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・嘘も方便
http://ikijibiki.blog3.fc2.com/blog-entry-222.html
http://kotowaza.andnavi.com/kotowaza1.html
・阿鼻叫喚
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%98%BF%E9%BC%BB%E5...
・釈迦に経
http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2003/12/post_1534.html
・一蓮托生
http://sanabo.com/words/archives/2004/08/post_956.html
・馬の耳に念仏
仏教に関する言葉を含む故事・ことわざ
に以下の掲載がありましたので、一部抜粋させていただきました。
ご覧ください。
http://www.terakoya.com/yougo/kotowaza2.html
いらぬ仏の持ち重り (いらぬほとけのもちおもり)
仏など不要だと思っている信仰心のない人が仏像を運ぶと、持っているうちにだんだん重さが増してくるように感じられるの意。
鬼にもなれば仏にもなる (おににもなればほとけにもなる)
人間は相手しだい、出方しだいで、鬼のように恐ろしい存在にもなれば、仏のようにやさしい存在にもなるということ。
神と仏は水波の隔て (かみとほとけはすいはのへだて)
神は、本地である仏が仮に姿を現したものであるから、水と波との関係のように、形だけの違いで、もとは同じものであるの意。◎「神仏(かみほとけ)は水波の隔て」とも「仏神(ぶつじん)は水破の隔て」とも言う。
神仏人を殺さず (かみほとけひとをころさず)
神仏は慈悲深く、どんな場合にも人を見捨てない。
〔類句〕天道人を殺さず。
木仏 金仏 石仏 (きぶつ かなぶつ いしぼとけ)
人情の機微がわからない無骨(ぶこつ)者のたとえ。
事ある時は仏の足を戴く (ことあるときはほとけのあしをいただく)
ふだんは信仰心などないような人でも、なにかあったときには仏の足元にひれ伏して助けを求め、一心に祈るということ。
〔類句〕苦しい時の神頼み
彩ずる仏の鼻を欠く (さいずるほとけのはなをかく)
念を入れすぎたため、かえってたいせつな部分をこわしてしまうたとえ。
◎「彩ずる」は彩色を施して飾るの意。仏像を作り上げるのに、もう少しよくしようと手を入れているうちに肝心な鼻を欠いてしまうことから。
〔類句〕過ぎたるは猶及ばざるが如し
知らぬが仏 (しらぬがほとけ)
知っていれば腹の立つことでも、知らなければ怒ることもないわけで、仏のようにおだやかにしていられるということ。また、実態を知らずに、のほほんとしている人をあざわらって言うことば。
◎いろはがるた(江戸)。
〔例〕「知らぬが仏間男が通夜をして」(古川柳)
〔類句〕見ぬは極楽知らぬは仏/聞けば聞き腹
知らぬ仏より馴染みの鬼 (しらぬほとけよりなじみのおに)
どんなによい人でもよく知らない人よりは、懇意な人、身近な人のほうが心強いし、頼りになるということ。
◎知らない仏様より、よく知っている鬼のほうがまだましだの意から。「知らぬ神より馴染みの鬼」とも言う。
地獄で仏に会ったよう (じごくでほとけにあったよう)
ひどく困っているときに、思いがけない助けに出会って喜ぶことのたとえ。
◎あたかも恐ろしい地獄で慈悲深い仏様にひょっこり会ったようなうれしさの意から。略して「地獄で仏」と言う。
〔類句〕闇夜の提灯/干天の慈雨
土仏の水遊び (つちぼとけのみずあそび)
自分で自分を滅すこと。身のほどを知らずに無謀なことをするたとえ。
◎土で作った仏が水遊びをしたら、溶けてしまうの意から。「土人形の水遊び」とも言う。
ないが極楽 知らぬが仏 (ないがごくらく しらぬがほとけ)
貧しい者は財産のために気苦労などする必要がないし、ぜいたくの味も知らないので欲のために心を悩ませることもない。だから、かえって貧乏のほうが気が楽で、時には金持ちよりも幸せな場合があるということ。
寝た間は仏 (ねたまはほとけ)
人間、寝ている間だけが、現実の苦労を忘れて、仏のような心になれる唯一の時だということ。
〔類句〕寝る間が極楽/寝るほど楽はない
仏千人 神千人 (ほとけせんにん かみせんにん)
世の中には悪人もいるにはいるが、善人もまたたくさんいるということ。
◎世間には仏様や神様のようなよい人がたくさんいるの意から。
仏作って魂入れず (ほとけつくってたましいいれず)
ものごとは、肝心の部分がおろそかにされると、結局はなんにもならないということ。
◎仏像を作っても、魂を入れなければせっかくの仏像が仏像としての意味をなさなくなるの意から。
〔類句〕画竜天睛を欠く/九仞の功を一簣に虧く
仏の顔も三度 (ほとけのかおもさんど)
どんなに情け深く心やさしい人でも、度重ねてひどい仕打ちを受けると、しまいには怒り出すということ。
◎慈悲深く心の広い仏でも、三度も顔を撫(な)でまわされてばかにされれば、ついには怒り出すの意から。「地蔵の顔も三度」とも言う。いろはがるた(京都)。
〔類句〕兎も七日なぶれば噛みつく
仏は見通し (ほとけはみとおし)
仏はどんな小さなことでも見ている。仏は何でもご存じであるから、ごまかすことはできない。
◎「神仏は見通し」とも言う。
仏ほっとけ 神構うな (ほとけほっとけ かみかまうな)
信心や信仰も、ほどほどにしておいたほうがよいということ。
◎「仏」と「ほっとけ」、「神」と「かまうな」と語呂を合わせ、調子よく言ったことば。
仏も昔は凡夫なり (ほとけもむかしはぼんぷなり)
どんな人でも仏のようなりっぱな人物になれる素質を持っているということ。
◎「仏」は釈迦(しゃか)、「凡夫」は凡人の意。あの釈迦でさえ、もとは煩悩に迷うごく普通の人間だったの意から。
見ぬは極楽 知らぬは仏 (みぬはごくらく しらぬはほとけ)
気がつけば腹が立つことでも、気がつかなければなにもなかったのと同じことになるということ。
◎不愉快なことも、見なければ極楽にいるように平穏な気分でいられるし、知らなければ仏様のようにやさしい気持ちでいられるの意から。
〔類句〕知らぬが仏
我が仏尊し (わがほとけとうとし)
自分がよいと思うことや、自分が持っているものが、ほかのどんなものよりもよい、すぐれていると思い込むこと。
◎自分の寺の仏がほかの寺のどの仏より尊く思われるの意から。「吾が仏尊し」「我が家の仏尊し」「我が寺の仏尊し」とも言う。
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