元の皇帝フビライハンは日本に対してどのような思いを抱いていたのか、を

調べています。

元寇当時(文永の役1274年、弘安の役1281年)、元は南宋を滅ぼすことを第一の
目的としていた、と言われているようですが・・

そもそも文永の役は「威力偵察」で弘安の役は「南宋軍を消耗させるため」、
という内容がWIKIPEDIAには載っていました・・

日本なんてちっぽけな国だ、と思っていたのでしょうか?
いつかは征服して・・と考えていたのでしょうか?

回答の条件
  • URL必須
  • 1人2回まで
  • 登録:2008/09/20 19:06:07
  • 終了:2008/09/27 19:10:03

回答(2件)

id:rsc96074 No.1

rsc回答回数4399ベストアンサー獲得回数4032008/09/20 19:45:19

ポイント35pt

 「大蒙古国・国書」は日本を属国にしようと脅しているのではなく,南宋との戦を有利にすすめようとして,盛んに貿易をしていた日本と南宋の関係を断とうするために国交を結ぼうと言っているにすぎないのではないか,とも言う説もあります.大帝国の蒙古が小国の日本に対して書いた国書にしては,ずいぶんと譲歩の言葉で書かれていることと,最後の「不宣」で「これは命令じゃないよ」と言い表しているからです.しかも最初の元寇である文永の役までに蒙古は四度も使者を日本に送っています(日本に来たのはそのうちの二度).蒙古が他国を支配するときの例からすると,これは異例のことだとも言われています.

http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/index.h...

 上記のような説があるそうです。確かに、ちっぽけな国と思っていたのでしょうが、征服しようというよりは、南宋と日本の関係を断とうとするために(離間策)、国交を結ぼうと考えていただけかも知れません。

 それから、「逆説の日本史」をお読みになることをお勧めします。本当に面白いですよ。

http://www.amazon.co.jp/%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%...

id:urf77 No.2

urf77回答回数433ベストアンサー獲得回数92008/09/20 22:56:50

ポイント35pt

「もう一度脅せば、もしかすると闘わずに日本は降伏するかも?」と考えて、再び日本に杜世忠(とせいちゅう)らを使者をとして送り、「降伏しろ」と要求します。

http://www.uraken.net/rekishi/reki-jp25.html

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

絞り込み :
はてなココの「ともだち」を表示します。
回答リクエストを送信したユーザーはいません