるを得ないからです。もし「頭の中にはあるのに外に出せなくてもどかしい」という思い込みがあるなら、考え直してみてください。頭の中で全ての細部をイメージできない限り、頭の中にあなたの作品は「無い」んです。あなたが持っているのはきっかけだけです。
これを前提にTipsを導いてみます。
ありがとうございます。
イメージの断片ではあんまり意味のないものだと言うことはあんまり感じていませんでした。イメージのみを少し大切にしすぎていたのでしょうか。
これからは出力する練習をしてみます。
たいしたことはやっていないのですが、だらだらと長くやってはいるので枯れ木の賑わい程度に。
自分の過程をちょっと振り返ってみます。
とこんな感じで今に至るわけですが、私もどうも出力は不得手な方で、頭の中で考えていることの1割でもまともに出力できたらいいなぁとよく思います。
手塚氏がイラストで、考えていることが覗けたり出力できたりできる機械ができたらいい、というようなことを描かれていましたが、
私もそんなものがあったらどれだけ楽かと思うくらいです。
・・・でもまぁそんなことはないわけで。
ただ、最近よく思うのは、発表の場や機会があるだけではモチベーションになりきらないことも結構あるので、
プラスアルファの「出力したい!」という動力になるものを探すことが大事なのかなと。
それが「誰かの感想」であったり、「どこかに投稿する」であったり、「自分のことを知ってほしい」であったり。
人それぞれだと思うので、自分に合ったモチベーションを色々試してみてはどうかと思います。
同じようなことをしている友達を探すのならば、はてなでダイアリーをはじめるのもひとつ。
(キーワードリンクで読みに来る人も多いので、同じキーワードの人のダイアリーを読みあいっこしているだけでも同じ趣味の人を探せます)
SNSでも創作関係のグループや、創作関係専門のSNSもあったりしますし、
リアルにどこかのグループに所属するのも。
ただ、なんにしても「~ねばならない」や「~べき」よりも「~したい」にもっていけるのが最強だと思います。
そこまできても出力に動力が足りない時は、単なる技術不足や、出力することに対する恐れがあるのではないかと思います。(後者は意外に無自覚なことも)
以上ご参考まで。
ありがとうございます。
仲間がいるというのは大きいようですね。そういう出会いがあったのがうらやましく感じます。
どこかに入り込むにも上手くないといけないと感じたりしてどうしても尻込みしてしまいます。
少しでも接点になりそうなものを作りつつ修行してみます。
ありがとうございます。
確かに初めから完璧なカタチにしようとする気持ちはあると思います。
100%出力することは無理だと言うことを念頭に置いてまずは断片だけでもカタチにしていく所から始めていきたいと思います。