話が噛み合わない事にイラッとする事はありませんか?


私は日常の中で、こういう場面に遭遇する事がとてもよくあります。
特に相手が自分が正しいと勘違いしている場面では耐え難い苦痛を感じ、TPOをわきまえずに衝突してしまう事もしばしばです。

あまりにも頻度が高いので、もしや自分が頓珍漢な事を言っているのかと思い、録音して確認してみたりもしましたが、どう客観的に考えても非はありませんでした。(ご回答はこれを前提にして下さい。)

しかしこのままではまともに社会生活を営めそうもありません。
例えば何か相手を生温かい目で見守ってあげられるような考え方など、
今後こういう場面に遭遇した時に、怒りを鎮める方法、
あるいは話の噛み合わない相手、勘違いしている相手とも上手く付き合っていける方法を教えてください。
真剣に悩んでいます。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 登録:
  • 終了:2008/05/04 07:40:02
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答21件)

id:soulja_boy No.1

回答回数2ベストアンサー獲得回数0

ポイント13pt

話がよく噛合わない(理解力に欠けてる)人と話す時は、まず伝えたい内容の中で相手の勘違いを引き起こしやすそうな部分を分析しておいて、その部分を普通の人よりもよりもっと詳しく説明したり、(嫌みを感じさせない程度に)連呼して強調するといいかもしれません。

また相手がせっかちで話を最後まで聞かない人なら、文書で内容を伝えるというのはどうでしょうか。

あと、意見のやり取りで反論をする場合、先にまず相手の意見を聞いてあげて、「あなたの意見もよくわかります。ですが」の様に相手側の意見もまずちゃんと理解していますという意思表示をしてからこちらの意見を述べると、相手が自分の話を聞きいれてくれる可能性が高くなるそうです。

id:redriver

>相手の勘違いを引き起こしやすそうな部分を分析しておいて、その部分を普通の人よりもよりもっと詳しく説明したり、(嫌みを感じさせない程度に)連呼して強調する

>文書で伝える

>Yes but法




ありがとうございました。

心の持ちようの方もお伺いしたいです。

2008/04/30 03:08:11
id:uml No.2

回答回数97ベストアンサー獲得回数2

ポイント13pt

今から2300年くらい前に同じような人が居ました。

その人は最終的に河に身投げしたそうです。

http://www.kougetsu.co.jp/tango-iware.htm

http://www.takaselect.com/sal/portrait/05-Kutugen.htm


漁父辞

「世の中はすべて濁っている中で、私独りが澄んでいる。人々すべて酔っている中で、私独りが醒めている。それゆえ追放されたのだ」


http://www.kanshin.com/keyword/740310

回答としては

「滄浪の水が澄んでいる時は、冠の紐を洗えばよい。

滄浪の水が濁ったのなら、自分の足を洗えばよい。」

という漁師の言葉を実践すべきでしょう。


ただ、

>特に相手が自分が正しいと勘違いしている場面では耐え難い苦痛を感じ、TPOをわきまえずに衝突してしまう事もしばしばです。

あなたは「自分が常に正しく相手が間違っている」と勘違いされているのです。

「相手」の部分を「redriverさん」に置き換えてみるといいでしょう。

id:redriver

少なくとも私は自分の正しさにいつも疑問を持つようにしています。

だから何とか建設的な対話をしたいのですが、ある種の相手とはそれができません。

ことわざを地でいくようで嫌なのですが、「世の中馬鹿ばっか」のように思っている節もあります。

まれにいる、同じように自分の正しさに疑問を持って、抑制的に話す人とはとても話がかみあいます。

要求しているレベルが高すぎるのでしょうか・・・。

2008/04/27 17:31:38
id:pooh_san No.3

回答回数89ベストアンサー獲得回数5

ポイント13pt

いますよね、ことごとく論点をはずしていく人。

そんな話してないでしょ、と思うこと、私もあります。

私の話し方が悪いのかな?と思ったけど、頭の回転の早い人とは

別に問題ないです。


つまり、話についてこれない人って思えばいいんですよ。

そうすればあまり腹も立たないかと。

そういう人には、論点だけ短めに言うと通じやすいですよね。

id:redriver

>私の話し方が悪いのかな?と思ったけど、頭の回転の早い人とは別に問題ないです。

棘が立つので、質問文には書かなかったのですが、まさにそういう事なのです。

しかし

>話についてこれない人って思えばいいんですよ。

そうすればあまり腹も立たないかと。

という受け流し方が私にはできなくて困っています。

話が噛み合わないのがこちら側だ、と思われていたり、侮られたりしているのが耐えられないのです。

未成熟なプライドが邪魔をしているんだと思います。

2008/04/27 17:35:11
id:masaboz No.4

回答回数122ベストアンサー獲得回数6

ポイント13pt

>話が噛み合わない事にイラッとする事はありませんか?

人間だからこそあるでしょう。私もあります。イラッとしない人間はいないと思います。


>私は日常の中で、こういう場面に遭遇する事がとてもよくあります。

>特に相手が自分が正しいと勘違いしている場面では耐え難い苦痛を感じ、

>TPOをわきまえずに衝突してしまう事もしばしばです。

人間は誰でも自分こそ絶対に正しいと思ってしまいます。自分から進んで謙虚な人間になれるよう努力をすれば、他人からどうされてもイラッとすることが少なくなるでしょう。心の余裕を持ったら良いでしょう。心の余裕を持つためには色々な考え方、あらゆる視点を持つことが大切だと思います。

松下幸之助氏や本田宗一郎氏などの哲学の本を読まれると、色々な考え方や、あらゆる視点が発見されると思います。成功者の多くに共通することは謙虚さです。また、たくさんの哲学を読んで自分の心をコントロールしていると思います。


>例えば何か相手を生温かい目で見守ってあげられるような考え方など、

>今後こういう場面に遭遇した時に、怒りを鎮める方法

自分の怒りを鎮める方法とすれば、デール・カーネギーの本を読むことをお薦めします。一度読むのではなく、何度も読みながら、それを少しずつ実践すれば良いでしょう。その方が効果的です。嘘みたいな話ですが、一度は試してみる価値はあるでしょう。

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

  • 作者: デール カーネギー Dale Carnegie 山口 博
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • メディア: 単行本

道は開ける 新装版

道は開ける 新装版

  • 作者: デール カーネギー Dale Carnegie 香山 晶
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • メディア: 単行本

>あるいは話の噛み合わない相手、勘違いしている相手とも上手く付き合っていける方法を教えてください。

無視することこそ相手との上手な付き合い方ではないでしょうか。無視するといっても、相手の目をそらしてはいけません。相手と話さなければ良いです。そうすれば相手もあなたに話すことはありません。挨拶程度で済ませましょう。そして、嫌いな相手とは絶対に自ら話題を交えてはいけません。仮に話題を交えるとしても、早く話を終わらせる話題にした方が良いと思います。相手の目をそらすような下手な無視の仕方は相手にも感情的になり、相手を怒らせてしまうだけでしょう。


そんな冷たい人間はどこの職場にもいるようです。これはある法則とかに伴ったみたいな感じです。解決しようがありません。「そういう人間もいるんだ」とか「神様は私に課題を与えるため敵対視してくる人間を用意してくれた。私はその与えられた課題を最善の方法で対策してみせるよ」とか楽観的や前向きな考え方で捉えると良いと思います。


相手を怒らせず相手を避けるような話題を交えながら、サッと身を引くことが賢い方法だと思います。あと、私は1人の味方を作るのに10人の敵を作っている。

id:redriver

>心の余裕を持ったら良い。心の余裕を持つためには色々な考え方、あらゆる視点を持つことが大切。

>自分の怒りを鎮める方法とすれば、デール・カーネギーの本を読むことをお薦め

2008/04/27 18:05:47
id:hirok0829 No.5

回答回数10ベストアンサー獲得回数1

ポイント13pt

あなたの文を読んで2点気になりました。


>>衝突することがとてもよくある

合わない人と言うのは必ず存在しますがそこまで多いとは私は思いません。

>>このままでは社会生活が営めそうもない

ここまで思わせると言うことは本当によく衝突するのでしょうね。


以上の2点を挙げあなたの怒りの沸点が低いと感じ(実際どうかは知りませんが)

この文を読んであなたに非が無いという前提を私はできません。


録音したものを自分で聞いていては頓珍漢なことを言っているのかどうかはわからないのでは?

録音したものをどなたか話題の外にいる友人や親など数人に聞いてもらう事によって

お話されている内容が頓珍漢なのかそうでないのか初めてわかるのではないでしょうか?


納得できない場合のアドバイスとしては

・話のかみ合わない相手と思い込まない。順序立ててゆっくり聞く(話合いなら特に)

・相手は勘違いしていると思わない。相手の論理に耳を傾ける

ですかね。

id:redriver

>話のかみ合わない相手と思い込まない。順序立ててゆっくり聞く(話合いなら特に)

>相手は勘違いしていると思わない。相手の論理に耳を傾ける



ありがとうございます。

腑に落ちるアドバイスでした。



なお私の怒りの沸点はご指摘の通り低いです。

しかし怒りを抑える、あるいは怒りが沸かないようにする心の持ちようの話と、

話が噛み合わない非がどちらにあるのか、というのは全く別の話です。

だから私は

・噛み合わない人とも噛み合わせる方法と

・心穏やかに過ごす方法

の2点を求めています。

2008/04/30 03:09:18
id:Im_Me No.6

回答回数301ベストアンサー獲得回数6

ポイント13pt

まず最初に、そういう人は「絶対にどうにもならない」(変わらない)という事を大前提に考えてください。

そして、あなたも自分に非を見つけられないという以上、相手と同じタイプ可能性もあります。

どんな場合でも、100パーセント相容れない場合には、双方に問題があるからです(受け流せない、も問題です。双方が「俺が俺が」の結果ですから)

そういう場合には、1:1から逃れる必要があります。


当事者が100パーセント客観的に見る・考えることは不可能です。

まずは、録音した内容を第三者に聞いてもらい、相手に非があるか、ではなく、自分がどうすればいいか、というアドバイスをもらってみてください。

(※相手をどう思うか、といった切り口ではダメです。あくまで、あなたに対するアドバイスをもらう、という状況にしてください。

 第三者でもあなたの知り合いである以上、客観的になれないので、できるだけ立場を中立にするためのバイアスをかけるためです)

そこで、その第三者が「あなたにやれる事はない」(非がない)と言ったのなら、それがスタートです。

※もちろん、それをはてなでやっても構いません。

ここで、あなたは「精神的な共感者」を得られます。

もしあなたに十分な余裕ができたら、「生温かい目」はこの時点でクリアすると思います。

クリアできなければ、まだ「自分に対する信頼や安心感、余裕」が不足しているという事ですよね。


もしそうであれば、同じ事を、今度はできるだけそれを問題の事柄に近い人に行います。

職場なら同僚や上司、家庭内なら当事者以外の身内です。

そこであなたに非がある、と言われたらそれを50パーセントくらいの重さで受け入れ、反省します。

言われた「事柄」に対しては100パーセント受け入れる必要がありますが、100パーセント自分の責任だと背負いこまなくてもいい、という意味です。

近い人から、具体的なアドバイスをもらえる事で、関係は改善するはずです。

もし、そこでも非がないと言われたら、その人はあなたの「実質的(立場的)な味方」となります。

今度はその人を有効に利用するように動きます。

(話をするときは必ず1:1にならないようにするなど。)


ただ、

>私は日常の中で、こういう場面に遭遇する事がとてもよくあります

が、ものすごくひっかかります。

相手が一人二人ならば、それは単に「あなたと折り合い(意見)が合わない」だけなので、上記の方法で解決できますが、

それ以上いるならば、根本的にあなた自身の考え方や立場を改善する必要があるかもしれません。

相手がすべて会社の人間です、とか、全員身内です、ということであれば閉鎖的な関係の中で、「あなただけが嫌われ者」の可能性もあるので、

みんなが「あなただけが間違っている」という感じ方や対応をしている可能もあります。

(先に書いた方法を、相手が実践して、共感を得ているとも言えます。)

そういった場合は、少し距離を置いて、「誰(何)が正しいか」ではなく、何が一番円滑に進むか(効率、利益、リスク)という面で物事を見てはいかがでしょうか。

その中にはあなた自身が不快感を覚え、イライラする、というマイナス面を軽減する、という目的も含まれます。

手法や目的が間違っていても、イライラしない方が得策ならば、そうできるはずです。

その時だけ「はいはい」と言っておいて、実際は自分の信念に沿った行動をしてバっくれるとか。(本当にあなたが正しければ問題は生じません)

後で問題になる事を分かっててもあえて、相手の言う事に従っておいて、相手が間違っていたことを相手自身に感じさせる、など。

家を出る、あるいは会社を辞めるのも、「自分が正しいからこそ身を引ける」と考えれば、堂々とできることですよね。

会社なら辞めなくてもプロジェクトから外れる、という選択肢もあるはずです。


最初にも書きましたが、相手は絶対に変わりません。

変わることや受け流すができるのは「正しい」という信念と自信を持つことができる「自分」だけです。

ただどんな事でも、一人相撲では、客観性に欠けますし、何よりさみしいので、まずは「仲間」を作ってください。

あなたの非をみつけてくれる親友が一番ですが、そうではなくて共感してくれるだけの相手でも、随分精神的に助かるはずです。

id:redriver

>そういう人は「絶対にどうにもならない」(変わらない)という事を大前提に考える

>第三者に、相手に非があるか、ではなく、自分がどうすればいいか、というアドバイスをもらう。相手をどう思うか、といった切り口ではダメ。あくまで、自分に対するアドバイスをもらう、という状況にする。

>自分に非がないという事を第3者に確認してもらうだけで、精神的な余裕が生まれる。自分の非をみつけてくれる親友が一番だが、そうではなくて共感してくれるだけの相手でも、随分精神的に助かる。

>自分に非がある、と言われたらそれを50パーセントくらいの重さで受け入れ、反省する。言われた「事柄」に対しては100パーセント受け入れる必要があるが、100パーセント自分の責任だと背負いこまなくてもいい。

>少し距離を置いて、「誰(何)が正しいか」ではなく、何が一番円滑に進むか(効率、利益、リスク)という面で物事を見てみる

>変わることや受け流すができるのは「正しい」という信念と自信を持つことができる「自分」だけ



とても考えさせられました。

ありがとうございます。

再質問させていただきたいのですが、

例えばアインシュタインのような天才が、「世の中馬鹿ばっかり。誰も理解してくれない」というように思っていたとしたら、それは正当な評価であると思います。

このような状況で彼はどうやって精神的な健全さを保つ事ができるでしょうか。

やはり解決策は同じく、「共感してくれる仲間を見つける」事でしょうか。

圧倒的に少ない理解者という世界で、精神的な健全さというのは保てるものなのか、教えてください。

2008/04/27 18:30:22
id:MiddleBoy No.7

回答回数18ベストアンサー獲得回数0

ポイント13pt

貴方の方には全く非がない=>前提

以上を踏まえて回答申し上げます。


貴方の方には全く非がない

ということは

相手側のコミュニケーション能力が不足している

これが紛れもない事実です。

したがって、貴方が望むコミュニケーション能力レベルの人でないかぎり

話が噛み合わず、毎度毎度イラッとする

この繰り返しになるわけです

その苛立たしさから脱するための方法を問うているわけですから

その答えは誠に単純明快です。

相手を人間として見ているからこそ、

貴方が望むコミュニケーション能力を暗に要求しているからこそ

それが満たされなかった場合に、苛立つわけです。

したがって、この問題の解決方法は以下の二点に要約されます

1:相手を人間と看做さない(犬か猫だと思って接する)

2:相手とのコミュニケーションを期待しない

1:の詳細

犬猫にこちらの意志を伝えたいときはノンバーバルなコミュニュケーション能力を要求される

分かってくれる犬猫もいるが何度トライしても分からない馬鹿犬馬鹿猫もいる

馬鹿犬馬鹿猫だとわかったら、賢明な人間はそれ以上要求しないでそれなりの対応をするはず

人として言葉を発し言葉を解する能力のある者が貴方の伝えたいことを解せないということは犬猫レベルの能力、いや賢いわんちゃんより劣ると看做さなければならないのです。

そうすればむやみに苛立つことはなくなります。

2;の詳細

そのれいようなレベルの人間と関わることが時間とエネルギーのロスです。

省エネ省エネと叫ばれている昨今、このような無駄なことはなるべく避けるべきではないでしょうか。

したがって、相手の読解力を全く期待することなく、貴方の伝えたいことをまくし立てるだけで終わりにすればいいのです。

その際、忘れていけないことは文書にして残すことです。原本を相手に渡し、控えはとっておきます。

そうすれば、『いったいわない騒動』はなくなります。

以上、私が実際に実践している内容です。

経験者は語る

でした。

id:redriver

>貴方が望むコミュニケーション能力を暗に要求しているからこそそれが満たされなかった場合に、苛立つ


と改めて指摘されてみるだけで、少し許容範囲が広がった気がします。


私が目指している方向性がら、

>1:相手を人間と看做さない(犬か猫だと思って接する)

>2:相手とのコミュニケーションを期待しない


という世界に没頭するわけにもいかず、だから悩んでいます。

実践してみた事もありますが、すごく寂しかったですし。

2008/04/30 03:10:18
id:aoikisha No.8

回答回数62ベストアンサー獲得回数3

ポイント13pt

人の性格というのは様々ですね。長所があって短所もあります。自身はどちらかと言えば短気でした。それゆえに若いときは相手に突っかかっていって衝突したこともよくありました。ゆえにイライラするという気持ちはよく分かります。

自身のこれまでの経過を振り返って提案とさせていただきたいと思っています。

ひどく正義感が強かった、こうと決めたらそれ一本槍でいくという傾向でした。物事を多視点で見るということに欠いていたように思います。自分が正しいと思うゆえにぶつかって来る相手にも激しく当たりました。

情熱的でもありました。ついやりとりをしている人とのそれが世界全部だと思ってしまうようなことがありました。一歩退いて、身を引いて考えると楽だったなと感じます。

 いなし方を知らなかったように思います。直球が来ると直球を返す。今となって思うと、カーブやスライダーなどという変化球も悪くないと思うのです。

 大事なことは議論している場面だけが取り出されていますが、その前後の日常の人と人とのコミュニケーションも大事ですね。ふだんのあいさつとかちょっとした会話ができていると議論でもそう尖らないものです。

真面目であり、誠実な方だと思うのです。それゆえに却って衝突してしまう。①一歩退いて物事を見る。②物には様々な見方あるという柔軟さも必要かなあと。③日常のリラックスも大事、ちょっとした普段の会話も大切。④かくあらねばならないという狭い穴に自分を閉じこめない。⑤肩の力を抜くことですね。ときとして笑う。だいぶ楽になります。 自分のこれまでのことを振り返っての提言です。

id:redriver

>前後の日常の人と人とのコミュニケーションも大事ですね。ふだんのあいさつとかちょっとした会話ができていると議論でもそう尖らないもの

>かくあらねばならないという狭い穴に自分を閉じこめない。




>真面目であり、誠実な方だと思う

と言っていただけただけで少し楽になりました。

共感を得る事の効用でしょうか。

物には様々な見方があっても、真実がひとつである事もまた多く、

真実に誠実であろうとすると、衝突は避けられません。

真実と和の2択であれば、辛くとも真実を選びたいと私は思うのですが、

これを2択にしない解決策があるのではないか、ともがいています。

2008/04/27 18:43:28
id:donpei No.9

回答回数437ベストアンサー獲得回数3

ポイント12pt

話しがかみ合わないとはどういうことでしょうか

あなたの質問に対して、意図した答えが返ってこないと言うことでしょうか

もしくは、話しの進んでいく方向が自分と違うと言うことでしょうか


まず人とはかみ合わないものと思うべきじゃないですか

かみ合ったら、ラッキーと思っていれば、わざわざそんなことで悩まないですよ。

その上で、どうしたらかみ合うかを考えながら話していたら、いつの間にかかみ合うようになりますよ。

色々な人と話をしていると、段々と合わせ方が上手くなっていきます。

頑張ってください

id:redriver

>人とはかみ合わないものと思うべきじゃないですか

かみ合ったら、ラッキーと思っていれば、わざわざそんなことで悩まない


コロンブス!

そうか・・・

2008/04/28 04:18:02
id:adonesu No.10

回答回数3ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

人の会話は、その状況で求められる中身は異なります

発表や議論といった状況ならば真実を求める状況もあります

しかし、日常の会話という状況なら変わってきます

会話の本質は交流であって、それを円滑に行えるような会話が求められているのではないしょうか

文章を見る限りでは、質問主さんのコミュニケーション能力が欠如していると判断してしまいます

自分の発言で相手がどう反応するか推察することはできるはずです

   

何か相手を生温かい目で見守ってあげられるような考え方を教えてくれという文章からも違和感を感じます

そのほかにも質問主さんの質問と回答の文章の節々から、相手を見下してる気持ちが溢れています

間違いの指摘するという行為は、必ずしも衝突という結果を招くものではありません

そのような結果になるのは質問主さんの会話から、そのような気持ちが読み取れるのではないでしょうか?

それならば、たとえ衝突しなくても上手く付き合うことはできないと思います

   

自分の発言の正しさだけを追い求めるのではなく、その発言で相手がどう考えるかを考えて会話するといいと思います

相手だけではなく、あなた自身の人生も豊かにしてくれるはずです

id:redriver

おっしゃる通り私は相手を見下しています。

流石にストレートには書けませんでしたが、これが伝わらない事には意味のない質問になってしまうので、隠そうともしませんでした。


補足させていただきますと、相手を見下しでもしなければやってられないのです。

私は子供の頃からずっと同じような状況におかれており、私と話が噛み合うのは先生を含めて非常に少ない人たちでした。

友達はほとんどいませんでしたし、イジメにもあっていました。

ここで取り得る心の防御策は、自己改造か自己肯定かの2つです。

しかしほとんどあらゆる事柄について、合理的な回答が返ってきたことがなく、自己改造をするとっかかりとなる自分の過ちを見つけることが出来ませんでした。

いま振り返ってみても、自分の主張に過ちはなかったと思います。

素性が明らかになるので書けませんが、誰しもに納得していただけるような、自分の客観的分析力を裏付ける特に著しい実績もあります。


どう自問しても自分の正しさを確信してしまった私は、自分を守るために自己肯定する事にしました。

それがつまり、「馬鹿な周囲と賢い自分」という構図です。

鼻持ちならない人間になるという代償を払った代わりに、とにかく自分を守る事には成功したわけです。


時は流れ大人になった私は、少し丸くなりました。

自分の能力を裏付ける実績を手に入れた事で、「鼻持ちならない」態度をとらずとも、余裕が出てきました。

それでも根本的な周囲に対する不信感や被害者感情は払拭できていません。


実は私は日本人が嫌いです。

このように話が噛み合わない割り合いは日本人が飛びぬけて多いからです。

他の先進国の人間や、発展途上国でもインテリ層とは話が気持ちよく噛み合います。

そこで私はとても救われた気持ちになるのと同時に、被害者意識をさらに強くしました。


>発表や議論といった状況ならば真実を求める状況もあります

しかし、日常の会話という状況なら変わってきます

会話の本質は交流であって、それを円滑に行えるような会話が求められているのではないしょうか


この見解はおそらく日本人のマジョリティであろうと思います。

しかし真実の追究と交流はそもそも2択ではないのであって、意見の相違があっても建設的なお話をできる方とはぶつかりません。


お互いの意見の相違点を見出し、どこからその相違が生まれているのか、正しいのはどちらか、あるいはどちらも間違っているのか、などを探っていく。

そうやって切磋琢磨する会話は実に楽しいものです。

その内容が例えばパンとごはんのどちらが朝食にふさわしいか、というようなくだらなく、およそ答えが出そうにないものでさえ、生活を彩ってくれます。

そして自分の見解を変えさせられるような知見を得る折々に私は幸せを感じます。

本当のコミュニケーションとはそうしたものではないのでしょうか。


・・・では日本を出ていけばいい、なんて言わないでください。

今の私は日本以外に生活の術がありませんので、なんとか折り合いをつけられる方法を模索しています。

2008/04/28 04:46:04
id:bannork No.11

回答回数36ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

私もNo.9の方に1票。

人間同士に、考えを完全に「共有」する事は不可能だと思っています。

「人とは、かみ合わないもの」というのは大前提です。

それをふまえた上で、ひとつのテクニックとして、

社会生活の中でイラッとせずに生きていく方法を身に着けるべきです。

多分まだそのテクニックをあなたは持っていないんだと思う。

What You Can't Say



>圧倒的に少ない理解者という世界で、精神的な健全さというのは保てるものなのか、教えてください。



保てます。

あなたは(多かれ少なかれ)マイノリティなんだろうと思うんですが

自分がマイノリティである事を、もっと喜んだ方がいいです。

多数決の世の中だけど、その世の中という世界に染まる必要も、認められる必要もありません。

あなたさえ認めていればそれでいい。

そのことが心底わかれば、たとえ誰にも理解してもらえなくても生きていけます。

「考えは共有できない」=「自分を100%理解できる人はどこにもいない」


私なんて、自分でさえ自分の事理解できませんよ^^;

それぐらい、「理解」なんて錯覚みたいなもんだと思っています。

id:redriver

>「人とは、かみ合わないもの」というのは大前提です。

それをふまえた上で、ひとつのテクニックとして、

社会生活の中でイラッとせずに生きていく方法を身に着けるべきです。

多分まだそのテクニックをあなたは持っていないんだと思う。


>自分がマイノリティである事を、もっと喜んだ方がいい


そうですね。

そうだと思います。

それでも、噛み合う人は確かにいるわけで、

という事は、幻想だとしても理解を産み出す言葉はあるわけで、

私が相手よりも優れているだけでなく、飛び抜けて優れていれば、

伝わる言葉を産み出せるのではないか、とも思うのです。

私の大願を成し遂げるためには、多くの人の共感がかかせないので、

「諦めてしまう」というアプローチをそのまま実行するわけにはいきませんが、

異端者が常に噛み合わないものだ、という自然現象を受け入れた上でなら、

もっと上手く戦えるような気もします。



URL本当にありがとうございました。

救われました。

2008/04/28 04:24:06
id:adlib No.12

回答回数3160ベストアンサー獲得回数243

ポイント12pt

 

 記憶の進化 ~ 過去の対話を再分析する ~

 

 わたしは30分のスピーチを約6000字に要約したり、約2時間の対話

を、十回以上聞きかえして、約6000字にリライトしたことがあります。

(外国人相手では、通訳の時間を差引くので、半分以下になりますが)

 

 録音直後と、公開以後の印象が異なり、さらに数年後、十数年後には、

あらたな情報も加わります。あのジョークは、かくかくの出典があって、

あの話題には、不快な記憶があったのだ、などという発見です。

 

 ヒトの反応は、論理的必然よりも、心理的深層に支配されるようです。

 したがって、不利な情報を過小評価して聞きのがしたり、有利な情報

を過大評価する習性があるのです。

 

 もちろん、当の相手に対して、釈明することは叶いませんが、現在の

対話にも、思いがけない背景が潜在することを自戒するために、つぎの

ような比喩とともに、機会あるごとに回想しています。

 

1.将棋を指してみる。

 

 弱い相手と指せば、自分が強く思える。

 強い相手と指せば、自分が弱く思える。

 悪手が敗因であり、弱いから負けるのではない。

 

2.子供を育ててみる。

 

 優れた教師は、愚かな子供も愛することができる。

 愚かな父親も、優れた子供を育てることができる。

 優れた子供は、愚かな教師から学ぶこともできる。

 

3.ブタに教えてみる。

 

 ブタは約10分で飽きるので、休み休み教えなければならない。

 ブタはヒトを調教できないが、優れたヒトだけがブタを調教できる。

 調教されたブタは、調教師を養うことができるが、寿命は短い。

 

4.過去はてな回答より。

 

 わたしは、ふだんから“書くように話す”ことを心がけています。

http://q.hatena.ne.jp/1156407204#a594801

 対話録

 

 議論に勝つと(負けた相手を)説得できない。

http://q.hatena.ne.jp/1191313930#a765234

 吉野家説法 ~ はやい、うまい、正しい ~

 

id:redriver

>ヒトの反応は、論理的必然よりも、心理的深層に支配される。

したがって、不利な情報を過小評価して聞きのがしたり、有利な情報を過大評価する習性がある。現在の対話にも、思いがけない背景が潜在する。



>誰かの意見に、いちはやく矛盾を発見して、異議をとなえる人は、味方には丁宝されますが、相手方には憎まれる。

(はじめ一言おわり二言、かならず相手をおだてるのがコツ)


現在の対話にも、思いがけない背景が潜在することを自戒する

現在の対話にも、思いがけない背景が潜在することを自戒する

現在の対話にも、思いがけない背景が潜在することを自戒する


そうか・・・。

比喩が脳に刺激的ですね。

参りました。

これはどこからの引用でしょうか?


議論に勝つと(負けた相手を)説得できないのは、日本人特有に近い症状にも思います。

私は反面教師にするように心がけています。

私に言わせれば朝生は議論の体を為していません。

司会者の責によるところが大きいのですが、サンプルとしては劣悪に過ぎないでしょうか。

2008/04/28 04:24:33
id:adonesu No.13

回答回数3ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

No10の者です

せっかく長いレスを頂いたので、もう一度書き込むことにしました

レスから感じたことは

質問主とって、私が回答したようなコミュニケーション手段に変えるということは

質問主さんが定義する「馬鹿な周囲」と「嫌っている日本人」の一員になってしまうことで、許容できないということでしょうか?

しかし、そのコミュニケーション手段を用いてる限り「馬鹿な周囲」とはうまく付き合うことはできません

自分を馬鹿にしている人を快く思う人はいないからです

うまく付き合うことはできなくても、衝突は防ぐことはできます

それが、もう一つの質問である怒りを鎮める方法等なのでしょう

この方法については他の回答者さんがたくさん回答してるので省きます

  

質問主さんは自身の性質について悩み、よく把握されているように見えます

自身の性質を変えるのではなく、周りの環境を居心地がよくなるように変えるように努力してみてはどうでしょうか

質問主さんにとっての「馬鹿な周囲」の枠から外れる人は数が少ないとはいえ

存在するようですので活動範囲を広げて、そのような方たちと多く出会えるようにしたらいいと感じます

それが日本人である必要はまったくないと思います

id:redriver

再回答ありがとうございます。

No10のお返事は少し改訂しました。

あるいはよりご理解いただけるかもしれません。

>自分を馬鹿にしている人を快く思う人はいない

おっしゃる通りだと思います。

しかし実のところ馬鹿にされているのは私の方で、それはどう考えても不当なものだと思うのです。

やはり「日本では」、という冠がつきますが。

この国では人と違う事はもっぱら嘲笑の対象で、居心地が悪いです。

こんな状況で精神的健全さを保とうとすると、馬鹿に仕返すくらいしかできる事がありませんでした。


>コミュニケーション手段に変えるということは質問主さんが定義する「馬鹿な周囲」と「嫌っている日本人」の一員になってしまうことで、許容できないということでしょうか?

正しいと思えない事を実行するのは、孤立する事に増して苦痛なのです。

おっしゃるようなコミュニケーション手段を取る事が正しいと納得させていただけるなら、心から歓迎します。

むしろ自分に過ちがある、という結論の方が私にとっては希望があります。

考えを改めさえすれば、現状が改善するという事ですから。


>活動範囲を広げて、そのような方たちと多く出会えるように

はしてみたところ、結局付き合う人を選ぶようになってしまって、すっきりしませんでした。

すごく楽ではあるのですが、自分の幅を狭める事になりますし、逃げていてはビジネスシーンなどでの応用もききません。



>自身の性質を変えるのではなく、周りの環境を居心地がよくなるように変えるように努力してみる


とても参考になりました。

勝手に換言させていただくと、

「自分の苦痛を和らげるためでなく、周りの快のために貢献する」

という事でしょうか。

この考え方は素敵ですね。

幸せになれそうな方向性だと思います。

早速、実践します。

2008/04/28 05:19:16
id:Im_Me No.14

回答回数301ベストアンサー獲得回数6

ポイント12pt

再質問をいただきましたので、もう少し書きます。

アインシュタインの手紙


「正しいか、正しくないか」よりも、アインシュタインも「自分の利害」を優先したと、はっきり言っています。

「物事の正しさ」と、それを実行(主張)した「結果の正しさ」は全く異なるのではないでしょうか。

また、結果の正しさというのは利害によって、ま逆になる事もあるのです。

あなたの主張する正しさに、相手が「理解・賛同」する事が、本当に「正しい結果」を生むのか、相手の立場、心情に立って考えてみるのもよいかもしれません。


「世の中馬鹿ばっかり。誰も理解してくれない」

という事ですが、もしもあなたが「正」であるならば「誰も理解してくれない」という言葉を正しく言うと

「自分にとって”(ビジネスや精神面で)優位”な相手が同意してくれない」

という事ではないでしょうか。

「(私を)理解してくれない世の中は、馬鹿だ」

、と我に籠ることで、アイデンティティは保護されますが、

結局逃げである事は自分が一番分かっています。

(だからこそ、世の中を馬鹿だと定義づけしたがる)

それは、精神的な健全さとはほど遠いでしょう。

自ら、自分が認められない事を唯一のアイデンティティにしてしまってるのですから。

(あなたが理解できないような輩があなたを理解してしまったら即崩壊します)



しかし、レスを見る限り、どうやら、それは「日本人」という非常に狭い視野において感じられる事象のようです。

所謂「海外かぶれ」に良くある傾向ですが、行動範囲や交際範囲、あるいはコミュニケーションの限られた「異邦人・客人」状態では、「海外」は「日本」に比べて自分を即受け入れてくれる天国に見えるようです。

けれど、そういう人は自分が少しでも否定されることで、多様性を拒絶されたと勘違いしがちです。(拒絶することも、相手にとっては主張である事を受け入れられない。相手の多様性を見る目が持てない)

損得勘定が芽生え、人間関係や職場関係の利害、立場が複雑になれば、国内でも海外でも同じです。むしろ、関係の薄い海外の方が利害・無関係というバイアスが強いともいえます。

視野や付き合う範囲が広くなれば「日本人は~」という言葉は生まれないはずです。

また、そうした、先入観が「イライラ」や「TPOを考えない行動」に結びついてしまうのではないでしょうか。(「だから日本人は~」という固定観念が意思の疎通を最初から阻害している)


私は技術の人間ですが、立場上、同じ技術の人間よりも、畑違いの人間と話をする事が多いです。

彼らはほぼ、こちらの言う事を理解しません。あるいは、できません。

けれど、私も売る事しか考えない営業や、17時に帰る事と書類の体裁しか考えていない公務員に、自分の主張を理解してもらおうなどと、微塵にも思っていません。

正しい事を聞き、理解する事が、彼らにとって何の利にもならない事を知っているからです。

そこに健全さはないかもしれません。

しかし、エンジニアである以上、建設的なゴールを目指しています。

全てを理解し、話を噛み合わせる必要などまったくありません。

双方の目的が一緒であればこそ、行程が花景色ではなくトンネルであったとしても、何の問題もないのですから。

大切なのは、双方の「利」を認識し(できればお互いが、できなければ自分のみでも)双方の譲れないラインを知る事です。

イラっとしても、それらが守られれば、関係は保つことができるはずです。

そして、余裕ができれば、相手に少しづつ景色を見せてあげる事もできたりします。

(勿論、それがコントロールできるのは、こちらが真実を知っているからです)



精神的に健全でいられるかどうかは、多少イライラしようが、他者(異なるアイデンティティ)と接しているかどうか、ではないでしょうか。

極端に言うなら「私の事を世の中すべての人間が理解している」というのも、かなーり病んでいると思います。

理解(賛同)されるかされないか、ではなく、相手も、自分も、多様性や意見を「そういう考えもあるんだ」と受け入れ、戦う、あるいは受け流す事ができる事が、精神的な健全さだと思います。

真の理解者というのは、賛同者とはまったく次元が異なる物ですから。

(ことごとく主張や意見が異なっても、そのベクトルが同じであれば、”噛み合わない”が故の”イラっ”とはしないはずなんです)


その場合に「私は引くことができない」というのもアリだと思います。

けれど、それは「私が正しいから」ではなく、「求めるゴールにたどり着くために」でなくてはならないと思います。

問答自体が目的でないかぎり、それは異なるもののはずですから。

id:redriver

うーん、このご回答が正に「噛み合っていない」のです。

どう噛み合っていないのか、ご提示しようとしたのですが、おそろしく長文になる上、ご親切を仇で返すような文章にしかなりそうもなく、挫折しました。

それでも1つ、短くご指摘できそうなところがあったので挙げてみます。


>所謂「海外かぶれ」に良くある傾向ですが、行動範囲や交際範囲、あるいはコミュニケーションの限られた「異邦人・客人」状態では、「海外」は「日本」に比べて自分を即受け入れてくれる天国に見えるようです。


ここです。

海外の例を出すと殆ど脊髄反射的に、多くの日本人から返ってくるお答えがこれなんです。

ご見解自体、少なくとも私に当てはまる事実ではないのですが、論点が違うのでそれは措くとして。

この1節から2つの噛み合ってない点が読み取れます。

1つは私が「海外では話が噛み合う事が多い」と例示しているのに対してあなたは「異邦人・客人だから自分を受け入れてもらっていると勘違いしやすいのだ」と論じているところです。

仮にこの意見が真だとしても、話が噛み合う理由にはなり得ません。

よって主張に意味がありません。

2つ目は私が日本と海外との対比から日本の特殊性を訴えているのに対して、「海外かぶれ」とメタゲームを仕掛けている点です。

私に対する正当な反論は、「日本が特殊とは言えない」と主張する具体論であって、それは後に続く


>損得勘定が芽生え、人間関係や職場関係の利害、立場が複雑になれば、国内でも海外でも同じです。むしろ、関係の薄い海外の方が利害・無関係というバイアスが強いともいえます。


では役割を果たしていません。

私は意見の違いに悩んでいるのではなく、こうした話の噛み合わなさについて悩んでいます。

同じような事が日常の会話の中でよくあり、重症の人には指摘しても理解してもらえません。

2008/04/30 09:27:18
id:ryota11 No.15

回答回数174ベストアンサー獲得回数12

ポイント12pt

少し「どうでもいい」と思ってみてはどうなんでしょうかね。

人生がとか、世界がとか・・・絶望するということではなく、

自分にとって損害のないことについての意見をイチイチ熱く語って押し通そうとすることをやめるということです。


相手が正しかろうと、自分が正しかろうと、人生にも世の中にもさして影響はありませんよ。

意見が食い違ったらとりあえず、そうですね、と折れておけばいいんです。

それで万事うまくいきますから。


それでもどうしても譲れないというテーマ・ジャンルはあると思いますので、

そこは熱くいきましょう。

本当に全部YESはかっこわるいですからね。

ほとんどのことが「ここは譲れない」と感じてしまうようなら、それは性格上問題があるので、素直に直せばいいと思います。

繰り返しますが、そういうのは明らかによくない性格です。


正しいことを言う、間違っていることを言う、というのは知識の問題ですよね。

人は自分が正しいことを言っていると思われることが好きらしいので、

相手が間違っていようが、正しかろうが、全部そうですねー、すごいですねー

といっときゃいいんです。



【ここから暴走しますよ】

正直、正しいことを言っているやつほどつまんないやつはいないし、

かっこわるいですよ。


はぁ?なに正しいこといってんの?と思います。

つまんねー、正しいことは正しいんだから、いちいち言わなくていいよ。。。という感じです。

まぁそう思っても、そうだねー、と言っておけばいいのです。

それは自分の腹の虫がおさまらないから無理というなら、あなたもバカのひとりなんじゃないですか。

自分の意見押し通してスッキリとかwww笑っちゃいますね。。


↓はい、ここで「どうでもいい」と思って、「そうですねー」という練習をしてみましょう!!!


というくだらないレスでした。

ポイント結構です。

id:redriver

ハードル高い・・・。

2008/04/30 08:38:48
id:longview No.16

回答回数34ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

僕もけっこう我が強いのでおっしゃりたいことはよくわかります。

僕の場合ですが、

自分を通す場合の条件を決めています。

例えば、

「相手が間違ったままだと、自分が不利益を被る場合は自分を通す」

それ以外の場合は、多少は自分が折れる。

その時、「自分に害はないから彼(彼女)がそう思うなら、

一回失敗すればいいよ。(そうすれば自分の意見を聞いてくれるかも?)」とたまに思います。(特に嫌いな人)

自分で書いていて冷たい人間だな、と思いますが…。

まぁ衝突するよりはいいかと。

自分も含めて、誰しも人の意見を聞く時と聞かない時がありますから。。。

あとは、自分の正しさを主張するよりも

衝突する方が面倒くさいと思うことも最近は多いです。

id:redriver

私もあなたのおっしゃりたい事はよく理解できるのですが、質問の意図とは異なります。

が、意見を聞かない事、聞いても理解できない事、理解しようとしない事、理解はしたが結論が異なる事、理解のための対話が噛み合わない事

という本来それぞれ別個の問題が、同一に近い原因のような気もしており、

また「自省しない相手」に対する苛立ちは、あなたと共有していると思います。

2008/04/30 09:18:27
id:practicalscheme No.17

回答回数157ベストアンサー獲得回数42

ポイント12pt

サブテキストに注意してみるというのはどうでしょう。

これは演劇用語なんですが、近現代のシナリオにおいては「語られているせりふの内容」と「それを語っている人物が本当に伝えたいこと」は一致しないというのが普通のことで、後者をサブテキストと呼びます。なぜそんなふうにシナリオが書かれるかというと、その方がリアルだからです。日常生活において、その人が本当に伝えたいことと、その人が話す内容の字面の意味とが乖離していることはごく普通のことです。会話の内容では理屈を通しているはずなのにどうしても噛み合わないことがあるならば、サブテキストレベルでお互いの意図が全然違う方向を向いているせいかもしれません。

ありがちな例ですが、相手が高圧的に「お前の意見は理想論だ。現場はそんなふうには動かない」とあなたの意見を頭ごなしに否定してくる場合、そのサブテキストは「今までと違うやり方をするのは怖いんだ。これまで必死に得た経験と地位を離れたくはない」かもしれません。あるいは同じ会話内容でも、「俺はお前のその生真面目さが、現実の不条理に直面して折れてしまわないか心配だ」かもしれません。「俺は正直、お前と俺のどっちが正しいかなんて関心がない。ただお前の振る舞いが癪にさわるからちょっと絡んでお灸を据えてやろう」かもしれません。複数のサブテキストが多層的に絡み合っているかもしれません。人は普通、多層的なコミュニケーションをほとんど意識せずに半ば自動的に行うので、言ってる本人がサブテキストに気づいていないこともあります(というより、私の経験上、気づいていないことがほとんどです。自分を含めて)。肉親同士の間ですら、会話から何十年も経てようやく相手の意図が理解できることがあります。

したがって処世術としては、会話は会話でこなしながら、もう一人の自分を置いて、相手がそういう発言をする意図は何だろうということを考えてみる、ということになります。客観的な意見を述べているようでいて相手をコントロールしようとしている、ということは非常に多いです。また、攻撃的な場合は、何かを守りたがっていることも多いです。相手の意図がコントロールにあるなら、yes but法でうまく躱すとか、そこを譲ってもあなたの目的が達成されるなら今回は相手の意図どおりに動いてみるとか、譲れないところでははっきり「あなたは私に○○させたがっているようですが私はそこは譲れません」と言い切るといった対応になるでしょう。相手が何かを守りたがっているのなら、あなたの意見を受け入れることは必ずしもそれを傷つけるものではないよ、というサブテキストを織り込んでみるという方法もあるかもしれません。

もうひとつ、怒りは「自分自身のサブテキスト」を知るとても有用なシグナルです。自分が潜在的に触れてほしくないと思っていることに触れられたり、変えたくないと思っていることを変えられそうになると、反射的に怒りが出てきます。だいたい、そのレベルで自分が思っていることというのは自分でも認めたくないことだったりして、普段なかなか自覚できないことなので、「どういう瞬間に怒りが生じるか」を注意深く観察すると、自分でも意外な自分の一面に気づくこともあるかもしれません。

好奇心を持って、この氷山の下の世界を覗こうとしてみると、結構おもしろいですよ。

id:redriver

>その人が本当に伝えたいことと、その人が話す内容の字面の意味とが乖離していることはごく普通のこと。

会話の内容では理屈を通しているはずなのにどうしても噛み合わないことがあるならば、サブテキストレベルでお互いの意図が全然違う方向を向いているせいかもしれない。


>怒りは「自分自身のサブテキスト」を知るとても有用なシグナル。

自分が潜在的に触れてほしくないと思っていることに触れられたり、変えたくないと思っていることを変えられそうになると、反射的に怒りが出てくる。

だいたい、そのレベルで自分が思っていることというのは自分でも認めたくないことだったりして、普段なかなか自覚できないことなので、「どういう瞬間に怒りが生じるか」を注意深く観察すると、自分でも意外な自分の一面に気づくこともあるかもしれない。


この見方は無かったです。

とても参考になりました。

ご存知でしたら教えていただきたいのですが、なぜ人間は言葉で意図を正確に伝えられないのでしょうか?

伝えようとしない理由は分かるのですが、伝えられない理由が分かりません。

言葉が情報量として不十分だから、という根源的な話の前に、脳構造的なものがありそうな気がするのですが・・・。

自分の意図を言葉に乗せられる伝達量には人によって非常な差異があって、それが噛み合わなさを産む一因になっているのだとしたら、構造を理解する事で、私のわだかまりはかなり和らぐと思うのです。

2008/05/01 22:46:31
id:stamina No.18

回答回数35ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

この気持ちは私も分かります。同感です。

考え方として私は、ここで怒りをおさえるのも話をあわせたりするのも自分の

成長のためだとわりきっています。

今は、こういう苦難を乗り越える時期だからいかにうまくこなしていくかを問

われているだけだという考え方をします。

とはいえどっかでこの馬鹿の相手をなぜ俺がするのかなんて考えちゃいますが。

しかし、すべては自分のためだと割り切っています。

id:redriver

意外に(一部分でも)共感していただける方が多い事にびっくりしています。

疎外感を感じていたのですが、この事実だけでも心強く思います。

2008/05/02 01:07:17
id:rocket55 No.19

回答回数2ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

文章がいっぱい書いてあったんで、これまでの経緯はあまり読んでません既出ならすいません。

やったらやり返すんじゃ、争いが絶えないんで、自分がひとつ飲み込んだら争いの種をひとつ減らせた、あー平和になった!なんて考えたらどうでしょうか。

あと、多少自分のほうがマイナスになっても、俺にはできるって思ってみるとか。

id:redriver

>自分がひとつ飲み込んだら、争いの種をひとつ減らせた、平和になったと考える

素敵な考え方ですね。

逆にここで自分がはっきり指摘すれば、よそでの争いの種をたくさん減らせるとも考えてしまいますが・・・。


ご回答者の皆さんに、あまりお時間を取らせるのも申し訳なく、全部読んでくれなんてとても言えませんので、既出かどうかはお気になさらず。

2008/05/02 01:11:22
id:sibazyun No.20

回答回数1822ベストアンサー獲得回数246

ポイント12pt

確かにイラッとしますね。だけど実社会ではイラついたほうが不利なことが多いので、考えて見ますと。。。

  • 「真理」あるいは「正しさ」はいくつも皮をかぶっている。
  • 「話し合い」の目的は、その何番目の皮でもって、目的を相互に(わたしと他の方と)達成するかにある

と思えます。

簡単な例で言うと、「1+1は3」は偽ですが、そう主張することがあったら、その真意を聞くと、「私の力」「あなたの力」は小さいが、「2人の力を合わせればもっと大きい」かも知れません。これは、数式の上では、f(1)+f(1)≠f(2)であり、このようなのは非線形関数、たとえば「二乗」(2の二乗は4)にあたります。別質問のパラドックスもこういうことに関係しているでしょうね。地球が丸くないというのも、校庭で地球の丸みを体験するには無用です。丸味ででっぱっている分なんて、砂粒より小さいからです。

政治の話になると、「消費税を上げずに福祉が低いままでいいのか」「消費税を上げて高福祉がいいのか」なんて、おそらくどちらもそれなりに真なのでしょう。なお、ここで「それよりも税金の無駄を減らすのが先だ」というのも、それなりに真実ですが、実は、(おそらくは)無駄を減らしたくらいでは福祉の向上は見込めないとある人たちは考えているのでしょう。

で、生き方ですが、自分が負けたら、あるいは自分が妥協したら、

「相手は自分より下の皮で考えている。これを妥協してやった」とか、

「全体の目的のために、自分より下の皮で、とりあえずの目的を果たした」

と、自己防衛することです。

id:redriver

>「真理」あるいは「正しさ」はいくつも皮をかぶっている。「話し合い」の目的は、その何番目の皮でもって、目的を相互に(わたしと他の方と)達成するかにある

>自分が妥協したら、「全体の目的のために、自分より下の皮で、とりあえずの目的を果たした」と、考える


ありがとうございました。

よろしければ別質問のパラドックスも解決してやってください。

2008/05/02 13:38:03
id:BANO No.21

回答回数149ベストアンサー獲得回数10

ポイント12pt

同様の悩みがあり、相手は特定の人物でした。

話をするたびに酷い頭痛に悩まされていました。


自分を変えることも相手を変えることも難しいことですので、

会社を辞める覚悟で周囲を巻き込んで人づてに話をしてもらいました。

その上で自分でも、自分の現在の気持ちや苛立ちやすく傷つきやすい人間であることを正しく伝えて、

「特別な対応」を相手にお願いしました。


文句を言うのではなくて、お願いをする、というのが大事なところです。

相手が気遣いを見せてくれれば、こちらも当然気遣える、というところで落ち着いて今一緒に仕事をしています。

人の中身が変わったわけではありませんから、たまには衝突もありますが、

以前に比べて、ぐっと減りました。また、衝突してもお互いに気遣えるようになりました。


他の方がご紹介されていた、カーネギーは良いですよ。

自分の考え方を見直すのに、参考になりました。前向きな気持ちになる第一歩が踏み出せるかもしれません。

がんばってくださいね。

id:redriver

>自分の現在の気持ちや苛立ちやすく傷つきやすい人間であることを正しく伝えて、「特別な対応」を相手にお願いする。


>文句を言うのではなくて、お願いをする、というのが大事。


は色々な場面で有用だと思います。

お2人からご推薦いただいたことですし、カーネギーの本は読んでみます。

ありがとうございました。

2008/05/03 06:53:21
  • id:redriver
    参考URL
    http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070321/1174459429
  • id:redriver
    手遅れ気味ですが、自分を客観視する助けにもなるので、例示してみたいと思います。
    「地球が丸い」という主張をした時の相手の反応に対する私の心情。
    私の主張が「地球は丸くない」だったとしても同じです、念のため。


    1、地球は丸いとは思わない・・・なんでそう思うのか教えてほしい。
    2、地球は丸くないかもしれない・・・問題提起。友達になりたい。
    3、地球が丸くても丸くなくても関係ない・・・友達になりたいとは思わないが、さほどイラッとはしない。
    4、地球が丸いと思ってるなんて可哀相・・・イラッとする。
    5、地球が丸いなんて言ってはいけない・・・イラッとする。
    6、地球が丸いなんて言ってるのはお前だけだ・・・非常にイラッとする。


  • id:practicalscheme
    > なぜ人間は言葉で意図を正確に伝えられないのでしょうか?
    > 伝えようとしない理由は分かるのですが、伝えられない理由が分かりません。

    私も「これだ」という説を知っているわけではないのですが、いくつか仮説は考えられます。

    まず、人間を動かしているのは基本的に情動である、というもの。進化の過程を考えれば、言葉、そしてそれを使った論理は極めて最近の発明なわけです。また、日常の行動のほとんど全ては「考えずに」行われるものですよね (いちいち「右足を上げて前に出して…」と言語化していたら歩くことさえおぼつかない)。したがって人間の行動は基本的に言語を介さないオートパイロットで行われるもので、それを支配しているのはより古い脳なのではないか、そして言語は情動の暴走を辛うじて制御しているだけに過ぎないのではないか、という想像です。とすれば、行動の意図とは言語化以前の情動であって、言語はそれを「後付け」で説明しているだけであると考えられます。後付けの説明である以上、すべてをいつもすっきり言葉で語れるとは限らないわけです。

    また、コミュニケーションにおいて言葉とは(ボディゼスチャーや、間のとり方と同列の)道具にすぎない、ということもあり得ます。言葉は、自分の伝えたい意味を載せて運ぶ媒体としてではなく、むしろ「どのように使えばもっとも効果を上げられるか」という観点から選ばれると考えるのです。強面のオッサンが冷たい笑みを浮かべて「うちの若いもんが世話になったのう」と言った時、言葉の表面の意味と身体から発する雰囲気とのギャップが相手により大きな効果を与えるとか。婉曲表現、丁寧語など、あるいは一つの言葉が一見正反対の意味を持つ場合など、そういう効果が定着した用法となることもまれではありません。

    あとは、社会的に身につけた鎧、でしょうか。常に素直に自分の生の考えを周囲に伝えることは何かと衝突を生むため、子供の頃から人には常に「言っていいことと悪いことを区別する」というプレッシャーがかかります。それがほとんど自動的に行われるまで身体に染み付くと、逆に素直な自分の考えを言語化できなくなってしまうのではないか、という仮説です。

    私には、これらを含めた色々な要素が絡み合っているように思えます。
  • id:redriver
    人間は言葉で意図を正確に伝えられない理由の仮説

    >行動の意図とは言語化以前の情動であって、言語はそれを「後付け」で説明しているだけ。後付けの説明である以上、すべてをいつもすっきり言葉で語れるとは限らないから。

    >コミュニケーションにおいて言葉とは(ボディゼスチャーや、間のとり方と同列の)道具にすぎないから。

    >常に素直に自分の生の考えを周囲に伝えることは何かと衝突を生むため、子供の頃から人には常に「言っていいことと悪いことを区別する」というプレッシャーがかかる。それがほとんど自動的に行われるまで身体に染み付くと、逆に素直な自分の考えを言語化できなくなってしまうのではないか。


    ご丁寧なお返事ありがとうございました。
    いやあ面白いですね。
    特に3番目が面白いと思いました。
    何かと衝突してきた我が身と置き換えてみると、差異が生まれるのもむべなるかな、という気がします。
  • id:Im_Me
    ご参考までに

    http://q.hatena.ne.jp/1209707828
  • id:redriver
    言わんとしている事は理解できるのですが・・・。
    相手の指摘が的を得ているのかどうかは結局主体的に判断するしかなく、せいぜい自省する誠実さを併せるくらいのものでしょう。
    私は批判を真摯に検討していると誓って言えますが、それはオートマチックに相手の意見を取り入れる事とのトレードオフではありません。

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