実際のところ、地上波デジタルは21世紀になってやっと実現したし、携帯電話のデジタル化も1990年代半ばだった。
クロード・シャノンも、坂村健も、アナログだと言ったけど、それは間違いだった。
たしかに、声はアナログだ。発声器官もアナログだ。だから、同じ歌を歌っても、僕が歌うのと、都はるみが歌うのとでは、月とスッポン、まるで同じ歌とは聞こえない。ここはアナログである。
だけど、同じ歌詞であることは、みんなわかる。ここがデジタルのデジタルたる由縁なのだ。
情報理論は第二次世界大戦直後の一時期にだけ、シャノン、ウィーナーといった巨人によって花開いたけど、その後はぜんぜん新味のないものだった。記号論も、ぜんぜん深まらないまま、わけのわからない統語論に議論をからめとられたのだった。
これについて、鋭い一言をお願いします。あなたの真心の反応を。
おっしゃるとおりだと思います。
どのようなデジタル符号を並べるかよりも
態度や口調でわかりますね。
面と向かったコミュニケーションにおいては、
態度や口調のほうがものをいっていますね。