私もハザマさんと同じく音楽の思い出があります。
スポーツではタイムや採点など、はっきりとした評価の基準があります。
一方、音楽は一様に評価が難しいものであり、なかなか納得のいかないときもありました。
私の楽しかった思い出は、吹奏楽部にいた中学時代。
隣の市の高校がとても演奏が上手で、県大会では賞を総なめ。
地域大会で3位以内に入らないと県大会に出場できないので、
事実上、残りの2枠を残りの学校で争っていました。
演奏に魅せられたわけではありませんが、その中学校の指揮者が美しい。
指揮によって場が作られ、観客も演奏という空間に引きずり込まれていたように思えました。
私もその中の一人で、演奏の要は指揮だということを感じました。
私も指揮を始めたい。そんな思いが胸を熱くさせ、指揮の勉強を始めることにしました。
指揮をするにあたって、おおいに驚いたことがありました。
それは、指揮は楽譜だけでなく、楽曲の成立の経緯など歴史を勉強することが必要。
曲の歴史的文脈を勉強するほかに、全てのパートの楽譜も確認しなくてはいけない。
当然全てのパートについて頭に叩き込まなければ、指揮者は務まらない。
指揮を勉強するには相当ハードだということをやってから感じました。
あるコンクールの日、思い切ってその中学校の指揮者に聞いてみました。
指揮をするには何が一番大切か?と。
そうすると、その指揮者の男性は優しく微笑みながら、
「全体を見守る、作品をそっと包むような配慮かな」と言いました。
私は指揮を練習するにあたって、レパートリーや理論的背景ばかり
技術的なことばかりを重視していました。
あることに熱中していると、問題の本質を見失いがち。
問題の本質を捉えられないといつまでも次の段階へ進めません。
次の段階には何が必要か感じさせてくれる人が同じ中学生だと思うと情けない気持ちで一杯でした。
自宅に戻ると落ち込んだ姿を母に見られてしまいました。
母にそのことを話すと、どうもその指揮者の家族は音楽一家。敵うはずもありません。
それなら、少しでもいまある現状を完全にしようと努めるようにしました。
演奏の練習もハードですし、全体を気遣いながらの進行に努める。
そして、指揮の勉強はその後。なかなか勉強も進まず成績も悪かったです。
模試の成績も、その指揮をしている人の名前を見るとやる気が出てきたものです。
心の中のライバルの存在・・・自分にとってずっと先を走る人でしたが、
誰もが同じ道を歩むなら、きっとこの困難はいつか解決できる日が来ると信じました。
夏休みの大会。地区コンクールでその指揮者の中学校と再会しました。
あまりにも上出来な演奏、一つの作品として完結してました。
対する私の中学校は、ところどころほころびが分かる。
私が分かるということはあの指揮者も分かっている・・・演奏後は疲れ果ててしまいました。
いよいよ結果発表のとき、期待して第1位は当然ながらその指揮者のいる中学校。
2位は・・・私のいる中学校の名前が呼ばれた瞬間、椅子から立ち上がって周りの仲間たちと
喜び合いましたね。少し行儀が悪かったかもしれないでしたが、気持ちが爆発したんですね。
結果発表が終わった後、あいさつにその指揮者のいるところに行きました。
その指揮者は「そっちが勝つかもしれなかった」と言ってくれました。
お世辞でも、社交辞令でも、うれしかったですね。
県大会まで行けて、人間的にも少しは成長できた吹奏楽、指揮に感謝したいです。
そして、同じ指揮者として頑張ることのできた隣の市の中学校の指揮者に出逢えてうれしかったです。
久しぶりの同窓会でのうわさによると、いまでも楽曲家して活躍されているようです。
吹奏楽という出逢い、ライバルとの出逢い、部員との出逢い、全てに感謝したいです。
私もハザマさんと同じく音楽の思い出があります。
スポーツではタイムや採点など、はっきりとした評価の基準があります。
一方、音楽は一様に評価が難しいものであり、なかなか納得のいかないときもありました。
私の楽しかった思い出は、吹奏楽部にいた中学時代。
隣の市の高校がとても演奏が上手で、県大会では賞を総なめ。
地域大会で3位以内に入らないと県大会に出場できないので、
事実上、残りの2枠を残りの学校で争っていました。
演奏に魅せられたわけではありませんが、その中学校の指揮者が美しい。
指揮によって場が作られ、観客も演奏という空間に引きずり込まれていたように思えました。
私もその中の一人で、演奏の要は指揮だということを感じました。
私も指揮を始めたい。そんな思いが胸を熱くさせ、指揮の勉強を始めることにしました。
指揮をするにあたって、おおいに驚いたことがありました。
それは、指揮は楽譜だけでなく、楽曲の成立の経緯など歴史を勉強することが必要。
曲の歴史的文脈を勉強するほかに、全てのパートの楽譜も確認しなくてはいけない。
当然全てのパートについて頭に叩き込まなければ、指揮者は務まらない。
指揮を勉強するには相当ハードだということをやってから感じました。
あるコンクールの日、思い切ってその中学校の指揮者に聞いてみました。
指揮をするには何が一番大切か?と。
そうすると、その指揮者の男性は優しく微笑みながら、
「全体を見守る、作品をそっと包むような配慮かな」と言いました。
私は指揮を練習するにあたって、レパートリーや理論的背景ばかり
技術的なことばかりを重視していました。
あることに熱中していると、問題の本質を見失いがち。
問題の本質を捉えられないといつまでも次の段階へ進めません。
次の段階には何が必要か感じさせてくれる人が同じ中学生だと思うと情けない気持ちで一杯でした。
自宅に戻ると落ち込んだ姿を母に見られてしまいました。
母にそのことを話すと、どうもその指揮者の家族は音楽一家。敵うはずもありません。
それなら、少しでもいまある現状を完全にしようと努めるようにしました。
演奏の練習もハードですし、全体を気遣いながらの進行に努める。
そして、指揮の勉強はその後。なかなか勉強も進まず成績も悪かったです。
模試の成績も、その指揮をしている人の名前を見るとやる気が出てきたものです。
心の中のライバルの存在・・・自分にとってずっと先を走る人でしたが、
誰もが同じ道を歩むなら、きっとこの困難はいつか解決できる日が来ると信じました。
夏休みの大会。地区コンクールでその指揮者の中学校と再会しました。
あまりにも上出来な演奏、一つの作品として完結してました。
対する私の中学校は、ところどころほころびが分かる。
私が分かるということはあの指揮者も分かっている・・・演奏後は疲れ果ててしまいました。
いよいよ結果発表のとき、期待して第1位は当然ながらその指揮者のいる中学校。
2位は・・・私のいる中学校の名前が呼ばれた瞬間、椅子から立ち上がって周りの仲間たちと
喜び合いましたね。少し行儀が悪かったかもしれないでしたが、気持ちが爆発したんですね。
結果発表が終わった後、あいさつにその指揮者のいるところに行きました。
その指揮者は「そっちが勝つかもしれなかった」と言ってくれました。
お世辞でも、社交辞令でも、うれしかったですね。
県大会まで行けて、人間的にも少しは成長できた吹奏楽、指揮に感謝したいです。
そして、同じ指揮者として頑張ることのできた隣の市の中学校の指揮者に出逢えてうれしかったです。
久しぶりの同窓会でのうわさによると、いまでも楽曲家して活躍されているようです。
吹奏楽という出逢い、ライバルとの出逢い、部員との出逢い、全てに感謝したいです。