なぜ白州次郎は戦争に行かなくて済んだのでしょうか?

赤紙というのを聞いたことがあります。赤紙が来たら強制的に戦争に連れて行かれるとテレビでみた気がします。白州次郎には来なかったのでしょうか?

回答の条件
  • 1人10回まで
  • 登録:2009/03/09 23:59:05
  • 終了:2009/03/17 00:00:02

回答(4件)

id:saru7 No.1

saru7回答回数606ベストアンサー獲得回数132009/03/10 00:24:26

ポイント23pt

>世代的にちょうど徴兵・兵役未経験である事、事変期には日本食糧工業(日本水産、食糧増産のための統制会社)の役員であったことから一般の兵役からは免れた事の方が大きかったのではないか

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317760...

とのことです。

id:ytakan No.2

ytakan回答回数831ベストアンサー獲得回数642009/03/10 00:30:32

ポイント23pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E7%99%...

召集令状は受け取りましたが、

軍上層部に働きかけ これを逃れてます。

id:adlib No.3

adlib回答回数1834ベストアンサー獲得回数1052009/03/10 03:44:43

ポイント22pt

 

 銃後の要員 ~ 一億総動員の背後で ~

 

 わたしの亡父も徴兵を免れています。勤め先の経営者が、同業組合の

組合長だったので、その専従職員となったからです。

 その勤め先は、のちの白州次郎が会長となる商社に関連しています。

 

 組合の業務を、もっぱら自宅で継続処理していたらしいのです。

 とくに学歴はなく(高等小学校卒)、肉親の縁故もなかったのですが、

いつのまにか読み書き算盤に習熟していたのが重宝されたのでしょう。

 

 このような特権が、とくに“非国民”と非難された形跡はありません。

 わたしの伝聞記憶では、終戦直前に一度(近所の手前をはばかって)

食糧の買出しに行ったことくらいです。

 

 終戦後も、つとめて穏健で、他人を出し抜くことはありませんでした。

 軍国主義で何もかも全体主義に傾いたわけではなく、一部の指導者は、

敗戦処理について、諸外国の事例を軍人以上に学んでいたとみられます。

 

── 護れ 興亜の兵の家

http://www.nagasakips.com/index.php/history/557-senjiposter

 一億一心総動員! 戦時ポスターから見るくらしと戦争展

 

id:rsc96074 No.4

rsc回答回数4380ベストアンサー獲得回数3982009/03/10 17:36:35

ポイント22pt

 下記URLによると、義父「樺山愛輔」に頼って徴兵を免れたようです。

・白州次郎の信念-戦争を語りつぐ証言ブログ

>そう言い残して白州次郎は駐英武官のもとを去り、義父に頼って徴兵を免れるとともに、東京大空襲で焼け出された友人を田舎の家に引き取って世話することになる。

http://blog.canpan.info/shougen60/archive/73

・樺山愛輔

>樺山 愛輔(かばやま あいすけ、慶応元年5月10日(1865年6月3日) - 昭和28年(1953年)10月21日)は、日本の実業家、政治家。伯爵。

>次女正子は、白洲次郎の妻。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E6%84%9B%E8%BC%9...

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