全世界の食糧を65億人で割れば、みんなが満腹できるはずだ。
しかし毎年、途上国の子供1500万人が餓死している。
先進国の人々が、豚にも腹いっぱい食わせるからだ。
食糧を金で売買してはいけない。
水や空気や土地を私有するのは、自然の法則に反している。
地球上の資源は、ひとしく人類が共有すべきなのだ。
武田 邦彦 資源材料工学 19430603 東京 /中部大学教授
http://www.ytv.co.jp/takajin/research/current/form.cgi
── 《そこまで言って委員会 20090628 13:30-15:00 読売テレビ》
途中から国内の生活保護の話になっちゃってますね。
主題は世界規模の話であるので、日本だけの話はあまり関係がないように感じるのですが。
あと発展途上国は絶対的に資源が不足している=いくら働いても得られるものには限りがあるということなので、彼らにとって働けない働きたくないという話は無関係ですね。
>途上国は絶対的に資源が不足している<
鉱物や燃料の資源については、議論が尽きませんね。
途上国にとって、IMF(国際通貨基金機構)の権限で、交換レート
が支配されるのは、とても理不尽なはずです。
── だれかが来て、「どうかわたくしどもを養って下さい」と言えば、
彼は「ああよしよし!」と言う。「いくらでもいなさるがいい──わし
のところにはなんでもどっさりあるんだから」ただ、この国にはひとつ
の習慣がある──手にたこのできている人は、食卓につく資格があるが、
手にたこのないものは、人の残りものを食わなければならない。
── トルストイ/中村 白葉・訳《イワンのばか 18850920-19660515 岩波文庫》P61
努力しなくても餓死はしない。
努力すれば美味しい物が食べられる。
どうなんでしょうねー。
日本でも働かずに生活保護で暮らしてる人とかいますよね。
彼らに「働けばもっといい物が食えるのに」と言ってもやはり働かないわけで。
そして残り物で妥協する人が増えればそのシステムも崩壊します。
通常はバランスがとれていても、天候や病気など妥協に走る要素は常にあります。
実態はともかくも、生活保護や障害者手当は「働けない人」に対する
もので「働きたくない人」のためのものではありません。
(一律に混同すると、福祉行政の概念が成りたたないでしょう)
現状は「高学歴・高年齢」の結果、生涯の稼働年比が逆転したのです。
かつて、中学卒で65歳まで生きると「扶養15年:稼働40年」が、
大学卒で85歳まで生きると「扶養45年:稼働40年」となります。
さらに「高学歴・高賃金」の結果、労働の付加価値が高騰したのです。
一台5万円のパソコンに、年収500万円の賃金は高すぎるのです。
いまや、だれもが生涯を通じて自立できないのではありませんか。
イワンのばかの話でも「働けない人」と「働きたくない人」が救済を求めてくることでしょう。
雨不足で不作が続けば働くのが嫌になる人が増大することは目に見えています。
働いても割に合わないと思い始める偶然要素は常に誰にでも存在しているのです。
国勢調査による日本の世帯数(単独世帯)。── (Wikipedia)
1985 3798万0000( 789万5000)
1990 4067万0000( 939万0000)
1995 4390万0000(1123万9000)
2000 4678万2000(1291万1000)
2005 4906万3000(1445万7000)
── 2005年度の生活保護世帯は104万世帯に達し、2006年度は107万世
帯となった。2007年度は110万世帯を上回った。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2950.html
図録生活保護世帯数と保護率の推移
104*00/4906=2.11985324092947 % …… 受給世帯が100万を超し
たから大変だ、という印象がありますが、公立小学校では50人学級に
一人の割で貧しい家庭が存在するのは、誰もが思いあたるはずです。
私立にはいないことを考えると公立に40人に1人ぐらいの割合でしょうが、生活保護を受けるほどの水準が1クラスに1人というのはちょっと考えられないです。
わが国の生活保護世帯を、全世帯の約2%とすれば、小学生の平均数
は未成年者(0~18歳)の3分の一なので、計算上は150人に一人
以下となります。世界全体の餓死率は 0.0023% 433人に一人ですね。
── 昭和25年に作られた生活保護制度は、現状にあっていない。
生活保護を受けている区民は、19,000名を突破。年間1,000名の増加。
ただし、【1】稼動能力なし(高齢もしくは障がい)、【2】資産なし、
【3】頼るべき身寄りなし、という生活保護を受給する条件を、客観的
に具備している人の数は、少なくとも4~5万人と推定され(米山調べ)、
むしろ19,000名でおさまっているほうが不思議。
http://plaza.rakuten.co.jp/yoneyamayasusi/diary/200808240002/
足立区議会議員 米山やすしのブログ
生活保護の運用は、再起のための援助である点が欠落しています。
わが国の餓死者は、むしろ保護されなかった人々に出現しています。
(そもそも途上国には、生活保護の制度がないので餓死者が出るのです)
生活保護というのはイワンの話を現代の日本に例えただけだったんですが、いつの間にか生活保護と餓死が一緒くたにされて論議されてしまってます。
そもそもイワンの話も架空のものであって、現実の生活保護と一緒の話にはなりません。
要するに、社会において豊かな人が貧しい人に分け与えるということは非現実的だと言いたいだけです。
この理念は絶対に必要ですが、働けるのに働かない人がいるために、役人が
警戒して審査が厳しくなります。
そのおかげで本当に必要なひとまでもらえないという自体が起こっています。
1500万人の餓死者だけを見るとひどいように思いますが、それ以上に子供が
生まれている現状も考えると人口爆発の歯止めと言う観点では多少は仕方が
ないのかも。
ただ、日本国内だけでみると、捨てられている食料が非常に多いのはきになりますが。。。
会社ではこう言うんだよね、「誰もが社長になれるわけじゃない」「いくら努力したからって誰をも課長に出来るわけじゃない」。
社内も競争社会ってわけで、分配を考えれば誰をも出世させるなんて無理だ。
じゃあ、国ではどうなんだろ?
中国やインドが経済成長をした結果どうなっただろうか?
石油高騰の一因ではあるし、CO2だってさ。
日本の安全保障を脅かす軍事大国でもある。
ああ、中国が4000年の悠久の摩訶不思議の田舎ならなぁ・・
オリもウーロン茶飲みたいなどと気楽な世界だったかもしれない。
でも中国の人は最近「オレたち豊かになった」と思っている。
なら、アフリカの国はどうなのだろうか?
社会主義の国、資本主義の国はあるけど、「地球」って資本主義かもしれない。
じゃあ、
競争社会には常に、理由は様々だが敗者が出るわけだお。
甲子園で優勝するチームを世間で見て楽しむっていうテレビ放映事業は、
1回戦で負けるチームを沢山生むことによって初めて、為し得る。
理由は様々。
怠慢だったから?、運悪く?、インフルエンザが流行ったから。
資本主義社会での福祉は、セイフティラインなわけだから、
例えば日本でも、
理由は様々であっても、結果として「餓死者は出さない」。
これが行政の責務であって、税金の正当な使い方であること自体は変わらない。
コラテラルダメージは常にある。
じゃあ、地球の福祉、セイフティラインはどこにある?
バランスにあるのかもしれない。
ところで、
日本では毎年何十人かの餓死者が欠かさず出ているというが、ホント?
厚生労働省の人口動態調査、x53.
http://nhjournal.blog37.fc2.com/blog-entry-360.html
(↓x53)
http://www.dis.h.u-tokyo.ac.jp/byomei/icd10/V00-Y98.html
イギリスで発生した、宅急便の梱包材に味付け無しのポップコーンの使用。
実際に日本でも昨今導入され、実施している会社がある。
http://tenjin.keizai.biz/headline/1609/
先進国まで取りに来てくれるのならいくらでもあげる人はいると思いますよ。
食料より輸送のほうが高い現実。
仮に世界が100人だけだったとして、
その100人がすべて自給自足で暮らしていたとして、
今年は10人が不作でした
豊作の10人が分けてあげました
Aさんはその後もずっと不作でした
10年20年ともらい続けました
さて、周りの人はAさんに食料を分けてあげるべきか?
資本主義あってこその今の科学や技術ってことです。
共産主義が理想的に機能したら最高の世の中だとは思いますけどね。