日本で発見される古代文字に関してです。

本当に発見されたのでしょうか?

・平成三年七月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生前期末の甕棺から、「古代南インドの象形文字」
・紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだ。

などとサイト上で見つけたのですが、
日本で発見された古代文字に関して
・ソース
・その画像
が見たいです。
URLをお教えください。

一番良い回答には必ずイルカ賞を進呈させて頂きます。

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  • 終了:2009/07/15 17:30:02
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ベストアンサー

id:MEI-ZA-YU No.2

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767

ポイント25pt

とりあえずいろいろ検索して適当にURL載せました。


>古代南インドの象形文字

・紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字や

バビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字・・・・


●中国の甲骨文字のルーツと思われる文字

http://74.125.153.132/search?q=cache:u0SMGPJpWbMJ:www.kitombo.co...



●紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字

ここの一番下 ↓

http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

http://www.hikoshima.com/vestige/petrography/index.htm

http://www.geocities.jp/oden1947/image/petro-1.jpg

http://www.geocities.jp/oden1947/zingusokuseki.html

http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/dpFV3QQ6289.htm

下関市 彦島(杉田丘陵)のペトログラフ

1923年、当時「恐れの森」と呼ばれていた杉田丘陵で、意味不明な文様が刻まれた大岩が何個も見つかった。

1933年に、「防長原資料」には杉田丘陵の岩は良く分からない。とりあえず、古墳の一部とする。という報告が出された。

1987年10月、日本言語学会の吉田信啓氏は「古代文字に相違ない」と直感し、歴史言語学者の川崎真治氏に連絡をとった。

川崎真治氏は綿密な調査の結果に、驚くべき次の見解を発表した。

「杉田丘陵の岩刻文字は、シュメール文字と古代バビロニア文字で刻まれていて、古代中国の文字や日本の弥生時代の文字も混在する。このことから杉田丘陵は、おそらく紀元前2500年から紀元300年代にかけてつかわれた古代文字で書かれた、太陽神や地母神への祈りの言葉をもつ神殿だったと考えられる。」



他 

http://lekikenkai.progoo.com/bbs/thread_1.html

>南越の古代文字


http://www.asahi-net.or.jp/~RD7F-ANB/hokkaido/iwamaru.html


http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-21010227/


http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/211.html


ここにも画像が載っています ↓

http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/sonohoka3tyozindai.html


http://www.geocities.jp/eisyuu18/101.html

id:martytaka

おお

ありがとうございます。

2009/07/10 12:32:07

その他の回答4件)

id:IlO10l0Il No.1

回答回数1757ベストアンサー獲得回数81

http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/kamiyomoji.html

こちらのサイトによれば本当のようですが・・・

いくら検索しても同じ文章ばかりでガセの可能性もありそうです。

id:martytaka

あまりにも簡単すぎる・・・

2009/07/10 12:31:54
id:MEI-ZA-YU No.2

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767ここでベストアンサー

ポイント25pt

とりあえずいろいろ検索して適当にURL載せました。


>古代南インドの象形文字

・紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字や

バビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字・・・・


●中国の甲骨文字のルーツと思われる文字

http://74.125.153.132/search?q=cache:u0SMGPJpWbMJ:www.kitombo.co...



●紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字

ここの一番下 ↓

http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

http://www.hikoshima.com/vestige/petrography/index.htm

http://www.geocities.jp/oden1947/image/petro-1.jpg

http://www.geocities.jp/oden1947/zingusokuseki.html

http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/dpFV3QQ6289.htm

下関市 彦島(杉田丘陵)のペトログラフ

1923年、当時「恐れの森」と呼ばれていた杉田丘陵で、意味不明な文様が刻まれた大岩が何個も見つかった。

1933年に、「防長原資料」には杉田丘陵の岩は良く分からない。とりあえず、古墳の一部とする。という報告が出された。

1987年10月、日本言語学会の吉田信啓氏は「古代文字に相違ない」と直感し、歴史言語学者の川崎真治氏に連絡をとった。

川崎真治氏は綿密な調査の結果に、驚くべき次の見解を発表した。

「杉田丘陵の岩刻文字は、シュメール文字と古代バビロニア文字で刻まれていて、古代中国の文字や日本の弥生時代の文字も混在する。このことから杉田丘陵は、おそらく紀元前2500年から紀元300年代にかけてつかわれた古代文字で書かれた、太陽神や地母神への祈りの言葉をもつ神殿だったと考えられる。」



他 

http://lekikenkai.progoo.com/bbs/thread_1.html

>南越の古代文字


http://www.asahi-net.or.jp/~RD7F-ANB/hokkaido/iwamaru.html


http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-21010227/


http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/211.html


ここにも画像が載っています ↓

http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/sonohoka3tyozindai.html


http://www.geocities.jp/eisyuu18/101.html

id:martytaka

おお

ありがとうございます。

2009/07/10 12:32:07
id:kanan5100 No.3

回答回数1469ベストアンサー獲得回数275

ポイント25pt

紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだ。

というのは石に刻まれた図形ペトログリフ(ペトログラフとも言われるが本当は間違い)のことでしょう。

吉田信啓という在野の研究者が『日本のペトログラフ』という本で、中国地方西部から九州北部のペトログリフを調査して、ほとんどを古代シュメール文字だと結論づけていますが、正直言って解釈者の主観に寄りかかりすぎで、「見たい人にはそう見える」という程度です。

山口県下関市彦島の岩刻画。

http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/hikojima.htm

熊本県阿蘇郡南小国町の押戸石。

http://washimo-web.jp/Trip/Oshido/oshido.htm

何かの図形が刻まれているのは確かのようです。

 

一方、これとは別に漢字伝来以前に使われていた文字と称する「神代文字」の石碑というのもありますが、いずれも客観的な根拠には欠けるようです。

下のURLにはその一覧が載っています(一部写真入り)。

http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/sonohoka3tyozindai.html

id:martytaka

おお

ありがとうございます。

2009/07/10 12:32:14
id:guffignited No.4

回答回数361ベストアンサー獲得回数14

ポイント25pt

http://www.hikoshima-guu.net/petoro.html

ペトログラフ

これでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/HikariKasei/20050107

個人的には原始的な象形文字が似通っただけだと考えていますが

id:martytaka

おお

ありがとうございます。

2009/07/10 12:32:17
id:matsunaga No.5

回答回数536ベストアンサー獲得回数87

ポイント25pt

ほとんど出尽くしていると思われますが……。

http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/petoro.html

書籍としては、この本がペトログリフに関する原典ともいえるでしょう。

rakuten:book:10782310:detail

ペトログラフ・ハンドブック―ペトログラフ探索調査手帳

ただし、結論としては、ペトログリフが、「古代南インドの象形文字」だとか、「古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツ」というのは、いわゆるトンデモということになります。これは竹内文書などの古史古伝が超古代日本文明の存在をうたったり、古代日本にピラミッドがあったというような説とまったく同様で、きわめてこじつけの要素の大きいものです。

私自身、古代シュメール文字を学んだことがありますが、象形文字の形が似るのは当たり前の話で、こちらが古いから起源だとか、似ているから交流があったとかいうのは、極めて乱暴な議論といえます。

なお、神代文字については、いずれも江戸時代に創作された文字と考えられます。多くの神代文字がハングルの影響を受けていることからもそれがわかります。「古神道」や「神代文字」は、一見したところ、いかにも中国文化伝来以前の日本古来の文化のように見えますが、実は江戸時代後期の国粋的思想の中から生まれた後世の産物でしかありません。ペトログリフもその流れを汲むものであり、あくまでも事実ではなくロマンとして受け取るべきものだと思われます。

改めてご質問の趣旨に添って回答しますと、ペトログリフのように見える岩の模様が見つかったというのは事実です。しかし、その岩の模様がそもそも人工的な絵なのか、また本当にその年代に書かれたものなのか、あるいはそれが世界各地の文字の原型となったものなのか、といった点については何ら実証されておらず、むしろ、「世界の古代文字の起源」というような説は眉唾である、ということになります。

id:martytaka

>江戸時代に創作された文字と考えられます。

>多くの神代文字がハングルの影響を受けていることからもそれがわかります。

う~ん

ハングルができたのは確かに1446年ですが

実際に広まったのは明治以降なので、江戸時代の人がハングルを使用し

作ったと考えるのも、ちょっと不自然。

明治以降、ハングルを真似てねつ造したのなら分かりますが。。

2009/07/13 12:29:34
  • id:matsunaga
    「ハングルが実際に広まったのは明治以降」というのは誤りです。
    Wikipedia「ハングル」の項より。


    ハングルは大体において民衆の書記手段として広まることになる。とはいえ、実際には民衆のみならず、両班階層の私信や宮中の女子間の公文書などにもハングルが盛んに用いられ、その使用はかなり広範囲に及んでいた。
    ハングルはまず国家的な出版事業において活用された。ハングル創製直後1447年には王朝を讃える頌歌『竜飛御天歌』、仏を讃える頌歌『月印千江之曲』、釈迦の一代記である『釈譜詳節』が相次いで刊行され、次いで1448年には韻書『東国正韻』を刊行した。その後も国家によるハングル文献の刊行は続き、諺解書(中国書籍の翻訳書)を中心にその分野は仏典・儒教関連書・実用書など多岐にわたる。刊行された書籍は各地で覆刻され版を重ねることが少なくなかった。
    (中略)
    主に民衆の書記手段として用いられたハングルであるが、支配層におけるハングルの使用も少なくない。国王の記したハングル書簡としては、世祖の『上院寺御牒』(1464年)、宣祖の『御筆諺簡』(1603年)などをはじめとした筆写文献が現存している。また、李珥(李栗谷)、権好文、金尚容ら両班の文化人が時調(朝鮮の詩歌で和歌のようなものに当たる)を詠む際にも、ハングルが利用された。
    ハングルによる文学作品も李朝を通して世に出ている。ハングル創製初期の詩歌『竜飛御天歌』、『月印千江之曲』は上述の通りであるが、それ以降にも『杜詩諺解』(1481年)などの翻訳漢詩集が刊行されている。中宗(在位1506年-1544年)以降の作品として金絿(1488年-1534年)の「花田別曲」、李賢輔(1467年-1555年)の「漁夫歌」、李滉(1501年-1570年)の「陶山十二曲」など、数々の詩歌が残っている。ハングル小説として本格的な嚆矢となったのは許筠(1569年-1618年)の『洪吉童伝』があり、また日記文学『癸丑日記』なども17世紀から見られる。その他にも『春香伝』、『沈清伝』(いずれも年代未詳)などパンソリを起源とする小説がハングルによる書籍として刊行されたりもした。


    つまり、日本の江戸時代初期には多数のハングル書籍が民衆の間に存在したことになります。
    また、Wikipediaの「神代文字」の項目も参照してください。賀茂真淵らも神代文字を否定しています。

    大体、キチガイの平田篤胤がこういうものを肯定して国粋思想を広めようとしたのが、未だにこういう変なものを信奉する流れを生み出した元凶といえます。

  • id:martytaka
    ハングルが使用された事例があるのは知っていますが
    それが一般大衆まで広まったのは明らかに日韓併合時です。
    中華の属国だった朝鮮にとって、漢文こそが支配層にとっては
    最高の教養だった背景もある。
    公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された
    勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたこと
    に始まります。
    それまでは、ごく一部の人間の間で使用されていただけです。

    (以下、抜粋)
    李氏朝鮮(朝鮮王朝)第4代国王である世宗(在位1418年~1450年)は
    固有の文字であるハングルの創製を積極的に推し進めたが、
    その事業は当初から事大主義的な保守派から猛烈な反発を受けた。
    1444年に集賢殿副提学だった崔万理らはハングル創製に反対する上疏文を提出し
    「自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日
    本・西蕃之類、名有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。(昔から諸地域は風土が異
    なるが、方言に基づいて文字を作った例はない。モンゴル・西夏・女真・日本・
    チベットなどは文字を持つが、これらはみな未開人のなすことであり、言うに足
    るものではない。)」と述べている。
  • id:matsunaga
    ハングルの利用率が低かったとしても、ハングルは存在しましたし、それによって書かれたものもありました。
    この事実は、逆に、神代文字がハングルをもとにして作られたことを強く裏付けます。
    すなわち、「誰もが知っているわけではない文字」をパクって、神代文字を創作したとすれば、それは完成度の高い偽古代文字として使えるわけです。
    日本の神祇関係者や国学者が情報を手に入れる程度にはハングルは使われており、逆に、それをもとにしてでっち上げた神代文字がハングルをパクったとは知られない程度にはあまり使われていなかったということです。

    したがって、「江戸時代には日本人の誰一人としてハングルの存在を知らなかった」とでもいうようなことにならない限り、「神代文字=ハングル起源」説を否定する材料にはなりません。逆に、神代文字=ハングル起源説にどうしてそれほど反発するのかが気になります。

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