いつ頃から植えられているのでしょうか。
また、そのレンコンを食べたりすることは
あるのでしょうか。
詳しい資料やサイトを教えてください
戦後植えられたようです。(ウォッチしてるchinjuh さんの近所?から)
(蓮根の採取は禁止らしいです)
http://ueno.keizai.biz/headline/146/
>同池は、江戸時代から浮世絵などの芸術作品に描かれてきた歴史を持つ「ハスの名所」。
戦争中の食糧難により、一時は水田として形を変えたものの、
戦後に行われた大規模な復旧作業で、再びハスが植えられた。
葛飾区にある水元公園から運ばれたハスは、
移植当初にザリガニなどの被害を受け、しばらくはしっかりと根を張ることがなかったという。
1955年あたりからようやく発芽が始まり、以後現在の風景に至ってからは、
毎年大輪の花を咲かせる夏の風物詩として全国的に知れ渡った。
http://www.ueno.jp/modules/kyogikai2/print.php?id=10
○不忍の池の蓮花
不忍の池の蓮が有名になったのは享保の頃(1716~36)からで
『江戸砂子』にも「湖水浪しづかにして、紅白の蓮王を吐きて旭をむかヘ、
葉は水面を覆ひてただ芝生の如し」とある。
この池の眺めは四季を通して麗しく、弁財天詣を兼ねて遊ぶ者が多く、
持に夏期は蓮の花見と涼みににぎわった。
この美しい蓮の花に加えて、五月ともなれぱやわらかい蓮根が独得の歯ごたえと味覚で喜れた。
また、蓮の巻葉を小さく刻み、温かい御飯にまぜたうえ、
大きな蓮の葉に盛って食べるのを「蓮飯」といい、その風流が江戸っ子に喜ばれた。
なお、この不忍の池の根は毎年六、七月のころ上野御門主から将軍家に献上される習わしでもあった。
こんなのも・・・ ↓
http://72.14.235.132/search?q=cache:QVihLO0kPnUJ:www.soumu.metro...
不忍池蓮根払下 1875(明治8)年10月18日 上野公園書類
http://eihei.way-nifty.com/eihei1/2006/10/post_dabf.html
http://homepage3.nifty.com/morikawa_works/hiroshige107.html
明治10年刊の「東京名勝図会」によると不忍池は「東叡山(とうえいざん)の西の麓にあり。広袤(ひろさ)十町ばかり、水深くして旱魃にも枯れることなし。蓮多く殊に花の頃は紅白艶を争い、おおいに景光を添へり」とあるそうです。
江戸時代から不忍池は赤坂溜池、芝増上寺地中弁天の池とならぶ蓮の名所で、葛飾北斎は、東都勝景一覧の中の「不忍池」で、中島弁天堂の参道にある橋の欄干によりかかり不忍池の蓮見をしている場面を描いていますし、歌川広重にも「上野不忍蓮池」という版画があります。
岡山鳥著『江戸名所花暦』(1827)によれば、「花盛りのころは、朝まだきより遊客、開花を見んとて賑はふ。実に東雲のころは、匂いことにかんばしく、また紅白の蓮花、朝日に映ずる光景、たとへんに物なし」とのこと。
江戸時代から不忍池の蓮は有名だったようです。
江戸時代から 蓮の名所だったんですね
蓮見だなんて 風流ですね
確実にいつ植えられたかという情報は見つけられませんでしたが、琵琶湖のハスにちなんで人工的に植えられたものらしいです。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/meisyo/sinobazubenten.html
1625年に寛永寺が建設された頃ではないかと思われます。
なお、現在のハスは戦時中に一時水田にされてしまった後、戦後植えなおされたものらしいです。
http://ueno.keizai.biz/headline/146/
品種は「浄台蓮」だそうです。
不忍池には、現在この品種のみが咲いて
います。
http://www.ishidaseikaen.com/user_data/hanahasujapan.php
江戸時代には蓮飯などとして食されていたようです。
料理茶屋で出す料理は「蓮飯(はすめし)」である。蓮がまだ大きくならないうちの若葉を細かく刻んで米と一緒に炊いたものだ。それを蓮の葉をお皿にして盛りつけたものである。
http://www.cleanup.co.jp/life/edo/26.shtml
専門的な雑誌があるようなので、これを読めば詳しくわかるかも知れません。
http://www.lotusjp.com/bunken.html
「不忍池に咲く蓮」 蓮の話 3号(1998年)
蓮飯 どんな味なんでしょうね
食べてみたいです
どうもありがとうございました
なるほど すごく詳しく教えていただきまして
誠にありがとうございました。