アカデミックな仮説でも構いませんし、完全な私見でも構いません。ご自由にお答えください。
実験でアミノ酸が出来るとか、タンパク質が出来るとかが証明できたと言いますが、その実験の環境が地球にはないんですよね。
進化論というか、進化論とは起源を扱うものからその生命の多様化を扱うもの、そしてその機構に纏わる話が一体として存在していますので、難しいのですが今回は起源について扱っているという事でご理解ください。
生命の起源に関わる説は多説あって、自然科学の領域から考えると多分化学進化説とパンスペルミア説に分かれると思います。(自然発生説は完全に否定されたと考えます。)ただまぁ、これらは地球生命の起源という点で考えないとしたら相反するものではないようにも思います。~仮に宇宙のどこかで生まれた生命が地球に飛来したのだとしても、その生命の起源は検討されなければなりませんから。
melon10さんは実験環境が地球にないと仰いますが、ミラーの実験等々がございますし、確かに人類はまだ無の状態から生命を生み出した事はないので、それがそうだと仰るのであれば間違いはないのですけれども、そもそも生命を生み出すには多分数十億年という途方もない時間が必要な訳で、それはもはや実験ではありません。実験とは表題で表した通り、ある仮説を立証する為に行うものな訳で、それは大抵試験管やフラスコといったもので行われる訳です。ミラーの実験の場合、メタン・水素・アンモニアと水を入れたフラスコを原始地球と見立て、そこに放電や紫外線照射などを行う事で~原始地球に雷が起こり、オゾン層発生以前の大気は高エネルギー紫外線を原始の海まで通過させたという事象をシミュレートした訳です。で、そこに有機物が生成されたという事で、この化学進化説という仮説を証明しようとしている訳です。
ですから、無から生物を作り出すのが進化論の実験ではない訳なのです。
ただ、これらはあくまでも仮説ですから、それを信じないというのは個々人の自由であり、『生命は髪が造りたもうた』という創造説を私は否定するものでもありません。
個人的には、そういった悠久の時を経て無から有が生み出されたという自然の営みに神性を見出すのは尤もな事だとも思います。ただ、私はそこに創造主という神格を持ち込むのに抵抗があるだけ、なのです。
原始地球の海の中で、様々な有機物が発生し~隕石・彗星由来のアミノ酸でもいいのですけれども、それらがそのうちに泡ぶくを作って、それが長い時を経て遺伝系を獲得、自己複製能を持ち、自分そっくりなものを生み出す事が出来るようになった。
所で、生物の定義は、昔習った所では下記のようになるはずです。
1)同化作用を持ち(外界から何かを取り込んで自分の一部にしてしまう~代謝・捕食)
2)異化作用を持ち(自分の一部を破壊して、外界に出してしまう~代謝・排泄)
3)自己保存能があり(自分が自分のままであり続ける~ヒトは翌朝芋虫にはなっていない)
4)自己複製能がある(自分とそっくりなものを作り出す事が出来る)