THEME:「鍵」「アート」「ペットライフ」+「縁起物」
「今日をちょっと楽しく、イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運・幸せ」。毎回のテーマに沿って、イエと暮らしに幸運を呼ぶコト、ハッピーにするコトを思いとともにメッセージ下さいね。
豊かな暮らしをつくっていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
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「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とサプリ例
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※質問は11月17日(月)正午で終了させて頂きます。
そうですね!看板そのものもアートですよね。すごく味があります。江戸時代なんかは字を読むことができない人も多かったので、木にそのお店の内容をもじった絵なんかを書かれてあったりしたそうですね。字を書く人、彫る人などの職人さんが大勢いたとか。
手仕事のよさがダイレクトに伝わる看板大好きです。
さて、文字にちょっと戻りますが、言葉というのは、昔の人たちはとても大事にしていて、それらを残すために、または通信手段として使われたものだったらしいですね。
象形文字も漢字も見ただけで何を意味するのかがわかるように絵(記号)から作られました。
そしてそれがさまざまに改良されて現在に至ります。
こうやって考えてみると文字ってあるデザインがいくつかの時をかけて洗練されて形作られてきたような気がします。これはすばらしいアートではないかと思います。
言葉を発することってなにかのエネルギーのかたまりのようなものを感じますが、それを表す文字も何かしらの力をもっているような気がします。
かつて、看板は画家を目指す人の職業であったりしたものでしたよね。日本を代表する版画家の一人、斉藤清氏なども、看板屋を経て独学で学んで作品を作りつつ、海外で脚光を浴び始めた人でした。
逆に、初期の手塚治虫さんなどと同時期に活躍していた漫画家が、看板屋さんに転身したという例もありました。漫画の世界は流行に左右されやすいですから、自分の漫画の旬は過ぎたと直感した時、第二の舞台を看板に移したんでしょうね。
今でも、そんなアーティスティックな看板、時々見ますよね。そういう看板を書いている人のお仕事風景も見たことがあります。今の時代ならPCでスパッとカッティングシートを切り抜いて文字にしてしまうような作業を、手書きのレタリングで仕上げていきます。素晴らしい芸術的な作業です。
昔の木でできた看板もいいですよね。時々骨董品屋に、戦前の看板が置かれていることがありますが、分厚い木の板、彫刻の施された文字部分等々、実に凝った作りで、重厚感があります。昔は素材が素朴だった分、仕事に手間を掛けて、本当に良い物を作ってたんですよね。古き良き真面目な手仕事の時代の看板。私もそういうのを見るのが大好きです。
ここは昨年マンション供給戸数ランキング首都圏第1位の三井不動産レジデンシャルさんがスポンサーですから、敢えて不動産業界もこれについて真剣に考えて欲しいと提案したいと思いますね。
これからの時代、高齢化対応設計のマンションは不可欠だと思うんです。バリアフリーはもとより、暮らしを豊かにする動物との暮らしも考慮された、介護サービス付きマンション。そういう所に、若いうちから住むんです。そしてそこを終の棲家として、たとえ単身で要介護になったとしても住み続けられる。そんなマンション。これからの時代には、求められていくと思いませんか?
若者もいる、動物もいる。そんな一つのマチとしてのマンション。そこが高齢者介護施設も兼ねる。もちろん動物の世話も含めた完璧な介護。そういう終生暮らせる都市型住宅を創出しましょうよ。これは大規模なビジネスチャンスにもなるはずです。
とにかく今後の高齢化社会に備えた、終生愛する動物と一緒にいられることを保証する社会の仕組み作りは、今始めていかないと間に合いませんね。イエはてなでもこれから、高齢化社会に向けたイエのあり方を、色々考えていけるといいですね。
へぇぇぇ、口を開けている方は福を受け入れる役、閉じている方は入ってきた福を逃がさないとともに良くない物を入れない役、ということなんですね。
でも、シーサーはスフィンクスとも同じ起源の、古代オリエントにおけるライオンあるいは犬のデザインが発祥と言われていて、エジプトのスフィンクスが一匹だけなのと同じで、シーサーも昔は一匹だけを飾るのが普通だったらしいんです。それが日本本土との文化交流の中で、狛犬みたいに二匹並べてみたいということでやってみたのが定着して、今の二匹一対の形式になったそうです。
で、狛犬はなぜ二匹一対かというと、これは仁王像の二体一対に由来するのだそうです。仁王には金剛力士という立派なお名前がありますが、二体一対で祀られることから、二王→仁王とも呼ばれるようになりました。で、この二体のお姿を「阿吽」といいますが、阿吽は要するに「あ→ん」。アルファベットで表せばA to Z。聖書の中に、
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
(黙示録 1:8 新共同訳聖書 財団法人日本聖書協会 より引用)
と同じことです。
こんなふうに、意匠もいわれも世界的なシーサーさん。アジアどころかユーラシア全体からの文化を受け継いできたシーサーさん。なんか、すごくいいものをもたらしてくれそうですよね。私もシーサー、大好きです。
ちなみにわが家では、猫が偉そうに座っている姿を、シーサーやってると表現します。時々門柱の上でシーサーやってる猫ちゃん、いますよねw
この記事、見てください。家庭で世話できなくなった犬を有料でケアする施設について報じたもので、飼い主さんのケアハウスへの入居に伴って15年連れ添った犬を預けた事例などが取り上げられています。
http://www.asahi.com/national/update/1116/OSK200811150100.html
以前もこのいわしで飼い主さんの高齢化にともなって世話しきれなくなってしまうペットの問題が取り上げられていましたが、飼い主さんのケアハウスに入所などに伴って愛するペットと離れなければならないというのは、どういうものなのでしょう。高齢という理由で、家族以上の絆で結ばれていた愛するペットと引き離される高齢者。これって、あまりに悲しいことではないでしょうか。
もちろん要介護の状態などになってしまえば、それは若い人だってペットの世話を誰かに頼まなければならないですから、そういう時は仕方がありません。そういう時のためには、この記事にあるような施設がもっとたくさん増えて、安価な料金で利用できるようになることが望まれます。
でも、日常生活に支障がない状態なら、ケアハウスなどでも引き続きペットとの同居を可能としていく社会努力が必要なのではないでしょうか。そのためにはペット専任の職員を配置する必要も出てくるでしょうが、そうした雇用の創出はこれからの社会では好ましいことです。
私たちが高齢者と呼ばれるようになる時代は、少子化と高齢化が一緒にやってきている時代です。老後はケアハウスなどの施設で過ごすのが当たり前になる時代です。その時に愛するペットと引き離される不幸が社会に蔓延するなんて耐えられないではありませんか。今、制度を整備していく必要があると思います。ペット可の高齢者施設。真剣に考えてみたいものだと思います。
シーサー。
地元に住んでいるので色々見ますね
それがある家ごとに微妙にデザインが違う気がするし
見てて楽しいですね
家の入り口にシーサーがあると災いから
守ってくれる感じがして安心します
Tシャツにもかわいいキャラとして
シーサーがデザインされてるものがあって
結構気に入ってるんですよ
我が家にも2つだけですが
招き猫があります
白と金色のものです
時々手が動くものでかわいいです
意識してずっと見てるわけではないけれどかわいいな~と
たまに思っていますね
文字の集まりだけでも立派な絵になりますよね。アスキーアートもその中にはいると思います。
しかし、街の中を歩いているとお店の看板など、いろいろな書体がいろいろな場所に書かれているのを見かけます。
ワンコの散歩をしているときや、ふつうに散歩で歩いているとき、また職場へ向かう道などなど、いろんな看板を見ると、それぞれに味があっていいですね。
例えば花屋さんの「花」という文字ひとつをとってみても、花の文字にお花がくっついていたり、コーヒーという漢字「珈琲」が茶色で太く書かれてあったり・・その書かれている文字の意味をかんがえながら自体や太さ、色などを見ていくと新たな発見ができます。
あと忘れてならないのは看板の材質。木の板だったり、黒板だったり、金属だったり・・。
滋賀県で昔の木でできた看板に文字がかかれているものを見たことがありますが、たくさん集まるとそれは圧巻です。
文字の書かれている場所なんかも色とりどりでひとつの絵をみているような感覚で見ることができますよ。
純血種に大切なのは、まずその品種に相応しい特徴がどれだけ保持されているかという「個体」の問題であって、血統の記録というのは繁殖に際して望ましいカップリングを選択するための基礎資料に過ぎないんですよね。ですから、どんなに凄い血統書が付いていたとしても、それがその個体の優秀さを証明するとは限りません。
だから、血統のブランドとは別に、品評会とかキャットショー、ドッグショーなんていうのがあるわけですよね。個体の優秀さは、そういう所で競うわけです。で、そういう場で優秀な成績を収めた個体から、新時代を担う血統が育っていったりもするわけです。
ただ、愛猫家の世界では、純血種の素晴らしさが大切にされる一方で、いわゆる「うちの子自慢」的な優秀さこそが猫本来の素晴らしさであって、どんな雑種でも、たとえ野良出身でも、愛情と努力次第で日本一の猫と呼ばれるようになれるんだ、という考え方があります。
そこで、キャットショーには品種別部門の他に、品種を問わず、雑種でも、親が分からない野良出身でも、とにかく猫なら誰でもエントリーできる「ハウスホールド」などという部門が設けられていることが多いんです。この部門は、血統書のブランド価値などは全く及ばない世界ですから、それこそ飼い主さんの愛情の結果が審査される、ということですね。
うちにもチャボがいました。やはり配合飼料の他に、青菜を刻んだり蛎殻を与えたりしていましたよ。そうすると本当に喜ぶんですよね。配合飼料だけだと、他ならぬチャボが、物足りなさそうにしているんです。やはり本能的に、青菜や蛎殻などが加わって、初めてバランスの良い食餌になると受け止めていたんだろうと思います。
鶏小屋の前で青菜を刻んでいると、もう待ちきれないと言った感じで寄ってくるんですよね。その様子が何とも可愛くて・・・・。鶏にもバランスの取れた食餌と愛情が欠かせませんね。あー、また鶏、飼いたくなっちゃいました。
fumie15さん、15年連れ添った猫ちゃんと。15年といったら大変な月日ですよね。中学生だった子供が二十歳代を通り越して三十歳になってしまう年月です。人生を共にした猫ちゃん、といっても過言ではありませんよね。日の愛する猫ちゃんを失われた悲しみは、大変なものがあると思います。
でもfumie15さんの猫ちゃんは大変な長生きでした。天寿と言って間違いのない年齢まで元気でいてくれたのですから、まずはそのことを喜びましょう。そして、15年という歳月を健康に生きてきたということは、それほどに大切にされてきたということですから、幸せだったに違いありません。それも喜びましょう。そしてそして・・・・。
私は魂は永遠だと、本当にそう信じているんです。その理由の一つは、古今東西、あらゆる民族が、場所も時代も全く違うにもかかわらず、判で押したように死後の世界が存在することを言い伝えてきているからです。単なるフィクションなら、こんなに一致することは有り得ません。本当に実在するから、三千年前のインドでも、二千年前のイスラエルでも、同じようなことを言っているんです。私はそう考えています。
だから、愛し合う魂同士は必ずまた会えるに違いありません。永遠の別れなんてありません。死は、再会の約束のあるしばしの別れに過ぎないんです。生きていようが、死別しようが、全力で愛し続けましょう。離れていても、思いはきっと届いていると思います。
書道好きの父に道具を借りて、初めての書道に挑戦してみました。今までは学校のお習字程度しかやったことがありませんでしたが、今回は白紙の掛け軸に書いていきます。
まずは父がお手本に一幅書いてくれました。父はまず紙に向かうと、筆を持たずにスッと右手を上げ、宙に大きく文字を書いていました。そうやってイメージを掴むのだそうです。何度も宙に文字を書き、文字の形や配分、線の勢いや止める跳ねるなどの調子を調節し、これぞベストというイメージが掴めた所で筆を持って一気に書き上げていきます。父が書いてくれたのはたったの二字でしたが、その二字には綿密な試行錯誤の重みと、実際に書くのはたった一回という、一発勝負の勢いが同居している感じがしました。この奥深さが、ただの文字をアートにしていると思いました。
筆を渡されて、今度は私の番です。私は長く格闘技をやっていましたので、試合の前の緊張感に離れています。が、紙の前で筆を握る緊張感は、それをはるかにしのぐものがありました。大変な緊張感がみなぎります。
目をつぶり、筆を真っ正面に突き出してみました。体の中心がはっきりしてきて、安定感が出てきました。これは試合前と同じ感覚です。私は字など真面目に書いたことはなかったので、閉じた目の中で、イメージだけで文字を書く練習をしていきました。父の真似をして下手に手を動かすと、稚拙な手の動きに引きずられて、浮かんでくるイメージが消されてしまう気がしたのです。その点、イメージの中でなら、邪魔する物は何もありません。
だんだん書きたい文字の形が見えてきました。今だ、と思いました。イメージが新鮮なうちに一気に書いてしまえ、今を逃したらもう書けない、そんな気がしました。目を開けると真っ白な紙が眩しかったですが、筆に墨をたっぷりと含ませて、一気に書いてみました。文字は父と同じ二文字です。「天気」と書いて「あき」と読ませる。父の造語です。
最後の一画、「気」の字の「メ」の所の「ヽ」を書き終えて、ふーっと息を吐き切ると、父が勢いのある字が書けたと声をかけてくれました。
父の作品と二枚並べてみると、私の字は明らかに稚拙でしたが、でも思いの外、イメージ通りに書けてびっくりしました。父がお手本に書いてくれた時にみなぎっていた気を受け止めて、そのエネルギーで書き上げた感じでした。
父も私も白紙の掛け軸に書いていったので、もう書き上がった時点で立派な掛け軸になっています。二幅の掛け軸が並び、それぞれの「秋」が完成しました。久し振りに父と深い心の交流ができ、また思う存分アートが楽しめたひとときでした。書道というアートは奥が深いです。
今年の4月29日に15年飼っていた猫が亡くなりました。(ペットに亡くなったという尊敬語をつけるのはおかしいですが許してください)
苦しむこともなく、5分くらいで逝ってしまいました。お医者さんは心臓麻痺だろうと言っていました。悲しくて悲しくてGW中はずっとそのことばかり考えていました。ご飯のときだけ愛想のよい、普段は愛想がない猫だったのですけれど、思い出すのはホットカーペットの上で寝ていて、呼びかけると尻尾だけをパタパタと動かすかわいい仕草とか、たーまにお返事してくれた鳴き声とかを思い出します。
もう一度猫が帰ってきて、また同じ死のかなしさを味わなければいけないとしても、また15年一緒に暮らしたいです。
ポチ、「虹の橋」で待っていてね。どんなに無愛想でもかまわないから一度だけでもニャーとお返事してくださいね。その時を楽しみにしています。
死の悲しみを少しでもなくしたいからこそ、放置しておけば死が待っている動物を救い出すという選択もあると思います。日本中がその気持ちになれば、この国からどれだけの悲しみが減るでしょう。
子供のころ、鍵のついた日記にあこがれていました。
何で憧れていたのか・・・
子供の頃、学校で嫌なことがあっても、誰にも言えなかった出来事。
どこかで吐き出したかったけれど言えなかったこと。
鍵をつけておけば、吐き出せる気がしたのでしょう。
結局自分のお小遣いでは、鍵付の日記帳を買えず。
心の奥に悩みは閉じ込めました。
ペットは当然ですが必ず死にます。
その死んだ時の悲しみは繰り返したくありません。
同じペットとして飼うなら植物が良いです。
花や野菜の栽培は精神の安定と収穫物が得られます。
そして、動物は毎時餌を与えなければなりません。
排尿も処理しなくてはなりません。
アパートなら規制も厳しい所があります。
植物なら規制もなく生ごみは肥料になります。
空気も綺麗にしてくれます。
動物は近所のペット。
植物は自宅のベランダ。
そんな生活が理想ですね。
最近は少子化で鍵っ子が増えていますね。
これからも増えるでしょうね。
ホームアローンみたいな映画のシーンも面白いですね。
昔はキーホルダーが流行りました。
今は携帯ストラップが流行っています。
キーホルダーの方がしっかりしていてお守りや袋類等の副装品が付け易いですね。
今はパソコンのUSBにもメモ代わりのお守り様を着けていますね。
それはありますね。
時々何気なくしてしまいます。
合鍵は常に財布か車の内緒場所に忍ばせて置くのが良いですね。
最近はリモコン式鍵が流行っていますので、次回の車にはリモコン鍵を採用しましょう!
Tom Catさん
人生の半分を過ごしたねこだから半身がなくなったようでした。
でも遠く離れていてもきっといつか会えますよね。