注:技術的な意味ではなく哲学的な意味で
これまではばらばらだった人の脳を統合した人類脳ではないでしょうか。
ちょっと論点がずれてきているとは思いますが.
私も長くは無いけど人並にインターネット使っていて,かなりの長時間使ってるほうですが,インターネットだけの知り合いは居ないですね
mixi でもマイミクは 200人超居るけど,全員リアルの知り合いです.しばらく合わない人は消していますし
私が仕事がインフラ関係だったり,業界団体に出入りしている特殊性もあるかもしれないけど,インターネットで,知らない人とコミュニケーションするなんてことは,あまり想定できません
もはや生活の一部になってると思われるので、正しく使う人悪用するひとが混在するのは仕方がないのでしょうね。 どちらかというとマスコミなどで悪用が報道されるから危険なイメージになるのでしょうけど。。。実際、多くの人は便利に使ってるんでしょうね。 この先どうなっていくのでしょう。
文末に発音不能のアルファベットが付いたり、発音したとしても理解してもらえない文節がネットでは通用したりしますね。
画面のデザインをカスタマイズするのは当然のように行われていますが、どうしたいという欲求があるのは無意識なんだと思います。
さらにコミュニケーションの概念がカテゴリー別にスライドしているとでも表現すべきかな?
アラートやチャイム、BGMなども好みが激しい。
受け取る概念が受け取る人によって、さらに環境が変化する事により、より大きくスライドするように感じます。
ぼくはもう長いことネットに繋がっているのですが、それでも友達といえる人はひとりしかいません。
みんなが楽しそうにしているのを見かけて、それで余計に寂しい気持ちになります。
ほら、あのケータイのCMの楽しそうなこと、すっごい笑顔。
ぼくのアドレス帳は、実家のおかんのだけです。
視点が面白いと思います。
論点がズレますが、メールも含め、インターネットでの言葉のやりとりは文字だけになるので、微妙なニュアンスを添えるための工夫がネットスラングだったり「かゎぃぃ」系表記だったりするんですね。
ほしいものを手入れるための。情報もデータも。
liquidfishさんの平面の発想、なるほどと思いました。
タテだと線、工夫次第で何本にも増やせるかもしれないけど、平面にはならないように思います。
番組でみたデジタルネイティブたちを見てまず感じたたのは、垣根は何も無く、どんどん広がっていくようす…
繋がるためには、自分からも手を伸ばさないといけない。
多分、今までもこういう思いをもった人たち、特に若者は多かっただろうと思いますが、手を伸ばそうにも繋がる手立てがなかった。
それが、インターネットという道具を得て、水を得た魚のよう…
人の先に人がいて、その人に手を伸ばせば、また繋がっていく。
みんなが手を繋いでいるというよりは、みんなと手を繋いでいるという感覚なのかもしれない。
それだと、凄いなぁ。
いろんな評価がある…、そのこと自体は、特に異論はありません。
会社で例えられていますが、人と人でも、それぞれが違った考えを持っているので、その結果も当然千差万別になります。
ただ僕は、人と人が相対するとき、社会的な地位(肩書き)や、更に言えば、人種や性別、生まれなどは考えなくともいいのではと、思っています。
会社の評価となると、過去の業績に対する報奨もあるので少し違う面もありますが、ここは未来に対する期待と読んで話を進めます。
最初に出された例、あくまで僕の感覚ですが、これも"言葉と行動"ですね。
部下の指導がおぼつかない人が、主として部下の指導を行う仕事にはつかないでしょうから、過去の実績を生かせる仕事になると思いますが、これはその人の"言葉と行動"での判断にならないでしょうか。
2つ目の例は、物差しですね。
学歴を継続して物差しに使うのは疑問なので、入社に際してのことだろうと思いますが、これはある一点での組織に所属させるかどうかの判断になります。
個人的には、ある一点での評価であっても自前の物差しがあったほうがいいと思いますが、まぁこういう事はあるでしょう。
ただ、人と人であれば、ある一点での評価と言うよりは付き合っていく中で徐々に分かっていくになると思います。
そう、人と人にこだわって書いています。
インターネットでは、個と個が組織に頼らず向き合います。
インターネットに限らず、個と個が向き合うことが、可能性につながると思うのです。
ここまで書いてきたこと、発信者に代表される能動的にインターネットに関わろうという人たちの話です。
最後に少し書かれていますが、インターネットの暗部については、僕も別に思いがあります。
言葉や行動をろくに確かめようともしない、例えば、表面的に目に付いたものだけでとかく否定的な反応を示し自分では何も行動を起こさないような人はまた別ですね。
ただ、ここでは可能性について話したいので、すいません、ここには暗部についての僕の思いは書かないことにします。
人間の感覚はあらゆる表現が可能ですが、ネットは情報の伝達方法に限界があるので視覚に頼らざるを得ません。
概念だけが過大に拡大解釈される危険を、常に孕む世界です。
年やその人の立場など、
実際であったら、知り合うことのない人と、
コミュニケーションをとれるものだと思います。
私もリアルとネットが同じ性格です。
消極的で中々前に出ることが出来ない人などは、ネットという場所で、大きく出たりするのかもしれないですね。
現実とのギャップで、心を満たしている人もいるかもしれません。
>多面性というか、ただのストレス解消だったり、八つ当たりだったりする人には困りますが…。
それが一番の危険性ですよね。
日ごろのストレスを解消する場所がネットになってしまうことは良いこととなかなか思えないですよね。
良い意味で楽しむのであればよいですが、八つ当たりなどに方向転換するのが危険ですね。
pegasus_Aさんの言うタテに対するヨコというのは、
デジタルネイティブ的発想のことだと思うのですが…
番組もぼんやり見ただけだし勘違いかも。
実際どういう意味でしたか?(^^;
人が縦に並んで動くのではなく(上の者が下をまとめる)、
同じ平面に並んで連携し合うという発想、と捉えました。
タテとヨコ――これは面白い発想ですね。
そこで、ナナメというのはどうでしょ――最近、斜めがけのバッグが流行っていることですし。
横軸であるネット上に、リアル社会と同じ機能・資格を持った会社や政党が設立できたとしたら――良い面、悪い面があるでしょうが――それらが縦軸であるリアル社会に影響を及ぼすとなれば、いまとは違った“面白い”社会になるのではないでしょうか。
質問が曖昧だったため,比ゆ表現の答えが散見されますが,インターネットを何か別のものに例えてください,という問いではなく,"何ですか",つまりそのままストレートに取っていただければ幸いです
○○みたいなもの,ではなく,△△,という形で表現してください(比ゆの例は要りません)
はてなって,匿名っぽくて,でも匿名じゃない
古き良き時代の仕組みを,今でも持ってる数少ないサイトかもしれませんね.mixi なんかも似てるのかな,と思います
というのはどうでしょうか。
そこに窓はあるし、そこから外の景色は見える。それは、見せ方や見え方によってとても魅力的に見えるのだろうけれど、同時に耳を澄ませると聞こえてくる音からは、とてもそれが魅力的には思えない。
人はいつでもそこから先に踏み出すことが出来る。もちろん戻ってくることも出来るのだろうと思う。けれど、一歩踏み出してしまえば大多数の人にとってそれは日常の一部になってしまい、そのうち窓から外に出て行くことをなんとも思わなくなるのだろう
一見綺麗な水に見えるけど、場合によってはフィルタを通さないと飲めたしろものではない。
もちろんそのまま飲んでもかまわないけど飲めるか飲めないかの判断も含めてそれは自己責任。
別にどうしても水道の水を飲まなくてはならない訳ではない。
それが単にある程度きれい(に見えて)で家の中に自動的に入ってきているのが便利だから。
外に出て直接水を収集摂取するのは誰も妨げないしかえって新しい発見があるかもしれない。
そりゃおかしいですよ。
現にこのスレッドで、あなたとぼくのコミュニケーションが発生してるじゃないですか。
こんなもの、お忙しいあなたにとっては、すぐに記憶の淵へと流れていく出来事かもしれませんが。
ぼくは何年後かにも、あの時「俺は何百人とリアルマイミクがいるんだぜ?」って嫌な感じのやつがいたなあと思い出すことがあると思いますね。
多くの人間が、インターネットとコミュニケーションを繋げて認識しているのだから
そっちの哲学的な意味も考えるのは間違っていないと思う。
コミュニケーションって何なんですか?