THEME:「自分を育ててくれたアイツと友情…宿命のライバル物語」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とルポ例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20090703
プレゼント変更ご案内
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は7月9日(木)正午で終了させて頂きます。
私の料理のライバルは母親です。
親しみ慣れた母の味を再現したくて我が家で1人、奮闘中です。
母の味には叶わないと思うんですが、少しでも近づけるように毎回努力はしてます。
たまにご飯を作った時には、褒めてくれるんですが、まだまだ勉強が足りないですね。
いつかは母を越したいです。
勇気はなかなか出ませんね。
人が見ている所では格好ばかり気にしてしまう。
それが出来るのは勇気多有ですね。
最近は男性が女性になったり、女性が男性になったりしますが、男女の特質は全く異なるものです。
それが又憧れ心を産むものです。
ライバルと見立てた男女の研鑽を後押しするのも良いですね。
小さな子供幼児から世界の国旗や首都そして県庁所在地等々覚えるのが得意な方がいますね。
鉄道駅の連呼や県の花や県のマーク等を覚える人もいますね。
これらはいずれも見事なものです。
ライバルはよい意味でも悪い意味でも自分の研鑽に磨きがかかりますね。
最近は無線よりパソコンネットが普及して久しいですが、無線とネットがドッキングした技術が重要です。
いつまでもライバルでいて下さいね。
猫はわがままのもの。
猫の教育には手がかかる。
その猫が躾の鏡なら飼い主は誇りですね。
同期には悩みも話せるので
良い相談相手でもあり、良いライバルです。
作った料理をブログにアップしています。
友人もみんな料理を載せているので、写真の撮り方、料理の見栄えなども気にしながら作っています。
誰よりも美味しい料理を作りたいので、段々と料理の腕も上がってきました!
競い合う仲間がいるのは上達の近道ですね。
母親ってホントに強いです。
精神的な強さはどう頑張っても勝てないだろうと思ってます。
なにがあっても動じない強さは家族に安心感を与えてくれます。
スポーツ選手は体力とかの面で凄いので
同い年としてはもっと鍛えないとなと刺激になります。
まだまだ若い選手でも海外へ行ったりと世界が広いなと感心します。
それに比べて、まだまだ自分は小さいなと勉強させられます。
同い年の人が頑張っている姿は、励みになりますし
自分もこの世界で1番になりたい!と勇気づけられます。
最近ちょっとしたきっかけで、高校生の男の子と知り合いになりました。
この子がすごいんです。
とあるボランティア活動で一緒になった人なんですが、
活動のたびに自慢の料理を折り詰めにしてきてみんなに振る舞うんです。
それがすごくおいしい!!
私も料理好きですから、いろいろ料理について話し合いました。
そしたら高校生の男子なのに、並々ならぬ情熱を料理に傾けていることがわかって感動。
でもそれは将来プロの料理人を目指すとか、そういうことではないらしいんです。
ただ、自分が作った物をおいしいとたべてくれる人がいるとうれしいから。
ただそれだけで料理をしているのだそうです。
実際に料理をしている所はまだ一度も見たことはありませんが、
出来上がった料理を見れば、どんなにすごい腕前かわかります。
そして料理の一つ一つに工夫があります。
他人のレシピの再現ではなく、自分の料理としてのこだわりがこめられています。
何よりすばらしいのは素材を見極める目。
おいしさと安全にこだわって、食べる人の体を気遣う心が行き届いています。
最近私もこの子と張り合って、ボランティア活動のお昼に料理勝負を展開中。
事前にメニューを相談しあって、それぞれの料理がそれぞれの料理をどれだけ引き立てられるかを競います。
同じ料理をぶつけての対決ではなく、
お互いが引き立て合って一つの料理世界を完成させていく勝負ですから、すごく難しいです。
相手の料理を賞賛し尊敬しつつ、いかに自分の料理が主導権を握っていけるかというバトル。
まるで料理マンガのストーリーになりそうだと思いませんか?
もちろんこれは相手の提案です。
さすが高校生の男の子は発想が豊かですね。
今のところ、私は全戦全敗。
向こうは、そんなことないよ、今回はこっちの完敗だよ、なんて言ってくれることもありますが、
技術も出来上がりも私なんか足元にもおよびません。
思わぬ料理のライバルが出来て、今私は燃えています。ごごごごご(炎の音(笑))。
知り合いの家に、それは気だてのいい猫がいます。飼い主をとても信頼していて、普通なら嫌がる病気の時の投薬などもいい子でサッとさせますし、猫にありがちな人見知りもなく、来客にも愛想を振りまきながら、猫好きを増やすのに一役買っています。
それもそのはず、この猫はJAHA(日本動物病院福祉協会)の人と動物のふれあい活動(CAPP:Companion Animal Partnership Program)に参加しているボランティア猫ちゃんなんです。
この活動に参加するためには、飼い主も猫も共々に、JAHAが制定するかなり難しい認定テストにパスすることが要求されます。特に飼い主には、社会性やアニマルセラピー活動、動物の健康管理などに関するしっかりとした認識が求められ、認定に当たっては筆記試験も課されます。もちろん猫ちゃんも、病院などを訪問して活動するわけですから、それにふさわしい落ち着いた行動が取れることが必須です。
こちらがその認定基準ですが(pdfファイルです)、
http://www.jaha.or.jp/contents/modules/sect5/content/capp_therap...
これだけの条件を満たせる飼い主、そして猫は、ちょっと少ないのではないかと思います。
でも、この知り合いの猫ちゃんは、こうした難しい基準を全てクリアした「JAHA CAPP認定セラピー猫」なんです。もちろん過酷な訓練を経て調教された猫ではありません。知り合いは、元々この子にはそういう素質があったんだと言っています。その素質にプラスして、それを素直に伸ばしてやれる理想的な飼い主がいたから、こういう猫の鏡のような子に育ってきたんですね。
わが家の猫も、この認定セラピー猫ちゃんを目標に、いい猫になれるよう特訓中…ではなく(猫に訓練はできないことはありませんが、習性的に馴染みません)、飼い主である私が前述の認定基準を満たすような良き飼い主を目指すことで、飼い主の成長に連動して猫の鏡度が増していくような飼い方を目指したいと思っています。
その人と最初に会ったのは、終電近くの電車の中でした。ひどく酔った女性が車内で嘔吐しました。乗客は一斉に後ずさりです。しかし一人の男性がサッと歩み出て介抱。女性は再度嘔吐して男性の服を汚していましたが、彼は全く意に介する素振りも見せずに、次の駅で女性を伴って降りていきました。
よくできた人だなぁ、ああいうことがサッと出来るのはかっこいいなぁとしばし感動。何もできなかった私はとりあえず最後部の車両まで行って、車掌さんにあったことを報告。車内の処理をお願いしてみました。
次にその人と会ったのはある駅前の広場でした。その人はなんと、植え込みの間に捨てられているゴミを拾って回っていました。初老の女性が何かのボランティアですかと声をかけると、彼は、いや、待ち合わせの相手が遅れているので時間つぶしですよと笑っています。普通、そんな合間にこういう隠れた社会奉仕など、なかなかできることではありません。はぁ~、世の中には出来た人がいるもんだと再度感心してしまいました。
そういえばイエはてなでも様々な自主的な活動でマチを明るくしていくような取り組みが紹介されていたなと思い出し、私も何かをやってみようと考え始めました。とりあえず百均でトングを買い、マチのゴミ拾いに出てみましたが、いやぁ、実際にやろうとすると、これは勇気が要りますね。初日はどうしても勇気が出せずに、ただマチをうろついただけで挫折でした。
後日再び意を決して出動。今度は例の良くできた男性を思い浮かべ、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと自分に言い聞かせて駅前へ。今度はしっかり活動することができました。
一度こうして何かを一つ乗り越えると、色々勇気が出てきます。今までは、あの人何か困っていそうだなと思っても、一声掛ける勇気が持てませんでした。困っているように見えるのは気のせいで、本当は何でもないんだ、そうだ、そうに違いないなどと無理に思いこんで無視してしまうのが常でした。しかし一つ乗り越えると、すぐに声が出るようになります。
「失礼ですが、何かお困りですか?」
こんな勇気が持てるようになったのも、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと、自分を奮い立たせることができたおかげです。彼はそんなふうに私を育ててくれた、名も知らぬライバルと言えるでしょう。
世の中には、他人に迷惑をかける行為や、自分のことは棚に上げて他人を非難するためなら、おどろくほど積極的に行動できてしまう人が少なくありません。しかし善意や思いやりに基づく行動は、勇気が持てずに躊躇してしまいがちだと思います。それを堂々と、しかもかっこよくやって見せてくれた彼は、どこの誰なのでしょう。あれから数回電車の中で見かけました。特に何か特別なことがあったわけではありませんが、鞄や傘の持ち方ひとつにも配慮が行き届いている雰囲気が伝わってきます。ああいう人を紳士と呼ぶのでしょう。これからも勝手にライバル視して、少しでも近付かせてもらいたいと思っています。
わかるわかる。
ネット上じゃ年バレするから名前言いたく無いけどアノ人がんばってるよなぁ、とか
本当に思う人がいます。
まだまだ私もがんばれる!
小学生というのは変なことに凝るものです。クラスメイトの一人がなぜか世界の首都を憶えるのにこり始め、次々と憶えては、みんなの前でそれを披露しはじめました。それも小学生の段階では名前すらも知らないような国がどんどん出てきます。
図書室から世界の国名が載っている辞典を借りてきて、片っ端から国名を言って首都を当てさせるという「試練」も与えてみましたが、国名すらも知らない国については答えられなくて当たり前としても、それ以外はほぼ百発百中の正答率でした。これはすごいと担任の先生も大絶賛です。
そこでライバル心を燃やしたのが私でした。何とかこのクラスメイトに匹敵する物を身につけたい、同じ物では駄目だ、何がいいだろうと考えた結果、選んだのが日本の県庁所在地憶えでした。実際に挑戦してみると、小学生には知らない県もたくさんあり、なかなかやり甲斐があります。やっと百発百中で答えられるようになり、クラスで披露してみましたが…
世界の首都に比べて県庁所在地は地味すぎました。それに県名と県庁所在地名が一緒の所が多すぎ!
「青森県」「青森市」
「じゃ秋田県は?」「秋田市」
「なんだよ、それじゃ山形県」「山形市…」
「福島県」「ごめん、これも福島市…」
ごめん…て、私が悪いわけではないのですが。
でもこういうことで世界や日本の地理に興味を持ち始め、それから世界の首都憶えのクラスメイトと二人同好会みたいな感じで、世界の国旗から山手線の駅名まで、片っ端から憶えることに熱中しました。テーマを決めて、いつもどちらが早く憶えられるか競争です。
向学心なんてものとは無縁の子供の遊びでしたが、でもいいライバルに恵まれたお陰で、物を憶えることの楽しさ素晴らしさを知ることが出来、今思うと、その後の知的好奇心を養う土台を作ってくれたなぁと思います。
そのクラスメイトとはなぜか高校までずっと同じ腐れ縁で、○○文庫百冊挑戦など、色々な所で競い合いました。この良きライバルから得た物は、私の人生の中で、今も大きなウエイトを占めています。
一時私はかなりアマチュア無線に凝っていました。同じクラスにやはり無線好きな友がいて、休み時間はいつも無線の話で盛り上がっていました。お互い無線で会話が出来ますから、家に帰ってからも無線機を前に、あれこれと無駄話に花を咲かせました。
そんな仲の良い友人同士でしたが、私たちはライバルでもありました。当時私たちは4級という一番下の無線の免許しか持っていなかったので、どちらが先に3級になるかを私たちは競っていたんです。最近は国家試験の内容が簡略化され、3級にはトンツーのモールスの試験が無くなったようですが、私たちのころはまだモールスの試験がありました。私はこのモールスが苦手で、なかなか習得が進みませんでしたが、友人はもう当時の2級レベルのモールスも楽々受信できるくらいに上達しています。私も必死で練習して、一緒に受験申請書を出し、一緒に受験に臨みました。友人は2級相当の実力、私はぎりぎり3級の実力で、どうにか二人一緒に合格通知を手にすることが出来ました。
しかし無線の楽しみの一つに、無線機の自作があります。こちらでは私も負けてはいませんでした。雑誌の製作記事を参考に二人で同じ無線機の自作を手がけたことがありました。二人で秋葉にパーツを買いに出かけ、二人同時に製作に取りかかりましたが、友人の方はいくら調整しても、なかなか目標とする性能が引き出せません。電子機器には実装技術のようなものがあって、ちょっとした線の引き回し方ひとつで、ずいぶん動作が変わってしまうんです。国家試験では後れを取りましたが、こういう職人技系なら負けません。頼む見てくれと呼ばれて行って、ちょちょいといじってみごと問題解決。ちょっと鼻高々な私でした(やなやつw)。
こんなふうにそれぞれの得意分野で楽しく競い合ってきた私たちでしたが、今はどちらも無線からは遠ざかってしまいました。これも時代の流れなのでしょうか。
しかし友人はあれからもずっと無線の世界に向けた探求心を絶やさず、大学もそれ系に進み、大学院にも進んで、なんと博士号まで手にしています。それでも一緒に飲むと、君はすごいよ、僕は科学の方に進んだ、でも技術は君の方がずっと上だ、俺たちは今も二人揃って一人前の科学技術コンビだな、なんて言ってくれます。コノヤロウお世辞がうまくなりやがって。若き日の好敵手はいつまでたっても好敵手ですね。
私は小学生の時、学校の習字クラブに入っていました。筆で字を書くのが好きで、自分から進んで入ったクラブです。指導してくれる先生も優しくて大好きでした。私は毎週、クラブのある日が待ち遠しくてたまりませんでした。
クラスにもう一人、私と同じように、習字と習字クラブが大好きな子がいました。私たちは以前から仲良しでしたが、習字クラブに入ってからは、同じ趣味を通してさらに仲良くなっていきました。
私たちは学校が終わってからもよく一緒に遊びました。二人で土手に座ってアイスを食べます。でも二人揃うとすぐに字の話。アイスの棒を筆に見立てて、空を半紙にして、二人で大きな字を書きます。
習字って面白いんです。慣れてくると手の動きを見て、どんな文字が書き上がるのかだいたい想像できるんです。だからアイスの棒で空に字を書いても、二人、どんな文字が書き上がるのか、とてもよく想像できました。食べかけのアイスで空に字を書いて、せっかくのアイスをボトッと落としてしまったこともありました。そのくらい、二人、字を書くことに夢中でした。
季節が巡り、冬になり、年の暮れが近付いたころ、その子が私に言いました。書き初め大会、ライバルだからねと。
ライバル?それじゃ私たち、戦いが終わるまで仲良くしちゃいけないの?
そうだね、ライバルが仲良くしてたらちょっと変だね。
それじゃぁ書き初め大会が終わるまで遊ばない。
うん、その時間は二人、習字の練習をすることにしよう。
負けないからね!!
私だって!!
こうして二人は、言葉の意味もよくわからないままライバルになりました。
毎日のように仲良く過ごしていた相手と別々なのは調子が狂います。一人の時間がとても寂しく感じられました。書き初め大会なんか負けてもいいからまた仲良く遊びたいなと思いました。でもライバル宣言をしたからには、仲良しだからこそ負けられません。早くから家に帰って習字の練習をして過ごしました。半紙に真っ黒になるまで、何度も何度も重ねてその子の名前を書きました。
年賀状はライバルでも出していいだろうと、心を込めて墨で書きました。でもちょっと対抗意識が燃えたかなw
私たちの学校の書き初め大会とは、家で書いたものを学校に持っていって、全校生徒の作品を体育館に並べて飾る、冬休み宿題大会のようなものです。新年最初の始業式に提出して、15日ごろ、各学年ごとの金賞、銀賞、銅賞が決まります。作品は賞の発表と同時に返却されますが、受賞作のみ職員室の前の廊下に飾られます。
私たちはライバルですから、この発表の日までバチバチ火花を飛ばしていました。でも、二人頑張った甲斐があって、みごと二人とも学年の金賞に輝きました。金賞が二人は異例だそうですが、この二人は順位が付けられないと、二人とも同じ賞にしてくれたそうです。
このうれしい結果発表に二人大喜び。金賞をもらったことよりも、二人が同じ賞を分け合えたことの方がうれしくて、職員室の前に並んで張り出された書き初めを見ながら、手を握り合って喜び合いました。そして、今日からはまた自由に遊べるよね、ライバルは終わって仲良しに戻ったねと二人で言い合って、泣いてしまいました。手を握り合って泣いている二人を見て、担任の先生が、そんなに金賞がうれしかったのかとびっくりしていました。
ライバルは仲良くしてはいけないなんて、変な思い込みをしていたものですが、人と切磋琢磨しあっていくことのすばらしさを知った、かけがえのない経験になりました。
どこも同じようなものかもしれませんが、私が通っていた学校は特に無関心層が多く、生徒会役員選挙は毎回無投票が恒例でした。対立候補どころか、全く立候補者がいない役職も珍しくありませんでした。
私はそこを変えたい、生徒の生徒による生徒のための活動ができる生徒会を作りたいと思いました。私が立候補を検討しているという噂が流れると、さっそく対立して立候補を考える生徒が現れました。成績優秀、スポーツ万能、おまけに顔が良く女子から人気という、絵に描いたような優等生タイプの男です。彼を便宜的に出来杉君と呼ぶことにします。
出来杉君の立候補表明は、あっという間に校内を駆けめぐりました。先生方の信任も厚い出来杉君は、立候補の受付も始まっていない段階からもう当選したも同然の扱いです。私は瞳の中にメラメラと炎を燃やし、打倒出来杉君の決意を固めることになりました。
立候補の届け出を済ませると、双方政策発表です。出来杉君陣営は、風紀の確立、学業・クラブ双方の成績の向上といった、私に言わせればク○食らえの目標ばかりを掲げています。
私はスローガンとして「仲間」の二文字を選びました。志望校の滑り止めとしてここを受けた、そして志望校に蹴られてここにやってきた、だからこんな学校好きになれない、ここで出会う友も好きになれない、ここにはそういうやつが多い、俺もそうだった、でもよく見ろ、ここだって捨てたもんじゃない、ここを今支配しているのは無気力だ、無気力ということは俺達が自由に気力を注ぎ込んでいいということだ、ここを俺達の自由な真っ白いキャンバスと考えよう、そこにみんなの色をぶつけていこう、そしてただの隣人から仲間になっていこう。そんな今考えるとこっぱずかしい政策をまとめ、発表しました。
ポスターを貼り、ビラを配りと、近年になかった選挙風景が校内で繰り広げられました。出来杉君のクラブ活動成績向上政策は各運動部に支持を広げ、運動部はほとんど出来杉君の地盤になりました。元から文化部に顔が利く出来杉君ですから、クラブはほぼ掌握の状況です。ポスター貼りもビラ配りもボランティアだらけで、とりわけ女子の活動が盛んです。
そこにいくと私の方は数人の男子が嫌々付き合ってくれている程度。もう勝負は見えていました。
ところがです。蓋を開けてみると、かなり大差で私が当選してしまいました。出来杉君がやってきて、おめでとうと言ってくれました。そして、ここの生徒会は毎年、前年の会長が次期会長を事実上指名していくのが慣例になっていたこと、出来杉君が前年度の会長から後継指名を受けていたこと、しかし今回の選挙戦の盛り上がりを見た三年生たちが古い慣習を捨てようと私の支持にシフトしたことなどを教えてくれました。(うちの学校では三年生は役員から引退することになっていましたので、当時私達は二年生でした)
そしてさらに出来杉君は、もし自分が当選しても今までのような生徒会にはしたくないと思っていた、建前上前会長の路線を引き継ぐ選挙活動をやったが、当選したら君(私のこと)の政策で活動しようと思っていた、と言ってくれたのです。
今回の選挙は会長以外立候補者無し。他の役員は会長が指名して生徒総会で承認という手続きになりましたので、私は出来杉君を副会長に指名し、二人でタッグを組んでやっていくことにしました。それからの私達は二人で一人のような絶妙のコンビになって、生徒会活動に取り組んでいきました。特に文化祭や体育祭は忘れられない思い出になりました。
勉強は、会長が副会長に負けっ放しでは格好が付かないからと必死に張り合いましたが、こればかりは全く歯が立ちませんでした。二人で学校帰りに食べた立ち食い蕎麦も忘れられない思い出です。二人とも小遣いが足りないのは一緒で、一つの天ぷらを分け合って食べました。
こんなライバルから始まってかけがえのない親友になっていった出来杉君は、今でも私の大親友です。
ちょうどJリーグブームの時代だったのでサッカーをやる男の子がとても多くて
野球はほんの数人。
ちょっと可哀想でしたね。。。
自分も一時期
部活動をしていましたが、ライバルというよりは憧れの存在の人がいて、頑張ってたものでした。
同じくらいのレベルの
同級生がいたらもう少し頑張って練習してたのかなと思うときがあります