資本主義は生き延びるためにカンフル剤を打つことを選び、国家の資産を食い潰すために民営化を行い、東西対話を行なって冷戦終結=グローバル化の準備をはじめた。1986年が人類文明の成長の限界であり、破局のときであったのだ。
それから約22年が過って、サブプライム危機、製造業の不振は、カンフル剤がきかなくなって、いよいよ危篤状態になったということだ。日比谷公園派遣村のような終末風景をこれから日常的に見ることになるだろう。
人類は動物の一種であるのに、自分だけが偉いと勘違いして、自然を破壊しつくしたところに原罪がある。我々もこの原罪から逃れられない。
さて、これからの時代、何を考えて生きていけばよいでしょうか。何が一番大切でしょうか。
派遣村の光景は、ある意味終末的でしたが、若いボランティアが1700人も集まって、「日本の若者も棄てたもんじゃないな」と思いました。
僕たちは悲劇の時代を生きるほうが、心も落ち着いていて、かえって人間らしく生きることができるのかもしれないと思いました。
スペースシャトルは失敗だった的な発言もあったりするんだろうけど、
きちんと地球に戻ってくるために考え出されたあの形状は個人的には好ましく思う。
使い捨てじゃないところもエコ。ただオーバーワークはちょっと危険。
大気圏を突破できる大型のグライダーは、今となってはかなりローテクらしい。
終末思想に取り付かれて自暴自棄になるほどの不幸のエッセンスは今の日本には無いと思う。
自分なりにバランスとれば良いのではないでしょうか?
派遣村の悲惨な光景といっても、紛争地帯や地震の被災地のそれとは明らかに質がちがう。