この記事を見て自分がそう思ったんですが、考えてみればなんでそう思うのかよくわからないので質問しました。
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今までに見た天才:アルファルファモザイク
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51267980.html
動物(レミング、クジラ)の集団自殺の話は、そういえば僕も昔読んだ記憶があります。
レミングの場合、種としての存続を願って、集団で自殺するとかなんとか。
うぬ~、でもここでは、捏造だと結論づけている…
http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/lemming.html
他にも、捏造だ、とした資料はたくさん見つかりました。
いずれにしろ、個体レベルでの自殺と遺伝子はあまり関係ないか、と。
レミングが集団で自殺するという話と絡めて読んだことがありますが(この話自体がウソくさいようですが)、種というか集団の存続のために、自身を不要だと感じた個体を自殺させる遺伝子があるんじゃないか、という研究だったと思います。
私はそういう遺伝子もあるんじゃないかとは思ってますが、今回のはそれにあてはまるのかどうか。
あてはまるような気はしますが、ちょっと弱いような気もします。
こうして列記していただいてみると
>・自分の小さな努力の積み重ねが無駄に思えて、結果が「今」出ていないとダメだと思ってしまっている
というのは、やはりなんとなく感情の動機付けとして弱いような気がします。
敗北を怖がるというほうが、生物として近いような気がします。
先の記事を見ると、そういう反応はかなり普遍的なものみたいなので、生き物として本質的にもっている情動なんじゃないかと思ってます。
「なぜそのように思うのか」という質問であります。
ぼくが、どうでもいいやと思うのは、能力が低いと(自分では)思える相手が形式上自分より上の立場に立っているときです。
どうにも適わないという相手にもし会えば、たぶん進んで服従します。
自殺遺伝子というのは、細胞レベルのアポトーシス - Wikipediaを自殺と呼んでいるだけの話で、個体レベルの自殺とは訳が違います。
(参考資料)
本題に戻りますと、ま、そういうことは誰にでも良くあると思いますよ。
自他共に認める頭のキレた僕の師匠も、(たぶん)考えが煮詰まって訳がわからなくなると、僕らを誘ってイッパイ飲みに繰り出したものでした。
幸せの基準はひとそれぞれなので、本当に難しい問題だと思います。
全てに恵まれていると思われる人でも、本人は不幸と感じているかもしれませんし、客観的に貧しいと思われる生活をしていても毎日が幸せな人もいるはずです。
でも、常に「幸福」を見つけるようにしていると、人生の幸福感は増します。
(昔ハウス名作劇場であった「ポリアンナ」の幸福探しって奴です。)これは、ちょっとした訓練だと思います。
で、washitaさんが「なぜ感情がそのように反応してしまうのか」ですが、
●幼少期の親兄弟などからの影響(意識下にお前はダメな子だ、努力しても無駄だ、という風に刷り込まれている)
●防御本能(ken33jpさんが書いてらっしゃいますが、敵わない相手と闘って負けた時が怖いから、逃げてしまっている。敗北恐怖症というか、ニヒリズムというか。)
●上昇志向が高すぎる、完璧主義過ぎる(防御本能とも似てますが、「完璧でないと、天才でないとダメだ」と思っているから、自分の小さな努力の積み重ねが無駄に思えて、結果が「今」出ていないとダメだと思ってしまっている。)
と、予測します。(あくまで予測です。気分を害されたらごめんなさい。)
「自分もできるでけがんばろう」の方が利益が大きいとお書きの所から推測して、上昇志向が高すぎるっていうのは、あるのではないかと思います。
もしそうなら、あせらなければいいんです。
カーネルサンダースが事業に成功したのは60歳過ぎてからです。
それにwashitaさんにだって、自分では気が付いてないだけで人から羨まれるような何かをお持ちかもしれません。
あと、ビニール袋の件ですが、もし私が海外にいればFBIやCIAからは依頼があるかもしれませんが、日本じゃ極めて役立たずです。なんか役に立てばいいんですけどね。
自殺遺伝子も存在するようなので、
自棄になるのは、防御本能だと思います。
ありがとうございます。
客観的に見れば、ぜんぜんかなわない相手がいる≠努力は無意味 だというのは明らかだと思うのです。
にもかかわらず自棄な気分になってしまうということは、何か本能的な作用があるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
すごいですね。
嗅覚を契機としたサイコメトリーみたいなもんでしょうか。
私にそんな能力があったら喜んで警察に入ってました。
幸せの基準に加え、「なぜ感情がそのように反応してしまうのか?」についてどう思われますか。
合理的に考えれば「自分もできるでけがんばろう」の方が利益が大きいのに、と思うのです。
ありがとうございます。
なぜ「負けた、かなわない」と思うかについてはそのとおりと思うのですが、そう思ったからといって、自分を投げ出す合理的な理由はないはずです。
にもかかわらずなぜ感情がそのように動いてしまうのかが、気になるのです。
他者と比べることで自分の価値を計ろうとしているから。
サヴァン症候群という病気があります。天才病っていうのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B...
何のご縁かしりませんが、私はこの病気らしき人に何人も会っています。
中学生の頃ですが、「今日は英語の勉強をするのだ!」と言うと、英和辞書を持ってきてAから一度ずつ文字をノートに書くと、全ての英単語を丸暗記できて、インド人もびっくりな計算を全部暗算でできて、日本中全ての駅名を言える男の子がいました。
でも日常はというと、電車の話しかしない、テスト中に駅のアナウンスの真似をし出して追い出される、国語のテストで「それは何を示すか」というような問題に対して「常磐線」とか電車関連の事しか書かない…という有様で、いじめの対象にもなっていました。
私は彼をいじめから助けてあげたことがあるのですが、お礼も言ってくれずに「今から山陽本線に乗るのだ!」と叫んで走って行ってしまったので、二度と助けませんでした。
他にも2人ぐらいサヴァン症候群とおぼしき超天才と会ったことがありますが、やっぱり学校生活には馴染めず、いじめの対象になってました。
何かに突出していても、人間、何か欠けるものもあるんだと思います。
スポーツ万能で成績優秀でモテモテの人でも、絵は下手かもしれないし、歌は下手かもしれません。
そしてそれをものすごいコンプレックスにしているかもしれません。
結局のところ、天才だろうと天才でなかろうと、本人が幸せになれるかどうかが問題だと思いますよ。あなたがアインシュタインより幸せなら、あなたの人生はアインシュタインより勝っていると言えます。
かくいう私も異常な能力がありまして、一定期間その場所に置かれたビニール袋やポリ袋の臭いを嗅ぐと、その置かれていた場所の様子が詳細にわかります。どんな土地か、どんな建物か、住居の場合は、おおまかな間取り、家具、そこから推定される家庭の生活レベル、家族構成などまでだいたいわかります。理由はわかりません。臭いでわかるんです。でもだからなんだ、って能力ですよね…
今のところ、この能力があったからと言って幸せになったとか、全然ないです。友達にキモがられただけです。
昔、いました。俺よりも成績もスポーツも上で女性にもモテて、しかもクラスの実権を握っていてそいつと喧嘩するとグループ全体からのけ者にされるというような奴。今でも夢に出てきます。でも芸術分野じゃそいつに絶対負けない自信があるし、裏で結構ひどい事もしてたんでそいつみたいになりたくないと思ってます。
努力することが大切だと教育されてきたので
努力することの無意味さをしると、
自暴自棄になる。
リンク先の板を読みましたが、天才の記述を読んだ時に天才の秀でている領域において自分は劣っているということに眼がいってしまいます。例えばIQだけに注目して「自分は劣っている」「到底かなわない」と感じて無力感を感じ、自分のIQ以外の側面や特徴に眼が行きにくくなってしまいます。このように考えの焦点を1つに絞られ、自分の多様性や特徴を見ることが出来なくなってしまうからではないでしょうか?
動物でたとえると、「顔が赤い方が勝ちの猿」とか「デコが広いから勝ちの猿」とか「青いものをいっぱい持ってる方が勝ちの鳥」とかがいます。
人間から見たら「赤いからなんやねん」って話ですが、猿にとちゃ大変な問題で、自分より赤い顔の猿をみたら「だめだ、こいつにはかなわない」と思って、服従するか、群れを去っていくそうです。
人間は言語でコミニケーションを取る生き物ですから、washitaさんが「天才」の話を聞いた時に、猿が自分より顔が赤い猿を見たのと同じ反応を示したのかもしれません。