THEME:「柱」「お菓子」「おやすみ前に」+「縁起物」
「今日をちょっと楽しく、イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運・幸せ」。毎回のテーマに沿って、イエと暮らしに幸運を呼ぶコト、ハッピーにするコトを思いとともにメッセージ下さいね。
豊かな暮らしをつくっていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とサプリ例
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プレゼント変更ご案内
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※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は1月13日(火)正午で終了させて頂きます。
まずは、YuzuPONさんの再生技術に拍手!
古いものにもそうやって手を入れて再び息を吹き返させるって素敵ですね。
柱時計といえば祖父母の家にあって、ふるーい日本家屋だったのですが
代々の曾祖父母たちの顔写真(年代によっては絵)の横の柱にかかっていました。
大人になった今では、あのボーンボーンというおとが懐かしく思えますが
子供の頃は怖くて怖くて仕方がありませんでした。
今の時計だと夜間はならないようにできるのでしょうか?
昔のものもできるのかしら?
しかし、私の祖父母の家のボンボン時計は夜中にも鳴り響く時計でしたので
もうあの音が怖くて怖くて。
祖父の手作りの家でかぜの強い日はガラス張りの戸がガタガタいって
なかなか深い眠りにつけず。
そんな日の深夜12時。
12回もボーンボーンボーン。
うっかり時計を見た日にゃ、たくさんのご先祖様の顔が!
柱時計というと、こんな思い出があります。
お父さんはきっとおおらかな人なんですね。
素敵なご両親ですね。
私は母子家庭でしたので、結婚した今、誰に頼るでもなく私を育ててくれた母をすごいなあと思っています。
ものすごく気の強い母なのですが、弱い面もあったりして・・・。
fumie15さんのお母さんのようにいざという時に頼れる相手が母にいたらよかったのになあと今でも思います。
私は母子家庭で育ちましたので、母はいつもいそがしそうで
そのような思い出はあまりなかったりします。
けれど、いつも母が必死に働いてくれていたのは覚えています。
そんな母の愛情を知るのはやっぱり大人になってからなのですが・・・。
素敵なお母様ですね。
忙しい中にも子供への気配りがあって。
親子って言うのは血のつながりだけではなく
こういったすごしてきたことで絆を深めていくんだなあと思いました。
一言でも続けること、それが大事ですね。
毎日の一言を読み返した時に思い出せるものもあれば思い出せないものもある
そんなものに想像力を働かせる。
とても脳にもいい気がします。
私は手帳のほうに簡易的な日記を、インターネット上につれづれ日記をかいていますが
キッチンに張ってあるカレンダーに、家族の予定のほかたまーにその日にあったことが書いていたりします。
手帳を出すひまがなく仮のつもりで走り書きでかいてますが
名前の記号で「M〇〇」とか子供のその日にできたことをかいてたりします。
が、本当に走り書きなので
今度は私も言葉を選んで、書いてみようかしらと思いました。
地鎮祭はしっかりしたのですが上棟式のほうは簡単に済ませることが多いですという営業さんの言うままに非常に簡単に済ませました。
住まいも新しく造成されたところでしたのでまだ家も少なかったので近所の人にも会うことがあまりなかったのです。
上棟式ができるのも周りの人との暖かな交流があっていいですね。
職人さんにはのちのち毎日お会いしていて毎日差し入れをしていました。
Fuelさんの書き込みを見ていて、うちのダンナを思い出しました。ダンナは居酒屋鎧の店長なので、居酒屋を開く前には仕込みをします。前日ではなく、前々日から行うものも多々ありますが。
でも、この書き込みから伺えるキッチンにたっているときの姿のイメージがダンナが立っている姿に重なるんです。
食べてくれる人のためのことを考えながら仕込みをしている姿ってすごく楽しそうなうれしそうな顔をしています。
きっとそんな顔をしながらおこなっていらっしゃるんでしょうね♪
Fuelさんのお料理、食べてみたいですね♪
これが普通の日記になってしまうと、書いているとどうしても時間がかかってしまうものですが、一言にすることによって時間が短縮されるますね。しかも、一言に凝縮することで、それらの思い出がより鮮明になることはまちがいなしです。
またその言葉を後にみることによって、連想しつつ思い出すという新たな楽しみもプラスされたすばらしいサプリだと思います。
人間というものはマイナスのことって忘れたつもりでも心の奥底にあって、それがふとしたときにでてきたりしますよね。
叱られたこととか悲しかったこととかって寝る前に思い出してしまったりすると、それが深くきざみつけられてしまいます。
それが次の日に影響するということもままありますし、快眠できなかったりします。
一言日記は1日のうちでのすてきな瞬間をまとめたもの。寝る前にプラスなとても楽しいことを思い描いて眠れば次の日の目覚めもすっきりすると思いますし、ストレスもたまらないのではないでしょうか。
以前にイエはてなででていた「よかった探し」にもつながっているようなそんな気がします。
これ、私もやってみたいです。
紙芝居にギリギリに間に合った世代です。
といってもまだほんのこどもだったので、お菓子は買わずに後ろの方でタダで見ていました。前のほうでお菓子を食べながら見ているこども、すなわち紙芝居屋さんにとってのいいお客さんはもう少なかったんじゃないかな、そんな記憶があります。
たしかガムを商ってましたねえ。
連休を利用して、大学時代の友人の所に遊びに行きました。親友と呼べる本当に大切な友だちです。最寄り駅までバスで30分という大変な過疎地に住む彼は、そんな町を愛し、今は自治体の職員として働いています。その彼が近々結婚することになったのです。これはもう、彼女の顔を見に行かなければおさまりがつきません。行ったついでに、地元に長く伝わる小正月行事、「さいのかみ」にも参加させてもらってきました。本当の小正月は15日なのだろうと思いますが、最近は成人の日がハッピーマンデー休日になってしまったので、それに合わせて日を移動させて開催しているとのことでした。
「さいのかみ」はようするにどんど焼きですが、私が参加させてもらった行事はお正月飾りを大量に集めて焼くといったものではなく、先端まで5m以上、おそらく7mはあろうかという立派な青竹の柱を立て、その周りに稲藁を円錐状に束ねた物でした。
今も住民のほとんどが稲作農家というこの地域では、稲藁が最高の縁起物なのだそうです。豊作のあかしの稲藁を焼くことで神様に感謝し、火祭りの結果で今年の作柄を占うというのが行事の趣旨の中心のようでした。ですから東京近郊のどんど焼きのように、ダルマが山のように持ち込まれるといった姿は全くありませんでした。
当日の天候は強い風と雪でしたが、会場は小高い山の中腹の神社の横で付近に民家は全くなく、さらに辺り一面膝まで埋まってしまいそうな雪景色ですから、火災の心配はほとんどありません。火を付けると、折からの強い風に煽られて、瞬く間に稲藁が燃えていきました。そして時々パーンと青竹がはじける音がします。
青竹を切って作ったコップに酒が注がれて振る舞われました。そして稲藁の火であぶったスルメが配られました。お酒は神社の神前に供えられた御神酒、スルメも神聖な火であぶられた縁起物だそうです。私は、そうか東京から来たのかと地元の皆さんに囲まれてしまい、次々と御神酒を注がれて、べろべろに酔っぱらってしまいました。
そのうち青竹の柱が燃えて倒れかかりました。その倒れた方向の人たちが、今年の豊作を約束されるのです。おーという歓声が湧き上がりました。
さぁミカンを撒くぞと声がかかり、一段高くなった神社のお社の前から、広場に向かって大量のミカンが撒かれました。これも神前に供えられた縁起物だということで、もうみんな拾う拾う。凄まじい勢いで拾っています。皆さん袋を用意していて、中にはちょっとしたダンボール一杯に相当するくらい拾い集めていたおばあちゃんもいらっしゃいました。お元気ですねぇと言ったら、分けてやると10個ほどもらってしまいました。縁起のいいミカンですから、家に持ち帰って、ここに来られなかった家族や近所の人たちにも分けてあげるのだそうです。欲張って我勝ちに拾っていたのではないんですね。
こうして、縁起物てんこ盛りの小正月行事を満喫して帰ってきました。友人は婚約者と一緒に参加し、みんなに冷やかされまくっていました。相手の女性はそれなりに賑やかな町の育ちだそうですが、もうすっかり地元に馴染んでいる様子でした。この集落で生きていくという決意が伝わってくるようで、こんなに愛し合える結婚は幸せだなぁと感じました。もしかすると、これから集落の未来を担っていくこの二人が、最高の縁起カップルかもしれません。
以上「柱」と「縁起物」の二つのテーマにまたがる「さいのかみ」行事のご紹介でした。
私も両親が働いていましたので、家に帰ってきても誰もいませんでした。なのでさびしい思いって本当にわかります。
これを読んでいると、お母様のharuyo_koiさんへの思いが伝わってきます。
いっしょうけんめい書いてくれた絵の力って本当に大きいです。
こういう気持ちってなかなかいえないですよね。口では反対のことを言ってしまったりして・・。
お母様きっとよろこんでくださると思います。なんかほんわか心があたたかくなりました♪
あるとき雑誌を見ていて発見しました。寝る時にストレスなどで緊張していると、ぐっすりと寝ることができません。この緊張感をゆるめるために何かに熱中することを続けると緊張がほどよくゆるんで、眠りの質がよくなるんだそうです。
といってもあまりにも熱中してしまうと逆効果になってしまうので、適度に熱中できる時間は30分ぐらいなのだそうです。
この効果は、気分転換になること・脳が活性化してストレスに強くなるんだそうです。
この時間をぬりえをしたりパズルなんかに挑戦してみるとよいのだとか。
しかし、対戦とかイライラするようなところまでいってしまうとストレスがたまってしまうので、簡単なことのほうがよいと思います。
雑誌では木の積み木が紹介されていました。
そこでわたしは今この時間をぬりえをする時間にあてたり、折り紙をおる時間にあてています。
ここは何色にしよう?とか考えていると楽しいですね♪右脳の活性化にもつながりそうです。
折り紙ははし置きなどの作りおきをつくっています。
コレを続けていると、朝起きたときにどんよりとした感覚がすくなくなってきたような気がします。
今までは本を読んでいましたが、これって続きがよみたくなってついつい最後まで読んじゃったりしてしまうので、30分程度でおわる熱中することをこれからも続けてみようと思っています。
ここで言う「おやすみ前」は、寝る前のことではなく、休前日のことです。出題を曲解しすぎ?でもイエはてなの影響で私はこんなにリブラブ生活に転換してしまいましたということを、ちょっと皆様に聞いてほしいんです。
イエはてなの、特にイエコト・ミシュランなどのレシピ選手権的ないわしを通じて、私は料理という物の創作性の高さに目覚めてしまいました。料理に込める創意工夫、そして手作りの良さは、金属や木材を相手に様々な自作を楽しむ心と全く同じです。そこに目覚めてしまったら、もう料理に凝らないわけにはいかなくなってきます。
休日が近くなると、今週末は何を作ろうかとワクワクそわそわ。作りたい物の照準が定まると、ネットで何種類ものレシピを調べ、それらを総合して自分なりにこれが最高と思われるレシピを作り上げます。ここがとても楽しいんです。様々な資料を駆使して回路設計をしていく電子工作や、何度も設計図を引き直しながら計画を練っていく大物DIY等と同じ楽しみがそこにあります。
そしてお店に出かけて材料を揃えていく。これもパーツを求めて秋葉を散策するのと似た心躍る時間です。最近は野菜ならここ、肉ならここ、普通では手に入りにくいエスニック素材などはここと、最適な素材の入手先もだんだんわかってきました。質で選ぶ、価格で選ぶ、品揃えで選ぶといったお店選びのコツもわかってきました。
この素材選びに関しては、毎日仕事で外に出る私のような立場が圧倒的に有利です。職場の近くのお店、通勤途中に下車して立ち寄れるお店、そして家の近所のお店と、とても選択肢が広いですから、料理は専業主婦の役目などと決めつけず、仕事を持つ人間もその有利さをいかしてどんどん料理を楽しまないと損ですね。
こうして休日前の夜は、男だてらにキッチンに立って、翌日楽しむ料理の下ごしらえなどに励みます。料理のほとんどは激しい肉体労働ではありませんから、楽しんでやっていると、ぜんぜん疲れを感じません。かえって心がリラックスしてストレスが消えていく感じです。特に翌日に彼女(赤面w)を呼んで家で食事会などができる予定があると燃えますね。
料理は男の趣味になります。本格的な料理を作るためには、多くの場合前日からの仕込みが大切です。そのために「おやすみ前」のひとときをあてていくと、翌日が休みという開放感も手伝って、本当に楽しい時間が味わえます。最近の私は休前日をこんなふうにして楽しむことが多くなりました。イエはてなのおかげです。
以前のいわしで「ダイアリー」がテーマになった時、「英語日記はまずは1行から」というアイデアが紹介されました。今年に入って実践しているのですが、長くなってしまうと時間もかかって、まだ1月初旬なのに目標倒れしてしまいそう~なんて日も有ります。
TinkerBellさんの、この短い言葉達。その日の瞬間の良い事柄を、短く区切ったものが多そうですが、中身は詰まっていますね。「白と緑」は・・・ネギ?シロツメクサとクローバー?そんな謎めいた日があるのも、毎日続けていくにはむしろ丁度いい気がしました。
2つのサプリを組合わせると、毎日続けるハードルを下げてくれそうですし、一方で家で過ごす時間を素敵にしてくれるサプリ効果は上がりそう♪
そんな事を考えながら、今日の一言は、「ひとつよりふたつ:Two better than one.」にしようかなと思います。
今でも梅雨時期にはてるてる坊主を、雨が降らずに乾燥がひどくなる冬場にはふれふれ坊主を作ることがあります。言われてみれば、てるてる坊主を作るのって、おねむの前ですねw
幼稚園や学校の遠足の時とか、プールで晴れて欲しい時とか、てるてる坊主をせっせと作ってました。子供の頃のは随分と不器用な出来具合で、写真で見るような頭からまっすぐ窓を見上げてくれる姿じゃなかった。ちょうど首の結び目で重心がズレて、頭が下になって、朝起きたらふれふれ坊主になってた時もあって、お天気を気にしたこともありました。
今の子供たちもてるてる坊主をオヤスミ前に作っているのかな。
こちらは建物でなく諺・家族の方の大黒柱談義ですね。fumie15さんのご両親のお話、最初はおのろけ気味でうふふと笑みがこぼれましたが、後半の話は身近でじんわりくる話ですね。
歳をとればとるほど、イエだけでなく体にもガタも来ます。家族にとって心の支えになってくれる大黒柱は、普段は凄く見えなくとも尊敬されるのだと思います。
前のいわしにも拾い物スピーカー再生の話を書いた私ですが、また去年の暮れにも、お宝を拾ってしまいました。暮れに、スピーカーが捨ててあったのと同じアパートの前を通ると、また大家さんがゴミ置き場を見ていました。大家さんは私の顔を見ると、おお君かと呼び止めて、これ見てくれよと言うのです。見ると、すごく古い、由緒ありそうな柱時計が捨ててありました。筐体はムクの木製です。大家さんは、これは戦中か、新しくても戦後10年くらいまでの時計だね、それより後になると木が合板になることが多かったからね、と言っています。大家さんはしきりに、もったいない、もったいないと言っていました。でも、振り子もないし、表面のガラスも割れているので、捨てるしかないのかなぁと残念そうです。そこで私は、前の年に捨てられていたスピーカーを再生した話をして、この時計も何とか蘇らせてみますと約束して、譲り受けることにしました。
しかし、家に帰って分解してみると、ゼンマイは切れているし、ムーブメントの鉄製部分も錆びてボロボロで、とてもオーバーホールで再生できる状態ではありませんでした。これどうしようかと父に相談すると、機械は劣化したらその部分を新しい物に交換して寿命を延ばしていく、私たち人間も常に古くなった細胞を捨てて新しい細胞に入れ換えて健康を保っている、それと同じと考えて、このさい機械部分は全て入れ換えにしてみたらどうだ、という意見でした。
さっそく使えそうなムーブメントを探すと、セイコープレシジョン社製ムーブメントというのが見つかりました。振り子のついたムーブメントもありましたが、シャフトの中心から振り子の先端までの長さは198mmとのことで、ちょっとサイズが合わないので見送り。普通のクオーツ時計用ムーブメントを購入しました。針は何種類もありましたが、元の時計の針をそのまま生かしたかったので、最もシンプルな針を選び、アルミハンダを使ってオリジナルの針を貼り付けて用いることにしました。針の重量が重くなったのでうまく動くか心配でしたが、やってみると楽勝で動きました。あとは古時計の機械部分を新しいムーブメントに交換すれば作業完了です。
続いて失われていた振り子をダミーで取り付けました。振り子の玉というか丸い部分はビンのフタの厚みというか奥行きというかを削り落とした物。古色じみた金色の模型用塗料を塗って仕上げました。振り子の棒はアクリル棒で、いかにも古い時計の振り子にありそうな感じの扁平なカマボコ状に紙ヤスリで削って成型し、茶色く塗装してみたら、いかにもそれっぽくなりました。この振り子はダミーなので動きませんが、後日ちょうどいいサイズの振り子付きのムーブメントが手に入ればそれに交換可能ですから、それまではこのダミーで我慢してもらうことにします。
あとは割れたガラスを新しいガラスに入れ換えれば完成です。筐体はきれいに拭いてやるだけで風格を取り戻しました。今年の正月休みはこの工作でたっぷり楽しめました。今この柱時計は私の部屋の壁に掛かっています。柱がないので英語で言うwall clock、壁時計になってしまっていますが、それでもこれは柱時計です。アンティークな時計が時を刻む部屋というのはとても落ち着きます。別のツリーに仮設柱のアイデアがありましたが、私の部屋にもこの時計を取り付ける柱がほしくなりました。
鬼まんじゅう、初めて聞くおまんじゅうです。餡子が入っていないというのも珍しく感じますね。美味しそうなレシピなのに、なぜ「鬼」なのかしらと思って検索してみたら、どうやら見た目に理由があるようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E9%A5%85%E9%A0%AD より引用
表面にいくつもさつま芋の角切りが見える様子がごつごつして鬼やその金棒を連想させることから、この名称が付いた。
サツマイモに七福という種類があるのも縁起がいいですね。素朴なお菓子、簡単な作り方・レシピながらも、食べてみたいという気持ちでいっぱいです。蒸し器でなくても、vivisanご紹介のリンク先の作り方なら、電子レンジで簡単に作れますから、トライしたいです(^^)
我が家の場合も、和室(床の間)の床柱は多少凝ったものを使っていますが、昔でいう大黒柱がありません。木造ですら目立たないようになってきている柱。マンションなどでも、和室があるとはいえ洋式化した昨今の住まいでは、柱という存在は稀有なものになりがちなのでしょうね。そんな中での、toughさんの仮設柱のアイデアは、イエや住まいの工夫として素晴らしいですね。
ちなみに両親に聞いたところ、建て替える前の母の実家が築100年くらいは経っていたそうでして(この辺はあいまいなんですが)、それは立派な大黒柱があったそうです。
私自身、諺でなく実物の大黒柱を見た事がありませんので、どういうものだったのかを聞いてみました。古い木造平屋でしたので、天井まで大黒柱が伸びている様や、イエをめぐる梁がむき出しの状態。大黒柱は、まぁ諺どおり一家の中心を担う、イエを支える太くて一番長い柱ではあります。
なぜ「大黒」なのか・・・という話ですが、一般的には大黒様や恵比寿大黒といった、イエに神様が来るようにということのようです。しかし、母の実家の柱話ですと、材木自体が黒かった(炭など)という記憶なのです。設計家の父の判断ではいい大黒柱には檜などを使うし、古いイエは釜戸のスス等が家屋にしみ込んで、大黒柱もその名の通り黒くススけていたんじゃないか・・・という話でした。
柱1本でも、歴史があったり、大黒様といった縁起を担ぐ話題があったりと、奥が深いと感じた次第でございます。
昔は、入学式、卒業式、運動会などなど。
ことあるイベント事に、紅白饅頭が学校で配られたものです。
今ではどうなのでしょう?そういった風習は無くなってしまったのかな。
貰うと嬉しくて、帰宅してから食べたものです。
味は変わらない?はずですが、白のほうが美味しく感じました。
ピンクのほうは、母にあげたりして(笑)
懐かしいです。
甘党なので疲労回復の意味では取らないですね・・
気軽に食べるので。
ほとんど食べ過ぎてしまいます。
ちなみに
カカオの成分が高いちょっと
苦めのそれは苦手です