lionfan
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- 登録:2009-06-19 08:14:23
- 終了:2009-06-22 21:55:18
- カテゴリー:
人生相談
ネタ・ジョーク
[1]. Aが感じている「良かった」というプラスの気持ちは「病気の子供が居て悲しい」というマイナスから+-0に戻ったことで発生している。
・「病気の子供が居て悲しい」というマイナスの気持ちはBによって与えられた物である
・+-0に戻っただけであり、プラスになったわけではない。一時的にはマイナスになっている。
の2点がおかしいと思います
変な言い方ですが、時間で積分したらマイナスで、それも人為的な要因。この話を通して考えれば「良かった」事は無い。
[2].
A「お、B痩せたじゃん。マイナス-2kg~」
B「やた!最近お菓子控えたからね」(プラスの気持ち)
A「あ、これCさんの結果じゃん、Bのは・・・前回と変わってないや」
B「しょぼぼん・・・凹む・・・」(+-0へ)
逆で成り立つ・・・はずなんですが、自分で読んでてもあまり納得いかないのは・・・やはり直近の気持ちは強いということか。
sheile様、ありがとうございます。かなり助けになりました。
普通の人は
「Bはうそつきだが、彼の嘘に騙されなかったかもしれない自分」と
「Bはうそつきで、その彼の嘘に騙された現実の自分」を比較して凹むのに、
Aは「Bは正直で、つまり病気の娘が存在した世界」と
「Bはうそつきで、つまり病気の娘がいなかった世界」を比較している、
というところまでは考えたのですが、
なぜAの思考法のほうが一般人とくらべて奇妙なのかが、いまいちすぱっと自分に説明できません。
[1]
なるほど、病気の女の子がいなかったのは、良かったのだけれども、自分自身が、お金を騙し取られたことを忘れてしまっているというお人好しなところがおかしいです。
しかし、その人の心の中では、本当は病気の女の子がいなかったという心理的報酬が自分が受けた金銭的損失よりも大きかったという心温まる話でもあります。
[2]
オレオレ詐欺で、騙された親御さんが、実は、詐欺だったと分かって、息子の無事を喜んだというのはどうでしょうか。
rsc96074様、ありがとうございます。いい解答だと思います。
[2]の例も鮮やかだと思いました。
その話ってジョークなんですか?
良い感じの小話ではあっても、笑いを狙ったものとは思えないんですけれど。
(洋酒のCMを現役で見ていた世代なので、なんで笑い話扱いされてるのか首をひねってしまう)
その話が醸し出している「味」は、
Aが、自分が騙されたことを嘆くよりも、不幸な誰かが存在しなかったことを喜ぶところにあります。
この場合Aがどういう人かによって味わいが変わるでしょう。
1.
Aは最初から騙されていることを知っていた。
Bからお金をせびられた時にウソを見抜いていて、
最初からBに与えるつもりでお金を都合してやった。
2.
AはBにお金をやった時点では病気の子供の存在を信じている。
Cに指摘された時、本当は腹がたったけれど、
不幸な子供が実際にはいなかったというラッキーを
自分の喜びに変えることができた。
古人曰く「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つく方がいい」
3.
Aは少し頭が弱く、Bに病気の子の話を聞いた時、
病気の子のことで頭がいっぱいになってしまう。
Cにオマエは騙されたんだよと教えられても、
病気の子を救いたいという思いしか頭にないので、
そんな子はいなかったんだ、ということが本当に嬉しかった。
Bにお金をやったとかは念頭にない。
1と2の場合、大人の会話術というか、
詐欺にあった時の大人の対処法じゃないかと思います。
いわゆる笑い話として成立するのは3に近い状態で、
これだと昔話や落語にある与太郎話に近い物がありそうです。
少し頭の弱い人がまぬけな失敗をするのを笑う話ですが、
まわりの人たちは決して差別して笑うのではなく、
「Aはおつむは弱いけどイイヤツ」なんです。
ただ、ピッタリ来るものを思いつきません。
以下は1・2・3でいうと、2にあたる話だと思います。
創作ではなく、何かで読んだ昔話です。
あるところに文字を読めないお母さんがいました。
お母さんには娘がいて、町へ働きに出ています。
お母さんは、文字のかわりに絵を描いて、
町へ行く行商人に届けてもらっていました。
もうすぐお正月だというある日のこと、
早く娘に会いたいという思いを託し、
松の木を横倒しに描いて、まつだおし→まちどおしい
小石をふたつ添えて、小石 小石→恋しい、恋しい
と、これらを袋に入れて、いつもの行商人に託しました。
行商人はいつもより重い袋に「銭でも入っているのか」と思い、
開けてみたところ、中は意味のわからない絵と小石ばかり。
こんな馬鹿馬鹿しいものを届けさせられていたのかとガッカリした行商人は、
小石を投げ捨て、絵だけを娘に届けました。
娘は、松が横に倒れている絵を見て「まさか、お母さんが病気になったのでは」と不安になり、
とるものもとりあえず村に帰りました。
けれど、母親は元気でピンピンしています。
「あれは、待ち遠しいという意味なんだよ。恋しい恋しいって、小石も入れただろう?」
ふたりは、行商人が手紙をあけたことや、小石を捨てたことにも気づきましたが、
そんなことより、いつもより早く親子が再会できたことを喜びました。
洋酒のCMの話は、Aがまるまる損をしているのにBに怒りをむけなかった点が深いのです。
わたしが例にあげた話は、喜びが自分のものであるという点で誤りの構造が弱まっており、
いい話度は低いですね。
chinjuh様、ありがとうございます。
ジョークかどうかは微妙ですが、自分は落語で聞いたものだったので・・・。
例のほうもとても気に入りました。感謝です。
3
回答者:
powdersnow
2009-06-19 09:35:16
満足!
13ポイント
[1]
病気の子は、単純に騙されて思いこんでいただけの存在であり、最初からいない。
最初からいない存在が、いなくて良かったも悪いもない。
[2]
powdersnow様、ありがとうございます。
洋酒のCMは見たことがなかったので、ご紹介感謝です。
論理的かどうか分かりませんが、Aは、自分に直接関わる人にしか関心がない偽善者だから。というのはどうでしょうか?
つまり、少女がいたが、病気が治って嬉しいとか、病気が軽かったから嬉しいという喜び方ではなく、
私に関わる病気の少女がいなかったので、本来病気の子どもに使ってあげたいと思っていたお金が別の
目的に使われても腹が立たないというのがおかしい。ということです。
例としては、
会社で、
上司A 「あそこのゴミがくさいから捨ててくれないか?」
部下B 「捨てて来たよ。」
部下C 「Bは、ゴミを捨てていません、ゴミ箱に蓋をしただけです。」
上司A 「良かった、臭わなくなった」
お粗末。
nobnob3様、これはすごく斬新な視点で興味深いです。
例として挙げた話も、いいところをついていると思います。
これはすこし落ち着いてじっくり考えてみたいです。
[1] 前提トリガーです。Bの発言「娘が病気で今すぐお金が必要なんです!・・・」の否定文は、
必ずしも「病気の女の子はいかなかった・・・」を裏付けないからです。
[2]先生は、A君に告げた。
「君が本当のことを言ってくれたら、叱ったりしないよ。」
そういうと、A君は顔を上げて、反論した。
「僕はカンニングなんかしていません!」
先生は、机の中からカンニングに使われたと思しき、用紙を出して、
「これが何よりの証拠じゃないか!、カンニングなんかして恥ずかしく思わなかったのか?」
少年は、怯むことなく
「いいえ、恥ずかしくありませんでした。カンニングなんか皆やってますよ。」
先生は強い口調で叱った。
「カンニングをして恥ずかしくなかっただと!?やっぱり、カンニングをしていたのか。
他の子がやってるからと言ってやって言い訳がないだろ。」
少年は勢いに押されて泣いてしまった。
少年はカンニングをしていなかったからである。
geul様、おお、ちょっと斬新。
「娘が病気で今すぐお金が必要なんです!」という命題を否定されたからといって、
必ずしも「病気の女の子はいなかった・・・」にはならない、というのは、冷静に考えてみればそのとおりでした。
ただ普通の人であっても
「娘が病気で今すぐお金が必要なんです!」は嘘だった → 「病気の娘など最初からいなかった」
ということ自体は、認めると思います。
ですから、Aのおかしさは
「Bの発言『娘が病気で今すぐお金が必要なんです!・・・』の否定文は、
必ずしも『病気の女の子はいなかった・・・』を裏付けない」から」
ということではないと思います。
例のカンニングの話のほうは、今回の病気の女の子との対応が、ちょっとわかりにくいです。
6
回答者:
yamazakura
2009-06-19 12:28:24
満足!
13ポイント
〔1〕Bがやったことは相対的に小さな悪事かもしれませんが、それをAが見逃したことでBの悪事はエスカレートし、多くの被害者を出してしまう可能性があるということかと思います。
〔2〕A「私は神の使いです。あなたのうしろに呪いの悪魔が見えます。その呪いであなたは三日以内に死ぬでしょう。このお札を千円で買うことで、あなたに取り付いているこの世を破滅に導く悪魔、ドッデタサンの呪いからあなたは逃れることができます」
B「それはいい。では一枚ください」
C「なあBよ。あいつの言っていることは嘘だ。一ヶ月前から奴は皆に今の話をしているが誰も信じないし、お札とやらも買わなかった。でもその全員が今も元気に生きている」
B「そうか、人を殺す悪魔の呪いはなかったんだ」
………
数年後。
ニュースキャスター
「宗教団体の教祖を名乗り、多くの信者から金を騙し取っていたとして、A容疑者が逮捕されました。A容疑者は、信者が悪魔ドッデタサンの呪いにかかっていると脅し、パソコンで印刷しただけのお札と引き換えにお布施と称して数十万円から数百万円を強引に信者から寄付させ、財産を無くした信者が何人も自殺したり、資金に困った信者が強盗殺人を起こすなど、社会問題化していました。
A容疑者は犯行の動機について、数年前一枚のお札を千円で一人の男に売りつけることに成功したことで味をしめた。一ヶ月同じことを続けたが失敗続きでやめようと思っていたが、最後の最後でうまくいったことで、続ける気になっ、と話しています」
yamazakura様、回答ありがとうございます。
〔1〕「Bの悪事がエスカレートする可能性がある」というのは、Aの言動のおかしさとはすこしズレているような・・・。
それを聞いたAは笑顔で言った。
「いや、このまえ宝くじにあたったから、あんなのはした金さ」
と言ったときでも、yamazakura様の回答は通用してしまいます。
ですので、
「良かった。病気の女の子はいなかったんだ…」
というAのセリフのおかしさを指摘していただく形でお願いいたします。
私もこの話、サントリーのCMで見たときに「なんていい話だ!」と感動しました。
ちなみに、正確には最後の言葉は
「そっか・・・病気の子供が、いないんだ・・・」
だったと思います。
[1] Aの発言のどこがおかしいかを論理的に説明し
(「Bに対し怒るべきだから」程度の説明ではなく、もっと深い説明で)
「お金をだまし取られた」というネガティブな出来事をポジティブ思考で「良い出来事だった」と変換したことに頭の良さを感じられる話だと思います。
[2] いっけんこのジョークとは違って見えるものの、
誤りの構造は同じという例を挙げるか創作してください
Aさんは最終バスに乗り遅れてしまった。
「よかった。これで家まで歩けば健康になれる。」
シンプルですが構造は一緒です。
ネガティブな出来事とポジティブ思考で変換した出来事との差が大きいほど素晴らしい話に見えると思います。
病気の子供の話では、
「お金をだまし取られた」→「病気の子供が1人でも少なくなる」なので、その差はもの凄いです。
犯罪被害者だったのが世界平和レベルの幸福にまで持って行ってるわけですからね。
これと同じ水準の物語は私には無理です(笑)
winbd様、回答ありがとうございます。
自分も深イイ話だと思います・・・が、いまAが本気でそう発言したのだとしたら、
Aはいいやつではあっても愚かだと思います。
たとえば僕は、Aを弁護士として雇おうとは決して思いません。
こんな論理を本気で信じている人に弁護をまかせたら、どんなめちゃくちゃな弁護をされるかわかったものではないからです。
この質問のそもそもの疑問は、Aに真顔で
「俺の考え方のどこがおかしいんだ? だってBには病気の娘がいないっていうのは事実だろ?」
と言われたときに、
「そりゃそうかもしれないが、この話をそう捉えるのは間違っている。
○○○○という点で、君は思考ミスをしてる。『Bには病気の娘がいない』って喜んでちゃいけないんだ。
たとえば□□□□ってジョークがあって、これ、あきらかに変だろ?君のミスはこれと同じなんだ」
と言ってあげたい、というところから生まれています。
8
回答者:
meizhizi87
2009-06-19 12:59:33
満足!
13ポイント
1.Aは騙されたことに気付いていない。というよりもむしろ、騙された事に怒っていない。Aは温厚な考えの持ち主であるように見受けられるが、他の人がBから同じ手口で騙された場合、Aのように思う人は少ないであろう。病気の女の子がいなかったのはよかったとしても、Bの悪さを戒めようとせず、野放しにした。これはまた被害者がでる可能性もあるということである。
2.(創作)
毎年大量に釣れる「秋刀魚」が今年はかなり激減している。秋刀魚の餌となる小魚やプランクトンも激減している。それを見た村人は、「今年の秋刀魚は頭のいい秋刀魚だ。我々から逃げることを知っているのだから。」
うーん。どうでしょうか。生態系のことを言いたかったんですが。
すみません、いまから仕事なのでコメントは夜に。
[1] 非論理的な倫理感 ~ おためごかし ~
フランスの国民文学と称される《レ・ミゼラブル》では、カトリック
司教が、食器を盗んだジャン・ヴァルジャンに「私が与えた」と偽証し、
さらに銀の燭台まで与えて、改心させる名場面があります。
このような宗教的モラルが、中世から近世にかけてヨーロッパ全土を
支配したため、しばしば法の精神を歪めています。ミレーの《晩鐘》も、
季節に関係なく教会の鐘を鳴らして、農業の近代化を阻んだのです。
一方、わが国の詐欺商法は、啖呵売と泣き売に大別されます。
これを見逃すと、常習犯によって、つぎつぎに被害が拡大し、昨今の
“オレオレ詐欺”のように、闇の組織を増殖させるのです。
むしろ、歌舞伎や落語を生みだした江戸文化は、支配階級の判断より、
庶民の裁量を評価する傾向があり、きわめて柔軟かつ健全でした。
現代日本は、商業主義に服従するあまり、無批判に逆行しています。
http://homepage3.nifty.com/doluck/rooster/nakibai.html
↑“泣き売”体験記 ↓国立泣き売研究所
http://www.t3.rim.or.jp/~s-muraka/bkantei02/kantei19.html
[2] 非科学的な対処法 ~ さきおくり ~
── むかし、暦官は日食を予測することが最重要の難題であって、
かたや神官は日食が起こらないよう、懸命に呪文をとなえました。
日食が的中すれば暦官を褒め、外れれば神官の手柄とされたのです。
江戸時代に至っても、わずか一日の誤差を算出できませんでした。
幕府の暦方は、みずから無能を認め、世襲免許を返上しました。
かろうじて明治改暦で“旧暦”を廃し、西欧天文学を公認したのです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1583292.html (No.3)
地震の予知は可能か?
すみません、いまから仕事なのでコメントは夜に。
これは、ロベルト・デ・ビセンゾというゴルファーの実話、逸話として紹介されているエピソードです。
佐藤光浩が「ちょっといい話」で書いています。
「ある大会で優勝したビセンゾが、優勝賞金の書かれた小切手を持ってクラブハウスを出ると、そこに一人の女が寄ってきて彼に話しかけた。
優勝のお祝いを述べた後、実は彼女には重い病気の子供がいるのだが、貧乏で治療費が出せない...助けて欲しい、と。
その話に同情したビセンゾは、小切手に裏書きして女性に渡した。
...後日、その女性が詐欺師だった、と聞いたときに彼が言った言葉は『では、本当には重い病気の子供はいなかったのか...それは今週聞いた一番良いニュースだ』」
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%...
了解です。ありがとうございます。
自分は落語で聞いたので、かなり昔からあるジョークだと思います。
[1]も[2]も「朝三暮四」で片付くような気がします。
目先の出来事に囚われて全体を見ることが出来ない状態なのではないかと。
SOBA様、ありがとうございます。
できれば「目先」とは具体的には何で、「全体」とは具体的には何かを明示していただけるとうれしかったです。
[1] 発想の転換ですね。
ジョークというか、自分で物事の本質を理解しながら言ってるのならナイスガイですが、騙されたという本質に気づかず「病気の子供がいなくて良かった~」と言ってるとしたらただの痛い人ですよね。
(でもこの会話の流れでそれはあり得ないと思いますが 笑)
[2] 松本人志の有名な言葉
食べ物を残すと「アフリカの子供は食べたくても食べられないのよ!」とオカンは言うが、
アフリカの子供も腹いっぱいになったら残すっちゅーねん!
これも、『食べ物を大事にしなければいけない』という主張を理解したうえで冗談半分で言ってるから「上手い!」と思えるわけで、「アフリカの人も残すから食べ物粗末にしてもいいんじゃない?」って本気で言ってる人がいたらただの痛い人です。
お笑いではこの手の話が多い気がしますね。
- 「因果律の破れ」がおかしさの由来でしょう。
- 本来は、「渡した金→病気が治る」という、因果関係の破れを追求すべき。
- 百歩ゆずって、ジャンバルジャンに対する司祭のように、
「渡した金→(うそをついてでも金に困っている)男を助けた」という
おひとよしではあるが、因果関係があるなら、わかる。
- しかし、「渡した金→困っている対象の不存在」では因果関係がない。
- 他の例:「旱魃で花が枯れそうなので水をやってほしい」
で、仮に花には水をやらなくても、旱魃の大地を潤したなら、役にたった。
しかし、旱魃は実はなかった。
sibazyun様、ありがとうございます。いい回答だと思います。
じっくり考えたいので詳しいコメントは今夜に。
15
回答者:
kumonoyouni
2009-06-20 01:54:26
満足!
13ポイント
[1] ポイントはCの発言「あいつの話は全部嘘ですよ」にあり。
Bの発言を見ると
1)娘が病気 ・・・娘がいることもウソ、病気もウソ
2)今すぐお金が必要 ・・・今すぐお金がいることがウソ
3)あとで必ず返す ・・・ 必ず返すというのもウソ
に対して、A
それを聞いたAは笑顔になった。
「良かった。病気の女の子はいなかったんだ…」と答えた。
1)がウソだったことに安心して、2)3)の存在を何もなかったように捕らえている。
もう一つのおかしさは、AがCの発言を信じていることにあり。
もしかしたら、Cの発言すらウソかもしれない。
Aは、BもCも馴染みの人間ではないのにも関わらず、人を信じているところがおかしい。
蛇足の深読みバージョン。
もしかしたら、Bは狼少年かもしれない。
いつもウソをついていて、今回の話は実は本当かもしれない。
それを分かってか、分からずか、Aは笑顔を見せる。
そして、その切り返しは、忠告してくれたCに対する配慮だったのかもしれない。
[2]
ユーザーA「はてなが無くなるんだってさ!」
ユーザーB「そうか、じゃあこの際だからポイント全部、皆に還元してしまえ!」
全ポイント失い、退会する。
ユーザーC「あいつの言ったこと大ウソですよ」
ユーザーB「な~んだ、はてな無くならなくて良かった(笑)」
さて、得をしたのはいったいだ~れ?
kumonoyouni様、ありがとうございます。いい回答だと思います。
AがCの発言を信じていることにある、というのはさすがにどうかと思いますが・・・。
(Cの発言を信じない人のほうが、ちょっと人を疑いすぎているような)
じっくり考えたいので詳しいコメントは今夜に。
この話の構造は、
(1)Bが不当利得を得ている
(2)Aが結果的に正当ではない形で損害を被っている
(3)病気の子供の不存在
において、Cは(2)について指摘しているのに、
Aが「(2)は(3)によって相殺されるので不当ではない」
と回答し、さらに「(1)については言及しない(無視する)」
と、暗に言っているということです。
# 暗に、であることがポイントです。
# 明に言ったらいいところが台無しです。
おかしいと言えば、やはり「(1)がどうなったんだぜ!」
ということです。たとえば法的には(1)はやはり問題だ
からです。その点についてはAが言及してないのが、A-C
のやりとりの間での情報充足の問題としては足りては
いないところです。いわゆる論点ずらしです。
ただもちろん、
「ああ、あの男が不当にお金を得ていることは、わかっているさ、
私はあえて問題にしないよ。考える必要もないしね。
司直の手にまかすとするさ」
なんていったら、台無しもいいとこです。そこは
明らかに意図的に欠落されていますし、ジョーク
(いい話)が成立するための必須項です。その欠落
を「論理的に」欠落しているのだと無粋を覚悟に
主張してもいいのかもしれません。
[2]についてですが、(1)(2)(3)の構図から見ると、
(案1)
A: おいおまえ、会社にあんなに尽くして、社畜じゃねーかよ。
B: いやいや、今の嫁さんも会社で見つけたんだわ。
(案2)
村人: おい浦島太郎よ、命を助けた結果のお土産が、
結果的に強制的な急速老化現象かよ。ひでーな。
浦島太郎: いやいや、夢のような日々だったよ。わしは
満足じゃよ。
(案3)
強盗: イエスよ、救済のために命をかけた代償が磔かお。
イエス: そうではない。そうではないのだ・・
uehaj様、ありがとうございます。
大変、満足いたしました。
[1]
仮にAの発言が真剣であったとしても、それはあくまでもAの意見であるわけで、したがってその発言だけについて言えば論理的なおかしさを指摘する事はできないように思います。つまり、Aが規範とするものとの整合がとれてさえいれば、それはAにとってはいつでも論理的であるからです。
むしろ、Aの意見に対して違和感を感じるのは、Aが規範とするものと聞き手が規範とするものの間に論理的なずれがあるからであろうと推測されます。
[2]
「プログラムにバグがあるぞ。」と言われ、寝る間を惜しんで一生懸命バグを探すが見つからない。
へろへろになったところで「すまん、勘違いだったわ。」とか言われて・・・
かつて、製品検査を担当していた私は、実際に「そっか、バグはなかったんだ。良かった。」と思った事があったような気がします。
kuro-yo様、ありがとうございます。これはたいへん納得がいきました。
おそらく普通の人は
[1] トータルでは損が発生しなくても(お金がA→Bに移転しただけ)、自分が損をしていれば不愉快に思う
[2] 悪意をもって自分を騙した相手を不愉快に思う
という心理が働くのですが、Aは極端に「トータルで物事を考える」「長期的な話(Bが今後も詐欺を続ける)は考えない」
という規範の持ち主で、普通の人はついていけない、ということかと思います。
みなさま、長々ありがとうございました。それではこれにて終了いたします。
おとなり質問
この質問・回答へのコメント
どこで笑うのかわからない私は頭がアレなのかも。。微笑ましい話だとは思うけど。
質問者さんが覚える違和感も理解できちゃったりするんですよね。
Aみたいな人が増えたら世の中ひどいことになるでしょう。
ただ、そういう人を見ると一瞬、
この世にパラダイスを見るような気分になりますね。
全員がAになれれば本当に楽園になるのかもしれませんけど。
ああ、それで思い出した。
キリストさんて人が言ってましたね。
左のほっぺたひっぱたかれたら
右もさしだしてみればいいんジャマイカって。
ああた、そんな人が増えたら支配階級の人たちはウハウハです。
でも、世界中の全員がそんな人になったらこの世は天国、
ナスがママならキュウリはパパですよ。若干キモイですけど。
AはBに殴られ、抵抗せずに「もっと殴れ」といいました。
Bはそれを見て怯み「なぜ抵抗しない」と聞きました。
Aは「傷ついたのがあなたでなくてよかった」と答える。
Bは急にやる気をなくして拳をふるうのをやめました。
キリストさんは、
全員がAみたいな人になるのはムリだとしても、
Aのように行動することで
暴力を使わずに人の心を変えられると思ったんじゃないですかね。
事実、いい話として受け入れる人が大勢いるわけだし。
上にあげた例はベタすぎて感動もへったくれもありませんが。
私の回答について、どのへんが良くなかったのかが今ひとつ分からなかったのですが…
日本人はよく騙されたときに「いい勉強になった」とか言って納得しますけど、それによって犯人の悪事は見逃され、犯罪がエスカレート、さらに多くの被害者を生みます。
例えば自分の物を盗まれたり壊されたりしたら、「自分はこれこれの理由で困らない」というのは、社会的態度の欠けた考えです。ささいな被害でも警察に届けるべき。そうすれば警察が動き、さらに大きな犯罪をしようとしている容疑者を逮捕、甚大な被害が未然に防げることにもなります。
その視点がまったく欠落している、というところがAの発言のおかしいところだと思うのです。
したがって、「いや、このまえ宝くじにあたったから、あんなのはした金さ」
と言い換えてもおかしくないのはむしろ自然だと思います。
たとえばAが、男Bの会話を何気なく立ち聞きしていたら、
「娘の貞子が病気で死にそうだが手術費用が払えない」といっており、
実は男Bはテレビドラマの話をしていたのだが、Aはそうと知らず、
男Bが酒場を出たところをつかまえて、
「君、君、この札束をとっておきたまえ!! いーや何も言わなくてもいい。金に困ってるんだろ?」
と金を押し付け、男Bはきょとんとしながらも感謝して立ち去り、
その後、実はあれはテレビドラマの話だったと知ったとき、
ふつうの人は「あー! じゃあ金なんて貸すんじゃなかった!」と思うところなのに、
男Bが心のそこから「良かった、病気の娘はいないんだ」としか考えていなかったら、
騙した人はいないのに、依然として男Bの思考回路はどこか妙ですよね?
ですから「悪意の存在」そのものは、決して本質ではないのでは? と思ったのです。
ただ、最初のバージョンのほうが、よりAの善人ぶりが際立ってもいます。
ですから、自分でも混乱しており、すっきりしたいのです。
落語だから古いっていうのもなんか違うような気がします。
落語には古典落語もあれば、新作もありますし、
古典の枕に最近の話を挿入することもありますよね。
lionfanさんが聞いた落語というのはどういう話だったんでしょう。
もし、古典だったらどんな感じにまとめてあるのか聞いてみたいなあ。
時系列で見ると
1)B「娘が病気でお金が必要!後で返すから貸して!」
2)A「かわいそうです><」
3)C「あれ全部嘘ですお^^」
つまり
娘が病気なのは嘘→そのためのお金が必要なのも嘘→後で返すのも嘘→騙し取られた!
という思考(全体)を辿っていくはずなのが
4)A「病気の娘は居なかった!よかった^^v」
と、「娘が病気なのは嘘」という目先で止まってしまっている。
目先の「娘が病気なのは嘘」に囚われて「騙し取られた」ことに思考が及ばない。
詐欺を行う者を放置することは新たな被害者を出すことになる、という大局にも視点が向かない。
ここにAの誤りがある、ということを言いたかったのでしたー
あとは説明不要かしら
---
ところで、松本人志のセリフは初めて知ったんですが
これって詭弁じゃないですか?
「アフリカの子供は食べたくても食べられないのよ!」
というセリフが出てくるときのシチュエーションとして
・だから満腹でも全部食べなさい
・だから嫌いなものでも全部食べなさい
と仮定してみますが、前者はかなり不自然じゃないですか?
というか後者以外のシチュエーションで「アフリカの~」って出てきますか?
で、「嫌いなものでも全部食べなさい」と言われてるのに対して
「アフリカの子供も腹いっぱいになったら残すっちゅーねん!」って
ただの論点の摩り替えにしか見えないんですがどうなんでしょう
蛇足でした。
わたしゃよく「文化的に食い物と思ってないものはアフリカの子供でも食わんのでは?」
とか思うんですけど……ああ、でも死にそうになったら海鼠やウニでも食べるかしら。
嫌いなものを食べさせているときではなかったと思います。
ただ一般家庭では、たいてい後者のシチュエーションで言われますね。
この話を普通に聞くといい話のように見えますが、漫才におけるボケとツッコミの典型的なパターンです。
例えばあなたが好きな漫才師を思い浮かべてください。
同じ話でも、漫才に置き換えればよく分かります。
ツッコミ役「最近怖い話が多いですね~、何かいい話ないですかね~」
ボケ役「あるある、そういや、こないだ、え~話あったんや」
ツッコミ役「ナニナニ」
ボケ役「実はな、・・・・・」
初めて会ったおじさんから
「娘が病気で今すぐお金が必要なんです!
あとで必ず返しますので貸していただけませんでしょうか!」と頼まれたんや。
俺もかわいそうに思ってな、お金を貸したってん。
その人、ムッチャ嬉しそうに帰ってたわ。
そしたらな、ある人が近づいてきて
「あんた、だまされてるわ!あいつの話は全部嘘やで」と言うや。
「な、え~話やろ?」
ツッコミ役「え?どこが?!」
ボケ役「だって、お前、病気の女の子はおらへんかったんやで」
ツッコミ役「そこかよ!!」
ね?分かりましたよね?d(^-^
まず前フリで、観客=聞き手にこちらが正しい方向ですと心理誘導して、答えを期待させておき、次にその期待を見事に裏切る(ボケる)ことで、笑いを取る。
全て、意外性が話のミソなのです。
ちなみに関西で育った幼稚園児に絵本を読み聞かせ、ある実験を試みました。
「この本、読んで」と何度も言うので、タイトルだけ読んで、中身を読まず、「はい、おしまい」と本を閉じます。
すると、子どもは「なんでやねん!」と即突っ込みました。
関西圏以外の子どもなら、「え~、読んでよ~」という所かと。
こんな小さなときから、ツッコミできるんだと感心しました。
そこで、今度は絵本の登場人物をその子の名前で置き換えてみました。
すると、こちらの期待通り(?)、
「違うわ、XXXやなくてXXXやろ」と即ツッコミました。
これまた、関西圏以外の子どもなら、単に喜ぶところかと。
う~ん、恐るべし・・・関西のボケとツッコミの文化は、こんな小さな頃から培われているんですね(笑)
では、では
関西育ちの子って、スゴい。
あるバラエティ番組で、大阪の小学生達が芸人達に好き勝手言ってますが、納得できました。
なるほど、理解できました。
こちらの関心事である「悪事見逃し問題」は自分の日記とかで書きます。
追加の回答です。
この手の話は、「スイカに、塩ふったら、実は甘いんです」理論でも説明できるような気がします。
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ある男Aが、はじめて会った男Bに
「娘が病気で今すぐお金が必要なんです!
あとで必ず返しますので貸していただけませんでしょうか!」と頼まれた。
かわいそうに思ったAは快く、Bにお金を渡した。Bは感謝して去っていった。
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ここまでが甘いスイカ
>すごく、いい話
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そのやりとりを見ていたCが、Aに
「あなただまされましたね。あいつの話は全部嘘ですよ」と言った。
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そこに塩かける。
>全部ウソだと分かる
すると普通は甘いスイカはしょっぱくなると思う。
>お金とられたんだから悲しむと思う
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それを聞いたAは笑顔になった。
「良かった。病気の女の子はいなかったんだ…」
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甘みが増して意外感!
>想定外の答えに脳が戸惑う。
と考えていると、、、
>AがCの発言を信じていることにある、というのはさすがにどうかと思いますが・・・。
>(Cの発言を信じない人のほうが、ちょっと人を疑いすぎているような)
書いたときはそこまで考えてなかったんですが、この点についても漫才などでは一般的に用いられてるテクニックだと気づきました。
先の話の続きを書いてみます。
ボケ役「だって、お前、病気の女の子はおらへんかったんやで」
ツッコミ役「そこかよ!!」
「そのおっさんの話よ~聞けや。お前、金とられてるやん!」
ボケ役「そのおっさんの話、ウソかもしれへんやんか」
ツッコミ役「ウソついて、そのおっさん何のメリットあんねん!」
ボケ役「・・・そうか、わかった!」
ツッコミ役「え?なにが?!」
ボケ役「その困ってた人、狼少年やったんや。
ホンマに困ってたけど、いつもウソついてたから、周りに信じてもらわれへんねん。きっとそうや、そうに違いない」
(どんどん暴走していく)
ツッコミ役「重症やな!
でも・・・なんかお前の話聞いてるうちに、え~話のように思えてきたわ」
ボケ役「な、そうやろ、え~話やろ。
俺もえ~人間に見えるやろ?」
ツッコミ役「お、おう、見えてきた、見えてきた」
ボケ役「分かったらえ~ねん」
(間)
「わかったとこで、お金貸してくれ!」泣き崩れる
ツッコミ役「も~えーわ!」
(了)
勢いで書いたので、これでオチてるのかは別にして(^^;
こうした漫才はよく聞くパターンのような気がした次第。
taisin0212さんへ。
関西人がオレオレ詐欺にひっかかりにくいと言うのも、なんか分かった気がしました(笑)
関東風(?)の喜劇にするなら、
A(たとえば与太郎)が騙されたことに気づいて
「病気の子はいなかったんだね」といって喜ぶと、
ツッコミのC(たとえば母親)が
「この子は頭が弱いけど、心のやさしい子なんだね」
と言ってホロリと来たりして、やっぱりいい話になりかねないです(笑)
味付け次第で笑い話にもいい話にもなるんでしょうが、
洋酒のCMの場合は笑う部分はなかったんですよ。
同じCMが関西ではどう受け取られてたのか気になりますね。
テレビの前でみんなツッコンでたんでしょうか。
>味付け次第で笑い話にもいい話にもなるんでしょうが、
>洋酒のCMの場合は笑う部分はなかったんですよ。
前の質問拝見しました。
では、以下の回答を参考にしながら、その違いに挑みたいと思います。
「スイカに、塩ふったら、実は甘いんです」理論で(笑)
http://q.hatena.ne.jp/1117378846#a314847
>1998年のユナイテッドディスティラーズ ジャパンの
>「ジョニーウォーカー黒ラベル」30秒テレビCMです。
>S:この町には、ふたつのタイプの人がいる。
>S:嘘をつく人と、つかれる人。
前フリが曖昧。
嘘はダメだけど、どれがどうした?
甘い話なのか、塩っ辛い話なのか分からない。
→わざとインパクトを薄くしている。
>男A:よぉ、だまされたな。
>今の人、病気の子供がいるって言ってただろ、ありゃ、嘘なんだ。
いきなり塩がでてきた。
病気の子どもがいなかったからと言って、どうだってんだ?
最初の料理が甘いのか、辛いのかもよく分からない。
>S:すると友人は、微笑んだ。
>男B:…良かった。
>病気の子供はいないんだ。
騙されても納得してるし。
病気の子どもがいないのは、確かにいい話(甘いスイカ?)だ。
>S:深いところに灯がともった。
>S+N:深くひろがる、まろやかさ。
>ジョニーウォーカー黒ラベル
なんか、旨そう!雰囲気に流されていく・・・
つまり、、、
話の流れをみていくと、CMでは、前フリを曖昧にしたままで、病気の子どもがいるか、いないかという点だけを明確にして視聴者に提示していますよね?
騙されたとしても、このどちらか選べと言われたら、いない方がいいに決まっている。
この点を曖昧にした点が、CMは非常にうまいと思うのです。
仮にCMが、今回の質問のように前フリで「金を貸した」という話があったとします。
この場合、第三者から見れば、「金を騙し取られた」というインパクトが強すぎます。
金を取られたという事実と、いるか、いないか分からない病気の娘の話。
第三者からみて、どちらを重要視するかと考えれば答えは明らかでしょう。
視聴者は詐欺にあった話としか思えず、それが強く脳裏に残ってしまい、最後まで違和感が残ったんではないかと思います。
>同じCMが関西ではどう受け取られてたのか気になりますね。
>テレビの前でみんなツッコンでたんでしょうか。
どうなんでしょうね。私も興味ありますが、私の読みでは、今回の質問バージョンなら間違いなくTVに向けてツッこんでるような気がします(笑)
>そのやりとりを見ていたCが、Aに
>「あなただまされましたね。あいつの話は全部嘘ですよ」と言った。
さて、実際にこういう話になったら、Cが警察やマスコミならともかく、
「いったいCのいうことは本当なのか。B(金を受け取った人)とCの
どちらを信じるべきか、ということになりますね。
ここでの回答はほとんどは「C=本当、したがってB=詐欺師」が
前提です。
しかし、Aが善人で、CとBとのどちらかが本当か分からない、
しかし、Cを傷つけたくない(「Bが詐欺師の証拠を見せろ」など
とはいわない)とすると、Aはどういうでしょうか。
それが、「良かった。病気の女の子はいなかったんだ…」
というAの回答ではないでしょうか。
つまり、・・・[1] Aの発言のどこがおかしいか・・・
は、AがCを傷つけたくないため、あえて論点をすりかえて、
Cの言ったことに同調してみせたものだから、になります。


