ズバリ、「論理的であること」と「感情的であること」とは、対立するものでしょうか?

私は、論理的であることもまた感情的であることであると、しばしば思うのですが。

回答の条件
  • 1人10回まで
  • 200 ptで終了
  • 登録:
  • 終了:2009/06/28 18:09:25
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答33件)

ただいまのポイント : ポイント42 pt / 200 pt ツリー表示 | 新着順

両立しにくい miraa2009/06/28 15:59:51

わき上がる強い感情を押し殺さないと、完全に論理的であることは、なかなか難しいと思います。

 矛盾を排除するよりも、矛盾を分析することが大切です。 adlib2009/06/28 14:42:59

 

1.論理的論点:涙の原因は、悲しみの感情か、涙腺の生理反応か?

2.哲学的疑点:悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか?

3.経験的終点:泣いてどうなるのか(略)嘘のつける相手さがすのよ。

 

http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/k7yyTqDkaeQ

── 千家 和也・詞/浜 圭介・曲《そして神戸 20071231 紅白歌合戦》

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080417

 

感情的な論理 くろょ2009/06/28 12:29:37

そうかもしれません。

そうでした。 くろょ2009/06/28 12:27:34

「非論理的」という言葉がありますよね。失念していました。

すみません、どの辺が矛盾なのでしょうか。 くろょ2009/06/28 12:26:32

「AはBである」とは、AとBが同じ階層の概念である事を必ずしも意味しません、というかほとんどの場合は階層が異なります。つまり、この場合はAが下位概念でBが上位概念であるという事です。ここで、下位上位というのは階層の向きを表しているのみで、優劣や大小とは独立です。

ただ、確かに論理と感情を異なる階層に配置するべきかと言われると、私も自信がありません。

論理はアポステリオリ? くろょ2009/06/28 12:14:26

すくなくとも私は、論理もアプリオリであると考えています。ただ、その発現の有無というか濃さというか、が違うのかなと。あ、それって結局、アポステリオリって事なのかな・・・?

一見感情的に見えても、というか実際感情的だけど、論理的一貫性があるがゆえに太刀打ちできない、という事は良くありますね。

そう言われると くろょ2009/06/28 12:10:16

そんな気も。

難しい。 くろょ2009/06/28 12:09:27

表現された言葉と、言葉から受ける印象の間に、多少のギャップがあるのかも。

たしかに。 くろょ2009/06/28 12:05:40

そもそも、議論する土俵が違ってたかもしれません。

なんかわかるような気がします。 くろょ2009/06/28 12:04:19

機会があれば、あたってみようと思います。

ごめんなさい。「理論」ではなく「論理」です。 くろょ2009/06/28 12:03:39

「理論的であること」については、今回のお題ではありませんが、興味深いです。

論理も感情によって選択され得ると くろょ2009/06/28 12:02:07

私の考えに近いです。

できればもう少し詳しく。 くろょ2009/06/28 12:01:11

基本的にどのように対立するのでしょう。

暖かい心と冷静な脳みそ くろょ2009/06/28 11:59:34

論理がなければ、情熱も伝わらないですしね。

行動決定の規範から見れば、 くろょ2009/06/28 11:56:47

どちらも対等であると。したがって、対立する事もあれば相補う事もあるわけですね。

なるほど。 くろょ2009/06/28 11:53:27

論理的である事を過程の一つとして捉えると、そのさらに発端には様々な感情があり得るわけですね。

 何にでも「+的」で対比すれば、しばらくは議論できます。 adlib2009/06/26 09:04:50

 

── 中国語の「の」の意味に当たる助辞の使い方にならって、明治時

代の翻訳文のなかで、英語の‐ticなどの形容詞的な語の訳語に「的」

を当てはめたことに始まる。── 大辞泉

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E7%9A%84&dtype=0&dna...

 

 kuro-yo さんの質問文から「的」を除くと、矛盾が発見できます。

 「論理であることもまた感情である」

 これでは議論にならないので、つぎのように気取ってみましょう。

 

── 愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のな

かにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。── ニーチェ

/氷上 英広・訳《ツァラトゥストラはこう言った 19670101 岩波文庫》

 

…… 《古典のことば ~ 原文対照 ~ 19950516 岩波文庫 別冊10》横組

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1023.html

 松岡正剛の千夜千冊『ツァラトストラかく語りき』

 

あ・・・ ryota112009/06/24 17:11:24

混同っていうか、もう完全に読み間違えてました。。。

ごめんなさい。

論理的と感情的は確かに対立だと思いますわ。

質問者さんのおっしゃる感情的な論理は飽くまで「感情的な論理」であって、

それは元来の論理的であることではないので、

論理的と、感情的は相容れないと思います。

どちらかというと近い意味の言葉だと思います ryota112009/06/24 16:47:59

「倫理的」というのは、効率的でも合理的でもなく、倫理に重きを置いて考えることですよね。

感情的というのも合理さや効率を考えるのではなく、感情を大切にするという意味なので、

この2つは対立というよりは、近い言葉なのではないかと思います。

・その戦略は合理的ではあるが、倫理的によくないと思う

・その戦略は合理的ではあるが、感情的な部分では良くないと思う

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません