再度チンギスハーンの系譜について質問します。以下の分はどの程度正しいでしょうか。『現存資料での記述がおのおの異なっているため諸説あって厳密に確定しがたいだけで、チンギス・カン自身の家系は諸資料ではっきりとした記載があり判明している。昔の家系図は書き換えることも多く確実に断言は出来ないともいわれるが、中央ユーラシアの遊牧民は個々の遊牧集団の指導者層の家系に関してはうるさく、匈奴に於いては中核氏族である攣鞮氏が単于および主要な地位を独占し、それ以外の氏族はこの地位につけなかったことが知られている。祖先からの遊牧貴族に属することを保障する家系伝承と、子飼いの牧民集団を持たない者が、徒手空拳で政治的指導者に納まることはきわめて困難であることが知られている。」なお、補足文は下に示します。

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  • 登録:2008/03/04 17:25:54
  • 終了:2008/03/11 17:30:02

回答(1件)

id:nanairokamen No.1

nanairokamen回答回数128ベストアンサー獲得回数12008/03/05 14:01:56

ポイント60pt

○チンギス統原理(チンギスとうげんり、Chingisid principle)とは、主に14世紀以降の中央ユーラシアのモンゴル・テュルク系遊牧民の社会において広くみられた王権の正統性に関する思想で、民衆の支配者たるハーンの地位は、ボルジギン氏であるチンギス・ハーンとその男系子孫によってのみ継承されるべきとする血統原理のことである。

チンギス統原理;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B...

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そんなことを聞いてません

2008/03/05 17:20:34
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    「祖先の系譜については、『元朝秘史』に取材した井上靖の小説などの影響で、日本などではモンゴル部族の先祖として「ボルテ・チノ」との関係が強調される傾向にあるが、実際にモンゴル帝国やその後継政権おいて中央アジア・イランやモンゴル本土でチンギス・カン家の先祖として重要視されていたのは、むしろその子孫で日月の精霊と交わってモンゴルの支配階層の諸部族の祖となったとされるアラン・コアとその息子ボドンチャルであった。また、チンギスの属すキヤト氏族は『元朝秘史』、モンゴル帝国の正史的な位置づけで編纂された『集史』などによるとチンギスの曾祖父カブル・カンに始まるが、『集史』の記述に従えばチンギスの出自はカブル・カンの次男バルタン・バアトルの三男イェスゲイ・バアトルの長男とされている。アラン・コアからカブル・カンまでの系譜については資料によって異同が多いものの、上記以外でも『蒙古源流』、『五族譜』や『ムイッズ・アル=アンサーブ』などの歴史書や系譜資料が13、14世紀以降に多く編纂されたが、どの資料もカブル・カン→バルタン・バアトル→イェスゲイ・バアトル→テムジン(チンギス・ハーン)という流れは共通して記録している。「祖先の系譜については、『元朝秘史』に取材した井上靖の小説などの影響で、日本などではモンゴル部族の先祖として「ボルテ・チノ」との関係が強調される傾向にあるが、実際にモンゴル帝国やその後継政権おいて中央アジア・イランやモンゴル本土でチンギス・カン家の先祖として重要視されていたのは、むしろその子孫で日月の精霊と交わってモンゴルの支配階層の諸部族の祖となったとされるアラン・コアとその息子ボドンチャルであった。また、チンギスの属すキヤト氏族は『元朝秘史』、モンゴル帝国の正史的な位置づけで編纂された『集史』などによるとチンギスの曾祖父カブル・カンに始まるが、『集史』の記述に従えばチンギスの出自はカブル・カンの次男バルタン・バアトルの三男イェスゲイ・バアトルの長男とされている。アラン・コアからカブル・カンまでの系譜については資料によって異同が多いものの、上記以外でも『蒙古源流』、『五族譜』や『ムイッズ・アル=アンサーブ』などの歴史書や系譜資料が13、14世紀以降に多く編纂されたが、どの資料もカブル・カン→バルタン・バアトル→イェスゲイ・バアトル→テムジン(チンギス・ハーン)という流れは共通して記録している。義経=ジンギスカン説#現存資料に見られるチンギス・カンの系譜情報に書かれていることは、全て『集史』『元史』『元朝秘史』『聖武親征録』『シュアビ・パンジュガーナ(五族譜)』『ムイッズル=アンサーブ(高貴系譜)』(『南村輟耕録』も含めて良いかも知れませんが)などの現存資料の情報を整理したもので、チンギスの曾祖父カブル・カン以降チンギスまでの親族関係について、これらの資料間で特に矛盾した情報は自分が見た限りでもありませんでした。『集史』『五族譜』『高貴系譜』などのペルシア語資料ですので校訂本も日本では所定の大学図書館や東洋文庫などの研究機関に行かないと読めない状況ですが(『五族譜』『高貴系譜』は刊行すらされていないため研究機関や研究者個人が所有するマイクロフィルムやそのコピーなどを直接見ねばなりませんが)、『元史』は中国書籍の専門店やネットで検索出来ますし、『元朝秘史』に関しては日本でも各種刊行されていますので確認は容易に可能です。チンギス・カンについての親族情報について特に資料の記述に疑義が提示されたという話も聞かれません。この節の最後の一文の「中央ユーラシア史の研究者からは否定的に受け止められている」云々は私の編集ではありませんが、これらの内容は一次資料の情報を整理した物で、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の規定に抵触しないレベルであると認識しています。もし、この節が記事全体から見て特に必要無いという議論でしたら分かりますが、情報自体が「インチキでたらめだらけ」というこの一文は心外です。

    「判明した」ではなくて「判明している」もしくは少なくとも14世紀の段階でモンゴル帝国内部でこのように「認識されていた」であって、何を根拠に「インチキでたらめだらけ」と仰るのか些か困惑致します。『集史』と『元史』などの漢籍との内容の照合や研究はヨーロッパでは19世紀の C.M.D'OhssonやL.M.Berezin、E.Qautremere、20世紀でもロシアのV.V.Bartol'dやポール・ペリオ、 J.A.Boyleなどが、中国でもこの時期は洪鈞、柯劭忞、屠寄、王国維など有名ですが、今日までの先行研究を見る限り、『元朝秘史』などのカブル・カンからチンギスまで系譜情報について全くの虚偽である、という報告は聞かれません。「外国のモンゴル史の研究者に笑われる」と仰いますが、20世紀になって日本でもアルタイ学が移入され現在までテュルク学やモンゴル学、アルタイ学などの分野は世界的に見ても非常に高いレベルに達しており、(勿論、ペルシア語資料や漢籍等を用いたモンゴル帝国史や中央ユーラシア史でも研究水準は高いですが)「モンゴル時代」という概念が日本の本田実信博士が提唱してほぼ世界的に定着した(とは杉山正明先生の言ですが)という現状からもむしろこの分野では日本の研究動向が世界の研究をリードしているとさえ言われています(これも杉山先生が書籍や講演会で都度都度仰っているようですが)。系譜情報を含む諸資料間のこれらの情報を最初に整理・研究をしたのは中国やヨーロッパなどの「外国のモンゴル史の研究者」や言語学者たちに他なりません。日本の現行のモンゴルに関する研究もこれら先行研究を土台にして現地でのフィールドワークや資料精査をもとに進められています。私の記事編集もこれらの研究成果を(手持ちの論文や招来資料のコピーを確認するなどして)なぞりこそすれ逸脱するものではありません。」』

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