味噌汁は加熱の仕方によっては爆発する、みたいなことではなく、
歴史上の人物●●が愛した味噌汁はこんなもの、とか
こうすると味噌汁はおいしくできる(分かりやすいこと)、のようなものが良いです。
宜しくお願いします。
・沖縄県の「みそ汁」
沖縄県の食堂には「みそ汁(みそしる、みそじる)」というメニューがある。大きな椀に豚肉、ポーク(ランチョンミート)、ソーセージ、豆腐、野菜類、鶏卵などが入った味噌汁に、どんぶりに盛ったご飯と、場合によっては副菜もつく。なお、沖縄県の味噌汁では調理時に油を入れるのが普通であり、具に肉が含まれない場合はラードやマーガリンを加えるなどする。これは野菜を軟らかく煮るのに効果があるという。また豚肉、かまぼこ、こんにゃく、しいたけなどを白味噌仕立てにしたイナムドゥチや、魚汁(さかなじる)という魚(まるごと、あるいはぶつ切り)を具材とした味噌汁などもポピュラーである。
・歴史
味噌汁が庶民の食卓に登場したのは室町時代の頃と言われている。元々は田舎料理で主に農家などで作られていたものであったが、時期が経つにつれ様々な階層にも次第に普及し、やがて日本人の食卓に欠かせないものになる。
調理が簡単で大量に作れるみそ汁は戦国時代に陣中食として考案されたとする説がある。里芋の茎を味噌で煮しめた芋がら縄は、ちぎって陣笠に入れて熱湯をかければ簡単に味噌汁ができる陣中食だった。石田三成は、「熱湯に焼き味噌をかき立てて飲めば、終日米がなくとも飢えたることなし」と語ったとの言い伝えがある。陣中食としての味噌汁は、むしろご飯に味噌をかけて湯を入れたものであることも多く、元々「汁かけ飯」だったものが、後にご飯と味噌汁の組み合わせに変化していったとも言われる。各地に残る味噌には、戦国武将の考案によるものとされるものがある(上杉謙信の越後味噌、伊達政宗の仙台味噌など)。
・名称
東京近郊ではおみおつけとも呼ぶ。御味御付。「おみ」は「味噌」、「おつけ」は「汁」を意味する女房言葉。江戸時代に江戸の地で使用され始めた。または御御御汁と書き、おつけにさらに接頭辞が付いたという説もある。 特にこの地域では伝統的に、味噌汁の中身の固形物のことを「具」とは呼ばず「実」と呼ぶ(「おつけの実」、など)。
京阪神では汁を総じておつゆと称する。おつゆをすまし汁と味噌汁を区別して使用する場合もある。なおつゆは現在ではこの地方でも一般にそうめんやそばのつけ汁のことである。
小説家、織田作之助が愛したお味噌汁。
http://www.osakamiso.com/odasaku.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BD%9C%E4%B9%8...
織田作之助が少しマイナーかも・・。
ありがとうございます。
戦国時代には大切な兵糧になったため、みそ造りが奨励され、庶民にも広がっていきます。
江戸時代には、みそは食卓に欠かせない存在になりました。人口増が激しかった江戸の街には、諸国から取り寄せたみそを商う店もでき、みそ料理も洗練されていきます。
豆みそが徳川家康の元気のもとだった、伊達政宗が初めてみその「工場」を造ったなどの逸話も残されています。
「みそ汁は朝の毒消し」──これは江戸時代のことわざです。
ふんふん、ありがとうございます。
家康が愛した五菜三根汁。
味噌パワーで、当時の平均寿命をかなり上回り、75歳まで生きたと言われているそうです。
へぇ、ありがとうございます。
旧日本海軍では、味噌汁のだしを取るのに前晩鍋に水を張り、そこに煮干しを入れ、朝取り出して使っていたという話があります。私は高橋孟氏の著書でこれを知ったのですが、下記サイトにもそう言う話があったという記載があります。また、実際料理屋などではいりこだしをとる際そういう方法をとるお店もあるようです。
http://mw17.exblog.jp/2654631/
これですとえぐみも出ず、おいしいだしが手軽に取れるかと思います。
また、インスタント味噌汁は戦国時代からあったというお話もあります。
http://plaza.rakuten.co.jp/resoul3/diary/200805280000/
http://eco.goo.ne.jp/food/slowfood/dentosyoku/shoku02.html
戦国期の足軽は陣笠を鍋の代わりに湯を沸かし、いもがら縄とみそ玉で味噌汁を作ったそうです。
へぇ~、ありがとうございます。
味噌汁の歴史
味噌汁が登場したのは室町時代とされています。味噌は平安時代から食材につけて食べたり、そのまま舐めたりして食されてきました。鎌倉時代には、味噌をすりつぶして溶かした汁状の物が飲まれるようになり、これが味噌汁の原型と言われています。この頃に一汁一菜の基本ができました。室町時代に入り、庶民の間にも味噌汁が広まっていき、農民は自分たちで味噌を作るようになりました。江戸時代、徳川家康は普通38歳前後までしか生きられない時代に、75歳まで長生きしました。長寿の秘訣はたくさんの具を入れた味噌汁を毎日食していたからだと言われています。これにあやかり、家康以降の将軍達も、健康のために味噌汁を毎日欠かさなかったそうです。
ありがとうございます。
芋茎縄
戦国時代にインスタントみそ汁の先駆け的な存在がありました。それが芋茎縄です。
サトイモの葉柄を味噌で煮しめて携帯し、食べる時に刻んで煮込むと、味噌汁の出来上がり。
ふむ、ありがとうございます。
武田信玄が荷縄兼食料として「芋茎(ずいき)の縄」を使ってみそ汁を作っていたそうです。
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub10/nazo/ho_s2_06101401.htm
ありがとうございます。
味噌汁の隠し味
味噌汁を作るとき、だしと味噌だけではなく、味噌を溶くときに少量の料理酒を入れてみてください。一味変わってコクがでます。もう一つ、味噌汁のコクの出し方を紹介しましょう。仕上げにしょうゆを一回り入れます。少量のしょうゆをいれることで味に深みが出ます。
ほう、ありがとうございます。
戦国時代に既にインスタント味噌汁があった。
>味噌汁は、スープ料理の中でも手軽に作れる部類に入る料理です。これは、戦国時代の糧食として味噌が扱われていた頃からの流れを汲んでいます。戦国時代に重宝された糧食の中に芋茎縄というものがあります。これは里芋を縄状に編んで味噌で煮しめたもので、刻んで煮込むと里芋の味噌汁が出来上がるという携行食品です。芋茎縄は時間との勝負になる戦場では早く食べられる食品が重宝されていたからこそ生まれた食品であり、現代のインスタント味噌汁の原形であるといっても過言ではないでしょう。
これたくさん出てきますね。
ありがとうございます。
こうすると味噌汁はおいしくできる
http://www.sgm.co.jp/life/syoku/2006/08/post_417.html
味噌は具が煮えてから、火を止める間際か、火を止めてすぐに入れる
こうすると味噌の中の発酵している菌(乳酸菌のような善玉菌)が死なない。
よって、風味が生きて美味しく出来る。
味噌を煮詰めるのは、殺菌してしまうようなもので損。
ありがとうございます。
なんか一時期こういうのはやりましたっけ。。
ありがとうございます。
おもしろいです。
ありがとうございます。