素朴な論理観と、経済学的分析による"社会的正しさ"が異なると思われる事例挙げてほしいです。
節約すればお金が溜まる。
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全員がすると消費全体が冷え込んでしまい経済は悪化。逆に収入減になる。
いわゆる「合成の誤謬(ごびゅう)」といわれているものです。
エピソード①
素朴な論理観または倫理観は、「先生はえらい。りっぱなんだ。なんでもわかってるんだ。安心なんだ」
経済学的分析による"社会的正しさ"から探求行動をします。「はてな?本当なのかな?」
医療の領域に、数値ですべてを公開しようとしたことです。本来、医療は、確実に治る部分と、これからの挑戦ゆえ、患者さんにサンプル(的確な言葉がみつからないのですが)になってもらい実験にかける。でも、お金がかかる。それでも、いいのかという、取引があったために、真剣に、治療もし、医者も全霊をこめていたのではないでしょうか。しかしながら、なんでも、公開されて、成功するのが当たり前、失敗すれば訴訟を起こされ、これでは、先生になるひとはでてきません。一見、文書化したり数値化するとあたかも正しいようにみえることも少なくはないのですが、医療の領域に、素人が首を突っ込みだしたゆえに、混乱していると思わざるをえません。
同様なことは、公教育の現場でもいえるでしょう。
エピソード②
身近なところでは、田舎の自治会です。かつては、自治会長さんとか民生委員さんは、地域の名家がやるものでした。しかしながら、いまは多数決です。強い、偉い、古いで、ふるいをかけていた習慣だったところに、はたして、多数決の判断がベストかというと、決してそうでもないようです。
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