THEME:「自分を育ててくれたアイツと友情…宿命のライバル物語」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
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テーマ詳細とルポ例
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※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は7月9日(木)正午で終了させて頂きます。
幼い頃、一緒に遊んでいたUくんは元気で運動をさせたらなにをさせても学校で一番。
私と家が近所だったので、いつも仲良しグループ。
かけっこでも勝ったことはなかったです。それに、塾も一緒で成績優秀。
幼稚園からの仲だといつでも心の許せる間柄なんでしょうね。
川崎に住んだことのある私はサッカーを巡って応援が難しいときになることがあります。
地元のフロンターレ、かつてのヴェルディ。現在の強豪と古豪。
Jリーグが発足したばかりのヴェルディに愛着があった私にとって、いまのヴェルディを応援することはつらいことでもあります。それに、川崎から稲城に移りましたし。。
応援していたチームが地元から出て行くと悲しいですね。
そんな私もいまでは、フロンターレを応援していますが。
「自分がライバル」とは言い言葉ですね。
プロゴルファーの宮里藍選手もかつて、「機能の自分よりもよく」と言っていたのを聞いたことがあります。
いつも前向きな気持ちで、自分に何か目標を達成することが必要のようですね。
毎日の達成感は小さいとしても、年月を重ねると大きな意味があると思います。
ライバル校って、私が生まれるはるか前からあるの高校らしく
水泳や野球は対抗戦を毎年行っていました。
対抗戦になると負けるのは悔しい。いつも応援に熱を入れていました。
勝っても負けても、次は・・と思わせる溌剌とした雰囲気までも思い起こすことができます。
甲子園の県大会決勝のテレビ中継を見ると当時のことを思い出してしまいます。
小学校の頃、クラスのほとんどの女子から一方的にライバル視されたことがありました。
何でも私が、学年一のイケメンK君の家をよく出入りしているということだそうな。
おいおい、単に家が隣で回覧板まわしに行ってただけじゃん(T_T)
スポーツから離れますが…
高校(公立・男女共学)に入ってからしばらく経った頃、歩いて10分ほどの場所に女子校(私立)が移転してきました。
大喜びしたのはうちの高校の男子。「お金持ちの家の可愛いお嬢様たちがわんさかいる」という妄想にかられてしまいました。女子はアホかと思いながらも「好きな人が女子校の女にとられたら…」という危機を感じ、ライバル視しておりました。
その後、男子と女子校の子のカップルが次々と誕生し、ますます女子たちのライバル視がヒートアップしたのでありました。
別名「いつも前向きな気持ちと、いつもだらけたがりな体との戦い」です。最近は年のせいかだんだん「やる気はあるけど体がついてこぬ」という状態になってきました…
ちょっとスポーツから外れますが…。
小学3年のとき、クラスの中にリーダー的な存在の人が2人いて、1人は「銀河鉄道999」ファン、もう1人は「がんばれベアーズ(海外の少年野球ものドラマ)」のファンでした。
で、野球大会などの学校のイベント事が近づくとこの2人が衝突。チーム名を決めるたびに、2人は「999」と「ベアーズ」を主張しあいお互い譲ろうとしません。他のみんなは「またやってるわ」と呆れ顔。結局先生が間に入って多数決または「前の時はそっちだったから今度はこっちにしたら」で解決させていました。
ちなみに、この2人に対抗して他のアイデアを出したりすると後々ややこしくなるので、いらんことはしないこと、という暗黙の了解ができていました。今思うと、めんどくさいガキどもやなあ…
私の母校はちょうどスポーツ校でしたので対外試合になると応援団としてかり出されることもしばしば。
特に夏場の応援は過酷でしたが、試合が終わったときの開放感は代え難いものでした。
高校時代に触れたスポーツ観戦の影響で、いまでも学生スポーツを観戦するようになっています。
いましかない必死さがプロスポーツよりもひしひしと伝わってくる。
お金を稼ぐわけではないのに、勝つことへのまっしぐらな姿勢が私が好きな理由です。
家事の手際のよい母。仕事が終わるとあっさり昼寝です。
それでも母は塵一つ無く、いつも部屋はきれいで整然になっています。
いまでもときどき母の手を借りて掃除をしてもらっているときがあります。
年を取っても元気で、家事に一生懸命になれるそんな母は人生のお手本です。
私の憧れでもある父は仕事に一生懸命、それでも仕事を早く切り上げて家族と食卓を囲む。
家族で食卓を囲むことの大切さを感じたのはちょうど私が親になってから。
家族で食卓を取りたくなるとき、「あのときの父は…」と父を思い浮かべてしまいます。
共働きで家族に費やす時間が減りつつあるいま、家族との時間を大切にできたらいいですね。
私の地元ではサッカーの静岡ダービーです。
清水ファンと磐田ファンは地域分けされているので、県東部と西部で分けることができますが、
それでも息子のクラスはサッカーの話題でも2つに分かれるそうです。
かくいう私の家族も私と夫がそれぞれ清水、磐田ファンです。
大阪のガンバとセレッソのような例でも起こりそうですね。
母校でボート対決というのがありました。
全校で母校を応援しに行く、エールの交換をするのに当時は一生懸命だったものです。
他県の高校とふれあう機会はボート対決。毎年毎年、どちらが勝つのか不安になったものです。
ですが、どちらが勝ってもさわやかなノーサイドで清々しい気持ちになれました。
自分の限界へのチャレンジがありますね。
私は特別スポーツが好きではなかったのですが、大人になってから始めたランニング。
住んでいる地区の大会で入賞できるまでになりました。
毎日10Km程度のランニング、晴れの日は必ず行うようになってからおよそ20年。
目標とライバルは自分自身です。
母はいまでも私の憧れであり尊敬できる対象です。
身体がどんなに疲れていても、子育てに忙しいときでも仕事をして、家族に不安一つも感じさせませんでした。
家にずっといる母親像が当時はありましたが、いまを振り返ると母の献身さに感心するばかりです。
家族のことにひたむきな母はいまの私を形作ったと言えます。
私のマチでは野球は強くて有名ですが
サッカーはJ1で活躍はしているものの
優勝経験も無く、マチ全体としても盛り上がってもおらず、スポーツ専門店でも野球グッズは多くてもサッカーグッズは一角にしかあらず・・・
もうちょっとサッカーにも光を当ててくれても良いのにと思います。
私の地元横浜でもフリューゲルスとマリノスの応援で真っ二つでした。
フリューゲルスは淡々と、マリノスは活動的なファンでした。
フリューゲルスの経営難でマリノスに統合されるときにはサポーターは心中複雑だったでしょう。
いまでは、「F・マリノス」と略されている「F」の意味を再考するいい機会でした。
私は母親と一緒にジムに通ってます。
どっちが先にどれだけ痩せるか勝負してます!
年齢的に母は難しいかもしれませんが、ライバルがいるとジムも飽きずに通う事が出来ますし
嫌いな運動も楽しく出来てます。
一緒に通えてよかったと思ってます。
趣味で、たまに夜にジョギングをしていますが
歩いたら負け!と思っているので手を抜かずに走っています。
最後のほうは本当に自分との戦いなんですが、やり遂げた後は爽やかな気持ちになります。
自分に勝つというのは成長出来た証拠でもあると思うので、いいですよね。
母の愛情を一身に受け成長した私はいつか母のに親孝行をしたいと考えるようになったのも母が病気になってからでした。
いつも私の行動を見透かしていた母、いつまでも勝てない存在でした。
母が怖いと感じなくなったとき、ちょっとさみしくなりました。
自分が今度は親にならなくちゃいけないのか…と。
いまでも母は健在です。私を精神的に育てて欲しいです。