THEME:「コマッタはヨカッタの素!私の〈よかった探し〉物語」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とルポ例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20090605
プレゼント変更ご案内
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は6月11日(木)正午で終了させて頂きます。
幼いころキリスト教系の幼稚園に通っていたせいか、「神様、今日一日ありがとうございました。今日一日の罪をお許し下さい。アーメン。」と唱えてから寝ていました。今ではその習慣はなくなってしまいましたが、懐かしい思い出です。
ピンチだなーと思った時には、どうチャンスに変えるか
考え方次第で変わる時もありますよね。
昔、母親に寝る時に見守ってくれてる人に対して『今日1日ありがとうございます。』と心の中で思いなさいと昔言われた事があります。
大人になってからは実践してませんが、たまにはそうゆう思いも伝えないと行けませんね。
友人には直接話せないけど、ブログで書く事によって吐き出せる言葉や、伝えられる言葉ってのが結構あったり。
遠くは慣れた友人とは、ブログが無ければ今頃は年に1度くらいしか連絡を取らなかったと思うんですが、今ではブログを通じで週一では何かしらのやりとりがある。
ブログがあって友人との絆が薄れる事無くやっていける事が良かったと思います。
サッカーの試合に良く行くんですが雨の時は傘をさしていると周りの邪魔になる事が多いので、皆レインコートを着ています。
ですが、選手がずぶ濡れになって試合をしているので、僕らも同じようにずぶ濡れになって応援しています。雨でビッショビショなんですが、それでも頑張って応援して勝利を決めた時は、そんな雨がすっごく気持ちいいほど快感になるんです。
同じく、オーストラリアで道に迷っていたら道を教えてくれた地元の方が車でホテルまで送ってってくれた事があります。
日本でしたら事件に発展しそうで怖いんですが、本当に親切な方が沢山居るので、治安の良い国では結構安心です。
遠くの友達にも気軽に連絡出来るので良いですね。
高校時代の事です
家から高校までバス通学をしていたのですがあるとき
お金がない・・という事がありました。
そんな時、同じ高校に通ってる
女生徒(後輩だったのかな)から
回数券をもらって助かった事が
ありました。
その分の回数券をどこで返したのかは覚えてないのですが
ちゃんとその女生徒に返しました
ビビッて汗をかいてしまった出来事だったけれど
忘れられない出来事だったりします
私は学生時代、ずっとスポーツをやっていました。格闘技ですので、団体戦はありますが、基本的に試合は一人で戦います。仲間はいますが、ひとたびスランプに陥ると孤独な世界でした。そこから抜け出すためには、自分一人で這い上がらなければなりません。他人の努力でカバーしてもらえる世界ではないのです。
私もひどいスランプに陥ったことがありました。ただのスランプが自信の喪失につながり、自信の喪失が精神的な不安定さにつながり、仲間の練習を見に行くだけでも辛く感じられるようになっていました。
それでもブランクは恐いので、基本となる体力や筋肉を落とさないトレーニングだけはしています。いえ、スランプとブランクを恐れるあまり、ランニングや筋トレにクタクタになるまで打ち込んでいる自分がそこにいました。
そんな時、友が、お前休めよ、と声をかけてくれたんです。俺達は選手である前に学生だ、選手として行き詰まったらそっちは一時休め、学生として楽しめ、そうすりゃそのうち休んでいた方も復活すると。スランプを意地で乗り越えるというスポ根的な考え方から180度の転換です。
そこからは、気楽に仲間を応援したり、全く関係ないグループと合コンに出かけたりと(笑)、心がぐんと軽くなっていきました。交友関係が広がって、ほんの短い間に、不器用なスポーツバカが大転換をとげていきました。
心がほぐれて癒されてくると、もうスランプなど消え去っているという実感が湧いてきます。練習に復帰したくてたまらなくなってきます。そして迎えた交流試合。公式戦でもないのに、スランプ中に仲良くなった新しい仲間たちがみんな応援に来てくれていました。合コンなどにも出ていましたので、女子もいます。女の子の声で応援されるなど初めてのことでした。甲高い声援を受けて心の底から思いました。スランプになって良かった!!(笑)。
今も職業人としてスランプに陥ることは多々あります。そんな時はこの経験を思い出し、職業人である前にただの人なんだから、そういう時は人として楽しもう、今の時期を上手に使ってすばらしい交友関係を広げるような時間に使っていこう、後で壁に突き当たって良かったと思える時間にしていこう、と思うようにしています。おかげでいつも私は自分のペースを見失うことがありません。これもあの時スランプに陥ったおかげかなと思っています。
高くはありませんでしたが、有料のソフトでした。ちょっと特殊なソフトだったせいか、何をやっても、設定しようにも起動すらしてくれません。途方に暮れた私は、パソコンに詳しそうに友人に片っ端から聞きまくりました。が、返ってくる答えはみな同じでした。分からない。
もちろんネットの記事も探し回りましたが、当時はまだあまりネットに慣れていないせいもあって、なかなか必要とする情報にたどりつけずにいました、
困った困ったと言いながら、もう解決の方法は見つからないだろうと諦め掛けていた時、ここ「はてな」に出会いました。ネットという所は不用意に質問など投げかけると、自己解決の努力もせずに他人に頼る奴と決めつけられて罵倒されて追い出されるのが常だと思っていましたので、何でも聞いてくださいというサイトとの出会いは、まるで砂漠にオアシスを見つけた思いでした。
早速ユーザー登録をしてみました。しかし会員になってみると、質問をするより回答をする方が面白くなってしまいました。もう自分のことはそっちのけです。あまり他人様のお困りを解決するような回答はできませんでしたが、それでも誰かの求めに応じて答えを返してみるというのは気持ちの良いことでした。もうこれだけで災い転じて福、という感じでしたが、さらにそれからしばらくして「イエはてな」に出会うことになりました。
イエはてなは私に、あらゆる面での発想の転換を教えてくれました。雨が降れば雨を楽しみ利用するすべを教えてくれ、辛い真夏の暑さも楽しみに変えてしまうイエはてなは「よかった」の宝庫になりました。
あの時何の苦労もなくソフトが動いていれば、私は「はてな」に来ることもなく、さらに「イエはてな」に出会うこともなかったでしょう。そうしたら今、イエがこんなに楽しいと思うこともなかったかもしれません。これからも、イエはてなのお陰でイエが楽しくなっていく都度、あの時トラブルに見舞われていてよかった!と思い続けることでしょう。
機会オンチのぼくはパソコンを触り始めた初期、せっかく打ち込んだ文章をよく消失させてしまっていました。そのときの喪失感ときたらないですよね。何時間かの努力が全くの水泡に帰してしまう。
ぼくは25歳ころにようやくワープロを打てるようになった世代です。
それまでは頑強に手書き派の一員としてワープロ派の広がりと戦っていたのです。
ついに屈してワープロの入力をたどたどしいタッチで泣きながら開始し、ようやく身についたのです。
ですからデータや文章をなくしてしまったときには、手書きだったらこんな苦労しないでいいのに、と腐ったものでした。
それでもネットの便利さを知り、ネットの向こう側に広がる豊穣な知的世界に憧れることもできるようになりました。
タッチタイピングとまでは行きませんが、入力も手書きの何倍も早くできるようになり、指に負担もかからなくなりました。
これも四苦八苦しながら、データ消失に腐りながらもパソコンに向かい続けた結果なんだなあと思います。
全体的視点をもつにはリーダーになるのが一番手っ取り早い!
小さいうちにあるていどケンカできたのは良い経験だったと思う。
私は滅多に落とし物はしないのですが、その時に限って財布を落としてしまいました。気が付いた時にはどこに落としたのかも分からなくなっていて、心当たりを探してみましたが、全く見つかりませんでした。とりあえずカード類は早く手を打たないとまずそうなので紛失の届けをして、まいったなぁとトボトボ歩いていると、なんと他人の財布を拾ってしまいました。中を確認してみると、私が落とした財布の倍は入っています。一瞬思いましたね、儲かった!(笑)。
もちろん、今の今まで、自分が財布を落として途方に暮れていたんですから、この財布の持ち主の気持ちも痛いほど分かります。当然のことながら交番に急ぎました。
拾った財布を交番に届けて、一緒に自分の落とした財布の届けも出していると(お巡りさんに、あなたは自分で落としておきながら他人のを拾ってきちゃったんですかと少々笑われてしまいました)、財布を落としましたとやってきた人がいました。それが見事に私の拾った財布の持ち主でした。その人の喜んだこと喜んだこと。これですっかり私は心が晴れて、その人と一緒に心の底からよかったねと喜ぶことができました。
フィクションの世界なら、最後のオチで私の財布も出てきそうな感じですが、現実には私の財布はついに見つからずじまいでした。でも私は、自分の財布を捜しているうちに他人の財布を見つけるというラッキーに恵まれて、その人の喜びを自分も分けてもらうことができました。自分のちょっとした損失による落ち込みなど、他人からいただくありがとうの言葉で簡単に吹き飛んでしまうものですね。以上、こういうちょっと風変わりなよかったも有りかなと思い書いてみました。
私は出張の帰りに企画書の草稿を書き始めました。最初が手書きでのスタートでしたので、そのまま手書きで進めていきました。そしてほぼ完成というところで、どこかに置き忘れてしまいました。いくら探しても見つかりません。こんなことならコピーを取っておくんだった、いや、改めてパソコンの上で作業し直すべきだったと悔やみましたが、もう後の祭りでした。
提出日が迫っていましたので、もう一度、一から書き直さざるを得ませんでした。手書きで10枚近かった草稿です。内容は憶えていますが、どうアピールしたら効果的かと工夫した部分などはもう忘れている所も多く、いちいち思い出して再現するには無理がありました。
ええい、いっそのこと一から企画を練り直しだ、とねじり鉢巻き気分でパソコンに向かって書き始めると、次から次へと、手書きの段階で考えていた内容の不備が見つかってきました。あぁそうか、これじゃだめなんだから、これがこうなるとあれはこうなってと、結局スタート地点での問題点が響いて、全てに渡って再検討を要することが判明しました。
草稿を無くしたお陰で再検討の機会が持てたんです。そのお陰で重大な不備に気が付けたんです。これぞ良かった、です。さらに同僚が帰ってからも残って企画書の仕上げをしていたらそこに重役がやってきて、君まだ仕事は残ってるのかねと聞かれて、いえ今終わったところですと答えると、じゃぁ遅くまで頑張ったご褒美に一杯おごるよとw今まで行ったこともない高級店でご馳走になってしまいましたww
さらにその時のことがきっかけになって、その後、例の企画書以上の企画の立案を担当させてもらうチャンスにも恵まれました。このエピソードを後日その重役さんにお話しすると、どんな時でも着実にこつこつやるタイプが結局成功するんだよ、君も原稿を無くしてやる気が失せたろうし、一から考え直すより思い出して再現した方が楽だと考えたろうが、遠回りでも着実にいい物を仕上げていこうと取り組み直したところに成功の種が蒔かれていたというわけだね、とお言葉をいただきました。以来、遠回りでも着実にこつこつと、が私のモットーになっています。
あっと思った時はもう遅いんですね。一瞬の不注意で、電話帳から何から、全てのデータが消え失せていました。でもその時私は気丈に、こんな会話をしていました。
「平気、だってこれから私は、仲良しのみんなの番号やメアドの再登録に一生懸命になるわ、それを通してみんなのことがもっともっと好きになるの、だからこうなって良かったって思えるわ!」
「あ、ポリアンナだ」
「えへへ、わかる?モノマネしちゃった」
「似てなかったよ」
「がちょーん」
「あ、そっちが似てる」
「しくしく」
でもこんな言葉で自分を励ましているうちに、私の予想した良かったが、もっと大きな予想外の良かったに育ちました。みんなが私の携帯の水没を聞きつけて、次から次へと電話やメールをくれたんです。
「大変だったね」「私のはこれで再登録してね」「今度久しぶりにまた会おうよ」「うちの猫だよ、待ち受けにしてよ」などなど、もう次から次へとです。友達の友達で登録していた人のデータもすぐに聞けて、あっという間に修復が進みました。そして、本当に以前に増してみんなとの仲が親密になって、本当に「良かった」になりました。
もちろんこのことをきっかけに、データリンクソフトを使って携帯のデータをPCにバックアップする方法もおぼえました。それまではこんな基本的なことも知らなかったので、これも「良かった」のひとつになりました。
携帯水没事件で電話をくれた人の中には、もう何年も連絡が途絶えていた人もいました。これがきっかけでまた友情が復活して今に至っています。どんなことでも良かったと思えるポリアンナのものまねで、本当に「良かった」を掴みました。
まだ中学生の時のことでしたが、オタクな私はよく模型ショップに通っていました。でも中学生ですからお金がありません。いつも何も買わずに見ているだけだったのが疑惑を呼んだのでしょう。そのころ、その店にはしつこい万引き常習者がいたそうです。大きな物は盗めませんが、小さなフィギュアならひょいと盗めます。他にも小瓶に入ったペイントなど、ちょっと手に隠せば持ち去れるようなものが店内には色々ありました。ちょうどそんな小物を手に取った瞬間、後ろから伸びてきた手に、グイッと肩を掴まれました。そして有無を言わせず、奥に連れ込まれてしまいました。いやもう、恐かったこと、恐かったこと。私は理由がわからなかったので、思わず助けてと叫んでしまいました。
すぐに嫌疑は晴れましたが、あまりに驚いたのと、店頭で何人もの人が見ている前で恥をかかされたという思いが複雑に交錯して、情けない話ですが、無罪放免になった後、近くのトイレに駆け込んで、堪えきれずに泣いてしまいました。
しかしその後です。やっと少し落ち着いてトイレから出ると、私の姿を見つけた店長が駆け寄ってきて、済まなかったね、店内のどの商品でも好きな物をプレゼントするから遠慮無く言ってよ、というのです。
そんなこと言われたら、万の位の商品が欲しくなるに決まっています。しかしいくらなんでもそこまで要求したら万引きより極悪な気がしたので、そんなのいいです、そのかわりこれからも何も買わないけどお店にきていいですかと言うと、それならと、バイト用のネームプレートを一つ、私に手渡してくれました。これからは身内扱いで歓迎してくれる、ということです。こんなにうれしいことはありません。
それからというもの、ずいぶん長くそのお店に通って、最新の模型情報を手に入れたり、模型作りのコツを教えてもらったりしました。店頭展示用のモデルを作らせてもらったりしたこともありました。これはとても名誉なことでした。今思うとこのお店が、私の物作り好きの芽を育ててくれたんですね。人間何が幸いしてすてきな人脈や、すてきな出来事に発展していくかわかりません。
なお、私の事件以降、万引きはピタッと止まったそうです。私が捕まった様子を犯人が見ていて、恐くなってやめたんじゃないかと言われました。あの時私は、そのくらい悲惨な様子だったわけですね。とにかく結果は万引きもなくなって、めでたしめでたしでした。
時代劇ではよくワラジのハナオを切らしてしまう人が出てきますよね。
ハナオが切れたら歩きにくい。ハナオを裂いた手ぬぐいなんかで応急処置をしてもらったのがきっかけで恋が芽生えたりするわけです。
昔はこうやって困ることが多かったんですね。
だから見ず知らずの人に助けてもらったり、助けてあげたり。
現代ではなかなか見ず知らずの人には助けてもらいにくい。
だって携帯電話があったりしますもの。
TinkerBellさんのように困っている人が居ても助けて差し上げるべきなのかどうか、迷ってしまいますよね。
でも、やはり、ダメモトでも声をかけて「お困りですか」、コミュニケーションを図りたいものだなあと思いました。
はてなの取締役でもいらっしゃるU氏が、ご自分のことが書かれているネット上のブログ、コメントにはほとんどすべて目を通していらっしゃるそうです。
これってすごいことですよね。
ぼくはまだU氏の目に留まるほどのコメントを書ける気がしないので「U氏」としか書けずご本名を書けないのですが、いつかファンレターのようなコメントを残せたらと思います。
趣味ネタのブログを書いてるのですが
その系の若いプロのライターさんが見ていますよと
コメントを書いてくれた時は
ブログを書いててよかったなと思ったものです