アメリカのオバマ大統領候補は、母親が白人で父親が黒人。白人の血が1/2黒人の血が1/2。これでなぜ初の黒人大統領候補なんですか。映画の黒人俳優をみてもみんな白人の血がはいっているようにみえます。たとえばモーガンフリーマン デンゼルワシントン等それでも黒人です。

日本だと日本人と黒人の混血はすくなくとも黒人と呼ばないと思います。
アメリカ的な判断基準からすれば、少しでも黒人の血が入っていれば黒人なんですか。
なおわかりやすい表現で質問しました。「差別用語だとか何とか」の回答はいりません。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2008/08/30 06:03:59
  • 終了:2008/09/01 11:21:00

回答(7件)

id:hrkt0115311 No.1

どんジレ、どんさん回答回数892ベストアンサー獲得回数512008/08/30 09:33:11

ポイント18pt

こんにちは。興味深い質問ですね。

黒人の人権問題のご意見番であるシャープトン師は、「オバマは奴隷の末裔である我々とは別種の人間だ」と言い切り、積極的な支持を表明していない。

http://mediasabor.jp/2008/01/2008_1.html

上記がご質問への間接的な回答になるように思います。

上記のような例もありますが、アメリカの場合は「ルーツとして、アフリカから連れてこられたかどうか」が重視されるのかもしれません。だとすると、人種的にハーフであっても、「ルーツとして、アフリカ系アメリカ人である」として生きれば、アフリカ系の方ということになるのではないでしょうか。

アフロ・アメリカン

アフリカ系アメリカ人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%A...


以上です。何か参考になれば幸いです。

id:mari108

ルーツとしてナアフリカ系ですね。ありがとうございました。

2008/08/31 06:30:46
id:truth_or_gossip No.2

truth_or_gossip回答回数110ベストアンサー獲得回数52008/08/30 11:09:00

ポイント17pt

アメリカには、人種差別の歴史があり、混血でも、一滴でも黒人の血が混ざっていたら、黒人とされていました。

http://en.wikipedia.org/wiki/One-drop_theory

id:mari108

One drop rule 面白い言い方ですね。ありがとうございます。

2008/09/01 11:17:17
id:MEI-ZA-YU No.3

MEI-ZA-YU回答回数4728ベストアンサー獲得回数7472008/08/30 10:23:05

ポイント17pt

「一滴でも黒人の血が混じっていると黒人」とみなすという

昔の考え方からでしょう。

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/7d72f31f783290414e864cb982...

>『1滴の血の掟』

南北戦争が終わってから、多くの南部の州で白人と黒人の「分離」(差別)を

徹底させるための法体系が作られる。

この法体系のなかで「黒人」の定義が必要となった。

多くの南部の州では「ワン・ドロップ・ルール」

(例えば一滴でも黒人の血が混じっていると黒人とみなされるような捉え方)で

判断することになった。

id:mari108

ありがとうございます。

2008/09/01 11:17:43
id:greenwoods No.4

greenwoods回答回数58ベストアンサー獲得回数12008/08/30 12:23:30

ポイント17pt

アメリカ的な判断基準からすれば、少しでも黒人の血が入っていれば黒人なんですか。



上で、まさに正解です。

http://www.kcn.ne.jp/~ca001/A135.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%A...


顔が白人と区別が付かなくなるまで混血すれば、また別です。

しかし、それでも黒人家系だといわれるのが現在のアメリカの慣例です。

id:mari108

ありがとうございます。

2008/08/31 06:42:06
id:isogo45 No.5

isogo45回答回数31ベストアンサー獲得回数32008/08/30 20:35:27

ポイント17pt

WASP、、、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント

か、「それ以外」というくくりになると思います。

メイフラワー号に乗ってきた子孫同士の純血種?!というと変な表現ですが、要は純血種かどうかということだと思います。

「それ以外」は、皮膚の色、生活習慣、宗教などの違いが少しでもあると分別されるようです。

黒人系、アジア系、ヒスパニック系、アメリカ先住民族系、アイリッシュ(ケルト系?)

。。。

イスラム系、仏教系、カトリック系

。。。

は差別の対象です。

という感じで区分けすると白人と黒人の混血は、「それ以外」で黒人系となります。

白人と黒人の混血の場合に、ほぼ白人として生まれた子と、ちょっと皮膚の色が黒かった子供で白人社会では別扱いされたことがあるとCBSニュースでやっていたことがあります。遺伝子なんて見た目じゃぁわからないけど、見た目の雰囲気で有色人種かどうかというのが判断の分かれ目な気がします。

ケネディが大統領になったときも概ねwaspだけどちょっと外れているから問題?話題になりました。

ほんのちょっと外れても「それ以外」なんでしょうね。

日本の場合は差別の対象になるようなことではないのでハーフだとかクォーターなんて平気で50%、25%といった感じで話をしますが、アメリカの場合は雇用の際にも人種の割合をはっきりさせないといけないケースもあるし昇進やビジネスに大きく影響してくるから白、黒はっきり区分けする必要があるんだと思います。

id:mari108

ありがとうございます。

2008/08/31 06:42:59
id:albertus No.6

albertus回答回数80ベストアンサー獲得回数82008/08/31 18:21:10

ポイント17pt

ちょっとソースがどこで読んだのか思い出せないので正確さにかけますが、いわゆる「黒人」か「そうでないか」は、「髪の毛」の差であるというのを聞いたことがあります。だから、髪の毛がストレートだと、「それは黒人っぽくない」という(だからといって「白人」というわけでもない)という微妙な扱いになるようです。アフリカ系特有の縮れた髪が、その人を「黒人」か「そうでないか」を分ける目安だった覚えがあります。それ故に、髪にストレートパーマを当てるというシーンが「かっこいい」という扱いで、マルコムXという映画の一シーンにあったような記憶があります。

まあ、あとは上の方も答えている通り「一滴」でも黒人の血が入ると黒人扱いということなのかもしれません。そのように受け取る人は大勢いるでしょう。

しかし、オバマの場合は、まだ見た目が黒人っぽいのでまだわかりやすいのですが、これがもう少しややこしい(例えば、祖父や祖母のどちらかだけが黒人で、かつ白人コミュニティで過ごし、見た目もより白人ぽい)ような場合だと、どうなるのかよくわかりません。

id:mari108

ありがとうございます。

2008/09/01 11:18:54
id:webees No.7

webees回答回数89ベストアンサー獲得回数92008/08/31 20:39:46

ポイント17pt

アメリカの人種構成は思った以上に複雑です。

まず白人から見てみましょう。

白人に見えるが1/8はネイティブ・アメリカンの血が入っている。(この人は自分のことを本当のアメリカ人だと威張っていました)

白人に見えるが実はメキシコなどからの移民(この人たちは遺伝的にどのような状態であれヒスパニックと呼ばれる。マーティン・シーンは、スペイン系とアイルランドのの血を引いているのだが、本名のエステベスを使わなかった。)

白人に見えるが中東系(ユダヤ系の人たちなど。実際日本人には白人にしかみえなくても「ユダヤ人っぽい風貌なので役がつかない」俳優という人たちがいます)

また、同じアーリア系でもイラン人は有色人種と見なされたりします。実際にはイラン人にも南部と北部で白人に見えるイラン人とそうでないイラン人、ユダヤ系イラン人などがいるようです。

東洋系が混じっている人たちもいます。例えばキアヌ・リーブスはいろいろな人種が混じってますが、何も知らないと白人に見えます。昔スーパーマンをやったディーン・ケインは日本人の血が混じってますがやはり白人に見えます。この人たちは正確には何人なのかと言われれば、もう「アメリカ人」としかいいようがありません。

ところで、アメリカには自分の人種を申告するような制度があります。戸籍がないので、ことあるごとに「白人」「ヒスパニック」「アフリカ系」「パシフィック・アイランダー」などを聞かれます。学校でアフリカ系と書いておくと、進学に有利になったりします。これをアファーマティブ・アクションといいます。

また黒人の間にも、彼氏を家に連れてくると「どうしてもっと白いのを連れてこれなかったんだ」みたいなことを言われたりすることがあるようです。つまり黒人も純粋な黒人はいないということになります。黒人が話す英語を「エボニックス」と呼び、英語とは別の言語としようという運動もありました。言語すら人為的な影響をまぬかれない例と言えるでしょう。

id:mari108

複雑ですね。ありがとうございます。

2008/09/01 11:20:24
  • id:atmarkbienna
    atmarkbienna 2008/09/03 18:22:59
    基本的に黒人の特徴が残っていれば黒人、
    黄人の特徴が残っていれば「黄人との混血」

    です。

    また、黄人を名乗ると進学などで不利になり、黒人を名乗ると有利になります。
  • id:moon51
    これは、彼の策略ではないでしょうか?
    色や容姿が黒人かと思われがちですが、血液の問題をいってしまえば、
    白でも黒でもどちらでも同じです。

    所詮、政治の問題なので民衆に与えるインパクトが必要です。
    そのために、初の○○というのは、強いインパクトを与えるのは間違えないし、
    また、今まで代表氏名争いで競ってきた相手が、初の女性大統領と
    いったインパクトがありましたので、それに対抗して分り易く初の黒人大統領と、
    したと思います。
  • id:takokuro
    紀元前からの歴史を
    かつてのマッカツ?契丹?旧安東金勢力の
    資本主義(二元論=簿記論、謀略、画策、成りすまし戦略でのっとる)での
    世界征服の歴史という視点から・・・

    現・旧安東金一族?(マッカツ?契丹?の末裔?)を
    資本主義理論と武器力、残忍性、謀略、贅沢、情報コントロール、美女美男、婚姻等々の手段で
    世界征服をめざしてるテロリスト組織?と仮定して
    世界史を見てみると・・・

    (現、統一教会の統一とは、
     HSBCをバックに?
     宗教界の征服者、統治者になるための工策員の役割を担ってる?
     今、汚職や発言問題で失脚させられてる政治家らは
     統一教会から派遣された?秘書を使ってるから??
     政治家の名のもとで
     汚職をわざと本人に見つからないように出来るわけ??
     誠実な仕事ぶりに信頼させ、裏切り行為をするというのが
     彼らの共通戦略?
     婚姻も自分たちの目的のために動く夫なら
     支えるが?(毎日放送から出馬してる平松大阪市長の後妻さん?
     民主の鳩山氏の宝塚出身の?後妻さん?
     キンキンと再婚したケロンパ?
     大橋巨泉?・・??等々々
     
     あとで、宗教界のなかのキリスト教の中のプロテスタントの歴史から
     統一教会への流れと
     それに抵抗した流れ?本来のプロテスタント?との関係など
     調べてみる
     そうした視点で、カトリックのココ十数年での大きな変質を見ると
     原因が見えてくるように思うので・・)


     地球上の民主主義を守るために
    独裁者の野望に対抗してきたのが・・・

    エジプト?ギリシャ、
    次に神聖ローマ帝国の十字軍、
    (この時期の蒙古?元?のジンギスカンも高麗皇帝も、
     世界大戦中の明治帝や昭和帝のように
     金ら胡勢力に【太祖】とシンボルにされ
     実態は人質状態?
     英イングランドも、オックスフォードだけでなく
     ケンブリッジ大も作り、
     金勢力とタックルを組んでる欄、英スコットランドの脅威に対抗するため
     人材育成・・
     西夏を彼らが滅ぼすのに抵抗したジンギスカン(65)は
     暗殺され、
     オゴティ帝が即位させられる・・・明治帝暗殺後、大正帝即位と同じようなもの??
     元ゲン皇帝・オゴティ帝、
     父ジンギスカンの意志を継ぎ、
     独裁哲学の金の名将でもある
     完顔陳和尚をやぶる(1232)
     表向き・・胡勢力の【金】は滅ぶが、
     実態は、【高麗】へすでに成りすまし移民?
     (つまり・・この時期の高麗はすでに完全!乗っ取り状態)
     オゴティもそのあとの元皇帝のⅢグユク(定宗)、Ⅳモンケ(憲宗)も殺されるが、
      この時期、日本の修善寺は真言宗から臨済宗に宗旨替えしている
      元皇帝Ⅴフビライの時、
      元の軍事力、財力の実権を掌握してる高麗の
    金方慶は
       日本へ元寇という名で
       文永の役(1274)をおこさせてるが
       フビライの指示により、
       昔からの高麗の武士一族である
       洪茶丘が
       彼も父の遺志を継ぎ、
       フビライに身を寄せ
       正真正銘の高麗人であるが
       高麗人に成りすまして
       高麗を乗っ取ってる
       金勢力に抗っている・・?
       これが・・
       元寇の【神風】の正体?
       1281:弘安の役でも
       洪はフビライの支援の下
       東路軍の司令官、東征都元帥として参軍し、
       和冦を動かし、
       金らの日本侵略戦争の邪魔をしている・・!
       このあと、ビルマのバガン王朝が
       金?元?により滅んでる
       (表向きは元となってるが実際は高麗の金一派が
       滅ぼしたのか?
        フビライと洪が
       金一族の子分というのいうので滅ぼしたのか??未だ調べ中)

     
    その次が、
    カトリックローマ教皇が十字軍を引き継ぐが
    そのローマ教会が地球の平和と民主的社会の保持?堅持?の使命感をもって、
    宣教師らが世界へでていくときに
    欄商人と貿易で競合するスペイン、ポルトガル商人の
    貿易?航海力に依存している・・
    (この時代のポルトガル宣教師が、
     日本占領しつつある金勢力(当時、信長が
     日本における武装テロリストである叡山僧兵、一向宗などを討った本当の意味?)を退治するのに
     信長に
     武器力、金勢力の攻略パターンなど情報でサポート?
     信長の頃に
     現・旧安東金勢力の中でも
     フビライと協力して金独裁勢力と闘った
     洪の一派?と
     カトリックと共感し、
     詫び茶を旨とした貿易商・千利休(利=資本主義のシンボライズ、を休む)が
     隠岐(この時期の隠岐は、洪系の高麗がアジトとしている)の金一派と武器貿易し
     秀吉をバックアップして
     信長を支援するが、
     すでに日本に住み着いてる叡山僧兵勢力の金一族の日本侵略グループが支援する金一派の光秀により
     本能寺の変で信長、暗殺され、
     それで利休は秀吉に武器力を最大限に与え、
     これらを駆逐させる・・
     が・・
    今度は
     利休自体に
     一見!今の統一教会の政治秘書のように・・
    誠実で有能で若くて美人の九の一?を使わされ、、
     利休の前妻を毒殺し、
     利休の秘書として君臨し、
     情報漏洩工策活動をする・・
     で・・
     秀吉に
     高麗?へ金勢力退治といって
     出兵させるが、
     実は
     利休の妾が仕掛けた偽情報で、
     金勢力を日本へ連れ帰ることになる・・
     秀吉、それを利休から知らされ、
     トンでもないことをしてしまったと
     その後、鳴かず飛ばず・・
     表向きは自分が誤って連れ帰った金勢力に
     奉られたようになってるが、
     実は幽閉状態で
     軍事も財産管理も
     彼らに乗っ取ってしまわれている・・?
     利休死んだ後、
     妾は前妻の子を殺し、
     自分の子に
     表と裏千家をはじめさせる
     裏は
     30才台になると
     葬式を出し、
     佐渡(隠岐が当時はまだフビライやカトリックのポルトガルらと繋がった高麗系の武器貿易拠点だったのに対抗した
     金系の武器拠点、金山がある)の加賀と
     京の都、
     伊予、
     伊勢と
     自分らが対秀吉として担ぎ上げた
     家康の江戸幕府とを
     往復・・・
     茶屋四郎次郎という商人として幕府で
     お福に大奥(跡継ぎの養育工策と女性工策・・
     毒入り化粧を使わせ、
     病弱な子孫の出産?など・・??)を采配させ、
     家康に
     武器力と軍事力、財産管理力で
     人事など
     自分ら
     金勢力の武将に城、石高を授けていく・・
     家康、抵抗し、
     御三家作り分散するが、
     秀吉の時期に連れ帰った金勢力が
     紀州、伊勢で勢力を振るい、
     自由にされてる・・
     だから・・??
     戦前、和歌山から金勢力として渡米してる人が多い・・
     太地・・捕鯨の町・・ここも・・
     在日金勢力の拠点だったところ?!?

     紀伊水道で
     伊勢、四国を往復(熊の水軍もそのひとつ)

    山口組もここから発祥・・?
    土佐・坂本龍馬は
    金勢力の女工策員のお竜にかわいがられ
    言いなりに動く
    馬として使われたので
     龍馬・・お竜の馬・・
    英雄でも何でもない・・
    考えのない、
    言いなりにホイホイ動く尻軽男?? 
     
    とりあえず・・
    最終的に今きになってるのは・・
    三浦和義は
    実は
    金和義ではないかということ・・
    大韓航空機事故で
    英イングランド銀行資本家の
    グレンフェル一家が誘拐され
    その前後に
    北鮮拉致、
    森永、ハウス、グリコなど
    新?安東金勢力の末裔?社長の誘拐じけんがおこり、
    旧安東金勢力=中曽根&レーガン勢力が
    日米で猛威を振るいはじめてること・・

    今、新安東金勢力が
    そもそも所有していた
    リーマンやゴールドマンサックス破綻で
    世界経済がゆれ、
    旧安東金勢力へ
    世界中の財が流れ込んで集約されかけていること・・

    政治では
    日本では
    土井さんを比例で落としたときから後の社民は
    旧安東金勢力人事であること・・

    民主も
    死にかけてる小沢氏の後、
    でてくる岡田氏は
    イオンで
    日本の一次産業、メーカーを支えてた流通を
    破綻させ、
    独占してきたこと・・
    テレビに出ない成りすまし日本人が大変多いこと、

    地方では
    民主と結びついてるのが
    公明であること・・

    公明の歴史をみると
    旧安東金系の幕末明治期土佐薩長勢力の
    内務省から創価学会が作られてること、、
    創価学会は統一教会と
    ブッシュ・パパ政権でアメリカで大学を作り
    韓国勢力を育ててきて、
    日本の竹中、安倍政権で
    民営化を異常に進め、
    破綻させてること・・

    三浦和義の扱ってた事件に
    インターコンチネンタルホテルズグループの買収劇があるらしいこと・・

    皆さんも調べて下さい・・!!


  • id:takokuro
    追伸・・
    オバマとの関係は・・

    宗教です・・

    統一教会を支援してるのが

    プロテスタントでは
    英スコットランドらの
    長老派と
    バプテスト系・・

    契丹勢力らが
    歴史の中で
    拝火教から出来た
    ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、仏教(公明らの前身・日蓮宗?正宗?)を
    改悪して
    カルト宗教を作ってきてるが、
    その悪魔の宗教の集結作?武装?工策集団が
    統一教会??

    ライス朝刊の父は
    パウエル朝刊の夫人の財閥のカルト学校の
    宗教教師として出世した家・・?
  • id:takokuro
    長老派とカルバン派が
    エラスムスの指示により
    協力して
    結果的に
    資本主義で政界征服を狙う胡勢力に抵抗する
    カトリックを攻撃していく・・という視点で宗教改革をみるのも
    政治上の宗教改革の意味が見えるような気がする・・??

    なお・・
    統一教会の安倍氏の改憲(9条を変え、戦争を出来るようにする)を
    大統領選挙へ出る前から
    指示していたこと・・

    オバマ氏をバックアップしてるのが
    歴史上では英欄仏つまりは・・胡勢力(旧安東金系?)がおこしたアヘン戦争で
    できたHSBC資本と
    彼らが歴史的に作ってきた聖書による二元論を究極させることで
    淘汰させて統一するという改革派である
    カルヴァン派と長老派が
    統一教会で
    日本の創価学会を作った胡勢力の内務省や
    日本やアジアで蔓延してきた
    カルト系(政治目的の)仏教が
    統一されている・・??

    オバマ氏になると
    安倍政権で9条改憲され
    開戦準備が
    一見、資本主義が活発にされ豊かだが
    国民は理性を働かす余裕もなく働き続け、
    破綻前に
    平和主義の内閣に急遽変えられ
    開戦という
    これまでの歴史パターンに行かないか

    心配です

    途中ですが・・
    資料:

    カルヴァン派の中の長老派 (長老教))
    3.1 スコットランド長老教会
    3.2 イングランドの長老教会
    3.3 ウェールズの長老教会
    3.4 アイルランドの長老教会
    3.5 北米の長老教会
    3.6 インドの長老教会
    3.7 アルメニアの長老教会
    3.8 韓国の長老教会
    3.9 台湾の長老教会
    3.10 日本の長老派・改革派教会

    16Cのスイスの宗教改革において、
      チューリヒのツヴィングリ派

      ブリンガーが後継
      ジュネーヴのカルヴァン派との改革派連合成立(チューリッヒ協定)
      教会制度=カルヴァンの長老制を採用
           カルヴァンは聖書の権威(ゾロアスター教から派生した一元へ集結するための二元理論)より、
           教会統治において「監督、長老、牧師」を統一
    1520~60:改革派の拠点が
         チューリッヒからジュネーブへ移動
         聖書を二元論で見ることで、
         改革(統一へ向かって淘汰され続ける)哲学として考える改革派らは
         独、仏、欄のいわば・・・胡勢力の海運貿易力/軍事力/武器力が
         王権に浸透しているところから広まる
         ジョン・ノックス(1510~72年11/24)が
         英スコットランドに宣教拡大し、
         「長老派」(プレズピテリアン)という命名を発表
         ノックスの論では・・
         『戒規の書(訓練、規律書)』で、
         長老制がジュネーブからではなく、
         聖書から直接来たものであるとする
    1546:イングランド王位継承法が改正され
    ヘンリーⅧの元来の正室(スペイン系カトリック)が
       やっと暗殺されずに生むことが出来た娘メアリーの
    王位継承権が認められる
    1547:ノックス、胡勢力が支配する仏軍に捕縛され
       胡勢力により19ヶ月仏軍艦で奴隷のような陰湿なイジメ?拷問?を受けつづけ
    (内務省の指示により不敬発言で学会初代と2代目が投獄され
     獄中で創価学会を立ち上げることを承認させられたのと同じように??
     初代は、獄死で
       2代目が結成し、内務省の指示により開戦への大衆ファシズム化に協力)
    1549:胡勢力により
       財務、貿易、軍事情報などを支配されつつある
       イングランド王エドワードⅥは
       仏軍と捕虜交換で
       仏海軍で洗脳教育を受けた工策員と化したジョン・ノックスを取り戻し、
       イングランド国教会の王室御用達牧師にしてしまう
    1553:7/6、古くからの貴族たちらが
       イングランド王エドワードⅥ(15)を暗殺し
    メアリーに胡勢力資本の邪魔が入りつつも何とか・・王に即位
       資本主義化による世界征服を狙う胡勢力に対抗するカトリック国に復旧させ、
    ノックスは英スコットランドに亡命し、
    胡勢力の支援、指示の元、イングランドの略奪を狙う
    1567年から:長老派がスコットランドの国教。
       以後、大陸の改革派vs英スコットランド(イギリスの実権者)の長老派は
       分裂
       ピューリタン(清教徒)のうち
       トマス・カートライトは国教会の監督制を否定し、長老制を主張した。
    1647:長老派のウェストミンスター信仰告白は、スコットランド議会で採択され、
    1648:長老派のウェストミンスター信仰告白は、英国議会でも採択
       長老派とは厳密にはウエストミンスター信仰基準を採択する教派を指す
      (この件の詳しい説明は記事改革長老教会を参照)
      北米では少ない教会だが、
      ニュージーランドにおいては主流的存在である。


    蘭エラスムスの指示で
    ツヴィングリがスイス宗教改革カルバン派を立ち上げた?
    ルターも鼓吹される
    トーマス・モア(1478年2/7~1535年7/6 政治・社会を風刺した『ユートピア』
           ロンドン生
           エラスムスとの指示で
           ヘンリーⅧにカトリック教皇への支援を断ち切らせる
           オクスフォード大、リンカンズ法学院で学び、法律家となる
       1384:ブルゴーニュ公爵が
              ネーデルランド(現ベルギー、蘭、ルクセンブルク、仏北部)統治
      1455:5月、ばら戦争はじまる(~1487年6月、チュダー朝成立まで)
             ウォリック伯が
    ヨーク公リチャードに
    ヘンリーⅥへの反旗を指示したのがきっかけ
    ランカスター家(赤ばら 胡勢力)vsヨーク家(白ばら ウォリック伯)

      1470:ウォリック伯、
             赤ばらランカスター派に寝返り、
             エドワードⅣを追放したが
             リチャードⅢはウォリック伯の誘惑を拒んで
             一貫して兄王エドワードⅣの復位に貢献 
      1472:リチャードⅢ、
             アン・ネヴィル(ヘンリーⅥの継嗣エドワードの寡婦、
             ウォリック伯の娘)と結婚
      1477:野卑な仏王ルイⅩⅠ、
      ネーデルランドと美しい王女マリーを手に入れようと
              ブルゴーニュ公シャルルを討ち?
      ネーデルランド17州(現の蘭、ベルギー、ルクセンブルク、
              仏北部のアルトワ、ノールと独一部)を相続した娘のマリー女公に
      13才も年下の自分の息子・シャルルⅧとの結婚を迫り、
      彼女のブルゴーニュ内で内乱を起こす
    (福田首相の組閣人事の時の台風、雷雨、洪水のような感じ?)
    マリーはそのような不実で財産目的の結婚を拒否すると
    仏王と取引している有力商人、貴族らに幽閉され、
    母マグリット(父:ヨーク公)
              実際は、夫のハプスブルク家のマクシミリアンⅠの権限の元で決済
       1478:イザベル・ネヴィル(ウォリック伯の娘)を娶っていた
              クラレンス公ジョージが処刑され、
              リチャードⅢは、広大なウォリック伯領を独占相続
              (のち、王妃エリザベス・ウッドヴィル一族が
    勢力を伸ばすと、対立するようになる)
           1482:
       1483:エドワードⅣ、病死し、
              エドワードⅤ、イングランド王に即位し、
              ウォリック伯の黒幕力キングメーカーにより
              リチャードIII(1452年10/2~85年8/22 33才暗殺ヨーク朝)、
              イングランド王の摂政に就任
              (ロンドンでの父の戴冠式にも出られなかった
               ウォリック伯の拠点の
             病弱な一人息子・エドワードofミドルハム城 を
               ヨーク大聖堂で
               大慌てでプリンスofウェールズに即位させてる
               リチャードⅢのバックに蘭?英スコットランド?)
              
              リヴァース伯アンソニー・ウッドヴィルらの王妃一派を捕ら
              粛清
              エドワードⅤとその弟リチャードをロンドン塔に3ヶ月間、幽閉し
              6/26:エドワードⅤの正統性を否定した議会に推挙され、
              イングランド王リチャードⅢとして、即位
    10月:リチャードⅢ政権樹立を支援した
                 バッキンガム公ヘンリーの反乱を鎮圧
                 反乱の噂は絶えず、政情は不安定なまま
       1485:ランカスター派のヘンリー・テューダーがフランスから侵入し、
       ボズワースの戦いで、リチャードⅢは味方の裏切りに遭い、
       戦死し、遺体は当時の習慣に従って丸裸にされ晒された

           リチャードⅢはシェイクスピアにより、
       ヨーク朝のあとのテューダー朝の敵役として
       悪者として描かれ
           性格・容姿ともに稀代の奸物として描かれている
           エドワードⅤ、クラレンス公ジョージ、自らの妃アン・ネヴィルらを
           暗殺したとされてるが
           テューダー朝期に意図的に流布された悪評で
    シェイクスピア史劇の創作とされ、今後の真相究明が待たれている
       1485:リチャードⅢ、暗殺
       1490:親政ローマ皇帝・マクシミリアンⅠ、
              チロル城主となり銀山を管理するようになってから
              フッガー家(アウグスブルク)
           1499年~エラスムスと親交
           1508:マクシミリアンⅠ、
              ローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始める
       1513:神聖ローマ皇帝マクシミリアンⅠ、
              ベネチア共和国に抗し、
              イングランド王ヘンリーⅧと連合で
              フランスを撃破(ギーンガトの戦い)。ブリュッセルで講和
       1515:トマス・モア、国王ヘンリーⅧに仕え、
              ネーデルラント使節などを務める
    (ネーデルランド=現ベルギー、蘭、ルクセンブルク)
              仏王フランソワⅠ、ミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放
              スフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~ 1519)は、
              翌年フランスへ移り、
              ルネサンス文化を伝える
       1519:仏王フランソワ、神聖ローマ皇帝マクシミリアンⅠを暗殺?し
              後継者候補になるが、
              スペイン王カルロスⅠ(マクシミリアンⅠの孫)が皇帝選挙で
              勝利し、
              カールⅤとして、即位
              すると・・・
              仏王フランシスは
              ハプスブルク家によってドイツ・スペインと周囲を囲まれる
       1529:官僚で最高位の大法官に就任
       1533:②アン・ブーリン(1507頃~36年5/19)、結婚 ~1536
       1534:クロムウェル、首長令(国王至上法)より 
              イングランド国教会はローマ・カトリック教会から離脱
       1535年7/6:トマス・モア、処刑
    蘭エラスムスと謀ってイングランドとローマ法王庁を仲違いさせたとして?
    1536:小修道院の解散法
       ウェールズとイングランドが統合
       アン・ブーリン離婚:
        アンの姉メアリーは
        仏王フランソワⅠ(ダビンチ~1519、ルネッサンス様式の宮殿建築)からのスパイとしてヘンリーⅧの側室でもあったため
    エラスムス・・・
     父:司祭!(私生児として誕生)
     1484:ペストで両親死亡し、
     17才の時、
     兄:ピーテルと、スヘルトーヘンボスの共同生活兄弟団の経営の寄宿学校へはいる


    1487:再び親族の意思に従ってデルフト近くのステインにあった
       聖アウグスチノ修道会(1584、日本にはじめて上陸シ、キリシタン迫害時代を経る))に入れられる





    修道生活をしながら、直接的な宣教活動を行なうという形態は、
    その後、聖アウグスティヌス(354年11/13~430年8/28 匈奴(扶余、匈フン族)胡
    374:匈フン族、
       ゴート族に迫る
    フン族・・・契丹の指示でうごかされる蒙古・トルコ系馬族
    ゴート族・・・ゲルマン民族の一部族
    375:ゲルマン民族、
      大移動はじまる
    395:ローマ帝、
      東西に分裂
    398:北魏、建国
       5胡の活躍母=モニカ(キリスト教徒)父=パトリキウス(異教徒)、北アフリカのタガステに生)に引き継がれ
    東方的修道生活の隆盛や、
    ゲルマン民族の大移動による混乱の中で、
    この修道生活の形態は消滅していきました。
    とはいえ、現代の修道会の多くが、直接的な宣教活動を行ないながら修道生活を行なっていることを考えれば、マルチノの求めていたことが今、実を結んでいると言えるのかもしれません。

    」。14世紀・15世紀において戦乱によって農業技術の革新が遅れていたロシアに西欧の輪作技術を導入したのは、ロシア正教会の荒野修道院群であった。カトリック教会・聖アウグスチノ修道会の修道士かつ司祭であり、のちには修道院長も務めたグレゴール・ヨハン・メンデル (1822-1884) は、遺伝に関する法則(メンデルの法則)を発見した事で有名である。

    また、医療、病院もそのルーツは修道院にある。旅人を宿泊させる巡礼者を歓待する修道院、巡礼教会をいうホスピス(hospice)が、がんで余命いくばくもない人が最後の時間を心やすく過ごすための施設、ホスピスに転嫁したこと、歓待する(hospitality)が、病院(hospital)の語源でもあることはあまり知られていない。修道院でリキュール(薬草酒として発達した面もある)が製造されているのもこうした医療行為に由来する。


    書評:「世界の名著 アウグスティヌス」

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    中央公論社「世界の名著14 アウグスティヌス」山田晶責任編集。昭和43年初版発行。アウグスティヌス著「告白」を収めている。以前古本屋で買ったのだが、ほとんど読まないまま古本屋に売り返していた。何故これを図書館で借りたかというと、時間論が気になったからである。
    もとはといえば、トルストイの結婚についての考察のつながりで、アウグスティヌスの結婚観に行き当たった。結婚が唯一性欲を善にすると考えたアウグスティヌスは、過度の禁欲を避け、結婚を秘跡として神聖なものと尊ぶ教会神学の基礎を作った。
    ここ最近トーマス・マン「魔の山」を読んでいたのだが、「魔の山」には時間についての考察がたくさん出てくる。そこでまた、時間論を書いているアウグスティヌスのことを思い出した。ナボコフは思想的なマンを評価していなかったが、彼も時間についての秀逸な議論を小説内に残している。そのナボコフが、代表作「ロリータ」を執筆前、アウグスティヌスを読んでいたことを知って、ついにアウグスティヌスを借りる決意を得た。
    目的は時間論を読むことだが、前文の訳者解説を読んで、大きな感銘を受けたので、今回は訳者解説を中心に取り上げる。「世界の名著」の訳者解説には、戦争を体験した一世代前の学者が、西洋古典をいかに理解したかの歴史的記述に溢れており、今となってはどれも貴重な歴史資料である。
    「教父アウグスティヌスと『告白』」という解説文で、翻訳者の山田晶は、アウグスティヌスの略歴と当時の思想的背景を述べる。アウグスティヌスは若い時分マニ教に入信した。マニ教は、キリスト教の精神は認めているが、旧約聖書はまやかしものとして否定している。アウグスティヌスは、旧約聖書の天地創造などの神話は、不合理で、荒唐無稽なことだと感じ、奇跡の物語を信じている教会の信者を嘲笑し、合理的な世界理解を与えてくれると思われたマニ教に入信したのだった。しかし彼は、キリスト教会の司教たちが奇跡の物語を象徴として解釈していることに気づく。神学者たちは聖書を熱心に読んで、物語を記す文字の奥に隠されている深い意味を解釈していたのだった。彼は聖書の認識を一変し、旧約を含めたキリスト教に回心する。
    三、四世紀のキリスト教では、聖書がヘブライ語からラテン語に訳されており、アレクサンドリアではギリシア語訳の聖書も書かれていた。ヘブライ産の聖書の解釈に、ギリシア哲学が導入されてきた時代だった。もちろんユダヤのラビたちも、熱心に旧約聖書を読み、解釈することで、高度な知識を蓄えていたが、ローマ帝国の教父たちは、ストア派、新プラトン主義的解釈をどんどん聖書に施し、豊かな神学を築き上げていった。イエスはパリサイ派など学者を否定して、信仰を説いたはずだが、再びキリスト教は学者たちによって高度な体系に組み替えられてしまう。これは歴史の皮肉だが、奇跡を象徴として受け入れたアウグスティヌスの回心には、個人的に共鳴するところがあった。
    私は、聖書の倫理的教えには共鳴していたが、トルストイのように、福音書に書かれている、人が生き返るとか、パンが増えるとかの数々の奇跡は信じられなかったのである。あんなものを信じる人間は無知だと馬鹿にしていたのだが、アウグスティヌスも私と同じ気分を体験していたことがわかって、昔も今と変わらぬことにほっとした。さらに、大昔にすでにその狡知に基づく嘲笑の解決方法があったことを知り、自分の無知を恥じた。教父のように、奇跡を事実でなく象徴として解釈しつつ、高度に知的な哲学的考察を進めることで、キリスト教全体を許容できると知った私は、己の無知を改め、倫理的に生きていこうと決意した。
    その倫理的決意をさらにすすめてくれたのが、当時の教会についてのアウグスティヌスの接し方である。
    「彼は、ミラノで、一傍観者として教会の人々を見ていた。彼は信者のなかに欠点や腐敗があることを、底の底から知りつくしている。それにもかかわらず彼は、この教会をははれて、きよらかな人々だけの教会を建てようとはしない。この教会のうちにとどまろうとする。」(p37)
     奇跡を信じない人がいたように、当時の教会も今と変わらず腐敗していたことが何だか嬉しい。人間の営みは変わらず、アウグスティヌスと私たちは同じ苦悩を経験している。トルストイはロシア正教会の腐敗に苛立ち、教会を徹底的に批判したが、アウグスティヌスは教会のうちにとどまった。私はトルストイ同様、教会に通う人々が戦争を肯定していることや、キリスト教徒が十字軍やアメリカ大陸征服などの大量殺戮を成し遂げてきたことが、大きな腐敗だと感じていた。自分の生活を棚上げにして、クリスチャンの堕落した生活信条を嘲笑していた。アウグスティヌスはこの教会の腐敗という問題をどう解決したか見てみよう。
    「キリストはあやまちを悔い改める者にたいして徹底的に寛容であれと、教えたではないか。神の裁きの前においては、ただ一人の義人もなく、われわれはひとしく罪人であると教えたではないか。裁きは神にまかせ、愛と寛容とを身にまとえと教えたではないか。キリストのもとに一つの群れとなれと教えたではないか。(…)教会はきよい人々だけの集まりだけではない。それは善い麦とともに毒麦をもまじえている。しかし、だれそれは毒麦ですとか、自分は毒麦ではありませんとか、断言できる者は一人もいない。教会はそのうちに毒麦をまじえるから、それだけ不潔になり、聖性が減るわけではない。かえって互いに欠点をしのび、愛しあうことによって、聖性は増す。教会はそのうちに腐敗をふくむにもかかわらず聖なのではなくて、腐敗をふくむがゆえに聖なのである。腐敗そのものが聖なのではなくて、腐敗をうちにふくみながら、それにたえている教会全体のすがたが聖なのだ。教会を聖ならしめている者、それは、義人のためでなく罪人のために生命をすてたイエス・キリストである。」(pp36-37)
    アウグスティヌスの心を代弁するかのような訳者の解説文からの引用だが、実に納得のいく言葉であった。キリスト教会では当たり前の考えなのかもしれないが、学術的、思想的動機からアウグスティヌスを手にする読者が多いだろう「世界の名著」に、このような考えを披露してくれた翻訳者の情熱、意志は学者として大変素晴らしいものだと思う。
    教会をこのように肯定したアウグスティヌスの思想は、中世スコラ神学の大きな礎となったし、現代哲学にまで影響を与えている。訳者は俗世を捨てて、教会に隠とんしたアウグスティヌスのことを現代人は批判できないと論じる。当時の教会は現代に比べて大きな社会的影響力を持っていたし、学問の中心地でもあった。アウグスティヌスは知識世界の中心地で、時代を揺るがす論争をし続けたのである。現代において倫理を語ろうとすれば、最もアウグスティヌス的な活動の場はどこで与えられるかというと、教会でなく、大学でもなく、このインターネット上であるように感じられる。
    以上が解説の書評である。「告白」本文はまだ十一巻の時間論しか呼んでいない。
    十一巻の時間論は、ギリシア哲学的に精密極まりない論考となっている。キリスト教を肯定しても、ギリシア的な哲学議論を展開できるのが、教父の時代の特徴である。長く精密な時間論の最後にアウグスティヌスは、時間は精神の延長ではなく、分散だという。精神は他の人が言うように未来と過去に向けて延長しているのではなく、記憶の方向と期待の方向に分散しているのだというのが彼の考察結果である。時間軸上に分散している自己が、神のために、ただ現在一つに集中することが彼の望みであり、神の望みでもあった。
    「私は過去のことを忘れ、来たりまた去りゆく未来のことに注意を分散させずに、まのあたり見るものにひたすら精神を集中し、分散ではなく緊張によって追求し、天上に召してくださる神の賞与をわがものとする日までつづけます。その日、私は賛美の声を聞き、来ることも去ることもないあなたのよろこびをながめることでしょう。」
    「しかしいま、私の年々は、ためいきのうちに過ぎてゆきます。主よ、ただあなただけが私のなぐさめ、わが父、永遠です。それに反してこの私は、順序も知らない時間のうちに散らばっています。あなたの愛の火にきよめられ、とかされ、あなたのうちなるはらわたともいうべき私の思いは、さまざまの騒々しいことがらによって、ずたずたにひきさかれているのです。」(p434)
    全ての人生は、労働はこのように集中しようという意志のもとに計画された時、すばらしい成果を人々にもたらすだろう。



     アウグスティヌスは、ローマ帝国が末期を迎えようとする354年に、帝国領土内の北アフリカの海岸の町で、彼自身の『告白』によれば、宗教には無関心の世俗的な父パトリキウスと敬虔なクリスチャンであった母モニカとの間に生まれました。

    この両親の性格づけは、彼の思想全体や生き方から、多分に脚色されたものかもしれません。

    なぜなら、彼の中には、世俗的なものと宗教的なものが混在し、彼自身の人生そのものが世俗的なものから宗教的なものへと変わっていったからです。

    『告白』は、近代になって、ジャン・ジャック・ルソーが彼にならって同名の書物を出版していますが、自らの生涯を綴る告白形式の文学としては、今日でもなお最高峰の位置を保っている名著です。

    彼は修辞学を学び、文学に関心を持つ多情多感な少年でした。修辞学(レトリック)とは、「いかに表現するか」の学問ですが、さしずめ、日本の教育で言えば、国語や文学のジャンルに当てはまるものと言えるかもしれません。

    彼は、プラトンを学び、キケロを読み、多くの文学青年と同様、精神と肉体の放蕩を続けました。

    彼の多情多感性は、「押さえがたい強い性欲」として発露し、17~18歳の頃、一人の女性と同棲をし、一子をもうけました。

    19歳の時、キケロの『哲学の勧め(ホルテンシウス)』を読み、深い精神世界と真理探究の情熱にかられたりしています。

    一方では、自らの欲求のままに過ごす同棲生活と、他方では精神世界への強いあこがれ。この二つが混然となって彼の青春時代を彩っていきました。

    やがて、イタリアのミラノで修辞学の教師をし、同棲をしてきた女性と別れ、別の女性と婚約をしますが、彼の内面では、「強すぎる性欲」に対して悩み続けていたようです。

    23歳の時、
    禁欲を説く混合主義的な宗教であるマニ教に帰依
    マニ教・・・
    3世紀の中頃、ペルシャ人のマニという人が創設
    ペルシャの国教であったゾロアスター教とユダヤ教・キリスト教を中心に、
        仏教や古代バビロニアの宗教などを組み合わせたもの
        メソポタミア地方、ローマ、アフリカ、やがては唐代中国にも伝えられた
    世界を善と悪、
        光と暗黒の二元論からなるものと考え、
        善の神は悪の神によって捕らえられた人間をその光で救い出す、と説く

    欲望と精神世界へのあこがれの二つの次元の間で悩んだアウグスティヌスは、
    このマニ教への帰依によって、
    自らの欲望にうち勝とうとしたのではないかと思います。

    彼は9年間、このマニ教の教えを実行しようとし続けたが
    救われることがなく
        「わたしの魂は憩うことがない」と、彼は語ります。

    しかし、
        時のミラノの司教であったアンブロシウスの説教をきき、
        それまで、母モニカのキリスト教生活や聖書、文体の素朴さを嫌ってたが
    転機が訪れる
    現代でも、
    アンブロシウスはミラノの守護聖人となり
         ミラノの人々は自分たちの町は「アンブロシウスの町」と言います。

    アウグスティヌスは、この高名なアンブロシウスの説教を教会堂でじっと聴き、
    その精神の崇高さと思想の高度さに打たれるのです。

    こうして32才の時にマニ教を捨て、キリスト教に改宗そ
    それまで修辞学の教師として身を立てていた彼は、
    北アフリカの小さな町ヒッポの司教として請われ、
    ピッポで修道院を建て、そこで数々の著作を書き、生涯を全うします。

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