1. あなたは純愛を信じていますか? 相手が余所見もせず、自分だけを見ていてくれると思いますか? また自身も余所見をしないと思いますか?
2. 深い付き合いでも互いに話さない話題はありますか? 経験人数とか、今まで誰と付き合って来たかなど友達なら話せるけど、付き合っている人には話せないことってあると思います。相手にとって知らない方が幸せなことってあると思いますか? 話すのと、話さないことのどちらが愛だと思いますか? それについて、あなたはどう思いますか?
1.純愛は信じます。
実際、自分が初めて人を好きになったときはまさにそれそのものでした。
相手が自分だけをみているかどうかは、はっきりいって本当のことを知る
のは不可能です。
自分が相手だけを考えていたことがあった、それが純愛を信じる理由です。
2.知らないほうが幸せなことはあると思います。
経験人数やつきあった相手をしること云々よりも、もっと深いところで。
しかし、幸せを感じるのはその人の感性次第なので嫌なことを知っても
それが幸せだと思える人はなんでも話せるしそうでない人はある程度まで
しか話せないということだと思います。
1.私が純愛できるかどうかは別として、、、、あると思います。親子関係や師弟関係で成立する以上、男女間でも成立すると思います。
2.相手が知らないこと、自分が知らないほうがよいこと、はあると思います。すべて話すことが愛だとは思いません。相手に余計な心配やショックを与えないようにという気遣いもひとつの愛だと思います。
1.
純愛は人によってはあるのかもしれませんが、
自分自身にはないと思います。
自分自身にはないのですから恋愛関係等になった人に対しても求めません。
(あればあったほうがよいでしょうが)
配偶者がいても、例えばステキだなと思うスポーツ選手とか、俳優などには目がいきますので相手一筋とは思えないからです。
男性と女性とでは「純愛」に関する考え方、少し違うのかもしれませんね。
2.深い付き合いでも話さないことはあると思います。
例えば自分の身内(親類関係)への批判(悪い部分)。
母との間では話しても、配偶者がいる目の前では話しません。
また、配偶者の家族についてあまりよくないと思っていることも、
心の中では思っていても配偶者の前では話しません。
おそらく相手も聞きたくないだろうし、こちらも話したくはないので。
話さなくてもよいことは話さないままでよいのではないでしょうか?
(知らせるべきことは知らせても知らせなくても問題ないことは
伏せておいてもよいと思います。)
話さないこと=愛と言うより思いやりなのではないかと思います。
浮気はダメだと思うけどね。純愛がベストでもない気がする。②話さないことはあるけど、どっちが良いかはカップルによる。話さない事が辛いなら話した方が良いし、黙っていた方が無難な時もある。
1. あなたは純愛を信じていますか? 相手が余所見もせず、自分だけを見ていてくれると思いますか? また自身も余所見をしないと思いますか?
純愛を信じますし、相手は自分を見ています。自分も同じです。
理由は行動で確認をしたから。具体的にどんな方法でということはプライベートなことなのでここでは書きません。
ただし、人は変化する存在ですので、愛が永遠に変らないものだとは思いません。例えるならそれは、二人でこぐ自転車のようなものです。ふたりが力を合わせれば走りはじめますが、どちらかが走るのをやめると止まってしまいます。たとえば、どちらかが死んだ場合は、死んだ人の愛もそこで止まります。しかし死ぬまでの間は存在した、とは言えます。
ですから、人への愛が永遠に変らないものだという前提なら、それは存在しない、ということになります。愛と永遠は異なるものであり、多くの場合それは両立しません。唯一の例外が宗教です。
2. 深い付き合いでも互いに話さない話題はありますか? 経験人数とか、今まで誰と付き合って来たかなど友達なら話せるけど、付き合っている人には話せないことってあると思います。相手にとって知らない方が幸せなことってあると思いますか? 話すのと、話さないことのどちらが愛だと思いますか? それについて、あなたはどう思いますか?
結果的に話さない話題はありますし、知らせないこともあります。
話さない/知らせない理由は様々です。
たとえば、相手がすでに知っていることについて、少なくとも「相手は知っている」と自分が考えている場合は、話さなかったり知らせなかったりすることはあります。
また、自分が理解できないこと、知らないこと、自分にわからない自分のように、「わからないこと」「自覚できないこと」は話せません。なにがわからないのかのかわかっていないないのですから、そもそも話す動機が生まれません。
話すこと/沈黙が愛といえるかどうかは、話す/沈黙までの経緯、話す/沈黙の内容、話し方/沈黙の仕方、話す/沈黙するタイミングによってケース・バイ・ケースです。愛の表現として話す場合もあり得るし、愛の表現として沈黙を守る場合もあり得ます。
たとえば、実行不能な約束を求められた場合、相手に嘘を吐かずに誠意を示すために沈黙を守るということはあり得ます。
そもそも、自分では沈黙しているつもりでも、自分が沈黙している理由が相手にわかっている場合は、沈黙している意味がありませんので、沈黙しても話しても同じことです。
話すことも沈黙も両方愛の表現としてあり得ます。そのどちらかでなければならないという考え方は、愛する/愛を求める態度とは別な態度である、と考えます。
たとえば画家は、赤色の絵の具を使う場合もあるし、使わない場合もありますよね? 赤色の絵の具を使わないからといって「それは絵ではない」と言う人はいません。どんな絵の具を使おうと、どんな絵を描こうと、絵は絵です。
愛も同じです。言葉や沈黙は愛の“表現”の一部であって全てではありません。愛すべき人の近くにいるだけでも十分愛の表現たり得ます。問題はそう思えるかどうかです。
1. 純愛は信じます。少なくとも主人とは生涯愛し合って一緒にいられるという確信があります。
2. あります。「嘘をつく」訳ではなく、嘘も方便だと思うからです。何でも全て知っていればいい、という問題でもないと思います。
1:
余所見をしない、というのは個人によって感じ方が違いますし、(何を持って浮気と感じるか、関心が薄いと感じるか)他所を見る余裕もない恋愛は、純愛ではなくむしろ偏愛だと思います。
余所見をして、尚且つそれが自分に対してものすごい魅力がある事で、それでも「愛情」以外に何の価値がなくてもその人との愛を選ぶ…という試金石がなければ、純愛と定義づけるのはなかなか難しいと思います。
単純に余所見もしなかった、何の試練もきっかけもなかったのでは「順調な愛」でしかないんじゃ…(^^;)
2:
話すのも、話さないのも愛でしょう。
基本的に「隠し事」も「嘘」もケース・バイ・ケースでしょう。
嘘をついて欲しくはありませんが、それが相手の苦渋の選択であったり、こちらを思いやってした事であれば、それを受け止めるのも「愛」だと思います。
相手を不幸にさせたり、悩ませる告白も、それを分かった上で曝け出すのと、不用意に何でも口にするのとでは「思いやり」に違いがありすぎますし…
…といっても、相手を思いやらないような人間であっても、「純愛」なら、受け入れちゃうんでしょうね。
他人同士の間で成立する愛情は、必ずしも双方向、同じベクトルではありえませんから。
1. 純愛は信じます。少なくとも今のパートナー(既婚)とは生涯愛し合って一緒にいられるという強い確信があります。2人の「付き合い」に対する考え方次第だと思います。
2. あります。深く愛している = 全てを話す(相手が傷つくことも知らせる)ではないと考えます。相手を思いやれば何を話すか話さないかはおのずを選ばれるのではないでしょうか。ただし「嘘をつく」のはまた別です。私個人に関しては、相手の過去の恋愛経験などというのは本当にどうでもいいです。大切なのは今なので。
1.純愛が存在しても、純水や純金は実用的存在でない。
純金は24金(Karat)。18金は18/24、すなわち含有率75%です。
実際には柔らかすぎて細工に適さず、純水(蒸留水)も、無味乾燥で
旨みがありません。不純物が混じるから、美味しく感じるのです。
2.沈黙は金。愛は固有のもので互換性がない。
静寂は美しいが、人工的な無音状態は不気味です。
不必要な情報は、人生の雑音です。
たとえ友人相手でも、無駄口は無用です。
3.一に韻文、二に対話、三四がなくて五に散文。
愛の言葉は、詩のように選ぶべきです。
なんでも話しあうと、慎みや恥らいが失われます。
ぺらぺら喋ると、不愉快な情報だけが記憶されます。
1.けれども純愛だからよそ見をしないというのは違うと思います。スイッチをオンオフするように「好き」「嫌い」があるならそういうこともないと思いますが
好きと嫌いの間で揺らいでいて総量としてみたとき好きのほうが優っている状態が「好き」なのでしょう。
仮に前者のように「好き」だけならそれは嫌いな部分を見ていないだけであってはたしてそれで「純愛」と言えるのでしょうか?
そうであるがゆえに嫌いな状態の時に別の好きな波があれば「よそみ」もあるでしょう。しかし、それで行動するかどうかはまさに「純愛」かどうかでしょう。
2.「経験人数とか、今まで誰と付き合って来たかなど」を話すか、話さないかで愛がはかれるのでしょうか?(くさいな)
友達には話せるけど恋人には話せないなんて内容は大したレベルの話じゃないでしょう。そんなものは好きにすればいい。
自分じゃなくて相手のことを考えればいいだけ。聞いて幸せか不幸せかなんて人によるでしょう。
ただ、誰でも自分の人間性を決定づける出来事があったはずです。そういうことは私は話さないというか話す勇気がないですね。
(別に自分が異常だからという意味ではない)
皆様の意見が聞けて参考になりました。
本当に有り難うございました。