ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』によれば、人類は文字(書き言葉)が日常的に使われるようになる3000年くらい前までは、左脳で人間の言語をつかさどり、右脳は神々の声を聞くためにつかっていたそうです。(と彼は考え、私は要約する)


書き言葉が使用されるようになったり、社会が流動化して、我々は内なる神の声が聞こえなくなったそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20050725bk03.htm

私は、これを、人間の脳の内部に記憶されている(けれども通常はまったく意識されない)本能の知恵にアクセスしていたということかなと解釈をしています。つまり、我々は気づいていないけれども、神は我々の内部に、本能の知恵として存在しているということになります。

そして、その本能の知恵は、大変なストレスのときや、催眠状態や癲癇の発作のときなど、大脳新皮質領域の意識がダウンしているときに、呼び起こされることがあるのではないでしょうか。

ここで質問です。 

人間の記憶の深奥に、神と呼ぶことのできる本能の記憶や直観力・予知能力があるという説が他にもあれば、ぜひご紹介ください。

回答の条件
  • URL必須
  • 1人2回まで
  • 登録:2008/10/14 12:50:33
  • 終了:2008/10/21 12:55:02

回答(1件)

id:FC6 No.1

FC6回答回数66ベストアンサー獲得回数12008/10/16 01:13:09

ポイント60pt

直接的には答えにくいので間接的に答えます。

あなたのニーズを満たすことが出来なかったらポイントは要らないです。私ははあなたが真に知りたいことは無意識についてではないかと考えました。

まず、私と非常に方向性が似た考え方をしていると感じました。

神は我々の内部にいるという結論に私は賛成です。

運命に逆らうことは出来るが、逆らわないほうが幸せであるという考え方をしています。

フロイトが提唱した自由連想法というものがあります。

http://contest.thinkquest.jp/tqj2002/50416/

これを用いると肥大化した欲求を発見でき、それを知るだけでずいぶんと心が軽くなるのです。そして上記のような心境に達しました。

ここであるひとつの疑問が浮かびます。なぜ肥大化した欲求の発見が救いになるのだろうかということです。

例えば他者に支配されたいという欲求が肥大化したとします。しかし、この人の現状が支配されている状況ならば。むしろ欲求を満たしているわけで幸せではないかと考えられるわけです。

しかし、現実には体調不良や思考能力の低下、感情を感じる能力の低下を引き起こすわけです。

つまり、欲求のサイズは先天的に決まっているのではないでしょうか。それが、環境の影響を受けて大幅な勘違いをさせられてしまうと、それの警告として症状が現れるのではないかと考えられます。

自分のやりたいことがわからないといった表現を聞きますが不思議なことです。単純に考えれば

仮に欲求の総量100が先天的にABCDEに分類されており、

A5B5C70D10E10の割合だったったとします。これがどうなっているのかは意識レベルでは分からないのですが(自由連想法を行うと感情が教えてくれます)、この割合を守ることが単純に言えばいい人生なのだと思います。例えばこのCがメディアの影響を受けて90まで肥大、しかしもとから70になるようにこの人の状態は設定されているので肥大化vs縮小の戦いが開始される。といった感じになるのではないでしょうか。

といった考え方から上記のような思いが生まれました。

参考になればうれしいです。

id:ShinRai

ご回答ありがとうございます。

なるほど、フロイトの無意識の話ですね。

私はフロイトの学説自体をきちんと勉強していないので、

おぼろげには、ちょっと違うかなという気もしますが、

もう一度考えて見ます。

フロイト的な欲求や性的意識というよりは、

もっと古い時代の、爬虫類や初期哺乳類の時代の

自然の一部をなしている本能、自然と一体化した本能

そういうものについて言及している人がいればいいなと

思ったのでした。

あるいは、DNAの研究者から、我々の遺伝子を司っている

DNAの配列自体が神であり、

その配列には、神の意思が働いているといったような

話はないものでしょうか

2008/10/16 08:15:48
  • id:ShinRai
    質問者がレスしてどうするのとも思いましたが、質問後に思い出したので、、、。

    おそらく天台本覚思想、山川草木悉皆成仏、山川草木悉有仏性という思想は、人間の本性は神であるという思想に通ずると思います。

    修験道の思想、修験道に影響を受けたと思われる天台宗の千日回峰行も、やはり禊ぎ、磨きによって自分自身が神になるという行でしょう。

    そして、それを発展させたと思われる道元の「只管打坐」も、人間は何もしないでひたすら座禅していれば仏性に還るという思想かもしれませんね。
  • id:ShinRai
    二分心についてのウィキペディアの日本語と英語はずいぶん分量が違いますね

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%88%86%E5%BF%83

    http://en.wikipedia.org/wiki/The_Origin_of_Consciousness_in_the_Breakdown_of_the_Bicameral_Mind
  • id:standard_one
    ウミクワガタの存在を知って以来、私は進化という概念に非常に懐疑的になりました。
    例えば「神と呼ぶことのできる本能の記憶や直観力・予知能力」というものが実在するとして、それは人間が持っているものではなくDNAが持っているものであり、たまたまその引き出しがあいている固体(あるいは種)がそれを使用するだけであり、それは五感と何ら変わりないただの生物としての能力であると思います。

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

絞り込み :
はてなココの「ともだち」を表示します。
回答リクエストを送信したユーザーはいません