「男はサラリーマン。いつも同じ時間に起き、いつも同じ時刻の電車に乗り、いつも同じ会社に行き、いつも同じ時間に帰宅する。無遅刻、無欠勤。業績も優秀。絵に描いたような真面目な男であったが、傍から見れば詰まらん男であった。しかし、男はそれを退屈とは思わない。むしろ、他の生き方に興味すら覚えなかった。それは寒さ厳しい冬の朝。男はいつもと同じ駅、同じ時刻、同じ電車の扉から乗車しようとした。しかし、・・(中略)・・。そうだ、今日くらい遅刻してもいいじゃないか。そして着いた場所、それは海だった。大海を前に男は感じた。いかに己が小さきものであるか。いかに自分が狭い世界に住んできたか。そして男は会社を辞め、旅に出た。そう、彼はその時ようやく潜在していた誠の己に気付き、誠の強さを手に入れたのだ。」

銀魂での一場面。あなたはこの言葉を聞き、どう思いますか?
 
また、まっとうに生きて行けば波風も立たず平穏に過ごせて行けると思います。ただ時々、それで良いのか迷う時があります。例え善悪問わぬ方向であったとしても変わるべきだと思いますか?

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  • 登録:2009/03/06 06:33:14
  • 終了:2009/03/07 10:25:24

回答(26件)

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迷いがないということは poidowl2009/03/07 08:56:37ポイント1pt

判断に時間を要しないということで、考慮することがらを減らしているということなんだと思います。

特に、流動的な要素を排除しているのでしょうね。


冒頭に描かれている生き方からは、感情が欠落しているような印象を受けます。感情がゼロだから、

不満もゼロ。という具合です。はたから見る分には、ですが。しかし、一途な生き方ですね。

わき目も振らずに歩み続ける生き方、と言えるでしょう。


そこから、ほんの少しだけのつもりで道を外れてみたところ、”思わぬ方向に”心と足が向いて

しまったというわけですね。予期しなかった自分の行動が自分自身を変えてしまい、さらに

予想外の行動につながっていくといった感じでしょうか。


そしてこの変化を通じて、”誠の己”が得られたとあります。限界近くまで極端な生き方を

してみて、その真逆のスタイルにスイッチをすることで、より強固な自己像を得た。

ということでしょうか。自分自身でそう思っているだけの自分と、実質を伴った自分との

よりわけができた、という意味でです。後天的、先天的と言い換えてもいいかもしれません。


”本当に”そんなことがあるのか。実際に人間の精神はそういう構造をしているのか。

そもそも、精神に構造なんてものがあるのか。すべてが思い過ごしであるかもしれません。

単なる思いすごしではない部分があるかもしれません。


確かめてみなければわかりませんし、確かめたところで確かめた範囲でしか、それは確かな

ことではないのです。「それじゃぁ困る」と言わんばかりに確かなものを集めに集めて形成

されたのが現代の科学・都市文明?でもあると思いますが、そうやって築き上げた確かさの

城塞の中で、こともあろうにその正反対の存在ともいえるニンゲンがわんさと集まって、

あるものは冒頭の彼のように常に規則正しく、また別のものは後段の彼のようにフラフラと、

そして大抵のものはその時々に応じて行動のスタイルを調整しながら、群生しています。


引用の文章から私が思い浮かべたのは、以上のようなことです。もう一つの質問は、何を

問われているのかがわかるようなわからないような感じです。私なりの答えとしては、

「笑う門には福来たる。」です。

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