http://masao.jpn.org/trans/2008/wikipedia_community_publishing.html
原題は"Wikipedia: A community of editors or a community of authors?"で、原文は以下のブログ記事です:
http://radar.oreilly.com/archives/2008/01/wikipedia_community_publishing.html
英語に強い方など、アドバイスをお待ちしています。
※id:lionfanさんの企画に遅ればせながら便乗したものです。
http://q.hatena.ne.jp/1200965023
はじめまして。興味のあるテーマの文ですし、少しだけ見てみました。
引用文の
"The idea that a lot of people have of Wikipedia," he noted, "is that it's some emergent phenomenon -- the wisdom of mobs, swarm intelligence, that sort of thing -- thousands and thousands of individual users each adding a little bit of content and out of this emerges a coherent body of work." But, he insisted, the truth was rather different: Wikipedia was actually written by "a community ... a dedicated group of a few hundred volunteers" where "I know all of them and they all know each other". Really, "it's much like any traditional organization."
の箇所で4点あります。
1点目は、"ほにゃらら", he noted[said, cried, etc], "is ほげほげ" の処理。これは英語の書き方のルールで分割しているだけで、この例のようにその人のことばが長い場合は、カギカッコを分割しないほうが読みやすいかも、と思います。
つまり、
Walesはその講演でウィキペディアの歴史、技術、文化について語ったが、その内容で一つ気になったことがあった。「大勢の人たちがウィキペディアについて抱く思いというのは、一種の新しい潮流、つまり群集の叡智、群知能とでも言うべき……なんら変わらないものだ」と彼は語った(or 述べた、言った)のだ。
という形式のほうが読みやすいのでは、と思いました。
2点目は、thousands and thousands of individual users each adding a little bit of content のところで、eachの訳抜けがあるのと、a little bit ofの訳がちょっと変、というところです。ここは下記のようになさってはどうでしょう。
何千何万もの個人(ユーザ←これはなくてもいいのかも)が、(それぞれ、←これも、直後で『ずつ』を使うならうるさいかも)少しずつコンテンツを追加する
3点目は、a coherent body of workの訳。発言のコンテクスト(大勢がバラバラに1文とか2文ずつ持ち寄って作る記事)と、ウィキペディアそのものを見る限り、「一貫した論理を持つような作品」というより、「(一貫して)整合性のとれたひとつの記事」ということではないかと思います。
4点目、But, he insisted, the truth was rather different: のところ。ここはratherが難しいのですが、「やや」程度の意味合いでしょう。また、このthe truthはthe realityという意味でしょう(後続の部分を見る限り)。「真実は異なるもの」という日本語は極めてわかりづらいですし、「しかし、彼は実際にはやや違うふうになっている、と主張した」程度にまとめてみてはいかがでしょうか。ただこうすると後続の「実際には」を書き換えないと、読みづらくなってしまいますが。
5点目、it's much like any traditional organization を「これまでの伝統的な組織となんら変わらないものだ。」というのは、訳しすぎかもしれません。「なんら」をトルにするか、「あまり」に置き換えるかなさってはいかがでしょう。
引用文の次のパート:
The difference, of course, is crucial.
もちろん、この2つには根本的な違いがある。
ここ、日本語を読んでいて「この2つってどの2つ?」と迷ってしまいました。主語のdifferenceは、前のパートの the truth was rather different のことでしょうから、「この2つには違いがある」というより、「その違いは決定的なものだ」としたほうがよいでしょう。
あと、細かいことですが、
ウィキペディアのような偉業がどのようになされたか
→ウィキペディアのような偉業がどのようになされる(or なされている)か (<原文、現在形です)
but also for Wales, who wants to know how to run the site.
これは関係代名詞の継続用法として忠実に訳すべきでしょう。「一般の人たちにとってだけでなくウェールズにとってもだ」でいったん区切り、「というのは、彼はこのサイトをどう運営したらよいのかを知らないからだ」(<wants to knowということは、doesn't knowということだ、ということで思い切ってやったんですが、気に入らなければ別の表現で)
それと、この引用箇所の最後の部分、これは最初に書いたのと同じような類の分割です。引用符で「言葉どおりの引用」を示しているだけです。つまり、
"For me this is really important, because I spend a lot of time listening to those four or five hundred and if ... those people were just a bunch of people talking ... maybe I can just safely ignore them when setting policy" and instead worry about "the million people writing a sentence each".
は、仮に、次のように書き換えることができます。
Wales said, "For me this is really important, because I spend a lot of time listening to those four or five hundred and if ... those people were just a bunch of people talking ... maybe I can just safely ignore them when setting policy [instead of worrying about the million people writing a sentence each]".
つまり、現状の日本語訳文はカギカッコの場所が変です。
いったん、ここまでにさせてください。
はじめまして。興味のあるテーマの文ですし、少しだけ見てみました。
引用文の
"The idea that a lot of people have of Wikipedia," he noted, "is that it's some emergent phenomenon -- the wisdom of mobs, swarm intelligence, that sort of thing -- thousands and thousands of individual users each adding a little bit of content and out of this emerges a coherent body of work." But, he insisted, the truth was rather different: Wikipedia was actually written by "a community ... a dedicated group of a few hundred volunteers" where "I know all of them and they all know each other". Really, "it's much like any traditional organization."
の箇所で4点あります。
1点目は、"ほにゃらら", he noted[said, cried, etc], "is ほげほげ" の処理。これは英語の書き方のルールで分割しているだけで、この例のようにその人のことばが長い場合は、カギカッコを分割しないほうが読みやすいかも、と思います。
つまり、
Walesはその講演でウィキペディアの歴史、技術、文化について語ったが、その内容で一つ気になったことがあった。「大勢の人たちがウィキペディアについて抱く思いというのは、一種の新しい潮流、つまり群集の叡智、群知能とでも言うべき……なんら変わらないものだ」と彼は語った(or 述べた、言った)のだ。
という形式のほうが読みやすいのでは、と思いました。
2点目は、thousands and thousands of individual users each adding a little bit of content のところで、eachの訳抜けがあるのと、a little bit ofの訳がちょっと変、というところです。ここは下記のようになさってはどうでしょう。
何千何万もの個人(ユーザ←これはなくてもいいのかも)が、(それぞれ、←これも、直後で『ずつ』を使うならうるさいかも)少しずつコンテンツを追加する
3点目は、a coherent body of workの訳。発言のコンテクスト(大勢がバラバラに1文とか2文ずつ持ち寄って作る記事)と、ウィキペディアそのものを見る限り、「一貫した論理を持つような作品」というより、「(一貫して)整合性のとれたひとつの記事」ということではないかと思います。
4点目、But, he insisted, the truth was rather different: のところ。ここはratherが難しいのですが、「やや」程度の意味合いでしょう。また、このthe truthはthe realityという意味でしょう(後続の部分を見る限り)。「真実は異なるもの」という日本語は極めてわかりづらいですし、「しかし、彼は実際にはやや違うふうになっている、と主張した」程度にまとめてみてはいかがでしょうか。ただこうすると後続の「実際には」を書き換えないと、読みづらくなってしまいますが。
5点目、it's much like any traditional organization を「これまでの伝統的な組織となんら変わらないものだ。」というのは、訳しすぎかもしれません。「なんら」をトルにするか、「あまり」に置き換えるかなさってはいかがでしょう。
引用文の次のパート:
The difference, of course, is crucial.
もちろん、この2つには根本的な違いがある。
ここ、日本語を読んでいて「この2つってどの2つ?」と迷ってしまいました。主語のdifferenceは、前のパートの the truth was rather different のことでしょうから、「この2つには違いがある」というより、「その違いは決定的なものだ」としたほうがよいでしょう。
あと、細かいことですが、
ウィキペディアのような偉業がどのようになされたか
→ウィキペディアのような偉業がどのようになされる(or なされている)か (<原文、現在形です)
but also for Wales, who wants to know how to run the site.
これは関係代名詞の継続用法として忠実に訳すべきでしょう。「一般の人たちにとってだけでなくウェールズにとってもだ」でいったん区切り、「というのは、彼はこのサイトをどう運営したらよいのかを知らないからだ」(<wants to knowということは、doesn't knowということだ、ということで思い切ってやったんですが、気に入らなければ別の表現で)
それと、この引用箇所の最後の部分、これは最初に書いたのと同じような類の分割です。引用符で「言葉どおりの引用」を示しているだけです。つまり、
"For me this is really important, because I spend a lot of time listening to those four or five hundred and if ... those people were just a bunch of people talking ... maybe I can just safely ignore them when setting policy" and instead worry about "the million people writing a sentence each".
は、仮に、次のように書き換えることができます。
Wales said, "For me this is really important, because I spend a lot of time listening to those four or five hundred and if ... those people were just a bunch of people talking ... maybe I can just safely ignore them when setting policy [instead of worrying about the million people writing a sentence each]".
つまり、現状の日本語訳文はカギカッコの場所が変です。
いったん、ここまでにさせてください。
nofrillsさま、ありがとうございます。
詳細に添削していただいて大変参考になりました。
ご指摘に沿って修正させていただきました。
お時間のあるときで構いませんので、続きの箇所などもご指摘いただけましたら幸いです。
こんばんは、1つ目の回答(なんか、カッコの場所とかが変になっている箇所があってすみません)の続きです。「これが絶対」というわけではありませんが、お役立ていただければ幸いです。
Aaronの書いていることの引用の下、2パラグラフ目:
But I was interested for another reason.
しかし、私はそれよりも別の側面に興味を惹かれた。
今の訳文が間違っているというわけでは決してないのですが、原文により忠実にするなら、「もうひとつ別の理由で興味を抱いた」。
同じく、5パラグラフ目:
The fundamental job of publishing is curation -- finding good stuff and bringing it to an audience that might not otherwise encounter it.
出版業の基本的な仕事というのは博物館のようなものだと思う。良いモノを揃え、それをまだ観たことがないような観客に届ける。
curation を「キューレーション」としても読む人にはわかりづらいかもしれませんが、とすれば「博物館」ではなく「展覧会の企画」などとしたほうがよいのではないかと思います(「博物館」とは「資料を収集し整理し、展示する場」であり、その「展示」の内容や方向性を決めるのが「キューレーション」です)。また、ダッシュの前後のつながりがわかるように、「つまり、……観客に届けることだ」などといった形にしたほうが、読みやすい日本語になると思います。
以下は、「訳」についてというよりも、日本語としての推敲です。
Aaronの書いていることの引用の下、2パラグラフ目:
ウィキペディアの運営方法という面から見て、ウィキペディアはコア編集者たちよりも
→ 運営方法という面から見て、ウィキペディアはコアな編集者たちよりも
(単に、同じ語の連続が読みづらいという理由での修正。および、表記・用語統一。)
同、3パラグラフ目:
つまり、ウィキペディアは伝統的な出版組織と多くの面で共通点を持っている。
→ つまり、ウィキペディアは伝統的な出版組織と多くの面で共通点を持っている、ということだ(or 点だ、etc)。
(原文のコロンの意味の明確化。)
つまり、全ての寄稿者たちの価値を認めなければならない。
→ つまり、全ての寄稿者たちの価値を認めなければならない、ということだ(or 点だ、etc)。
(同じく、原文のコロンの意味の明確化。)
われわれは雇っている従業員よりも多くの外部執筆者を抱えている。
→ 当社には、従業員(or 社員、スタッフ、etc)よりも多くの外部執筆者がいる。
(「雇っている従業員」が冗長。)
私たちが作り出したブランドの一環として市場に届けられる。
→ 私たちが作り出したブランドの名前で市場に届けられる。
(「ブランドの一環として」という表現は読んでいてひっかかる。かといって、私が思いついた表現が絶対によい、というわけでもないのですが。)
執筆者たちの多くは、職業的な作家や編集者というよりは、情熱あふれる専門家たちだ。
→ いずれか一方の「たち」をトル。もしくは両方トル。
(日本語で、複数形の明示が必要な箇所ではないので。)
しかし、外部の寄稿者たちがいなければ私たちは何もできないのだ。
→ しかし、外部執筆者たちがいなければ私たちは何もできないのだ。
(用語統一。また、「執筆者たち」の「たち」はなくてもよいかもしれません。)
ハリーポッター
→ 「ハリー・ポッター」
(作品名のカギカッコとナカグロの抜け。より正確には、「ハリー・ポッター・シリーズ」とすべきかもしれません。)
ハリーポッターを産み出したのは、生活保護を受けているある母親の手によるもので、彼女は電車に揺られながら、それを考え出したんだ。
→ 「ハリー・ポッター(・シリーズ)」は生活保護を受けているある母親の手によるもので、彼女は電車に揺られながら、それを考え出したのだ。
(冗長なところと主述の不整合と、スピーチレベルの調整。もっと思い切って、「『ハリー・ポッター』は、生活保護を受けている子持ちの女性が、電車での移動時間に考え出したものだ」などとしてもよいかもしれません。読み流せればよい箇所なので。)
同、4パラグラフ目:
どんな出版社でも両者の力を必要としている。大勢の外部寄稿者たちとのつながりと、常勤の編集者たちからなるコア集団。
→ どんな出版社でも、大勢の外部寄稿者たちとのつながりと、常勤の編集者たちからなるコアな集団、その両者の力を必要としている。
(読みやすさのための順番の入れ替え。および用語統一。)
同、5パラグラフ目:
この観点から私はいつも、
→ このような理由で私はいつも、
(原文により忠実に。原文は「観点」の話ではないように読めました。)
ほとんどの場合はこれを編集したり改良したりするような
→ ほとんどの場合はこれを編集したり推敲したりするような
(コンテクストが「出版社の仕事」なので、improvingは「推敲」でよいと思います。それが訳しすぎなようなら「もっとよいものにする」など。技術系の話ではないので、「改良」ではむしろわかりづらいです。)
再度、いったんここまでで。オライリーのこの文は、基本的にとても読みやすいのですが、カッコによる補足がやたらと多いし、翻訳しようとして細かく検討するとロジックが取れないところとかもけっこうありますね(代名詞が何を受けているのか一瞬わからない、など)。
このあとの部分では、publishing が厄介です。英語では書籍を出版することも、ブログの記事をアップすることも、publishing といいますが、日本語では「ブログを出版しましょう」といったら「書籍化」のことですよね。何か妙案はないものですかね。。。「公にする」では「出版業」の話につながっていきませんし。
nofrillsさま、ありがとうございます。
またまた詳細に添削していただいて大変参考になります! ご指摘を参考に修正させていただきました。
確かに publishing は厄介ですね。比喩的な使い方としても伝わるだろうとあまり考えずそのままにしてました。何か良い候補があったら、教えてくださいませ。
あと、curationはもっと悩みました。もう一箇所のcurationをどう訳すかがかなり難問でした…。現在の「博物的な側面」というのはかなり変な表現だと思ってます。要はcuratorがやるような業務ということを示すのだろうと思うのですが、、、
http://en.wikipedia.org/wiki/Curation では、以下のような包括的な説明です
acquisition, storage, and exhibition of collections, including negotiating and authorizing the purchase, sale, exchange, or loan of collections
こちらも良いお知恵がありましたら、ご意見いただければ幸いです。
こんばんは。最後のパートです。ちょっと自分用のメモ書きみたいになってて見づらいところもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
Wikipedia creates a context within which authors can exercise their skills, displaying their knowledge and their passion.
ウィキペディアでは執筆者たちがその知識と情熱を燃やしながらスキルを学ぶ場を作りあげている。
その知識と情熱を燃やしながら
→ その知識と熱意を示し(or 活かし)ながら
あと、exerciseは「学ぶ」というより「磨く」かなあとも思いましたが、よくよく読んでみると、このtheir skillsが具体的に何のことなのかよくわからないので(私が読み落としているだけかもしれませんが、先行する部分にauthorのskillsの話はないですよね)、「磨く」じゃなくて「学ぶ」のほうがいいのかなあと思ったりして、結局よくわかりません。(オライリーのこの稿は本当に、読み流して主張を理解するにはわかりやすいけれど、翻訳するとなると難しいというエッセイの典型だと思います。)
Yes, it allows for collaborative creation, and that's good. But the core framework of Wikipedia was developed by a small team, and a small team provides the editing work that keeps it on track.
そう、協働的創作であって、しかも、それをうまいことやっていっている。でも、ウィキペディアの核となる枠組みは小さなチームが開発したもので、この小さな集団がそれを軌道に乗せるべく編集作業を続けている。
このitはWikipediaですよね(この文の代名詞の使い方についての理解が、段々と不安になってきた……)。そうすると、allow for = enable みたいな意味で、第一文は、「ウィキペディアは協働的創作を可能にしているし、それはいいことだ」ではないかと思います。Yesはそのまま「そう」とやると日本語では浮いてしまうので、「確かに」などとする。
また、このパラグラフは、Yes, .... But .... の構文で(「確かに……である。しかし、~」)、多くのauthorによるcollaborative creationと、少人数のcore teamが作り上げたframeworkを対置して、後者に重きを置いています。(この構文は、例えば「彼の論には一理ある。だが、彼は重要なことを見落としているのである」として、後続の部分でその「彼の見落としている重要なこと」を細かく述べる、という論理展開で用いられます。)
だからここは、前半を軽く見せて、後半を重く見せる日本語にしないと、翻訳にはなりません。というわけで後半部分(But以下):
でも、
→ しかし(or だが、しかるに、etc)、
にして、
ウィキペディアの核となる枠組みは小さなチーム(→意味の明確化)が開発したもので、この小さな集団がそれ(→指示対象の明確化※)を軌道に乗せる(→ keep it on trackの訳語)べく編集作業を続けて(→ provideの訳語)いる(→語尾)。
→ ウィキペディアの核となる枠組みは少人数のチームが開発したものであり、少人数のチームが、ウィキペディアが軌道から外れないよう、編集作業を行なっているのである。
※このitは先行の単数の名詞を指しているのではないと思います。frameworkをkeep on trackする、と解釈すると意味が通じません。全体をkeep on trackするためにframeworkがあるのですから。
でもこの日本語がいいのかどうか、自分ではよくわかりません。というのは原文がやっぱり私にはわかりづらいので。まず、the core framework of Wikipediaのframeworkの訳語が「枠組み」でよいのかどうか、考えれば考えるほどわからなくなります。私は英語版のウィキペディアは何かしらの項目について毎日のように参照していますが(そしてそれらの項目にコア・メンバーが張り付いてヴァンダリズムの対処などをしていることも把握はしているのですが)、ここでオライリーの言っているframeworkがウィキペディアの何を指すのかがよくわかりません (^^;)。ページのテンプレートのことなのか、書き方のガイドラインのことなのか、etc。ここは他力本願で、どなたか、お願いします。。。
それと、and a small team provides ... のところ、どうして the じゃなくて a なんでしょうか。。。the なら、現在の訳のとおり、「その少人数のチームが」でよいし、ロジックとしてもそれが自然なのですが、でも英文には a とあるので、翻訳では a として訳さなければなりません。(筆者本人が書き間違えたという可能性もありますが、それを確認するには筆者本人に連絡をする必要があります。)
また、keep something on trackは「~を軌道に乗せる」というより「~を軌道からはずれないようにする」です。ウィキペディアでのヴァンダリズムや編集合戦への対処、記事のクオリティの維持のための努力のことを言っている箇所です。
This isn't fundamentally new. It's a different and better way of doing some tasks that publishers already perform.
このことこれは根本的に新しい何かというわけことではない。単に出版社がすでにやっていることの一部を、ちょっと違ったやりかたで、もっとうまくこなしているということのだ。
原文のシャープな感じを出す方向で少し手を入れてはと思いました。第2文はひらがなが連続しているので、適宜「、」を補わないと、モニタでは非常に読みづらくなってしまいますので、そこで手を加えてあります。
で、この後のパラグラフがこのエッセイの最後のパラグラフなので、結論部分といえば結論部分なのでしょうが、ここで話が終わっているのがこのエッセイ最大の謎です。こんなところで新たにGoogleを出してきて、これで終わりなの?って感じ(ふつう、こういうパラグラフがあったらその後にもう1展開、ですよね……途中で飽きたか時間がなくなったかで書くのをやめた文のように見えるんです)。つまり、ロジックがよくわかんないのです。なので、ただそのまんま英語を日本語にするようにしか対応ができないのですが、
Ditto Google. PageRank might be thought of as a way of getting millions of readers to work on the slushpile of web content, and promoting the best material to the top, where it can become professionalized.
Googleも同じことだ。 PageRankは、Webコンテンツのごちゃごちゃの塊をうまく整理することで何百万ものユーザからの支持を得て、サーチエンジン業界で巨万の富を得る地位に君臨するようになった、一つの要因とみなされている。
ここは意味を大きく取り違えておられます。ここまでの話の流れから考えるに、オライリーはGoogleのページランクは編集者(あるいはWikipediaのコア・チーム)のようなものだ、と言っているだけで「ユーザーからの支持」等といったことは書かれていません。しかしながら、上記のような理由で(話が唐突である)、オライリーが何を言いたいのか、あんまりよくわかりません。
slushpile of web contentは、話の流れ(後続部分)から考えて、「ネット上の玉石混淆のさまざまな情報」という意味ですよね。「ごちゃごちゃの塊」では意味がわからないので、こういう方向性で何か訳語を考えられてはと思います。なお、sluchには「出版社に持ち込まれる原稿」という意味もあります。「持ち込み原稿」は直接は関係ないと思いますが、slushpileという表現は「有益なものもつまらないものも」を含意しているだろうと思います。
で、ちょっと真面目に解析っぽいことをしてみたのですが:
PageRank might be thought of as a way of
PageRankは、~の方法として考えられるだろう
getting millions of readers to work on the slushpile of web content,
数百万もの読者に、ウェブ上の玉石混淆の情報の海にwork onさせ、
and promoting the best material to the top,
最もよい情報(<material)を一番上に押し上げる
where it can become professionalized.
そこでそれはprofessionalizeされることができる
……すみません、やっぱりこれはお手上げです。要するに、「読者がウェブ上の情報からいいものを選んでくれるので、それを検索結果の一番に表示する」というPageRankの基本的な仕組みのことを言っているのはわかるので、「読む」ことはできるのですが、「翻訳する」のは私ではどうにもなりません。whereが何にかかる関係副詞なのか、itが何を指すのか、それがわかりません。itがわからないので、professionalizeの訳語も「?」です。
というところで3回使い切りました。(^^) なんか、私だけが延々と回答を投稿しちゃってすみません。この後の補足みたいなところ(カッコに入っているパラグラフと、「追伸」のところ)は次の方に……。あ、ひとつだけ。カッコのパラグラフの最初のIncidentallyは「偶然にも」ではなく「ちなみに」です。「偶然にも」では意味が通りませんよね。
それと、2番目の回答へのコメントでの訳語のことですが、
私なら、「出版 (publishing)」として、「英語ではブログもpublish, YouTubeもpublish」ということを説明する脚注をつけます。そうするしか方法を思いつきません。(^^;)
この文章では話の流れから判断しても、acquisitionとかstorageは度外視してよいのではと思います。なお、curationはcuratorからの逆成語です。curatorについては下記がわかりやすいです。
http://www.13hw.com/job/02_02_20.html
http://www.pingmag.jp/J/2006/08/18/how-to-edit-exhibitions/
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/071218/index.html
今の版で、"they involve new means of curation" のところで「博物的な側面でも新しい手法への取り組みが見られる」とありますが、「博物的」という日本語はありませんし、「博物学的」のタイポだと解釈されると厄介なので(「博物学」は、このオライリーの文章の「キュレーション」とは意味が違います)改訳したほうがよいかと思います。でも訳語が思いつかない……自分では「キュレーション」でわかるので、思いつかないのです。(このカタカナ語もけっこう通じると思うんですが、どうなんでしょう?)
なお、この文も、この回答の最初のほうに書いたのと同じ、「Yes, .... But .... の構文」ですので、全体の構造をもっとはっきりさせて:
At their heart, they involve new means of content creation yes, but more profoundly, they involve new means of curation. (their = Wikipedia, YouTube and Google)
→ その中心には、確かに、コンテンツ創造の新しい方法ということが関わっている。しかしより深い意味を持つのは、そこにはcurationの新しい方法がある、ということなのだ。
ひとつ、解決策としては「脚注」があります。上記部分のひとつ上のパラグラフ内、
The fundamental job of publishing is curation
出版業の基本的な仕事というのは展覧会の企画のようなものだと思う。
→ 出版業の基本的な仕事というのはキュレーション《ここに脚注を入れる》だと思う。
※脚注:
キュレーション (curation)
博物館や美術館などで、展覧会の企画(テーマの考案、作品の選定から展示の配置など)を行なうこと。
として、この次のパラグラフではそのまま「キュレーション」とカタカナにする。
あ、今思いついたのですが、これって日本語では「プロデュース」って感じでしょうか。英語ではproduceだと多義語すぎるのですが、日本語では「プロデュース」でもいいのかもしれません。
3度目まで、ありがとうございます!
あやふやで誤解していたところが明確になり、ずっと理解が深まりました。
おっしゃるとおり、オライリー氏のコラムとしては中途半端ながらも出してみるメモ的なものだったかもしれませんね。
nofrillsさま、ありがとうございます。
詳細に添削していただいて大変参考になりました。
ご指摘に沿って修正させていただきました。
お時間のあるときで構いませんので、続きの箇所などもご指摘いただけましたら幸いです。