全世界の食糧を65億人で割れば、みんなが満腹できるはずだ。
しかし毎年、途上国の子供1500万人が餓死している。
先進国の人々が、豚にも腹いっぱい食わせるからだ。
食糧を金で売買してはいけない。
水や空気や土地を私有するのは、自然の法則に反している。
地球上の資源は、ひとしく人類が共有すべきなのだ。
武田 邦彦 資源材料工学 19430603 東京 /中部大学教授
http://www.ytv.co.jp/takajin/research/current/form.cgi
── 《そこまで言って委員会 20090628 13:30-15:00 読売テレビ》
── 一人当りを養うのに〇・四ヘクタールを必要とする。そのため、
現在十数億ヘクタールが耕作地として利用されている。(略)地球上の
潜在的農業適地は三十二億ヘクタールであり、したがって耕作地は現在
の倍にしか増やせない(略)人口増加が続けば生産性を二倍にしても二
〇三〇年、四倍にしても二〇五〇年には限界に来るものと予測される。
── 高坂 正尭《文明の衰亡 19811125-19820510 新潮選書》P206-207
生活保護というのはイワンの話を現代の日本に例えただけだったんですが、いつの間にか生活保護と餓死が一緒くたにされて論議されてしまってます。
そもそもイワンの話も架空のものであって、現実の生活保護と一緒の話にはなりません。
要するに、社会において豊かな人が貧しい人に分け与えるということは非現実的だと言いたいだけです。
わが国の生活保護世帯を、全世帯の約2%とすれば、小学生の平均数
は未成年者(0~18歳)の3分の一なので、計算上は150人に一人
以下となります。世界全体の餓死率は 0.0023% 433人に一人ですね。
── 昭和25年に作られた生活保護制度は、現状にあっていない。
生活保護を受けている区民は、19,000名を突破。年間1,000名の増加。
ただし、【1】稼動能力なし(高齢もしくは障がい)、【2】資産なし、
【3】頼るべき身寄りなし、という生活保護を受給する条件を、客観的
に具備している人の数は、少なくとも4~5万人と推定され(米山調べ)、
むしろ19,000名でおさまっているほうが不思議。
http://plaza.rakuten.co.jp/yoneyamayasusi/diary/200808240002/
足立区議会議員 米山やすしのブログ
生活保護の運用は、再起のための援助である点が欠落しています。
わが国の餓死者は、むしろ保護されなかった人々に出現しています。
(そもそも途上国には、生活保護の制度がないので餓死者が出るのです)
>途上国は絶対的に資源が不足している<
鉱物や燃料の資源については、議論が尽きませんね。
途上国にとって、IMF(国際通貨基金機構)の権限で、交換レート
が支配されるのは、とても理不尽なはずです。
私立にはいないことを考えると公立に40人に1人ぐらいの割合でしょうが、生活保護を受けるほどの水準が1クラスに1人というのはちょっと考えられないです。
川に水をくみにいけば水道代は無料。
水道料金を支払っているのは水道施設を使っているからです。
もし仮に一人で生活していたら川下に住んでいても川上へ水をくみにいかなければいけないはずですよ。
通信料金などもってのほか。
施設がなければ存在すらしてない物だし使う必要も無い。
土地は確かに一部の人が占有しているために不足しているような事態が起きていますが、公道を使うのは基本的には自由です。
以前、河川敷にプレハブを自分で作って住み続けた人もいましたね。
ガスや電気も自分で作れば無料ですよ。
会社ではこう言うんだよね、「誰もが社長になれるわけじゃない」「いくら努力したからって誰をも課長に出来るわけじゃない」。
社内も競争社会ってわけで、分配を考えれば誰をも出世させるなんて無理だ。
じゃあ、国ではどうなんだろ?
中国やインドが経済成長をした結果どうなっただろうか?
石油高騰の一因ではあるし、CO2だってさ。
日本の安全保障を脅かす軍事大国でもある。
ああ、中国が4000年の悠久の摩訶不思議の田舎ならなぁ・・
オリもウーロン茶飲みたいなどと気楽な世界だったかもしれない。
でも中国の人は最近「オレたち豊かになった」と思っている。
なら、アフリカの国はどうなのだろうか?
社会主義の国、資本主義の国はあるけど、「地球」って資本主義かもしれない。
じゃあ、
競争社会には常に、理由は様々だが敗者が出るわけだお。
甲子園で優勝するチームを世間で見て楽しむっていうテレビ放映事業は、
1回戦で負けるチームを沢山生むことによって初めて、為し得る。
理由は様々。
怠慢だったから?、運悪く?、インフルエンザが流行ったから。
資本主義社会での福祉は、セイフティラインなわけだから、
例えば日本でも、
理由は様々であっても、結果として「餓死者は出さない」。
これが行政の責務であって、税金の正当な使い方であること自体は変わらない。
コラテラルダメージは常にある。
じゃあ、地球の福祉、セイフティラインはどこにある?
バランスにあるのかもしれない。
ところで、
日本では毎年何十人かの餓死者が欠かさず出ているというが、ホント?
厚生労働省の人口動態調査、x53.
http://nhjournal.blog37.fc2.com/blog-entry-360.html
(↓x53)
http://www.dis.h.u-tokyo.ac.jp/byomei/icd10/V00-Y98.html
イギリスで発生した、宅急便の梱包材に味付け無しのポップコーンの使用。
実際に日本でも昨今導入され、実施している会社がある。
http://tenjin.keizai.biz/headline/1609/
途中から国内の生活保護の話になっちゃってますね。
主題は世界規模の話であるので、日本だけの話はあまり関係がないように感じるのですが。
あと発展途上国は絶対的に資源が不足している=いくら働いても得られるものには限りがあるということなので、彼らにとって働けない働きたくないという話は無関係ですね。
すでに、水道料金や土地(家賃)は、有料です。
川上の人が川下の人から、定住する人が通過する人から徴収します。
空気=通信料金(受信料・配達料)も、毎月引落しされています。
私有地の農場も、土は地つづきで、水は天から貰い水、太陽の光熱に
至っては、いったい誰のものか分りませんね。
ガスや電気も原子力も、誰かが私有しているのでしょうか?
そのうち、水も空気も無料じゃなくなる日も来るんじゃないでしょうか?
国勢調査による日本の世帯数(単独世帯)。── (Wikipedia)
1985 3798万0000( 789万5000)
1990 4067万0000( 939万0000)
1995 4390万0000(1123万9000)
2000 4678万2000(1291万1000)
2005 4906万3000(1445万7000)
── 2005年度の生活保護世帯は104万世帯に達し、2006年度は107万世
帯となった。2007年度は110万世帯を上回った。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2950.html
図録生活保護世帯数と保護率の推移
104*00/4906=2.11985324092947 % …… 受給世帯が100万を超し
たから大変だ、という印象がありますが、公立小学校では50人学級に
一人の割で貧しい家庭が存在するのは、誰もが思いあたるはずです。
イワンのばかの話でも「働けない人」と「働きたくない人」が救済を求めてくることでしょう。
雨不足で不作が続けば働くのが嫌になる人が増大することは目に見えています。
働いても割に合わないと思い始める偶然要素は常に誰にでも存在しているのです。
この理念は絶対に必要ですが、働けるのに働かない人がいるために、役人が
警戒して審査が厳しくなります。
そのおかげで本当に必要なひとまでもらえないという自体が起こっています。
1500万人の餓死者だけを見るとひどいように思いますが、それ以上に子供が
生まれている現状も考えると人口爆発の歯止めと言う観点では多少は仕方が
ないのかも。
ただ、日本国内だけでみると、捨てられている食料が非常に多いのはきになりますが。。。
実態はともかくも、生活保護や障害者手当は「働けない人」に対する
もので「働きたくない人」のためのものではありません。
(一律に混同すると、福祉行政の概念が成りたたないでしょう)
現状は「高学歴・高年齢」の結果、生涯の稼働年比が逆転したのです。
かつて、中学卒で65歳まで生きると「扶養15年:稼働40年」が、
大学卒で85歳まで生きると「扶養45年:稼働40年」となります。
さらに「高学歴・高賃金」の結果、労働の付加価値が高騰したのです。
一台5万円のパソコンに、年収500万円の賃金は高すぎるのです。
いまや、だれもが生涯を通じて自立できないのではありませんか。
努力しなくても餓死はしない。
努力すれば美味しい物が食べられる。
どうなんでしょうねー。
日本でも働かずに生活保護で暮らしてる人とかいますよね。
彼らに「働けばもっといい物が食えるのに」と言ってもやはり働かないわけで。
そして残り物で妥協する人が増えればそのシステムも崩壊します。
通常はバランスがとれていても、天候や病気など妥協に走る要素は常にあります。
── 貴族主義的な色彩の濃厚なイートン校に学びながら、社会主義思
想の洗礼を受けたというのは、ちょっと奇妙な気がしないでもないが、
なにしろ当時はロシア革命の直後で、革命賛美の風潮が一世を風靡し、
イートン校の生徒たちの間にすらレーニンを現代の偉人視するものが多
かったというから、もとからこうした方面に敏感だった彼が、その風潮
に強く影響されたのは、むしろ自然のなりゆきと見てよかろう。
── オーウェル/高畠 文夫・訳《動物農場 19720830-20050215 角川文庫》P221
Orwell, George 19030625 Bengal London 19500121 46 /
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19450817 《Animal Farm 19450817 England》
── だれかが来て、「どうかわたくしどもを養って下さい」と言えば、
彼は「ああよしよし!」と言う。「いくらでもいなさるがいい──わし
のところにはなんでもどっさりあるんだから」ただ、この国にはひとつ
の習慣がある──手にたこのできている人は、食卓につく資格があるが、
手にたこのないものは、人の残りものを食わなければならない。
── トルストイ/中村 白葉・訳《イワンのばか 18850920-19660515 岩波文庫》P61
土地とかも共有するって前提なので全人類が自分の食べる分を生産するってことでしょうね。
無償で分け与えるのなら常に分け与え続ける側が存在してしまうので不可能です。
大量生産など認めない超非合理的社会。
それをテレビやパソコン使ってるような人が言っちゃってるわけで。
誰もが食料を生産したら誰がテレビやパソコンを作るというのか。
昔ながらの簡易的なオモチャなんかは片手間に作れるだろうけど、電子機器などは生産出来なくなる。
「人の行動すら自然」とする説もありますしね。
餓死するのも自然の一部。核兵器で人類が滅亡してもそれは自然の一部。
>全世界の食糧を65億人で割れば、みんなが満腹できるはずだ。
>先進国の人々が、豚にも腹いっぱい食わせるからだ。
「食糧」が指し示すものとは何だろう。穀物のみ?畜産物も含まれるのだろうか?では仮に家畜に食べさせていた分の穀物を他の人々に分け与えたとして、それで全てが簡単に解決すると思っている人が本当にいるのだろうか?「はず」という表現で主張と事実をごちゃ混ぜにする前に、きちんと調べてから言うべきですよね。
>食糧を金で売買してはいけない。
では原材料を育てている人達やそれらを食糧へ加工している人達は、どうやって資金を調達しろというのだろうか。お互いが全てを無償あるいは物々交換で行え、というのは経済構造を甘く考えているのではないだろうか?原始的な共産主義の甘い幻想に捕まったインテリさん乙。
>水や空気や土地を私有するのは、自然の法則に反している。
>地球上の資源は、ひとしく人類が共有すべきなのだ。
この理論だと、人類が自然を私有することもまた自然の法則に反するということになる。自然は人間だけのものではない。資源の再分配を強調するのであれば、廃棄物等の”負”の資源も個々で分配しないといけませんねぇ。
環境の違いによる淘汰を自然と考えるのであれば、社会の違いによる淘汰もまた自然なり。本来助け合うのは個々の自由です。しかし、それを強制して平均化を良しとするのは、上から目線の物言いにしか見えないような気がします。
ここ30年間での穀物生産効率はおよそ2倍。
しかし農地の面積はほとんど変わっていません。
つまり生産性は最大で4倍まで可能になっています。
2009年の時点ですでにです。
2050年には4倍どころか8倍以上の効率となっていることでしょう。
特に近年のバイオテクノロジーによる農業の進化は凄まじいものがあります。
人類はいまだ人間の1%程度しか解明できていないのです。
ですから人類が作り出す科学の進歩を統計的に予測することは不可能です。
参考:
http://www.famic.go.jp/event/risk_seminar/h19/20071128/20071128-...