とある一つの曲(聴く本人が何気なく聞いた曲や、毎日聞いている曲など)の中で、
いいメロディーが合ったとき(聞いた本人がいいメロディーだと思ったとき)
それを部分的、今後の作曲の参考にして使われることがありますか?
例えば
とある一つの曲の中で、
サビの、とあるメロディーラインが良いものがあった → その良い部分(音程、雰囲気様々な部分)を参考にする
→ その良い部分を抽出した中、更に、それを改良(昇華)させる → とある一つの曲を参考にすることで、新しい(とある曲の中の良い部分を取り入れて、更に昇華させた、オリジナル曲ができる。)
というような事体は起こりえることがあるでしょうか?
これは「耳コピがいいというのはどこから来たのだろう?」という考えからでもあり、もしかしたらこのような観点に当たるのかと考えています。
質問からの質問となりますが、ズバリ耳コピとは「既存曲の良さを知り、その上で最良化、昇華」させるために存在するのでしょうか?
1つの曲に対してあれこれ考察するのは悪い事じゃないと思いますが
その曲を考察してすぐ新しい曲を生み出すのは難しいかと。
その曲から離れるのは難しく
その曲を真似した曲しか出てこないような気がします。
作曲っていうのは普段聞いている音楽が反映されるものです。
そういう意味で名曲を聴くこと、耳コピはいいことですが
蓄積したものが現れるものであり
1曲だけ研究しただけではなかなかいいものは
産まれないんじゃないかなと思います。
参考として使うことはもちろん大いにありうることだと思います。「こんな感じの曲にしたいなー、あ、あの歌みたいな感じで!」みたいな。
>>耳コピとは「既存曲の良さを知り、その上で最良化、昇華」させるために存在する
そうですねー。そういえば、もう240年も前の話なんですけど、モーツァルトさんという人が「この曲は門外不出じゃ!楽譜は渡さーん!!」みたいな曲をスラスラ耳コピして書いちゃって、「ざわ…て、天才だ…!」ってなったみたいです。今みたいに情報化されてなかった昔の人は、先人の作品をきいたり楽譜を読んだりすることが、何よりの自らの糧になったのでしょうね。
現在、「耳コピ」で検索すると「弾いてみた」みたいな動画とかでてきますが、本来耳コピと同じようなことをする「聴音」は、音大の入試やカリキュラムで必須なものですし、音楽家の能力として欠かせないものになっています。聞いたものをすぐ楽譜にできるというのは、楽譜を見たときすぐ弾ける力に繋がるからです。
ですから、もちろん既存曲の良さを学んで、自分の中で分析して最良化していく、という意味での耳コピは多分数百年間変わっていないと思いますが、今では音楽教育という意味でも非常に重要な位置を占めているのではないか、と感じました。
ご回答ありがとうございます。
>「こんな感じの曲にしたいなー、あ、あの歌みたいな感じで!」みたいな。
そうなのですよ。 こういう感じのがあるんです。
(実際に思ったこともありますし・・・)
そうですか、耳コピはやはり音楽において
重要な位置に居るのですね。
ありがとうございます。
サンプリングと呼ばれるものだと思います。
http://blog.sakkyoku.jp/?eid=946256
小室哲哉さんも昔、クラシックを取り入れて作曲されていたので覚えています。
最近では、安室奈美恵さんがよく取り入れています。
「ROCK STEADY」はアレサ・フランクリンの1971年の同名曲をサンプリング
ご回答ありがとうございます。
私の方で正確に理解できていないとは思うのですが、
ここでのサンプリングは恐らく、一部分をそのまま抜き出しているのでは・・・
「1960年にレコーディングされたイントロが流れる」などの言葉から
そのように感じました。
ご回答ありがとうございます。
「 過去の曲から参考にオリジナル曲を作る 」 という点、
やはり現代に至っても変わらないのだと思えました。
もちろんありえます。というか、全ての音楽はその歴史の中で成長したものですから、完全オリジナルの楽曲を探すほうが難しいといえます。
実際、ミュージシャンは「○○からの引用」といった形で楽曲を作っています。
もちろん、そんな知識もなくわからずオリジナルといいはるミュージシャンもいますが、ミスチルしかり、過去のスタイルをコピーしています。
そういう意味では1の方がとても的を得た回答をされいます。
1曲だけで参考にできるか確かに微妙ですが、参考にできる要素が多数ある曲であれば、その曲対語的曲をかこうという話しもあるかもしれません。
ただ、一般的に多数流れる歌謡曲などを対象に、モチーフを実験的に作曲活動の中で試用することはあっても、作曲者として公に発表したり、商業的に成功を納めようとするのであれば、もっと伏線をはったかけひきが必要になると思います。
もっともと作曲はアートですから、1曲から発想をもらい、別の曲にすることがだめなわけではありません。
私自身、初期の頃、作曲した曲は、ある曲のコード進行をそのまま利用して、別のメロディーにしたものばかりでした。
また、ミミコピの話しですが、こういった一連の文化的接触とは別の単なるインプットにすぎません。
街中に流れる楽曲もそうですし、自然音、騒音など、あらゆる音が楽曲的に聞こえ、自分の頭の中の楽譜に変換されるだけの話しです。それ自体が作品として成立しないとはいいませんが、作曲ってその先の話しなんだと思います。
ご回答ありがとうございます。
>完全オリジナルの楽曲を探すほうが難しいといえます。
仕事での成功法のように、音楽にとっても、完全オリジナルというのは難しいですよね。
音楽も音楽で、色々の音楽の影響を受けた上で新しい音楽が出来てくるのでしょうし。
複数の曲から発想を貰っていくことも大切なのですね。
>私自身、初期の頃、作曲した曲は、ある曲のコード進行をそのまま利用して、別のメロディーにしたものばかりでした。
今まさに私の方がそんな感じです、とりあえず触れるところからというか・・・^^;
「耳コピがいい」ということに関して、学もない素人の経験則で言わせてもらうと、
の2つが思いつきます。
ただ、作曲において耳コピの必要性と言われると、直接的なものは無いような気がします。
そう考えるとThinkThinkさんのおっしゃるような”既存手法の模倣と発展”ということを私も考えますが、その手段として”耳コピが良い”というのは疑問です。
結局その場合の耳コピは「楽譜(その他)が入手困難」だから、結果として耳コピするしかないと思われるからです。 そのような分野では耳コピではなく、機械採譜に取って代わることでしょう。
なぜ作曲の観点だけでプレーヤーその他の観点が否定されたのか不明ですが、レコーディングや音響関係、それこそ、ハンマーで機械点検する整備士とかも含めて、耳コピ≒人力音楽分析→人力音分析という行為は、その分野でスキルアップする方法のひとつなのだと思います。
ご回答ありがとうございます。
確かにそうですね。
聞いていく → 次第に音を聞き分けれるようになってくる → コードも取れるようになってくる
ということを最近、実感できてきています。
すみません、一つこちら人力音分析とは、人の力で「音に関する分析(パターンや種類の区分けなど)を行うもの、
という解釈で合っていますでしょうか?
自身の力で音楽を分析していくことで、そこから「気づき」を得て、
スキルアップしていくことが大切ということですよね。
模倣 ~ 引用・盗用・登用・当用・適用 ~
ブラームスは「メロディが思い浮ばなかったら、ドヴォルザーク家の
屑篭を探せばいい」と、羨望に満ちたジョークを語っています。
たぶんつぎの曲なども、屑篭の中から拾いあつめたのでしょう。
久石 譲 作曲 19501206 長野 /~映画《おくりびと 20080913 松竹》
http://www.youtube.com/watch?v=h14l2cXa7dA
久石 譲が「おくりびと」のテーマを生演奏
あるいは、バッハの《無伴奏チェロ組曲》は、いつも宮廷楽団奏者が、
ひとりで弾いているのをメモして、妻に清書させた可能性もあります。
http://www.wimmercello.com/bachs1ms.html
メンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》の、即興部(カデンツァ)
のアルペジオも、バッハの《無伴奏シャコンヌ》に酷似しています。
模倣・盗用に当らないのは、前後の音型との、緊密な必然性です。
いちど聴いたら忘れられない、魅力あふれるインパクト・タッチ。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4158369.html (No.6)
おなじ作曲家の“主題”が、多数の作曲家に“変奏”された例。
演歌では、美空 ひばり・作詞作曲(1962)が、中々の出来栄えです。
http://www.youtube.com/watch?v=rpQdgWd3LJE
MISORA HIBARI- ROMANTIC CUPID ロマンチックなキューピット
シナトラ《夜のストレンジャー》vs 天地 真理《水色の恋》の酷似。
http://www.rr.iij4u.or.jp/~takijun/back6070/pakuri04.htm
パクリか空耳か気のせいか
ご回答ありがとうございます。
いい意味でいうと、
同じ作曲家の人からアドバイスを貰うってことですよね・・・。(笑)
おくりびと の 生演奏を流している最中に
気づいたのですが。
「例えば 懐かしさをテーマとした曲」であれば
過去に実際に流された懐かしい曲(音の流れであったり、響きであったり)を取り入れることで
「 過去を表現した曲 」 が出来ますよね。
●パクリか空耳か気のせいか
こちらの内容も参考になりました。
既存の曲を参考にオリジナル曲をつくるのはよくある行為です。
たとえば、GLAYの『HOWEVER』はoasisの『Whatever』を参考にしたようですし、ウルフルズの『ガッツだぜ』はKC & The Sunshine Bandの『That's the Way』を参考にしたと思われます。そういった例は枚挙にいとまがありません。
耳コピのよさは、既存曲の楽曲構造の分析ができること、あとはそれに付随してプレイアビリティの向上や手グセのパターンを増やせることではないかと思います。
ご回答ありがとうございます。
ということは
●オリジナル曲の中には過去の何かの曲を参考する事がある
という関連から、実際にもし 「特定の曲を参考に作られたオリジナル曲」 があるとするならば、
それは 「判る人には判ることができるもの」 ということですよね。
●プレイアビリティの向上や手グセのパターン
こちらについてもう少し教えていただきたいのですが、特に手グセのパターンを増やせるという点はどういうことなのでしょうか?
(すみません、まだ作曲慣れしておらずイメージできなかったのです汗)
実際にもし「特定の曲を参考に作られたオリジナル曲」があるとするならば、それは「判る人には判ることができるもの」ということですよね
そういう曲もありますし、「よくここまで昇華させたな」と思わせるものまであります(元ネタを教えられて逆におどろくような)。
実際、プロのミュージシャンも曲をつくるときには「こんな感じの音に」ってガイドの曲を聴いたり、プレイヤーやエンジニアに聴かせたりもします。
「学ぶ」という言葉は「まねぶ(真似ぶ)」という言葉からきているそうです。
個人的な意見なのですが、「1から100をつくれる」人はそれなりにいても、「0から1をつくれる」人は本当に少ないのだと思います。それこそ歴史上の作曲家とか。
特に手グセのパターンを増やせるという点はどういうことなのでしょうか?
既存曲のコード進行やメロディ、リフなどを研究、練習し、自分のモノにしていくということです。パッとネタを出せる引き出しを増やすみたいに。
ご回答ありがとうございます。
とても参考になり、気づけるものがありました。
プロになれるかはわからないのですが
そういう関係のこともお話頂けて嬉しいです。
>「学ぶ」という言葉は「まねぶ(真似ぶ)」という言葉からきているそうです。
素敵な言葉ですね。
なんだか、考えてみると過去から現代ができるのにも「真似ぶ」、
学ばれてできたものなんだなと思えます。
>既存曲のコード進行やメロディ、リフなどを研究、練習し、自分のモノにしていくということです。パッとネタを出せる引き出しを増やすみたいに。
すみません、判りました。
ありがとうございます。
ご回答ありがとうございます。
>作曲っていうのは普段聞いている音楽が反映されるものです。
こちら非常に参考になりました。
沢山の曲を研究して、色々なものを感じて
いいものが産まれていくのですね。