新しい人称の小説(ショートショート等)を書いてみてください



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A7%B0
一人称小説・・・主人公の視点から書かれた小説。「私は・・・」、「僕は・・・」など主人公が話す形式。主人公が知らない情報は書けないという欠点がある。例「我輩は猫である」
三人称小説・・・第三者の視点から登場人物を記述する小説。誰かの視点から書く1元視点と「神の視点」と呼ばれる多元視点(登場人物の誰の視点からも書ける)がある。例 多数。多くの小説はこの視点で書かれる。
二人称小説・・・「あなたは・・・」「きみは・・・」など読者に語りかける小説。使われることは少ない。


上記の一人称、二人称、三人称、以外の人称の小説を書いてみてください。
※何人称の小説か明記して、その理由を説明してください。
例 0人称小説、4人称小説、2.6人称小説

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  • 登録:2009/05/30 07:17:11
  • 終了:2009/06/06 07:20:02

ベストアンサー

id:matsunaga No.6

松永英明@ことのは回答回数536ベストアンサー獲得回数872009/06/06 01:54:19

ポイント18pt

ひとまず2人称小説というのを置いておくならば、

1人称小説は主観であり、主体に視点がある。

3人称小説は客観であり、対象に視点がある。

ならば、主体と対象が一体化している状態であれば、それ以外の人称と呼ぶことができましょう。

これは「主客一体」「梵我一如」と呼ばれるものにほかなりません。いうなれば0人称の世界でしょうか。

この状態を文章で書くこと自体が矛盾しています。なぜなら、言葉というものが「A」と「Aでないもの」を区別する二元の世界にあるものであり、主客一体の一元の世界とは完全に相容れないのです。つまり、言葉そのものがすでに二元の世界にしか存在し得ないわけです。

見る者と見られる者が完全に一体化している状態、そのような0人称小説は、書いたとたんに0人称ではなくなるという恐ろしい矛盾をはらんでいます。

というわけで、諸星大二郎の『暗黒神話』『孔子暗黒伝』(マンガですが)を別にすると、これは難しいですね。ただし、中観派(ナーガールジュナなど)や禅問答は、主客にとらわれることを誤りとする、ということなので、禅問答、あるいは不条理きわまりない意味不明なシュルレアリスム小説なんかはゼロ人称小説に該当するかもしれません。


うーむ、これでは困ります。ので、方向転換します。


中国語では、「わたしたち」に二種類あります。「我们」(相手を含まない「われわれ」)「咱们」(相手を含む「われわれ」)です。1人称のみ複数、1人称+2人称複数ということになりますね。常に「君たちを含む我々」の視点にすれば、「1+2人称複数小説」が書けそうです。

我々は一人の英雄を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!

地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!諸君!我がジオンの戦争目的が正しいからだ!

一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年、宇宙に住む我々が自由を要求して、何度連邦に踏みにじられたかを思い起こすがいい。ジオン公国の掲げる、人類一人一人の自由のための戦いを、神が見捨てるわけは無い。

私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ、何故だ!

坊やだからさ!

戦いはやや落着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか?しかし、それは重大な過ちである。地球連邦は聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリート共に教えねばならんのだ。

ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ!戦いはこれからである。

我々の軍備はますます復興しつつある。地球連邦軍とてこのままではあるまい。

諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも忘れてはならない!それをガルマは死を以って我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!ジオンは諸君等の力を欲しているのだ。

ジーク・ジオン!!

引用で済みません。

その他の回答(5件)

id:adlib No.1

adlib回答回数1893ベストアンサー獲得回数1112009/05/30 11:15:13

ポイント19pt

 

 なにわ人称考 ~ 自称=わい、対称=自分、他称=あれら ~

 

 一.自分の実家(さと)

 

 自分は、三人兄妹のひとり娘やった。

 おとんは酒びたりで、おかんはパチンコばっかりしとったそやな。

 自分の兄ぃらも、あほまるだしで、字ぃも読めへんだやろ。

 

 名前ぐらい書けなあかんのに、読めんような字ぃ書くさかい、あれら

笑われたんや。云うたろか、わいを誰や思うてんねん?

 わいは、自分の連れあいやで。自分は、わいのヨメちゃうんか!

 

 わいの名前は、なにわの自団太や。あれら「浪花の桂春団治みたいや」

云いっよったさかい、だれぞ「春団治やのうて、地団駄やんけ」云うて、

それから「なにわの自団太」で通りよる。

 

 二.わいの出自(でじ)

 

 わいの家も、自分とおんなじようなもんやった。

 おとんもおとんのおとんも酒で身上(しんしょう)つぶしよった。

 もともとつぶすほど身上あらへんのに、あほちゃうか。

 

 おんな癖もわるかった。しょもない女に手ぇ出すさかい、いつのまに

やら居ついてしまいよる。近所のあれらが「あれ、こんどの嫁はんか?」

云うてるうちに腹まで大きぃなってしもたんや。

 

 その腹にでけたんが、わいや。おとんの子やのうて、おとんのおとん

の子や云う奴も居ったけど、そんなもん、わいが知るか!

 おとんは、わいを「こら」いうし、おかんは「自分」いうて呼ぶんや。

 

 三.わいと自分(みょうと)

 

 自分も、わいのこと「自分」いうて呼ぶやろ。

 わいも、自分のこと「自分」いうて呼ぶやんけ。

 ほなら、わいも自分も「自分」やで。なんで、こないややこしいんや。

 

 こないだ自分は、わいに「自分、連れが来はったで」云うたやろ。

 わいの連れが来よって「地団太おるけ?」云いよった。

 そやさかい、わいは連れに「自分、何しに来たんや」いうて聞いた。

 

 ほなら連れは「自分、なんぼか持っとるけ?」いうて聞きよった。

 なんや、ゼニ借りに来くさったんか「そんなんあらへん」云うたった。

 ほなら連れは怒って「自分に貸したゼニ、返さんか」ぬかしよった。

 

 四.一生貧(なにわともあれ一升瓶)

 

 わいも怒って「わいにも段取りがあるよって、いまはない」云うた。

 ほなら連れは「なにが段取りや、年がら年じゅう、いつあった?」

 わいも「いつか分らんさかい弱っとるんや、このどあほ」云うたった。

 

 連れは「いますぐ返せ」云うて、わいは「そのうち返す」云うだけや。

 そこで自分が「自分ら、何あほなこと云うてんねん。あほちゃうか」

 茶碗三つに一升瓶だしよって、わいら飲みはじめてもた。

 

 すぐに酔いがまわって、わいらげらげら笑うてもた。

 連れはへべれけになって「この、あほんだら」云いながら帰ってもた。

「やっぱ、こういうときは飲ますのが手っとりばやい」わいらもわろた。

 

(未完↓下敷)

 

 桂 春団治 1 落語 18780804 大阪 19341006 56 /旧姓=皮田 藤吉(岩井 志うの婿)

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090512

 女癖三代 ~ 世襲DNA遺伝子 ~

 

 長谷川 幸延 小説 19040211 大阪 19770627 73 /~《桂春団治 1962-20090213 タチバナ文庫》

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26765/comment.html

── 木村 恵吾・監督《世にも面白い男の一生 桂春団治 19561127 東宝》・主演

 

── マキノ雅弘・監督《色ごと師春団治 19650522 東映》藤山寛美・主演

http://db.eiren.org/contents/03000009495.html

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21655/index.html

 

── 渋谷 郁男・詞/村沢 良介・曲/京山 幸枝若・唱

《浪花しぐれ「桂 春団治」20051207 テイチク》

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND3427/index.html

 

── たか たかし・詞/岡 千秋・曲/都 はるみ・唱

《浪花恋しぐれ 20031022 コロムビア》中村 一好・企画

http://www.topics100.net/archives/cd/post_85/

 

(20090530)

 

id:garyo

ありがとうございます。

なにわ人称というわけでしょうか?

wikipediaには「ぼくら」という「一人称複数形式」が載っていました。

指数が自然数から整数・有理数・無理数に拡張されるのを高校で習ってちょっと感動しましたが、同じことが人称で出来ないかな・・・と思った質問です。

2009/05/30 19:54:22
id:nobnob3 No.2

考え中回答回数324ベストアンサー獲得回数292009/05/30 13:29:52

ポイント19pt

4人称小説

僕の彼女は、言った。

「彼の瞳に惹かれたのよ。止められなかったわ。」

僕は沸き上がる嫉妬を押さえながら彼女の言葉を待った。

「彼の黒い瞳の奥には、何か悲しみが宿っているのよ。」

「その時には、理由は分からなかったけど、私は確信したのよ。」

・・・・

というのはどうでしょうか?

完結していなくて済みません。

3+1で4人称と言ってみました。

宮本輝の錦繍は、書簡形式の面白い小説でした。

http://www.amazon.co.jp/錦繍-新潮文庫-宮本-輝/dp/4101307024

id:garyo

ありがとうございます。

>3+1で4人称と言ってみました。

ありだと思います。


元ネタを明かすと

昔、「1・2・3人称以外の小説は書けないのかな?」と思ったことがあって、山田正紀の『神狩り』で「神にしか書けない文法(記憶モード)」というのに感銘を受けて、


http://blog.goo.ne.jp/teki-mizuno/e/d1b4b1e75b0082c50a027f7d6b41...

ところで前作『神狩り』に登場した古代文字は、論理記号が2つだけ(人間の言語では5つ)、関係代名詞が13重以上に入り組んでいるという設定で、「人間は、関係代名詞が7重以上入り組んだ文章を理解することができない」という記述があった。

アイディアしだいでは1・2・3人称以外の人称も可能ではと思っていました。



最近、

http://d.hatena.ne.jp/Roskil/20090522/p1

「第2.7者くらいから見た馬場ミカド騒動 」

というタイトルを見て

http://d.hatena.ne.jp/Roskil/20090522/p1

「(第三者(客観)よりちょっと関係者で2.7人称)その手があったか・・・・・・・・・・・orz」と思って質問してみました。

ぜひ、1・2・3人称以外の人称の小説を読んでみたいです(^^)

2009/05/30 20:51:56
id:Macho-duck No.3

Macho-duck回答回数27ベストアンサー獲得回数22009/05/30 17:55:06

ポイント18pt

回答ではありませんが、

『名探偵の掟』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%81%A...

名探偵の掟 (講談社文庫)

名探偵の掟 (講談社文庫)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 文庫

名探偵の掟

名探偵の掟

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 単行本

名探偵の掟 (講談社ノベルス)

名探偵の掟 (講談社ノベルス)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

名探偵の呪縛 (講談社文庫)

名探偵の呪縛 (講談社文庫)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 文庫

>主要登場人物2人が、自身が小説上の人物であることを自覚した上で作品世界を一旦離れ、推理小説の問題に言及するなど、メタフィクションの要素を含んでいる。


の点から「一人称、二人称、三人称、以外の人称の小説」になるのではないかと思います。

id:garyo

ありがとうございます。

>>主要登場人物2人が、自身が小説上の人物であることを自覚した上で作品世界を一旦離れ、推理小説の問題に言及するなど、メタフィクションの要素を含んでいる。

これを聞いて思い出すのは「吉里吉里人」ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8C%E5%90%89%E9%87%8...

ずっと三人称の視点で書かれていて最後に「誰が語り部だったのか」が明かされたのは驚きでした(記憶モードなので間違っていたらすみません)

2009/05/30 20:11:51
id:sakaelu No.4

sakaelu回答回数77ベストアンサー獲得回数02009/05/31 22:37:25

ポイント18pt

 0人称小説:観測者の主観を排除した事実を列挙するだけの小説というのはどうでしょう。

部屋、四畳半。

ドア。対面、窓、開放、風、流入。カーテン、運動。

部屋、中心付近、机、人間、二人。

ドア側、人間、発言。

「寒いは、窓を閉めてください。」

窓側、人間、発言。

「そうね、わかったわ。」

窓側、人間、規律、歩行、接近、窓。

窓、閉鎖。

ドア側、人間、発言。

「ありがとうございます。」

 見たいな感じです。ちなみに「ドア側、人間、発言。」は「ドア側の人間が発言した。」ではなく「ドア側で人間が発言した。」です。ドア側の人間だと三人称になってしまうので、あくまでもドア側という場所で人間の発言という現象が起こったというニュアンスです。

 少し強引過ぎたでしょうか。URLは特にないので最近読んで面白かったものを載せておきます。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2758989

id:garyo

ありがとうございます。

「小説とは人間を描くもの」と誰か言っていた気がしますが、

「一切人間(と生物)を描かない小説」というのは可能なんだろうか?と思いました。

2009/06/01 23:03:47
id:Misatch No.5

Misatch回答回数60ベストアンサー獲得回数02009/06/01 20:04:43

ポイント18pt

ポリ人称小説【食後の一服】


*****


「ごちそうさまー。あー、お腹くちくなったらお茶のみたくなってきたなー」

「ふつう満腹だったらそれ以上入らなくないか?」

「満腹じゃないのよう。くちくなっただけ。はちぶんめー」

「……その違いはどーでもいいけど、ふと」

「お母さんっ! おまんじゅう置いてなぁい? それか、ねりきり」

「そうそう未紀ちゃんの都合に合わせて買ってませんよ。この間いただいたゴーフルじゃいけないの?」

「お濃い服みたいんだもん。和菓子がいい」

「なら自分で買ってきたら? 湖月庵さん、火曜定休だけど今日は祝日だから開いてるでしょう」

「そうだっけ。じゃあ、これ終わったら行ってくる」

「ああ、だったら洗い物の続きはやっといたげるから、お母さんの分も買ってきてよ。あと、おばあちゃんに薯預と。はい、お財布」

「らっき。お母さんも薯預? それか練りきり?」

「どっちでもいいわよ」

「俺は別にいらないぞ」

「哲のぶんなんて最初から数えてないわよ。女だけでお茶するんだから」

「……ふん」

「すねてんのー。コドモー」

「車に気をつけるのよ」

「はぁい、いってきまーす」


*****


 小説が登場人物の台詞のみで成り立ち、地の文が存在せず、状況説明なども全て台詞の上のみで行われるという形式。

 台本形式とは違い、文中で話者が誰であるかは明確に示されない。

 一人称×複数でポリ(多数の)人称、という考え方ですが、いかがでしょうか。


 この回答自体の参照がありませんので、URLは「三人称と思わせて実は一人称」というトリック(?)に引っかかった小説です。

 半メタ存在の一人称って作中の人間に感知されるまでは実質三人称だよね、と。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%...

id:garyo

ありがとうございます。

> 一人称×複数でポリ(多数の)人称、という考え方ですが、いかがでしょうか。

どんどん実験小説していってください!

当然ですが、「正解」はありません。(たぶんこの世に1・2・3人称以外で書かれた小説は『まだ』無いと思います)

質問者にも答えは判っていないのです!多分万人が認めた小説が「1・2・3人称以外で書かれた小説」なのだと思います。はてなスターが一番多く付いた回答がそれかも知れません。


>URLは「三人称と思わせて実は一人称」というトリック(?)に引っかかった小説です。

うそつきが主人公の嘘部の話は最初すごく混乱しました。

2009/06/02 17:54:51
id:matsunaga No.6

松永英明@ことのは回答回数536ベストアンサー獲得回数872009/06/06 01:54:19ここでベストアンサー

ポイント18pt

ひとまず2人称小説というのを置いておくならば、

1人称小説は主観であり、主体に視点がある。

3人称小説は客観であり、対象に視点がある。

ならば、主体と対象が一体化している状態であれば、それ以外の人称と呼ぶことができましょう。

これは「主客一体」「梵我一如」と呼ばれるものにほかなりません。いうなれば0人称の世界でしょうか。

この状態を文章で書くこと自体が矛盾しています。なぜなら、言葉というものが「A」と「Aでないもの」を区別する二元の世界にあるものであり、主客一体の一元の世界とは完全に相容れないのです。つまり、言葉そのものがすでに二元の世界にしか存在し得ないわけです。

見る者と見られる者が完全に一体化している状態、そのような0人称小説は、書いたとたんに0人称ではなくなるという恐ろしい矛盾をはらんでいます。

というわけで、諸星大二郎の『暗黒神話』『孔子暗黒伝』(マンガですが)を別にすると、これは難しいですね。ただし、中観派(ナーガールジュナなど)や禅問答は、主客にとらわれることを誤りとする、ということなので、禅問答、あるいは不条理きわまりない意味不明なシュルレアリスム小説なんかはゼロ人称小説に該当するかもしれません。


うーむ、これでは困ります。ので、方向転換します。


中国語では、「わたしたち」に二種類あります。「我们」(相手を含まない「われわれ」)「咱们」(相手を含む「われわれ」)です。1人称のみ複数、1人称+2人称複数ということになりますね。常に「君たちを含む我々」の視点にすれば、「1+2人称複数小説」が書けそうです。

我々は一人の英雄を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!

地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!諸君!我がジオンの戦争目的が正しいからだ!

一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年、宇宙に住む我々が自由を要求して、何度連邦に踏みにじられたかを思い起こすがいい。ジオン公国の掲げる、人類一人一人の自由のための戦いを、神が見捨てるわけは無い。

私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ、何故だ!

坊やだからさ!

戦いはやや落着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか?しかし、それは重大な過ちである。地球連邦は聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリート共に教えねばならんのだ。

ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ!戦いはこれからである。

我々の軍備はますます復興しつつある。地球連邦軍とてこのままではあるまい。

諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも忘れてはならない!それをガルマは死を以って我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!ジオンは諸君等の力を欲しているのだ。

ジーク・ジオン!!

引用で済みません。

  • id:adlib
     
     とりかえばや ~ 人称転倒について ~
     
     なにわ人称文法(?)は、しばしば対手のことを「自分」と呼びます。
     そこで「自分は、わいのヨメちゃうんか!」という会話が成立します。
     大まじめに話している当人が、混乱する経過を描こうと試みたのです。
     
  • id:garyo
    「自分」が一人称と二人称を兼ねるわけですね。
    間を取って1.5人称というところでしょうか。


    「おれがあいつであいつがおれで」(大林宣彦監督 映画『転校生』の原作)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%8C%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8C%E3%81%8A%E3%82%8C%E3%81%A7
    みたいに主人公が入れ替わる作品を1人称で書くと面白いかも。
  • id:fumie15
    回答ではありませんのでコメントで失礼します。

    アゴタ・クリストフの「悪童日記」は確か双子の主人公で最初から最後まで「ぼくら」で書かれています。
    この場合は何人称なのでしょうか?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98
  • id:garyo
    wikipediaでは「その他の人称形式小説」と書いてありますね。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A7%B0#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96.E3.81.AE.E4.BA.BA.E7.A7.B0.E5.BD.A2.E5.BC.8F.E5.B0.8F.E8.AA.AC
    >>
    その他の人称形式小説
    アゴタ・クリストフの Le grand cahier (『大きなノート』、邦訳『悪童日記』、堀茂樹訳)は、一人称複数形式(「ぼくら」)で成功した有名な小説である。
    <<
    フラクタル次元が整数以外の値をとるように、発想次第では新しい数値の人称を定義できるのではないでしょうか。
  • id:garyo
    例えば、第四人称が必要な言語体系があるとしたら、どんな言語体系だろうか・・・・・・とか。
    第一人称「I, we」、第二人称「you」、第三人称「he/she, they」その何れでもない存在がいるとしたら、どんなことが起こるのだろうか・・・・・・とか
    「二乗してマイナスになる数が存在したら」という虚数に似てますね。

  • id:garyo
    「鏡の国のアリス」でNobodyを使った駄洒落がありますが、「誰でもない人」を指す代名詞は「第0人称」と呼んでもいいかも。
    >>
    王様:「道中、だれを追い越した?」
    使者: Nobody. 
    誰も(追い越しませんでした)、と答えたのに、これを王様は文字通り、Nobody さんを追い越した、と解釈するところからこんにゃく問答みたいな話になるわけである。
    「Nobody はお前に追い越されたのだから、Nobody はお前より遅い。」
    使者のほうは Nobody walks slowly than you. といわれて 「お前は誰より遅い」といわれたと思ってむきになって「私は誰より速く歩ける」というつもりで Nobody walks much faster than I do. なんてことをいうと、王様はまた、「Nobody がお前より速く歩くというが、それならお前より先に Nobody というやつがここについていなければならないはずだ」といってかみ合わない会話が続くわけである。
    <<
    http://shuminogo.exblog.jp/4566981/
  • id:garyo
    アイヌ語には四人称があるみたいです
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E#.E4.BA.BA.E7.A7.B0.E4.BB.A3.E5.90.8D.E8.A9.9E
    >>
    また、一部の言語(例えばアイヌ語)で、この三種類のどれとも文法的に異なる人称(一人称複数包括形、不特定の一般の人に関する表現など)を四人称と呼ぶことがある。
    <<
    一人称複数を、聞き手を含む場合(包括形)と聞き手を含まない場合(除外形)にわけると
    一人称複数包括形は聞き手を含んだ「我ら」という代名詞みたいですね。


    >アゴタ・クリストフの「悪童日記」は確か双子の主人公で最初から最後まで「ぼくら」で書かれています。
    >この場合は何人称なのでしょうか?
    この「ぼくら」が一人称複数包括形でアイヌ語に翻訳された時は四人称になるかも知れません。
  • id:kuro-yo
    > 指数が自然数から整数・有理数・無理数に拡張される

    それなら、二次元以上の人称(ベクトル人称)もできそうです:(1,2)人称とか、(3,3,3)人称とか。
    ベクトル人称がありなら、当然、行列人称やテンソル人称、関数人称、多項式人称、・・・も、ありそうです。
  • id:garyo
    氷室冴子の作品で『なぎさボーイ』 『多恵子ガール』という2人の主人公の視点から書かれたものがありますが、あれを1つの作品でやったらベクトルになりますか?
    1つの作品で1人称小説だけど、その1人称(主人公)が変わっていく小説ははあったようななかったような・・・
  • id:ku__ra__ge
    自分では物語として成立してる文章には落とせないんですが、述語主体で書かれた文章というはどうでしょう。
    日本語プログラミング言語「なでしこ」のプログラムを見てて、こんな感じで物語を書いたら
    一人称、二人称、三人称のどれでもないのではないかな、と思いました。
    http://journal.mycom.co.jp/column/nihongoprog/049/index.html
  • id:garyo
    日本語では主に主語を省くことができますが、それを使った小説でしょうか。
    古文で主語が無くて、女ことば・男ことばや敬語から誰が言った言葉か推理するのが大変ですが、
    現代文でやってみるのも面白そうです。
    後、小説の書き方の入門書に必ず書いてあるのが「視点を一致させること」(1人称小説と3人称小説を混ぜてはいけない)ですが、逆に1人称小説・2人称小説・3人称小説を意図的に混ぜると面白いかも知れませんね。
  • id:garyo
    >1人称小説・2人称小説・3人称小説を意図的に混ぜると面白いかも知れませんね。
    最初は主人公の一人称で始まり、途中でヒロイン(または神)と人格が入れ替わって、
    一人称なんだけど、主人公が第三者の視点から語られるという・・・
  • id:garyo
    matsunagaさん、すみません、コメントを書こうとしている間に質問が終了してしまいましたorz
    >見る者と見られる者が完全に一体化している状態、そのような0人称小説は、書いたとたんに0人称ではなくなるという恐ろしい矛盾をはらんでいます。
    上記の状態は「書く」という行為自体が矛盾するのですね。
    諸星大二郎の漫画は面白いですね。
    >中国語では、「わたしたち」に二種類あります。「我们」(相手を含まない「われわれ」)「咱们」(相手を含む「われわれ」)です。
    そうだったんですか。まさかあの演説が「1+2人称複数小説」だとは思いませんでした。ありがとうございます。
  • id:adlib
     
    >アイヌ語には四人称があるみたいです<
     I My Me, you your you, he his him(she her her), God God's God.
     英語には神称(日本語は皇祖神)があります。
     
    >1・2・3人称以外の小説は存在しないのか?<
     わたしは、自伝用の人称を“百太郎”と総称しています。
     状況にあわせて、若太郎・青太郎・壮太郎・老太郎などと称します。
     
    ── 一人称で語るには、しばしば面映いことがあり、聞いたふうな架
    空の名もそらぞらしい。あるとき、太郎の前に漢字一文字を加えてみる
    と、語呂もよく、それなりに意味をもたせることを思いついた。
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001226
     諸太郎考 ~ Taro & Tom ~
     

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