したがって、コミュニケーションがうまく成立するためには、集団内部で信頼や共感があること、できるだけ言葉の意味や定義を共通化すること、誠実な心でできるだけ正しい言葉を使うことが求められる。
逆に、言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり、あるいは意図的に人を騙したり欺いたり、嘘をついたり、勘違いさせる表現を使うことは、人間の心を荒廃させ、言語に対する信用を失墜させ、人類社会を虚無的(ニヒル)な社会へと堕落させることになる。
今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさは、言語に対する信頼が失われたためであるということもできるであろう。
皆様はどうお考えになりますか。
その人が生まれた時代・土地によって異なります。
前者は、辞書が時代、時代で改版されることからもある程度想像できるでしょう。後者についても、例えば「自分」というのは標準語では一人称を指す言葉ですが、(主に)関西では二人称を指す言葉として使われることが多いです。「言葉の定義をはっきりさせる」という作業は、辞書を編纂するのと同じぐらい大変な作業です。
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だから、言葉の定義を先にはっきりさせようよ。