後悔まではいかないまでも、現おとなの方々は多かれ少なかれホントそうだよなぁ・・・と思っているのではないでしょうか。
多くのおとながそう思っているのにも関わらず、多くの子どもにその言葉は受け入れられていない、というのが現状であるように思います。
では、あなたの(未来の)お子さんを「おとなになってから後悔したくない!勉強しよう!」と思わせる、とっておきの作戦をお聞かせください。
子供が興味を示しているものを一緒に調べたり考えたりすることで、
そういうくせを身に付けさせようとしています。
タイミングよくほめる。やったらほめられるという反射を作ります(笑)もう褒めちぎる。大げさでも何でも。でもやらなかったら怒るとかはしない。やったらほめるだけ。
基本的に子どもって、中学生の反抗期ぐらいにはいっても、虐待と貸して育てなければ、親が喜ぶ顔を見て嬉しいと思いますから、ほめられるとなんでもがんばります。
子ども、かわゆい。
子どもが小さければ褒めるだろうし、大きくなればビックリしてあげるとか。最初は不純(褒められたいとか)な動機で良いので、やってみて面白く感じるものがあれば良いかな。
小学校低学年がいますが、今まさに「遊び」だった物が「勉強」に変化している次期です。
保育園児もいますが、こちらはまだまだ「勉強」を「遊び」として捉える事ができます。
なので、できるだけ遊びに勉強を取り入れる工夫をしています。
例えば、
・「次のうち、仲間はずれはどれ?」みたいなクイズで哺乳類と魚類の違いを考えさせる(理由を教える)
・ビンゴゲームをする時に、3×3~6×6とか、ゲームのたびにマスの数を変えて、全部で何マスあるかを求めるのに掛け算で考えさせる
・日曜大工を手伝わせる時に、大きさの図り方や図形の描き方を実践させる
などなど
あと、テレビもでんじろう先生とか楽しんで学べるタイプの番組をチョイスするとかしてます。
学ぶこと(勉強)が大嫌い!で、大人になって後悔する事って、本当はないと思うんですよ。(本当に嫌いなら、いくら生活が良くなろうが、したくないはずなんで)
ただ、「勉強」を毛嫌いして、本当は学びたかったことを学ばなかった(学べなかった)時に後悔すると思うんです。
だから、ひとつでも多く、勉強することがイコール楽しみに繋がることに気付くようにしたいです。
「勉強」が好きです!って子供にはあんまり育って欲しくない(^^;)
資格マニアと同じく、「実体」がないのはイヤなので…
子供は強制されたりすると勉強のことを嫌いになったりすると思うので、今のうちしか遊べないからたくさん遊んでいろんなことを経験しろと言うと思います。
なんだかんだ自分の子供、つまり、何と言われたら自分だったら勉強しようと考えたかを考えることが大事だと思います。
私自身、天邪鬼だったので。
大人になったらゲームができないから、勉強なんかせずにゲームだけやりなさい。
宿題もやる必要ありません。ゲームをしないと強制してあげてください。
ほとんど、勉強というものをしていないのに、成績が非常に高い「宇宙人」の様な人種がいたんですね。各学年に5人くらい。皆東大へ行きましたが・・・。
彼らは中学校以降、勉強の要領が他の人と違っていて、教科書や参考書の要点を一瞬にして物にしてしまう。一を聞いて百を教えてくれる。決して間違わない。・・・・・・ああなっちゃったら、たぶん後悔しないんじゃないかな。でも、本人たちもどうすればそうなるのか、よくわかっていない様子だったし。
いわゆる一夜漬けやガリ勉だと、成績が良くても「後悔」する気がするので。なにか、理詰めではない部分に「勉強」の本質があるような気がしていますが、いかがでしょうね。
まずは嫌われない親になることですね、これが第一条件、勉強しろとか言っても、親が嫌いだと何言ってるんだ? になります。ましてや、高学歴で高収入の職に就いていても、あんな親になるかと、非行に走っちゃたりします。子供と会話できる信頼関係を作らないといけません。
次に、家庭が経済的に豊かじゃないと学力の高い学校に行けません。学力の高めるために、経済力が必要となるわけです。これが第二条件です。経済的理由で進学を諦めさせて、勉強ができなくなったら、元も子もありません。
この二つの条件がそろって、子供を満足に勉強させることができます。勉強するっていうことは、それにちなんだ環境や職場に住み続けるってことなので、早めに夢や目標を持たせて、それから勉強させるのがいいでしょう。
ま、あくまで理想論です。子供は夢を持つまでに、基礎を叩き込まれることで、勉強を嫌がるのが普通です。その基礎叩きの前に、夢や理想を与えるのが難しいものです。とりあえず、大人ができる二つの条件を果たしましょう。それが一番難しいと言えますけどね。
ことの方が重要な気がします。
趣味でもライフワークでも 一生をかけて楽しめる or 求められるもの
と言うのはなかなか見つけられません。
例え小さなものであろうとも
それを楽しめると言う物を 自分自身で見つけられた方が
"今のうちに勉強しておかないとおとなになってから後悔するよ。" と言う
漠然としたイメージよりも強いのではないかと思います。
「英語は海外の人とのコミュニケーションの役に立つし、洋画や洋楽も原語で解る方が楽しいよ」
と、中学に入った時に何故英語を勉強しなきゃいかないのかと聞いてきた妹に説明しました。
彼女は英文学科を卒業する形になりました。
I am a boy.なんてバカな教え方は絶滅したにせよ
「どういう用途で役に立つので学ぶ」というちゃんとした説明が事前に必要だと思います。
兎に角、繰り返してドリルを解けとかやって計算速度は速くなっても、コンピュータに計算で勝てる人間はいません。
しかし数理的思考能力をみにつけることは論理思考や設計など、数値や理詰めで物事を考え進める力を養います。
ロガリズム如何のから始めずに、この数式がこういったプログラミングにこう役に立つと説明すれば生徒はすんなりと身につけてくれます。
用途も教えずに、何年生だからこれをやれみたいな教育方法が根本的におかしいと自分は思っています。
読書したり、調べ物したり、という姿勢を見せつつ、、、、自分が中学校や高校の教科書を読んでたりすると子どもも触発されるかな?なーんて。
「勉強」っていわゆる勉強?、プログラミングの勉強じゃないよね?
そうだね、僕も勉強はしたけど、今となっても何故勉強したのかよく分からない。小学生の高学年から中学校までずっとクラスでトップクラスだった人が、そのまま維持して大学に入ったケースも多いよね。だからいっそ、小学校・中学校と連続してクラスのトップクラスの成績を維持していた人に「それは何故そういう事になったか、親など環境的にはどうなのか」聞いてみる方が早いかもしれない、とは思うけど、僕なんかは何故か分からないんだよね、個人的には。小学校4年生でそんなに状況判断してるわけでも、意思を持ってるわけでもないからね。まあ、カエルの子はカエルですよ。その子の気持ちはその子の分身たる親が一番よく知っている・・
大人になってから後悔しないようにというのは、難しいと思います。むしろ、なんとか勉強してうまくいった(点数がとれた)ことと勉強が足りなくてうまくいかなかった経験を組み合わせてつくらせてあげるのがいいと思います。
目標設定を「大人」に持っていくのは、長すぎる。
「知」への興味を失わない様にすることでしょうか。
私の子供時代は、百科事典と小説と自然が、「知ることへの興味」を保ち続けてくれました。
リビングの私の席の真後ろには、大きな本棚があり、百科事典を食後にパラパラとめくったり、司馬遼太郎(当時の全冊揃っていた)などの重厚なものも読んだり。
そして、虫取り・魚釣り・磯遊び・凧揚げ・紙飛行機・・・・。風と天気と温度と土と水と海と山と・・・。
「なんでかなぁ」「ああ、そうなのかも」「へぇぇ」「あ、こんなことも!」という感覚と感動と、新しい興味と。
その先に、勉強で「わかること」「知ること」への興味がわいてくるのではないでしょうか。
点数・成績・理詰めでは、納得できないでしょうね。
やる気にさせることが出来なくとも勉強させるにはあまり使いたくない手だけれどもテストの結果がよければお小遣いをあげる・・・とか。
具体的な数値を子供に示す。
例えば、勉強ができず出世できない大人の給料明細と出世街道まっしぐらの大人の給料明細を比べさせ、生活水準の違いを認識させること。
とは言うものの子供の未来は勉強が全てではないですけどねw
とは言え、将来のことは完全には予想できませんので、
まずはお子さんの回りの環境を整えることでしょうかねぇ。
例えば、一家揃って読書をする時間を作る、とか。
当時勉強したくともできなかった理由があったわけでない。
何せ、自分の気持ちとして、勉強に向かわなかったのだからしようがない。
だから残念ではあれども、後悔の念までいかないわけです。
いま妻子もないので、作戦とかの必要もないけど、
少なくともでまかせだけは言って勉強させたくないと思います。親の信用を失う。
それより肝心は、子が現に後悔あるいは残念な思いをしたとき。