「共感」について、ヒトの発達上で自分を投影して他人の状況を推し量ることを「擬似?○○○共感」という専門用語で表現されるようですが、この言葉を正確に教えて頂けますでしょうか?
泣いている遊び友達に、自分がおもちゃで遊ぶのが楽しいから、きっと相手もおもちゃで遊べば泣き止むだろう、とおもちゃを遊び友達に渡してあげたりする(しかしそれ以上(別の理由・状況があるなど)は考えない)段階です。
ちなみにこの発達段階のあとでは、自分と異なる状況・趣向の相手を推し量れる本当の意味での「共感」ができるようになる、と講義内容が進んでいました。
(放送大学大学院の発達心理学特論('07)の第3回で出てきました。よく内容を咀嚼しないうちに次の話題に進んでしまったので、自分でよく確認してみたいのです)
宜しくお願い致します。
「心の理論」における「共感能力」を指すのだと思います。
http://charm.at.webry.info/200808/article_2.html
この記述にあるように一定の発達段階でヒトは他人のこころを理解するモデルを持つようになります。一種の他人シミュレーションが出来るようになるわけです。すると「共感能力・援助行動」もそのモデルに基づいて出来るようになるのだそうです。
自閉症などはその機能が十分発達しなかったために起きる症状だそうです。
「認知的共感性」といったりもするようですが、どのくらい定着しているかは不明です。
以前、似た内容の番組をたまたま見て、少し興味を引かれたことがあります。
内容的に、次のページの2章のあたりや
http://www.u-gakugei.ac.jp/~nmatsuo/yuka-kadai.htm
次のページの表のあたりに書かれているのと同じようなことではなかったですか?
http://www-soc.kwansei.ac.jp/tatsuki/Thesis97-98/CL/5kyokan.html
そうだとすれば、Hoffmanの共感発達理論というのが該当しそうに思います。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00023564
はずしていたらすみません。
どうも有り難う御座います。
詳しい資料をご教示いただきまして有難う御座います。
聴いていた放送大学の講義内容は、まさに表の「共感反応の発達段階」と同じでした。
大人でも、本人は良かれと思って自分の感覚や価値観で他人を批判したりおせっかいをしてきたりする人がたまにいますが
(もちろん、途中で違うと気づいてくれるのならば全く普通の人ですけど)
いくら言っても全然聞く耳を持ってくれなかったり、しまいには君はおかしいとか言い出す人にはホントに辟易します。
どうも有り難う御座います。
返信が遅れてしまいまして申し訳御座いません。
擬似○○共感と聞こえていたのは、「認知的共感」だったのかもしれません。