『犯罪に対して親族が”不当な”不利益を受けるのは『悪』ではないか! という疑問について。 前提として、 ・『犯人の製造者及び養育者である(であった)親(保護者)は除外する。 ・『正当な不利益』(夫が逮捕されて家計が苦しくなる)はやむを得ない。 という条件を付加する。
『抑止できた』説など、その他責任を見出すという検証の作業を、『外部の者』(被害者ら・社会・マスコミ)が行うこと自体、連座制の悪行なのである。彼らにそれをする権利は無い。
大人の行動、自立して行動しなければならない者の行為を、家族に帰着させる発想こそ、諸悪の根源です。
止めなかった義務などは、無い。これは、明白な事実じゃないですか。
家族は犯罪を止めるためのものであってはならないし、その責を負ってもならない。
もし、責任があるとすれば、あやまちを犯した者にたいしてだけだ。
家族の一人を不幸から救えなかったという、責任だけなのです。
いかなる責任も、外部に対して負っていないし、また、負わせることは犯罪であると思わなければならない。
どうでしょうか・・・・
実際それ以外の考えは悪であることは疑いない。
それは全人類に対して言えると思います。
『抑止できた』と言う考えがちゃんちゃらおかしいですよね。
いい大人がね(笑
実際抑止できた状況だったとしても、その責任を問うこと自体が連座制の本質だということに気付くべきですね。
まあ、所詮事後的に取って付けた理由だから、そう主張している人はそこまで考えていないでしょうが。
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『抑止できた』説など、その他責任を見出すという検証の作業を、『外部の者』(被害者ら・社会・マスコミ)が行うこと自体、連座制の悪行なのである。彼らにそれをする権利は無い。
大人の行動、自立して行動しなければならない者の行為を、家族に帰着させる発想こそ、諸悪の根源です。
止めなかった義務などは、無い。これは、明白な事実じゃないですか。
家族は犯罪を止めるためのものであってはならないし、その責を負ってもならない。
もし、責任があるとすれば、あやまちを犯した者にたいしてだけだ。
家族の一人を不幸から救えなかったという、責任だけなのです。
いかなる責任も、外部に対して負っていないし、また、負わせることは犯罪であると思わなければならない。
どうでしょうか・・・・