***子供がいる方、また妊娠中の方は気分を害されると思われるので見ないで下さい。***
答え難いものも幾つか有りますが、出来る限りお願いします。
必ず哲学的な(宗教的概念を除く)意見で、且つ理由も含めてお答え下さい。
文才が無いため率直に書きます。
1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはどう思いますか?
2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。子供を産む目的(理由)は何だと思いますか?
3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはどう思いますか?
当たり前の様に過ごしているはずがない。
親友や恋人ができないと悩み、この人と結婚したい、結婚すべきか、結婚披露宴、新婚旅行はどこへ行こうか?
子供は男の子がいい?女の子がいい?産むならどこの病院がいい?
人から見ればくだらないと思うような悩みでも、当人にとったら一大事である。
また、家族や知人が亡くなれば、身近に死と向き合うことになる。
思春期には死を考えることもある。
大人になってからも人間関係や仕事などで悩みを持てば死んだほうが楽じゃないかと思うことだってある。
何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしているように見えているとするなら、その人の内面を知らないからである。
2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。子供を産む目的(理由)は何だと思いますか?
投影
今、目に映る景色がドシャ降りなら、それは今の気持ちがそうさせてるだけ。
止まない雨はない。
今、目に映る景色が曇り空だとしたら、それは今の気持ちがそうさせてるだけ。
風が吹けば、雲は流れる。
澄み切った青空を見ても空しく感じるなら、それは今の気持ちがそうさせてるだけ。
照りつける太陽がヒリヒリ痛いなら、それは今の気持ちがそうさせてるだけ。
季節が変われば、やさしい日差しがあなたを包んでくれる。
幸せの価値観は人それぞれ。他人であれ、親子であれ、同じ価値観とは限らない。
同じ人間であっても、時と共に、その日の気分によっても、形を変えるもの。
子供を産む理由も、育てる過程もまた同じ。
望んで産まれた子供であれ、意図せず産まれた子供であれ、この先どうなるかなんて誰にも分からない。
その人自身が自分の幸せを見つけるしかない。
3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
質問になっていない気が・・。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei04/index.htm...
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/03/hyou5.html
によれば、ここ数年の傾向として
出生数は約110万人だが減少傾向。
それに対して死産は約3万人強、人口中絶数は約32万胎。
(中絶に関して実際はもっと多いと言われており、その理由は様々である)
また
http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
によれば自殺者はここ数年3万人を切ったことがない。
この数字を見て、産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのだろうか?
否、むしろ死を選ぶ自由が許されてきていると言えるだろう。
4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
生き続けなければならない理由はどこにもない。
何とか生きたいという渇望があるだけである。
>1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず
>当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはどう思いますか?
気がするだけでしょ。付き合いの幅が狭すぎますよ。
世の中もっといろんな考えの人がいます。
子供を作らないことにしてるところもあります。
>2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。
>今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。子供を産む目的(理由)は何だと
>思いますか?
いつの世も子供が生まれても、幸せになれる保障はどこにもありません。
どういうところに生まれたら幸せか条件を提示してみてください。
答えられないということは、幸せになる保障があることなんかないんです。
>3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
生むことに自由なんかありませんよ。
生みたいと思うのは自由ですけどね。
死ぬ事由はありますよ。
自殺は法律でも禁止されてませんし、タブーでもありません。
>4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
たまたま生き続けてるだけです。
生き続けない選択をした場合、存在しませんので。
生き続ける必要は全然ないですよ。
ためしに、自殺でもしてみれば分かりますよ。
生き続ける理由なんかないことが・・。
>1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしている気がします。
→ 一般的な動物のサイクルと同じと考えます。人も動物の一種だから その自然の摂理に従うしかないと考えます。
>2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。
→ 他の動物と同様、人類も子供を産むことで種の存続をはかるしくみになっているからと考えます。
>3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
→ 死ぬことも自由だと思います。ただ、死ぬことには痛み・苦しみ・周囲への影響等の種々の「しがらみ」が伴います。
>4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
→ 生命とは無機物が長年かけて有機体に進化したものと考えます。
進化とは、種が より自由度の高い状態を欲して変化する事象と考えます。
なんで「哲学」なんでしょう?これらはすべて、「哲学」ではなくて、単なる「自然現象」では?
1. 人類は結婚し、子供を産み、・・・・
→当たり前です。そういうことを当たり前と思い、そういうことに喜びを覚える人が大多数であるような「人類」しか、長い時間を経て生き残れないのですから・・・単なる「自然淘汰」です。
2. 子供は自身で産まれる事を・・・
→子供を産むことに目的なんてありません。あえて言うなら、子供が「かわいい」からです。これも同じで、そう感じる遺伝子をもった「人類」が、より、生存に有利です。でも、確かに今の世の中「子供が幸せになれるとは思えません」という部分もあるかもしれませんね・・・そう思う人がどんどん増えてくると、その社会集団(日本?)は滅亡への道を歩むことになるのでしょう、きっと。でも、僕は自分の子供がかわいいので、逆に自分の子供が幸せになれる社会を作るのに、ちょっとだけでもいいから貢献したいと思います。
3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り・・・
→死ぬことは自由です。でも、死ぬのを「怖い」と感じる人が大多数ですよね。そう感じる遺伝子をもった「人類」がより、生存に有利で、長い時間を経て生き残ってきたのだと思います。
4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由
→生命が生き続けなければならない理由なんてありません。むしろ、人類がこれまで生き続けてこられたことの方が、奇跡に近いのかもしれません。それは、子供を産み、育てることに喜びを感じ、死を恐れ、そしてちょっとだけ他の生物より頭がよかったことの微妙なバランスの上に乗っかっているだけです。これからも奇跡が続くとは限りません。
1.
そのようなサイクルが当てはまるのは人類の一部でしかない。例は他の回答を参照されたし。
また、そのようなサイクルに疑問を持つものは実際にいる。
そのうちの一人はyuki_28s氏自身である。違うだろうか?
ゆえに「人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしている気がする」というのはまさしくご自身の気のせいであると言える。
前提として成立していない。
個人的には、人類は人類、自分は自分。
サイクルとか考えて過ごす理由も意味も見当たらない。
2.
子どもの幸せも不幸せも全てはその子どものものであって他の誰のものでもない。
たとえ親であろうと他者がそれを知ることも推し量ることも不可能である。
ゆえにそれが、親が子どもを作るか否かの理由になることはあり得ない。
3.
社会的に認められていなくとも望めば必ず死ねる。方法は幾らでもあるはず。
それは自由ではない?
個人的にはむしろ、産まれることに自由があるという状況がわからない。
4.
人類を含む生命はいずれは滅びる。宇宙は永遠ではないとされている。
ゆえに人類を含む生命が生き続けなければならないという前提は成立していない。
更に付け加えるなら、生き続けようと望むことは自由だが、それは人類や生命という集合体が望むのではなく、あくまでもその個体に依るものである。
実際に自ら死を選び、それを実行する人間がいるという事実がその理由である。
個人的には、やはり人類は人類、自分は自分。
人類を含む生命が生き続けなければならない理由とか考えて過ごす理由も意味も見当たらない。
生きる理由も死ぬ理由も全ては個に依存する。
仮にそれが人類や生命という集合にあったとして、ではなぜその答えを個に求めるのだろうか。
個が集合の意思を知ることは無いだろう。
yuki_28s氏がそれを知らないように。
本当に知りたいのならもっと本気で考えるべきである。
人類や生命にそれを求めるという行為は、「会社なんて所詮・・・」と自らが勤める会社の愚痴をこぼすばかりのサラリーマンと何ら変わらない。
1.自然なことだと思います。
2.本能だと思います。
3.死ぬ自由も生まれる自由もありません。
4.持っている能力を使わないのは、もったいないと思います。
1.「気がする」だけでしょう。
結婚しない人もいるし子どもを持たない人もいるし、結婚しないで子を設ける人もいる。
yuki_28sさんが挙げたサイクルが“一般的”だ、というだけのことだと思います。
2.明確な理由はない、のかも。
もちろん、老後の面倒を見て欲しいとかいう経済的な理由もあるのかも知れないですが、むしろ、「自分たちの子どもが、自分が死んだ後も未来を歩んでいく」というロマンティックな感情が主なんじゃないかと。
子どもが幸せになれる保証はないけど、私が生まれてくる時にも、幸せになれる保証はなかったわけで。(これからもない)
幸せになれる保証がなければ生まれてきてはいけないなら、この世に子どもは一人もいなくなるでしょう。
3.質問の意味がよくわかりませんが……。
生死いずれも、ある程度は自由になるし、ある程度は自由にならない。
人間、死にたければほとんどいつでも死ねるけど、死にたくなくても死ぬ時は死ぬ。
子どもは、欲しくないのにできる人もいるし、子どもが欲しいのに授からない人もいる。
それを「なぜ」と問われても……。
もし、科学がすごく進歩したら、死に自由が生まれるかもしれないし、社会が大きく変化したら、出産に自由がなくなるかも知れない。
もっともっと科学が進歩したら、生まれてくる子どもが、生まれてくるかどうかを自分で選べるようになるかも知れない。(ちょっと想像つきませんが)
ただ、それらを実現するにはいずれも困難が伴うでしょうし、人類は未だかつてそれを実現していない、ということじゃないでしょうか。
4.理由なんかないでしょう。
生き続けなければならないわけではない。
でも、大体の人は、自分や自分の子どもが生き続けることを願っているし、動物も植物も、自分や子どもを生かそうとしている。
だから、生き続けている。
(……っていうか、そうしない生き物はすでに絶滅したと考えられるわけで……)
あくまで、「結果として生き続けている」ってことで、そこに「ねばならない」はないと思います。
行き続けなければならない理由などありません。
意味が無いとか必要が無いとか幸せになれないとかネガティブな思考をするとそういう個別種は淘汰されます。だってそういう人は結婚しないし、子供を作らないし、種を継続して行こうという意思が無いので必要ないから淘汰されるのです。
結局、そんなことを考えずに生きている個別種が淘汰されずに残ることになりそれが単に脈々と引き継がれている結果なのです。
1. めんどくさいけど、仕方がないかな、と思います。「増えたい」という本能がそう命令するからです。何故お腹が減るのかは「生きるため」、子供を作るのは「種の保存のため」、べつに人類だけでは無いですから。
2. 子供にはせめて幸せになって貰いたいと願いはしますが、別に幸せが確約されてないから子供を作るのは無意味、とは思いません。人類社会で言えば将来、老後の面倒を見てもらえる保険のようなものと言えるかもしれませんが、自然界ではむしろ不自然ですね。やはり単に「増えたい」本能ではないでしょうか。
3. 死ぬのは自由ですよ。質問が2と矛盾してますが、むしろ産まれる側には自由はないですよね。
4. あくまでただの現象だと考えます。存在し続けたところでべつに先は無いでしょう。ずーっとずーっと続けば超人類とかが現れたりするかもしれませんが、人類は優性保存の法則を否定する社会を作っちゃったので、あまり期待できないです。
1、について
死ぬと言うのは「個」であって人類としては一度も死んだ事はない。
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2、について
幸せになるかなれないかはあなたが決めることじゃない。
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3、について
何時でも死ねますよ。とても自由です。しかし生まれる事に自由はない。
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4、について
理由などない。ただ存在しているから。生きていると言う意味でなく存在している。
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1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を
持たず当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはど
う思いますか?
→ そういう風にできているんだから、当たり前だと思います。
2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。今の世に子供を産んでも子
供が幸せになれるとは思えません。子供を産む目的(理由)は何だと思います
か?
→ 前提が間違っていると思います。
子供が幸せになれないのは子供のせいではありません。
3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
→ 残念ながら死ぬのも自由ですが、人間は意地汚いからいざ死ぬとなると踏
みとどまるからそう感じるんでしょう。
4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
→ 生き続けることは義務ではないです。
>1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を
> 持たず当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはどう思いますか?
結婚、出産、家庭は、昔から実行しない人もいるので、
人それぞれなのではないですか?
疑問を持たないのは、どうするかは、自分の自由なので考える必要が
ないからではないでしょうか・・・。
昔はある程度世間体とかあったでしょうけど、僧侶や世捨て人は居たでしょうし。
あと、基本的に孤独に弱いというのもあるんじゃないですか?
誰かと一緒にいたい、という生理欲求があるんだと思います。
(マズローの欲求階層説)
> 2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。
> 今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。
>子供を産む目的(理由)は何だと思いますか?
これは聞いてみないとわかりませんよね。
生まれたいから妊娠してもらったんだと思いますよ。
何億という精子の中で生まれたいと思って努力したら
卵子にたどり着いたのだと思います。
あと何が幸せかどうかは本人以外は判断しようがないですから・・・。
傍目で不幸そうにみえても、本人は幸せと感じていることもあります。
産む目的(?)は、子供から産んでくれと頼まれたからでしょう。
壮大なホームステイみたいなもんですか?
> 3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
良いかどうかは別として死ぬ自由あるんじゃないですか?
年間3万人ほど、自分で死んでおられますけど・・・。
> 4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
特に無いと思います。
仏教的な観点だと、より悟りを開くための修行のためみたいですけど。
1.結婚をするのは自由です。
人間に体があり、みなが同じようなつくりになっているのはどうしてなのか?
体だけ同じなのでしょうか?
体だけではなく、ある志向も同様であるのです。
それが、本能というやつでしょう。
本能は、子孫を増やすという生物一律同様のものです。
2. 子供が不幸になるのは、環境が悪いからでしょう。
今のところ、それはやむをえないことです。
3.自由に産まれるなら 少子化で悩まなくていいです。我が家もね。
4.この地球に生物が発生した原因があるからでしょう。
つまり、発生する状態だったから発生し、生物が生存し続けたといえます。
たとえば、火星とか金星を 思い浮かべてもらえばわかると思いますが、
生物が存在しない星では、ずっと生物が存在しないでしょう。
そしてそこには、人類は おりません。
将来、そこに人類が行くことがあるかもしれませんけどね。
1.
人類とはそういうものだと解釈しています。特に死についてそう思います。
結婚することや子供を産むこと、家庭を持つことについては、意志を挟む余地はありますが、それでもやはり性欲や母性といった形で、生得的に決まっている面があるのだと思います。
2.
親個人の視点から見ると、子作りに明確な目的はなく、性欲と母性、それと社会規範によってなんとなく誘導されるのだと思います。ここでいう社会規範というのは、子供を産み育てるのは当然のことだ、子供を持つ人はエライ、といった意見に代表される社会のムードのことです。
このようなムードの裏には基本となるいくつかの力が働いています。それは労働力の確保という国家戦略、従業員の流出阻止という企業の思惑、爺さん婆さんの退屈しのぎ、夫婦間の話題創出、他人にも出産・育児の苦労を味わせたいという悪意などです。
人によっては明確な目的とは言わないまでも、ある程度目的を持って合理的な判断で子作りをします。例えば社会への精神的依存度の高い人、つまり自身の行動規範と社会規範を分けて考えない人であれば、その人にとっては社会規範の通りに生きることが重要なのですから、子作りは合理的な判断ということになります。母性の強い人にとっても、子供は人生の大きな目的ですから、それは合理的な判断になります。
それから、今の世に産まれた子供が幸せになれないから産まないという判断は、簡単な理屈のようにみえて実はそうではありません。というのは、もし、未来に産むかもしれない子供を想像し、その子の人生が不憫だからという理由で産まないことにした場合、それは誰のために産まないことにしたのでしょうか。存在しない架空の子供のことを思って産まないことにした、というのはどこか変な話だと感じませんか。
3.
人類とはそういうものだ解釈しています。
人という種の設計者になって考えると、生き残りという絶対的な目的において、産むことに自由を与えるのは有効な設計方針です。体力のない人、経済力のない人、生きることに悲観的な人が増殖しないというのは種としての生き残りに重要なことです。無闇に種の個体数を増やしてしまうと、資源が枯渇してしまいます。生き残りに的した人を多く残すようにし、資源を有効活用させるのです。また同様に設計者の視点で考えると、死ぬ事に自由を与えることは技術的に難しいのです。第一に、熱平衡を回避しながら永遠に生き続けさせることの難しさ。第二に、基本的に生きる意志を持たせながら、時として死ぬ意志をも持つようにする難しさ、つまり死の決断をさせる基準をいかにして定めるかという難しさです。
産む自由を与え、死ぬ自由を奪う設計がベストであるかどうかはわかりません。とりあえず人という種の設計はそうなっていて、それなりにうまくいっているのです。
4.
生命とはそういうものだと解釈しています。
生き続けることが生命の定義の最も重要な部分なのです。生き続けない生命を想像することはできません。敢えて「生き続けない、生命ではない別の何か」を想像すると、それは雨粒一滴のように、数々の分子が一瞬だけそこに留まっている状態に過ぎません。
こんにちは。
子供がいる方、また妊娠中の方は気分を害されると思われるので見ないで下さい。
細やかな配慮をされていますね。
必ず哲学的な(宗教的概念を除く)意見で、且つ理由も含めてお答え下さい。
できるだけ意識しますけれども、ご覧になって「これは宗教的概念だよ」と映ってしまったらすみません。
1. 人類は結婚し、子供を産み、家庭を持ち、死ぬというサイクルを何の疑問を持たず当たり前の様に過ごしている気がします。この事に対し、あなたはどう思いますか?
「人類」というサイズで考えると個々の葛藤が見えにくくなるだけではないでしょうか。次の世代が育たないと社会が立ちゆかなくなる点、動物と同じで親になり子を育てるという要素が人にも欲求として備わっている可能性があります。
結果、大半の方が、家庭をもち、親になることを選択されるのではないでしょうか。
この点について私は、チャンスがあるのなら家庭をもち親になることは望ましいと考えています。しかし、パートナーに恵まれない、健康を害しており子育てをする余裕がない、など、なんらかの理由があり、家庭をもちたくても、親になりたくても願いが叶わない方もいらっしゃると思います。その立場の方に対して、(しんどい思いをされているでしょうから)敬意を払いたいとも考えています。
2. 子供は自身で産まれる事を望む事は出来ません。今の世に子供を産んでも子供が幸せになれるとは思えません。子供を産む目的(理由)は何だと思いますか?
望んで生まれてきた人は誰もいません。幸不幸は主観の問題も大きいですし、次の20年を読み、確実に生まれてくる子が不幸せになると断言できる方は希有だと思います。そのため、前提にあまり同意できません。
私の場合は、「子どもができて、生むことにした」「親になろうと決めた」といった理由で、「あ、そうなのか」と納得してしまいます。
3. なぜ産まれる(産む)事に自由が在り、死ぬ事には自由が無いのでしょうか?
産む事に自由はあるでしょうか?
許可制かなにかで国が管理しているわけではありませんけれども、親になりにくい、子どもを育てにくい社会ではあると思います。そのため1.の回答で「選べるのなら家庭を持ち親になることが望ましい」と答えました。
死ぬことに関しては、自由はあります。しかし、これまでに獲得した人生観から、私は自殺を放棄していますので、「死ぬ自由」は必要を感じていません。
4. 人類を含む生命が生き続けなければならない理由は何でしょうか?
SF的なスパンで考えれば、人類もいずれ滅びるでしょう。だから生き続けることに対して、私はあまり「力まなくても」良いと考えています。
また、人類に限って言えば、できるだけ永続して欲しいのは、「滅びることは寂しいから」というのが私の理由です。
生命・個人が生き続ける理由ですが、たとえば猫は理由を必要とするでしょうか? 犬でも牛でもいいです。おそらく理由を必要としないでしょうが、死の危険が迫れば激しい恐怖にかられると思います。この場合、「生きる理由はないけれど、死ぬことは恐ろしい」ということになるかと思います。個人(人)の場合は、こういった背景に加えて、人によっては「生きる理由」を求めてしまうと思います。その場合は、納得がいくまで探すしかないと私は考えています。
「4.」の結論としては、私が生き続けなければならない社会的な理由はないかもしれません。ただ、私は、「産まれることを選択できずに産まれてきた以上、自分の人生で何が起きるのか、寿命が尽きるまで見てやろう」と考えており、これが私の生きる理由です。
1.人間社会を維持するためのシステムとして成立し、子供の社会化・教育の中で「これが、当たり前なんだ」という刷り込みが行われているた、疑問を持たないヒトが大多数になった。
2.「親」という自分の新しいパーソナリティの獲得のため(このパーソナリティーは超個人的なのに社会的に通用するという優れもの)。もしくは、比較的堅牢に見える「親」というアイデンティティを手に入れて、安心したいという自分探し的欲求(こういうヒトは子供の虐待とかネグレクトに走る傾向があるかもしれません)。
もっと日常的にいうと、「ずっと働く理由」「老いてもいい理由」が欲しいから(ノーシンキングで永遠の日常を生きることができます)。
3.人間が持っている自然権からみると、「死」は、身体の自由の延長として自由だと思います。本来は、誰かがヒトに「何時死ね」とも命じられないのと同様に、「何時まで死ぬな」とも命じられないと思います。
4.生き続ける有機物を「生命」と呼んでいるから。生命なるものが生き続けているのは、ただの偶然。
1.結婚できない人、しない人がいるので当たり前でない人も多いのでは?
2.今の世でなくとも、何時の世でも幸せが完全保証されている人などいません。
ただ生まれてこなければ不幸にもならない代わりに、絶対に幸福にもならないし、誰かを幸福にする事も無い。
幸不幸の波なんて誰にでも必ずあるし、個々人で幸福感の基準は違う=単純に比較なんてできない
3.自殺や安楽死があるので、死ぬ自由もあります。
4.生き続けなければならない理由?そんなものはないが、
命ってものは確かにあるし、できる=生まれるってことも事実。
質問のお話を男の価値観で考えれば答えは簡単だねー。「人類」「子供」っていうくくりだね。でも例えば女のひとらしい価値観が常に「人としての価値感と同義」ではないように、男の価値観も同じように常に「人としての価値観と同義」ではない筈。つまり、男でも女でもどっちでも本当はいいんだけど、分かり易いからここは一例として、いわゆる男性的な価値観で「人としての在り方」を説明したいと思う。
過去歴史の中でもともと人間が幸せになれるような環境なんて無かった筈。家もなく洞窟に棲んでいて、子供が生まれたのに死んでしまう確率は凄く高かった。例えば5人のかわいい赤ちゃんが生まれたのに、飢餓や病気や怪我や殺されたりして、その中の一人ぐらいしか青年期を迎えられないのを親は見てた訳だよね。日本だって、縄文時代から比べれば弥生時代は爆発的な人口の増加があったんでしょう?。
今これからも同じように、必ずしも子供が幸せになれるとは言えないけど、それは「これからの時代」に始まることじゃないことを理解して欲しいと思う。
じゃあ、「これから」じゃなくて「現在過去未来を通じて」ということになると思います。
現在過去未来、地球環境や周辺環境は人間を不要とする意思があった訳だよね、上の如く。だけど、今は幼児が死なないで成人する確率は比較にならないほど高くなった。それはその数字の分だけ幸せになれると言い切ってかまわない筈。殺されたり、助かる筈のものを見殺しにされることは最大の人権侵害だからね。最大の人権侵害率が比較にならないほど減っているという数字だからです。
つまり現在過去未来を通じて、人間を排除する環境に対して、人間は考えられるあらゆる方法を駆使し
て、その環境をやっつけてきたって訳です。どうして、自分達を否定する相手をやっつけようだなんて(例えば台風でも流されない橋を作って、自然環境を壊して、橋を打ち立てるとかね。木を殺して火を焚いて厳寒環境をやっつける。薬を開発してウイルスをやっつける。そうやって破壊してやっつける訳です。人災なら改善する、闘う。それは同時に自然環境破壊などな訳ですが)
それはボクサーが殴られたら殴り返すのと同じ行為でした。
そういう行為に根本的に理由がないのが哲学ですね。
虎に襲われたら逃げます。ブッダと違って、「お腹がすいたのかい。私の右腕をお食べ」などということは無い訳です。それを説明するのに「本能」という表現は本当はふさわしくなくて、「当然で絶対の性質」というべきかと思います。この説明が2,3,4への回答としてふさわしいものだと思います。
1. 人生そのものに意味はないので、自分で意味を作る必要がある。
2. 子供は育てる苦労に見合う喜びをくれる。私は子供がいますのでこれは実感です。親の勝手な都合で子供は生まれます。
3. 私は生まれたいと思って生まれていません。また子供が欲しいのに生めない人もいます。なので生まれることに自由はないと思います。また、寿命をのばす自由はありませんが、縮める自由はあります。私は縮めたいとは思いませんが。
4. 「生き続けたい」と思わなかったものはすべて死んでしまったので「生き続けたい」というものだけが生き残っているのだと思います。
まず初めに、こんな質問にもちゃんと答えて頂いたことに感謝いたします。
皆様の考えが聞けて参考になりました。
本当に有り難うございました。