THEME:「物語のついた愛しいモノたち!我が家の思い出の品」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とルポ例
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※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は11月27日(木)正午で終了させて頂きます。
ピースの香りと、ハンチングという粋なアイテム。お祖父様のダンディぶりがうかがえます。帽子は体の一部のように愛用されていく物ですから、きっとそのハンチングにもたくさんのエピソードが込められていることでしょうね。
私は、母方の祖父も、父方の祖父も、とても思い出深く覚えているのですが、何一つ、形見になる物を持っていません。一緒に住んでいなかったんだから当たり前かとも思いますが、お祖父様のハンチングを思い出の品としてあげることのできるakauoさんが、とてもうらやましくなってしまいました。
子供たちが生まれて、はじめてはいた柔らかい素材の靴。
まだおぼつかないけれど、あんよができるようになった時の足のサイズを
その靴を見るたびに思い出します。
初めてのファーストシューズは、今のようにくたびれたりしないので
まるで新品のようにぴかぴかですが、一人ひとりに用意して
大事にとってあります。
手のひらサイズの靴は、ほんとうにかわいいです。
私が始めて一人暮らしをするため、関西に引っ越す時に
母が多摩川の川辺で探してきてくれた四葉のクローバーを
押し花にして渡してくれました。
今も大事にしまってあって、それを見るたびにがんばろうと思うのです。
ピアノと自分が突然響き会う瞬間。分かるような気がしますね。
私はそれとはちょっと違うかもしれませんが、ライブをやっていた時、下を向いていてふと視線を上げたら、正面上方のピンスポットから、光が粒子になって降り注いでくる様子が見えたんです。最初は妖精の羽根からこれ落ちる光の粉のように、それは舞っていました。マイクスタンドに手をやると、光の粒が束になって私を射抜いてきたんです。一瞬本当に光に吹き飛ばされそうな感覚でした。体勢を立て直して声を出すと・・・・。信じられないような透き通った声が、マイクに吸い込まれていく感覚を覚えました。本当にその時は、まるで奇跡のような、最高の歌が歌えました。
その後、何度舞台に上がっても、ピンスポットの光を受けても、そんな感覚になったことはありません。でも、いつかもう一度、あの快感を味わってみたいと思っています。
ピアノにも、きっとそう言う瞬間ってありますよね。ピアノはある程度の基礎が有れば、習うのをやめてしまっても、どんどん独習で実力が付いていくと思います。たくさん弾いてください。グランドピアノなんてうらやましいです♪
男のロマンって、なかなか他人に理解されないんですよね。熱を込めて語りたいロマンが、取り付く島もなく却下されてしまう。これは悲しいです。それだけに、共感できる相手が登場してきたら、これは嬉しいですよね。それが、理解してほしかった家族なら、もう最高です。
だから、お父様は息子にそれを託したかったんですよね。手放すんじゃない。思いを共有できる最も信頼できる家族に託す。それはとても幸せなことだと思います。501の歴史に、親子の思いと日々が積み重なって、新しい物語を奏でていく。素晴らしいことですね!!
私の父は、ほとんど何の前触れもなく、突然いっちゃったんです。だから本人も、まだまだあと数十年は元気いっぱいだと思っていたのでしょう。色んな未来の希望を書き散らしたメモが見つかったんです。ほとんど落書きに等しい走り書きですが、そこには田舎暮らしの夢の構想が色々書かれていました。家の周りに実のなる木がぐるりと植えられた図。鶏小屋と山羊小屋が棟続きの家。ああ、こういう暮らしが夢だったのかと、その時私は初めて知りました。
その夢、私が引き継いできっと実現させます。親父の気に入りそうな終の棲家が決まったら、親父のメモ、持っていきますよ。そしてそれをベースに、夢の実現を目指してみます(^-^)
子供一人ひとり学年ごとに作品を衣装ケースにしまっています。
大きくて入らないものは写真にとって。
(全部保存できないのが残念ですが)
絵は全部ありますね。
成長が実感できて、良い思いでの品になりますよね。
最近は、DVDになっているというのは、私も驚きです。卒業写真の顔は確かに変なのもあります。中学校のは変でしたが、高校のは、カメラマンの腕がいいのか、カッコよく撮れていたのでお気に入りです。
卒業アルバムって
それを見るだけでその当時が
思い出されるのでいいのですが
顔とか・・あまり写りがよくないので
それを見るのがちょっと・・なので
他人に見せるのは恥ずかしいものです
もう少し自然でいい表情だったら
少しは、そんな気持も減るのですが・・
三代にわたる鏡台。昔のものっていいものがあるし、今レトロで好きな人も多いし長く使える家具を大事に受け継いでいくってゆうのは、いいことですよね。
ほんと、最近はみんな、新しいのが欲しいと惜しげなく前のを捨ててしまう人が
多すぎて悲しいですね。。
おお!最近は卒業アルバムDVDなんですね~。重くなくていいですね^^
旧式のは、やたら重いです。
卒業アルバムの写真て、みんなへんな顔じゃないですか?なんかやっぱり
自然な顔じゃなくて・・。みんないい顔のを選ぶのも不可能だろうし・・。
でも、昔の友達が集まったとき、いろいろ思い出すのにいいですよね。
お父さん、回復されてほんとに良かったです。
私も、子供のころ父がくも膜下出血で倒れて、奇跡的に助かったんで思いだしてしまいました。その後のリハビリも大変だったことと思います。でも後遺症があっても、子供にとっては生きていてくれていることがほんとに嬉しいですよね。
私の父は、10年前に他の病気で他界しましたが、他界後に脳で倒れたときのリハビリの
ノートが出てきて、にょろにょろの文字を初めて見て、泣きましたね~。。。
不思議な体験も魅力的な話ですが、テープで謝る弟さんがかわいいですね。。
なんかセカチューみたいだなって思いました。
直接口で言いにくいことって今だったらメールだったりするだろうけど、
テープのメッセージもいいですよね。なんとなくトーンとかで、気持ちも
伝わりやすいし。。テープを入れてるときの相手の姿を想像すると、なんか
嬉しい気持ちになりますね。ほんとにいいご兄弟ですね^^
私は、大人になって(おばさんになって)ピアノを習い始めたんです。ある日先生のグランドピアノを弾いてるときピアノが語りかけてきた感覚に襲われ、「え、なんだこれ」・・なんか不思議なピアノとの一体感を感じたんです。ほんとに一瞬の出来事だったのですが、その
感覚にトリツカレテ、電子ピアノだったんだけど、生ピアノ、それもグランドがどうしてもどうしても欲しくなり、お金ないのに、安い中古のグランドを買ってしまいました。あの日の
感覚はあの時だけでした。私は木が好きなので、もしかしてピアノの響版となんか響きあってしまったのかなあ。。。。
とりつかれたはずのピアノは、体調やらで、習うのをやめてしまって、最近弾いてないんです。でも時々弾くと優しい音で、本当に癒されます。
自分が欲しいなと思ったものを
買うことを目指してコツコツ貯金
そして買うってホント凄いと思います
貯金しようと思ってもそれが出来ないので
尊敬します
分割払いもいいけれど
欲しいものを買うことを目指して貯金して
買ったものって大事に使う事が出来るだろうな・・
ファミリーコンピューター、懐かしいです。
私も子供の頃親に買ってもらいました^^
ファミコンのソフトは今のソフトに比べてずいぶん頑丈でしたよね、畳の上に置いていて踏んでしまった事があるのですが、一部分が欠けても問題なくゲームが出来ました(^^;
マリオブラザーズも兄弟でよくやっていました、マリオブラザーズやバルーンファイトとか2人同時にプレイするものはどうしてか「プレイヤー同士の邪魔の仕合」になっていました・・・なんだか大乱闘スマッシュブラザーズとかの2人版みたいな感じです。
風船をわりあったり、ルイージがマリオの背中をぐいぐい押して敵のほうにやったりマリオが飛んでよけてルイージが敵にぶつかったり。
ドラクエⅠのどっちを向いても正面で一人旅も懐かしいです。
復刻とかでなく、当時のゲームでまたファミリーコンピューターのゲームをやってみたいです。
懐中時計・・・私にとっても昔から憧れの時計です。特に古びた感じのものに惹かれます。何かの小説で、手巻き式の腕時計をしている主人公がおり、1日の内にかなり時間がずれるから、しょっちゅう電話の時報案内を聞いては時計合わせをしていました。
愛着のあるものほど、壊れても壊れても、直して直して使い続けたいものですよね。でも職人さんがいないとか、部品がないとかという事情で、折角の物も使えなくなるご時世が侘びしく感じます(我が家の家電事情で、似たようなことがしょっちゅうあります)。
to-chingさんのおじいさんの懐中時計。職人さんは(日本だけ?)減る一方なんだと思います。時計とか磁器とか伝統文化産業が有名な国(スイスとか北欧かな)も、やっぱり職人さんは減る一方なのかなぁ・・・。そうなると、時代という波に呑まれ過ぎじゃないか・・・なんて滅入ってきます。
余談ですが・・・
私もつい憧れが先立って、安物の懐中時計を買ったことがあります。私好みというよりは、若者好みのちょっと奇抜なデザイン。今もカバンの中に常に入れており、仕事などで時間合わせが必要な場合、腕時計だけでなくその懐中時計を首や腰からぶら下げています。
街の時計屋さんでその安物を買ったのですが、手巻き式といった本格派のキラキラ光る、いかにもお金持ち仕様ですという逸品物も並んでいました。私の身丈にもお財布事情にも合うものではありませんので、見るだけ・・・で終わってしまいました。
でももし、今の身丈に合っていない高級な懐中時計を買っていたら・・・。使い続けて数十年もたてば、今は不相応でも将来骨董品になった時には、その時の自分や家族に親しまれるような、愛されるモノに変わってくれているのかもしれませんね。
すごいです!本当に宝物ですね。さすがMINTさんならではの姉弟のほほえましいお話でした♪お父様が愛用されていたラジカセはきっと、姉と弟がケンカしたのをみていられなかったのでしょうね。それで二人に録音と再生の時間を与えてくれ、仲直りのきっかけのプレゼントをしてくれたのだと思います。
私の弟も苦しいときに力を貸してくれました。何度ケンカしたかわかりませんが、すぐに仲直りできてしまうんですよね。ほんとうに兄弟っていいなぁ・・ってしみじみ思いました。
欧米では結婚指輪といったら金ですが、たぶん、団塊の世代である母の時代の日本では、銀やプラチナ製の指輪が主流でしょう。
父方の祖母の結婚指輪。日本では珍しく、金で出来ていて薄いけれどちょっと幅のある指輪なんです。父にとっては実母の形見ですので、妻である母にはめてもらいたいと時々言っていたそうです。
そんなやり取りが夫婦の間であったのは、子供の私には知らされていませんでした。また、手指もサイズの事もあってか、母自身、その金の指輪をはめたがる様子はなかったそうです。
ところが以前、母が事故にあいまして、左手首から肘にかけて大手術を行うことになりました。母の担当医さんから、手術や術後の事を考え、指への血流を妨げるという理由で、母の銀製の結婚指輪は切断して良いかと確認を取られました。
とにかく母に指輪の事を確認すると、ぼぅっとした頭の割に、何だかんだとあまり良い返事をしませんでした。ただ時間の問題もあり、手術については父でなく私が対応をしていましたので、後遺症や命の問題が優先だという勢いで、瞬間的に「指輪は切って構いません」と病院側に伝えました。
手術も無事に終わり、入院リハビリ生活がしばらく続きました。母の指輪は術後に父が預かりました。病院とイエを行き来する忙しい毎日でしたが、ふと父から、切断された母の結婚指輪を見せてもらいました。
古びたその指輪のゆがみをみて、妙に心細くなったものです。古いからとかゆがんでいるからということよりも、切断された切り口が、父母の何かを切ってしまったのではないか・・・という感じがしたのです。
それから数ヶ月後、母の左手はリハビリによって正常に動くまでになり、指もやや細くなりました。父母はまた私がいない間に、どうやら指輪の事で話し合いをしたようです。切断されてた母の銀の結婚指輪は、ちょっと引き伸ばして作り直してもらいました。
何故かその時から、父方の祖母の金の指輪も、母は快くはめるようになりました。その理由はまだ語られていませんが、食器洗い中に祖母の金の指輪が外れるたびに、「あらあら」と言いながら2つ目の指輪をはめなおす母の横顔は、いつも笑っています。
夫婦の気持ちと妻の気持ち。まだまだ私は子供なんだな・・・なんてそう思う瞬間がイエにはあります。
お母様の思い出、家族で暮らした街の思い出、色んな思い出が詰まった四つ葉のクローバーなんですね。お母様がどんなお気持ちでその四つ葉を探してくださったのかと思うと、なんだか私までジンとさせられるものがあります。
その思いに応えようと頑張る。頑張れるから幸福がやってくる。そんな物語が、これからもたくさん積み重ねられていきそうなクローバーですね。いつまでも大切にしてください。