サミットでは二酸化炭素の量をどうするかが注目らしいですが、二酸化炭素を減らすのはあくまで、


「エネルギー効率を高めて持続可能なサイクルを実現する」

という目標ための、温暖化という一つの現象をとめる手段であり、それも恐らく多くの中の一つの要素でしか
なく、二酸化炭素だけを減らすのが神格化してしまい、もはや何がしたいのかすら良く分からない状態で、仮
に減らすことに成功しても恐らく温暖化は止まらずに、何十年かして別の要素があることを「俺は知ってたも
んねー」という学者が出てきて、今度はそれを何とかしようとまたいろんな事やって、やっぱりだめで、また
何十年後かして「俺は知ってたもん(以下略)・・・の、エンドレス。

ちなみに、70年代って逆に温度下がっていて「氷河期ピンチ!」って騒いでいました。温暖化よりむしろや
ばい。
二酸化炭素の排出という出口側ではなく、エネルギー変換効率という入口側に注目に注目しないとどっかに無理
が来て延々繰り返すだけじゃないの?

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回答14件)

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素直に気分の問題に過ぎませんからねぇ。 きょくせん2008/07/07 22:47:47ポイント1pt

 例えば、二酸化炭素が温暖化ガスとしてはあまり効率のいいものではないという主張は現在既にありますし、アメリカがその排出規制の有効性を認めてこなかった~その条約に批准しなかった理由としてあげていました。10年後に語られる話ってのはもう既に存在していてそれを声の大きな人たちが取り上げてないだけの話ではあります。

 実際、温暖化の問題というのもどうなんだろう?という話もあります。オゾンホール騒ぎの時は、この先皮膚ガン患者が高率で発生しひどい事になるだろうという話になってましたが、そういう報道は現在ないですね。いや、報道してないだけ~マスコミが飽きただけかもしれません。

 閑話休題。

 オゾンホールの存在は人工衛星での観測結果見出されたもので、そもそもそれ以前にそれが無かったのかどうかという議論はあの当時からありました。気候温暖化についても、そもそも現在の地球気温が氷河期のそれに類するものであり、気候の大遷移の中の一端ではないか、という議論もあります。

 レジ袋もペットボトルリサイクルも割り箸問題も、色々ありますよね。

 割り箸なんて中国産のお陰で国内業者のほとんどが廃業に追い込まれ、国内間伐材利用の為に割り箸利用をと掛け声をかけたところで供給が出来ない~そもそも流通・外食側がそれに発生するコスト上昇を嫌って使用しないというオチがついてますし。


 結局は全て気分に過ぎないんではないか、とも思います。もっと深刻な気分になれば家庭用太陽発電システムも、エコキュート/ガスヒーポン系も、ひょっとしたら家庭用燃料電池システムすら当たり前の世の中になるかも知れませんが、家庭から出る二酸化炭素なんぞ微々たる物、産業や流通で減らせなければ意味がないなどという論調が出てくる世の中ではどーもこーもならんような気もします。産業も流通も結局は家庭の為に存在しているものなはずなんですけどね。

 問題なのは、生活様式。これを変えなければ結局何にもならないんですが、私らはこれを変える勇気~世の中が不便になる事を許容しないんではないか、と思います。

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