THEME:「心に残るふれあい!ご近所付き合いルポルタージュ」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とルポ例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20090417
プレゼント変更ご案内
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は4月23日(木)正午で終了させて頂きます。
「私だけの大人の知り合い」っていうのがいいですよね。小さい頃に可愛がってくれた近所のおじさんおばさん。いわば、大人と子供の幼馴染み関係ですよね。こういう記憶って、とても貴重だと思います。
今、うちの近所には、小さな子供がいません。少子化と言いますが、ほんと、子供の数が減ったなあと思います。子供が大きくなった時、そういえば近所に仲良しの大人がいたなあ、なんて思い出してもらえる立場になってみたいなと思います。地域の子供活動のボランティアなどはさせてもらっていて、わりと子供との交流はあるんですが、やはり「近所」っていう付き合い方もしてみたいですよね。
朝って、誰とでもにこやかに挨拶できる、特別な時間ですよね。あれって、どうしてなんでしょうね。日頃ちょっと敬遠してしまうような相手でも、朝だと本当に自然に、にこやかに挨拶が交わせてしまいます。それを何日か続けていると、いつの間にやらとても親しいご近所さんに変わっています。
よく都会と田舎では人間関係が違うなんて言いますが、あれって、生活の時間帯も影響しているかもしれません。なにしろ農村なんかだと、もう朝6時にはみんな畑に出てますからね。町中、早朝の挨拶で溢れかえります。駅へ急ぐ人たちはみな無言。そんな都会の街と随分違う朝の風景があるようです。
時間制限がないので近所の人たちとついついおなかがカポカポになるまでおしゃべりをしてしまいます。
もぐ、ということは、木のそばに立つ、ということですよね。一人二人ならいいですが、もし何十人もがそれをやってしまったら。根の周りを踏み固めてしまい、木は大変弱ってしまいます。
そんなこともあって、無制限に「もぐ」という行為をさせるわけにはいかないんですよね。限られたごく少数で作業をする。これは木を守るためにも必要なことなんです。
ちなみに銀杏については、都会では集めて売るわけではありませんから、いくら拾っても誰にも文句を言われませんが、地方だと農協に出荷できたりしますので、個人所有の木の下で拾っていると叱られることがあります。地域ごとに意外な物が換金作物として扱われていることもありますから、色々注意が必要ですね。
地域差もあるのかな?なんて思います。
私が住んでいる周辺では、太陽の一番暑い時間を除いて公園であそぶ母子連れをよくみかけますよ。
最近は暖かくなってきたので特に。
冬の寒い時期は暖かい時間以外はいなかったりしますし
夏の暑い時は夕方の日が沈んできたあたりが一番多いです。
子供連れにはそのサイクルがあったりするので案外時間帯があってないので見かけないとかかしら?と思ったりしますね。
それから最近馬鹿おやにはなりたくない。という新米ママ友がいたりしますが
子供が三人いる私からすると、目が届かない状況って実際あるんですよね。
だからって開き直るわけではないですよ。
いけないことはいけないですから。
子供がまだ二人だった時に自分より多くお子さんを連れてる方を見たりすると
余裕がなくて大変だったりするのかな?ってよく思っていたら
今自分がそうだったりします。
昔のようにもっとみんなが他人に興味を持って助け合えたらいいのになと思いますね。
馬鹿おやだと非難する前に、その人はなぜそうなのか。
考えててを差し伸べられたらいいと思います。
ランチにドリンクバーなんていうのも、話をするのがメインならよさそうですね。
年を重ねると、なかなかバイキングで元を取れるほど食べられませんし……
公園のイチョウの木が大量に落とす銀杏などは、季節になるとよく拾っている人を見かけます。
梅となると、やはり勝手が違ってくるんでしょうか。
きちんと管理されて、収入が町内の利益になるということでしたら、その方が平等で良いと思います。
たしかに人が多く集まるようなお店だと、音など迷惑に感じることもありそうですね。
とはいえ、なかなか文句を言うことも難しいですし、相手からそうした配慮をして貰えることは、良いことだと思います。
近所の友人の家に行き、親が迎えに来るまで遊んでいました。今の子供たちはそうした付き合いがあるのでしょうか?
地域別で仕切られていましたので、近所の方同士で大きいビニールシートを貼ってお弁当を囲んでました。
団地ッコだった事があるので懐かしいです。
夕方にもなれば子供達で溢れ帰ってましたね〜。いつも誰かと遊んでた気がします。
旦那の実家が雪国なので冬は常に雪かきしています。
皆で助け合うので、ご近所との仲も深まるんですよね。
私も一時期、かぎっ子で同様の経験があります。
鍵を忘れて家に入れない瞬間、とても悲しい気持ちのなか、近所の人の親切に助けられました。
子供ながらの体験ですね。
ワールドカップやWBCクラスの大きな試合だと近所で一緒に盛り上がれそうですね。
普段あまり話さない近所の人でも、同じ趣味だと分かれば一気に親近感が持てて良いですね。
すこし話が逸れますが、最近古い団地のブームなるものが出てきて、その外観や形状などを鑑賞したり保存しようとする動きがあるようです。
昭和の古い団地には「スターハウス」と呼ばれる独特な形の物があり、単に見ていて面白いのと、当時の文化などが感じられます。
他にも様々な理由で独特な形になっている団地もあり、調べてみると飽きません。
団地というものを、こういう形で見直してみるのも良いのではないでしょうか。
そういえば私にも、似たような体験がありました。いつも決まって同じ場所に座って、日向ぼっこしているおばあさんがいたんです。私も何となく目が合って、話をするようになって、昔の話を色々聞きました。その時思いました。ああ、お年寄りの昔話って、昔を懐かしんでいる話じゃないんだ、つい昨日のことのように話してるんだ、この人はご高齢だけど、心は今とても若々しいんだ、と。
そう気付くと、高齢の人だってイキイキしているんですよね。瑞々しい微笑みを浮かべながら語ってくれるおばあちゃん。素敵でした。
冬になって、日向ぼっこの姿はなくなりました。また春になったらお会いできるかなと思いましたが、お会いできずそのままになっています。
結局、災害対策って、人と人との助け合いなんですよね。まず自分や家族の身を守る。そして隣人を思いやる。この両方が整って、はじめて効果を発揮してくれるわけです。
そういう意味では、堅苦しい訓練が終わった後の、食べ物を囲みながらの楽しい談笑こそが、実は災害対策のメインだったりもするわけですよね。
救急法などは、全ての人がエキスパートになるわけにはいきません。それが理想かもしれませんが、実際はまず無理です。でも、避難する時にご近所を気遣う、一声掛けて一緒に避難するというのも、立派な救護のうちなんです。
また避難所生活は、地域住民が一つ屋根の下に詰め込まれることになりますから、そこで地域のコミュニティが生きていないと、みんなとても辛い思いをします。そういう場所でみんなが快適に(とまでは言えなくても少なくとも苦痛なく)暮らしていくためには、ある程度単刀直入にモノを言っても角が立たない、そんな「分かり合える」人間関係が必要です。
そういうコミュニケーションを構築してくれる炊き出しや談笑の席。こういうの、大切ですよね。訓練の翌日、町に笑顔の挨拶が溢れるようなら、その地域の「防災力」はとても高まったと言えるはずです。
昔はそういう標語がありました。今は近所に誰が住んでいるのか分からない、近所こそ警戒しなければならない相手、というのが都市生活の実態ですが、これでは犯罪は防げませんよね。
私は思います。
この三つ。特に大切なのは3番目だと思いますが、安全のためにも、こういう要素の整った地域コミュニティを大切にしたいものだと思うんです。
雇用を安定させ、社会保障を充実させて、全ての人に「終の棲家」と成り得る定住を促進していくことも、安全を作るための政府の責任として大切ですね。「追い出し屋」を使って次々と住人を追い出すような短期居住のアパートが林立するようでは、地域の安全は守れません。
小さい頃は近所の大人の人と話したりするのは慣れないものでした。
良く知ってる隣のおばさんに回覧板を渡すだけで、緊張してたのを思い出します。
今思うと何でもないことなんですがねw
福祉に携わる人が言っていました。「もっと色んな手が欲しい」と。人手が欲しいって言うんじゃないんです。ちっちゃな手。大きい手。しなやかな手。ごつい手。しわしわの手。つまり老若男女、あらゆる手と手が結び合わされるような場を作りたいんだ、という意味です。
高齢者福祉だから高齢者だけを集める、じゃ不自然なんですよね。児童福祉だから児童だけを集めるでも不自然なんです。様々な年齢層の人達が渾然一体となって地域を作っている。その姿がそのまま現れていなければ、それは不自然な空間なんだというわけです。
色んな手がある。人の手、動物の手、みんな仲良く手をつないで、楽しく心を結び合う。そういう輪を、地域に大きく広げていきたいですね。っていうか、fusakoganeさんの地域では、ほんとに大きく広がっているんですね。素晴らしいことだと思います。