労働の対価である。というのも、もちろん有りです。
よろしくお願いします。
あなたのお考えをお聞かせください。
私→増えるばかりでさほど減らないもの
使い方が下手なんでしょうね
給料というより貯蓄に近いですが
別な言い方をするなら「生活費に変わるもの」
アルバイター→一月分のごほうび
普通の人→生活費やローン返済の糧
高給取り→今月もまた増えてしまった
ニート→何それおいしいの
サラリーマン→女房に搾り取られ「少ない」とぐちぐち言われる原因
当然労働の対価ではあると思います。
そういう考え方は崩れきている昨今だと思いますが。
サービス残業も増えてますし。
会社側から見れば収益から分配される必要経費又は人件費といったところでしょうか。
できれば働いたことによる上がり(利益)の分配であるのが理想なのですが、現実には今の自分の仕事で上がりが発生していないので、そのあたり複雑な気分です。
(以前はある程度上がりのある仕事もしていたので余計に……。)
「労働の対価」である、というのが最もな回答ですが、労働には拘束時間が発生しますので「人生をコマ売りした時の価格」とも取れますね。
ちょっと卑屈になると「経営能力の有る人間が、経営能力の無い人間へ与える投げ銭」。
日系企業ではそこまででもないですが、アメリカなどの大手企業で年収億円単位を貰っている役員などを見るとつくづくそう思います。
たまに書いてますが、
「賃金とは、拘束時間の対価である」
20才の時間、40才の時間、人それぞれ価値は全く違いますね。
しかし、いずれにしても決して再生産はできない貴重なものです。
タイムマシンが発明されたら変わっちゃいますが、、w
(その時は労働の対価にしてもいいですよ)
労働の対価というより、企業が時間を買い上げているものという認識
だから、成績が悪くても(よほどでなければ)首にはならないし、成績がよくても勤務時間中にパチンコやったら怒られる。また、労働基準法が定める基準も時間でとりあえず表記されているわけです。
回答者 | 回答 | 受取 | ベストアンサー | 回答時間 | |
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1 | lqdf | 58回 | 54回 | 3回 | 2009-06-13 01:36:23 |
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