神武天皇は、今上天皇から数えて何世代前に当たりますか。



※今上天皇を起点とし、昭和天皇を1世代前、大正天皇を2世代前、明治天皇を3世代前とします。
※要するに、今上天皇のお父さんのお父さんのお父さん……をたどっていくと神武天皇に至るとして、そのお父さんを何回カウントすると神武天皇なのかという数を知りたいのです。
※途中に天皇に即位していない人が入ってもかまいません。
※男系の親子関係のみを世代としてカウントします。兄弟で皇位継承があった場合は世代としてカウントしません。
※実際の血縁による世代数をカウントしてください。たとえば弟が兄の養子になった場合、系譜上では親子に見えますが、世代数としてカウントしません。
※重要なポイントですが、一応、現在採用されている天皇家の系譜に従います。歴史学では欠史八代をはじめとして古代の天皇を実在しなかったとするのが流行りですが、一応すべて存在したと仮定します。また、明治天皇が大室寅之祐だとか、後小松天皇が足利義満の隠し子だとか、天武が天智の兄だとかいった説については今回は無視します。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 登録:2009/07/22 16:33:00
  • 終了:2009/07/22 22:15:35

ベストアンサー

id:youtaiga No.1

youtaiga回答回数61ベストアンサー獲得回数132009/07/22 17:27:39

ポイント35pt

歴代天皇を125代として、今上天皇から神武天皇まで遡ると、71世代前になります。

id:matsunaga

ありがとうございます。

この世代数は数えてくださったのでしょうか、それとも何か出典があるでしょうか。


とりあえずこの数字を確認したいので、もう少し回答をお待ちします。なお、この後はどういう形でその数字を算出したか、あるいは何かに載っているといった情報もお書き添えいただくと助かります。

2009/07/22 17:43:19

その他の回答(1件)

id:youtaiga No.1

youtaiga回答回数61ベストアンサー獲得回数132009/07/22 17:27:39ここでベストアンサー

ポイント35pt

歴代天皇を125代として、今上天皇から神武天皇まで遡ると、71世代前になります。

id:matsunaga

ありがとうございます。

この世代数は数えてくださったのでしょうか、それとも何か出典があるでしょうか。


とりあえずこの数字を確認したいので、もう少し回答をお待ちします。なお、この後はどういう形でその数字を算出したか、あるいは何かに載っているといった情報もお書き添えいただくと助かります。

2009/07/22 17:43:19
id:doji No.2

doji回答回数201ベストアンサー獲得回数302009/07/22 18:22:07

ポイント35pt

http://j-myth.info/database/genealogy_imperial_household.html

緑で塗られている直系の天皇を数えると71代前になります。



あと非常に当てにならないですが、アンサイクロペディアの「神武天皇」のところで「71世の末裔である」という記述が有りました。

項目が項目なのでちゃんと数えてるとは思いますが。

id:matsunaga

ありがとうございます。系図についてはこのページがわかりやすいですね。

数字はおそらく「71」で間違いないように思われます。

2009/07/22 19:08:40
  • id:youtaiga
    71世代の算出ですが、以下の系図をみて数えました。

    『日本史必携』(吉川弘文館)の系図
    『日本史年表』(三省堂)の系図
    Wikipediaの皇室の系図一覧
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%B3%BB%E5%9B%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7
  • id:Shin-JPN
    概ね答えが出てますので蛇足気味ですが。
    今上陛下を「71世」と数える場合と「72世」とする場合があります。

    日本史における「世」は昔からある概念で、まさにこの設問の定義に従った皇統の数え方を言います。
    この数え方は「代」とは区別されます。
    うろ覚えで申し訳ないのですが、大元は朱子学の概念で、私の知る古いところでは、南北朝時代の
    「神皇正統記」で既に使われていたはずです。ネット上で根拠を探すのは難しいですが、日本史の
    学術文献を当たれば「71世」と使われてるものは出てくるでしょう。
    ネット上の資料では
    http://www.k2.dion.ne.jp/~tokiwa/keifu/keifu-kouto-japan.html
    なんかをご覧ください。
  • id:takokuro
    推古女帝期に
    摂政?聖徳太子により編纂された『天皇記』『国記』が
    皇極女帝暗殺した
    大化の改新時に、
    荒ら(一部焼失したとして改竄)され、
    正確な年時期、名前だけでなく
    日本文化の本質的なシンボルさえ
    マッカツにより改竄され(確信!日本神話さえ!改竄してますが
    読んでいくと、
    ギリシャ神話での改竄(全体として文脈が不自然と感じるところ)、
    マッカツらが拝火教、ゾロアスター教で
    それまでの各地域ごとに人類史始まって来、
    大自然との共存の結果生まれた文化や伝承による社会法規?を
    二元論と
    大自然の神を君臨するものとして人格のある神(つまり・・人間)を
    定義し
    (日本の卑弥呼時の社会哲学を後継する天皇制は
     ほんとの漢が世界征服を続ける戎賊から
     追われ日向に至り、
     そこにまた、戎族が追って、
     八咫烏(恐らく・・漢自体が八卦という倭文化からいうと
     ピタゴラス狂の一種でしょうが・・??
     でも!一元のための二元論(つまり、強の為の弱、大の為の小)よりは
     一極集中させない為のバランスを取るために作ったのでしょうが・・
     これが又!根本がピタゴラス視点なので
     マッカツの7国16部族(8部族の陰陽・・つまり、剋す側と相す側とが一体になってる??相す側がターゲットに入り込み、
     やがて、剋すチームが刈り取っていく戦略)で
      中国朝鮮だけでなく
      インドの歴史にもあったように思うのですが・・??)
     初めての天皇とされる神武帝の本来は
     日見子(スッポンのコラーゲンをぐつぐつ煮て、囲炉裏?の火の番をしつつ、
         小高い山でお天気の模様の番していて
         雷雲が発生したら、
         何か鳴り物などで
         みんなに知らせた・・??
         日本神話に姉弟??だかが
         ギリギリまで田植え競争をしていて
         雷に打たれて姉が死んだとかいうお話があったように思う・・??
         葦が生い茂る水辺に囲まれた水田が
         卑弥呼の時代の他世界との大きな違いで
         (水、川のことで川の上流下流の民とも
          穏和な関係を保ち共に協力して維持したことの証拠??)
         多分??それは朝鮮系の秦氏族(河内長野の散策に
         秦氏集落がいつもあったことと
         彼らがのち、機つまり織物、繊維の技術者とされてるが
         それも戎マッカツたの改竄で??
         本来は
         『春』の字-『日』+『禾』イネ=『秦』の字
         で、そもそもが
         稲穂が実り垂れ下がった様を姓にしている・・??
         でも・・
         倭民族≠秦氏で
         それは、子供時分から
         遠足や家族や親戚や博物館の先生方につれられて、
         河内長野ハイキングの際、
         必ず前を通って
         他の竹ノ内峠は大自然の原則に従って
         時代を歳重ねていくのに
         秦氏集落だけはずっと、
         時代を感じない、
         いつまでも壮年のままという印象で
         どんな方たちが住んでられるんだろうと
         出てこられるのを楽しみに、
         のぞき込んで通り過ぎたものです・・
       実は・・すでにマッカツに占拠されていた??
       でも、中学の頃、今ふり返ると、
       歴史上の苗字の方が何だかとても多く(偶々なのもあるのでしょうが??)
       校長先生や兒玉先生や社会の先生方が
       当時、ボーリングなど新レジャーのお金持ちが跋扈し始めた時代に
       お金持ちよりも公務員など地道なご家庭を
       同点なら選んでいますと母がお聞きしたことなど
       今、ふり返ると・・
       当時、学者らにはすでにマッカツによる日本占拠が危惧され
       先生にも何となく、歴史に因んだお名前があって、
       とても!人柄として魅力的な方で
       まだ、中高生には消化できないことがわかってる内容の
       世紀?時代を渡る名著?大切な書物を
       読むことを宿題にされ、
       朝の礼拝でも
       マニュアル社会のように結論を与えられるのではなく、
       気になってしょうがない締めくくりで
       自分の目耳鼻頭と心で感じ、考え続けざるをえない性格を
       そだてられたように思います・・
       今、聖徳幼稚園だとか名前は卑弥呼時代の倭文化を
       戎の襲来に対し
       仏教寺社や法律マニュアルなどで
       魔除け?マッカツ除けをして
       神道文化を守ろうとした(からこそ、マッカツ文化で大化の改新で
       彼の編纂した歴史書である『天皇記』『国記』をつぶされ、改竄?)
       本当は、神道の信者であると思えます・・
       仏教の熱心な信者だと定義づけられる聖武帝も
       細かく見ていくと・・
       周辺に、マッカツらがとりついて、
       不穏この上ない・・脅迫された日常と社会で
       ゼネンコン・マッカツらに
       つぎつぎ、引っ越し先でテロを起こされ
       占いでこの地は呪われてると言うことで
       遷都せざるを得ない状況に追い込まれ、
       また、そこでゼネンコンが自分たちの新天地として開拓をする・・??
       東大寺に至っては・・
       金でまぶさないといけないと言って
       マッカツらの本拠、中国・朝鮮から大量の金を買うように仕向けられ、
       そんなことをすると・・
       それこそ!言い値で買わされ、つまりは完全な奴隷状態になってしまう・・
       そこで・・
       倭時代の蘇我氏の子孫とそれを失脚させた物部氏の子孫が
       婚姻で皇室の一族から
       石川県佐渡市の金山についての人脈から
       日本で大量の金がでるところが亡いか、調べてもらう・・
       で、、結局!越前のところで金を掘り当て、
       それで東大寺の金塗りの金を
       マッカツ中国朝鮮から輸入しなくて済む・・
     何を言いたいかというと・・・
      聖武帝は仏教勢力に苦しめられた帝であった??と言うことです・・

    さて・・
    秦さんですが・・


    NHK熊野古道の遺産に出てくる茶がゆのお婆さん、
     那智の神主さん含め
      今、熊野育ちとしてる人達は
      マッカツ顔だし、和歌山の人の顔、ものごし、発声、間合いではない・・
      海系??・・??
      でも・・昭和30年代の淡路島や北陸の猟師さんが本当の日本の猟師さんにおもので
      日蓮宗だかけたたましい賊らの猟師たちは
      日本侵略の工策員として渡来してきた民・・??・・??
      那智大社の神主役の人の姿勢は
      神主さんの姿勢ではない・・
      戦前、神主さんでいらした郷土史家兼ねた先生たちが
      昭和30年代40年代、
      ハイキングにつれてって下さったものですが・・
      今ふり返ると・・
      本当の剣道をした人達の姿勢と共通してるのを思う・・

    神主さん達、公家?朝廷?に関係する人達が
     平安時代、マッカツ文化に惚けて
     アホ・セレブとして
     戦後、教育されNHK大河で大衆洗脳されましたが・・
     実は・・
     公家たち?朝廷関係の人達こそが
     日本の正当な武道文化を継承??・・??
     子供時分、
     二条?さんという近くのおうどん屋さんのお兄さんの
     下駄を履きながら
     片手にお盆でおどんぶりをのせ、
     自転車で配達されるのですが
     その姿勢と曲がり角などで
     向こうから気づかないでくる人や自転車などを
     随分前から気づいて、先、止まって待ってるくらいの余裕と・・
     我が家に受診された時も、
     配達してもらった時も、
     その美しいものごし(敬語というレベルの美しさでなく、発声?言葉少なで
      十二分の誠実さが表れる・・??)・・
     とても美しいので、
     通りで遊んでいた私には切り取られた絵のように印象深い・・
     文書化してしまうと表れない豊かな会話を出来る人・・
     デラ神父もそうでしたし・・
     この世には、
     アンチ・ソクラテス人がいて・・
     文書化できない豊かなコミュニケーションをする文化を持つ人がいる・・??
     今の、地球や宇宙を追い詰めていくアリストテレス的?ピタゴラス狂的文化は
     文書化できる範疇のことしか、
     ものごとを決定する時の条件に考えないから・・
     それに漏れる文書化しにくい、できない大自然が生命発生へ至らせた長い年月の中で完成された精密に網羅してるリスク回避システムを
     無残に!不躾?横暴にも踏みにじってしまってる・・・??・・??
     
     


      
     和歌山の山に住む歳よりは
     高野山系のためか・・??
     尼さんのように物静かで慎ましい・・


     高校時分、隣通し?前後の席だった秦さんの印象で
     本来の秦氏族をイメージすると・・・

     とても整った、でも自己主張しないハデでないシックなオシャレで
     踏み外さない物静かな、どちらかというと・・『陰』の魅力を持った方で
     表情豊かと言うよりは
     心遣いの細やかさとは裏腹に
     どちらかというと・・無表情?という印象がつよく
     慎ましやかで
     私の突拍子もない失敗には
     どうしてこんあことを・・というような
     困った笑い方をされたのを覚えていて・・
     私自身は、何をしたのか覚えていないのですが・・
     当時から、渡来系?的な整った美しさがあり
     とても“熱い世代“で球技大会などクラスで勝つことに意欲を燃やし、
     クラス委員はよく感極まって泣き、そんな中で
     当時の私には
     フシギだったどんなときも冷静な目が彼女の特徴だったのを思います・・

    秦さんの字の説明から想像すると・・・
    春・・・
    春日局、鹿関係(中曽根勢力が重視してきたシンボル??鹿島建設??)ですが

    『秦』という字よりも後に日本へ来たのではないでしょうか・・??
    日本に四季というピタゴラス視点を運んできたのは
    『夏』と『冬』がまずあって、
    その間の『春秋』は
    『合』と子供時分、常用したのを思います・・
    母は、秋春物を『合もの』と柳ごおりに書いた札を入れていました・・

    何となく・・
    資本主義化がまだ途上で
    秋色と春色の分化が出来ていなかった・・というよりは・・
    マッカツらが
    『合』をひとくくりにするより、
    別にすることで
    資本主義化促進に利用??・・??

    また・・
    日本人が
    『春秋』を戦いの代名詞でもあり
    使うのを倦んだのではないでしょうか・・??

    春と秦の違いの
    日は拝火教から由来し??or
    マッカツ太陽賊らが
    『春』をある時期、利用し、
    拝火教をのち作ったのかも知れない・・??・・??

    デラ神父の最後の著書?は『落ち葉』・・・
    亡くなられたとされてる日に発行されてる・・

    京都に板時分、周二日、山科の滝川先生のお宅に
    英語のレッスンという名目で・・??
    お食事(母が、小柄ながら大変な食欲をもつ私が
     慣れない寮生活でひもじい思いをするのが不憫だと
     週末は帰宅しますが)
    やおやつを頂戴した??
     先生のご主人様の滝川春雄当時阪大法学部学部長(学生運動真っ最中)のお父様で
    テーブルでおじさんが座る席の上に
    たれ壁にいじさんのお父様の滝川事件の滝川教授(鳩山一郎文相時代の事件!)写真が飾ってあり
    当時、そんな事件を聞いたこともないし
    想像もつかず・・
    ただ、読売新聞の記者に撮ってもらわれたというので
    どんな偉いことをした人?とお聞きし
    外国に留学し
    メタセコイヤを3本持ち帰り、
    一本は大学に
    もう一本は兄弟植物園に
    後の一本が
    息子の新居でもある山科の先生のお家が
    義父が大好きで植えて下さったそうです・・
    とても生育は早いそうで
    先生が大切にされていた
    イギリスの皇室のお名前のついたバラが大木の足下のお隣で咲いていました
    (今、マッカツ系セレブごのみではやってるイギリス風ガーデニングではない・・)
    (歴史を考える際、デラ神父はキーワードを残して下さってる・・
     新渡戸稲造は近衛が漱石を求めて入学した一高校長となり、
     漱石を文麿を会わさないように
     朝日新聞へ移させてる・・
     新渡戸はオプスデイ系の人物??)
    メタセコイヤについて・・
    デラ神父は、巨大なセコヤの杉の木(red-wood)について・・
     この巨木の根は実は地面の浅いところに根をはり
     イタリアの東北で生まれ育った神父様には
     大木はねを地中深く張ると信じ込んでいたので
     とてもフシギだったそうです・・
     でないと、嵐や台風、竜巻で木が倒れて、大木に育たないとおもってらしたそうです・・
     セコヤは小さな森床建ちだけに育ち
     無数の根が地面の下で互いに絡み合って
     支え合ってるそうです・・
     楠との違い・・??・・??

    そう言えば・・・
     植林の杉の森の下はとても心地いいシダや下草があり、
     とても気持ちよかったのを思い出します・・
     (植林ですから、殆ど、杉ですが・・
      楠のように殺伐とした荒れ地で勝ち残るイメージがありません)
     松もいい香りと松ヤニで昆虫採集だけでなく
     居るだけで幸せを感じる・・
     街道沿い、海岸に植林されたのも日本にとって大切な風景です


    本来の質問のテーマに戻り・・・
    マッカツらが拝火教・ゾロアスター教で
    作り上げた人格神(教祖?)の権威で
    その社会の君主の上に立ち、大衆を奴隷化させ、
    富と権威を掌握するために
    以降に派生した四大宗教は
    聖書シナリオなどで改竄された歴史?
    ギリシャ神話などと同じで・・

    日本の神話物語も
    マッカツにより随分書きかえられてるが。。
    どうも・・神代紀と言われる淡海三船が改竄した天皇記も
    実在、していて
    神話とのリンク性がある??
    そこから、無理のある改竄を省き、
    当時の前後の歴史、中国の記録とのつじつまなど
    漢字のついての歴史
    などから考えると・・
    削除されたり付け加え(顕宗は金一族の完顔允恭?)完全に!られたりしてるし、
    ゼネコン仁德帝、土葬系天皇のときの
    結婚で
    マッカツ嫁が入った??允恭帝??のときに
    この期に姓氏の人事クーデター歴史改竄?
    のっとり?
    盟神探湯クカタチ(迷信?占い?)で
    姓氏の混乱をまねく
    クカ苦果・・・(悪行の果報→罪)
    タチ探湯→断ち→断定?
    支那契丹哲学の二元論カルトに冒された?伊勢神宮のカルト神道で
    人事クーデターを起こすための
    神明裁判(劇薬?熱湯?に手をつけさせ正悪を決する裁判??)
    売り文句=神明に横道なし?(実は反対?)
    神になることで
    やりたい放題が
    行われた魔女裁判?)など、
    相当に拝火教のちのナチズムらが日本の皇室にも侵入してる
    でも!混じらないように、イヤイヤ仕方なく
    迎え入れざるをえない?or色欲戦略で入り込むだろうが
    皇室の周囲が
    それで混じりきらないように努力し、
    それが南北時代→春秋時代の戦いへとなる・・??

    天皇は代々、暗殺されて、短命だし、
    古代は女帝をサポートする武鑑として神武帝はじめ、
    天皇だったことで
    本当は女帝が基本であったような気がする・・??


    結論は・・・

    現在定義されてる以上の相当な帝数があるということと、
    帝の定義自体が
    今おもってる、統べる?総べる?皇子→スベラ皇子→スベラ皇子→天皇とは
    違う意味をも含むこと・・??

    天神は天照大神の略だとすると・・
    日本神話で
    天照大神にしたのが
    マッカツらの太陽賊だとすると・・・??・・??
    日見子を天照大神にして
    のち、仏教勢力が卑弥呼として
    弥陀の弥を当て字にしたのなら・・??

    本来の倭民族の発想から言うと・・
    日見子という単純な素朴なネーミングだと思う・・??

    天神を菅原道真にアレンジさせたのも
    マッカツらで
    菅原氏勢力は
    推古女帝時に、
    イエス処刑されたとし、
    パウロ(ギリシャ時代のプラトン??をアレンジ)が伝道時代で
    西アジアがローマの実体経済と軍事力を掌握し、
    政治を裏で采配していたとき
    ローマ暦(太陰太陽暦)をユリウス暦(太陽暦、つまり、太陽からすべて真実がもたらされるとして太陽信仰が発展??)へ移行させ(BC45年1/1)たが
    (そもそも、ゾロアスターは太陰暦の暦で占うアジアのマッカツ戎賊を嫌って、
     太陽を讃え、太陽信仰を立てたが
     すぐに、
     マッカツらはいつも通り、
     それを自分たちの方針へアレンジさせ
     のちの太陽賊・拝火教にしてしまう・・
     仏教を唐で占領政策にアレンジしたのや
     神道を
     赤くして大きな建物を建て
     マッカツ哲学にして御利益宗教にしたり(お金儲け、商売、受験合格など)
     カトリックをマニュアルだらけにしてマッカツ化させ
     パリサイ派化させ、
     やがて矛盾で崩壊するように仕向けていったこと・・
     兎も角、
     ゾロアスタ教から派生したのは
    仏教含め
     前世により現世を振り回され!
     来世(天国)のために、現世で地獄の思いを受け入れさせられてる・・??
     つまり・・奴隷化するための戦略?? 
    東アジアは
    戎賊らが日本の月(電気のない中で
    大自然を尊重する倭文化で
    薪も大量には使わないし
    山を崩してまで石炭や石油も掘らないので
    夜の明かりは
    月に感謝して
    月夜でない時は
    とても哀しむ・・
    楚の月文化に介入する為に??
    マッカツらのマッカツ・アジア勢力は
    太陰太陽暦を以前として使い続けてる・??
    そう言った、垂仁帝時代に・・
    天照大神(実は、日見子?)の祠を
    大和の笠縫邑??から
    伊勢の五十鈴川に遷させたとされるが
    (垂仁御陵のちかくに居て子供と遊び場だったときに、
     どなたか通りすがりの方から
     昔、祠があって伊勢神宮へ持っていかれたと聞いたことがある
     何となく・・ドロボーされた印象をもって聞いたのですが・・)
    でも!垂仁帝の陵は
    奈良六条にあり
    この辺りは鎮守の森(守)でドングリが多く
    よく拾ってあそびまわったものですが
    その鎮守の森の一角に
    唐招提寺(はじめは招提寺というネーミングで学僧の留学生会館として小さく建てられたのが
    どんどん、増築していって
    主屋を乗っ取った・・?!?・・!)
    唐招提寺に付属した見たいに見える鳥居があり
    そこに通じる鎮守の森に
    たぶん??神主さん??がすんでらして
    自転車があって、
    タオルだかが干してあり
    人が住んでるのがわかるけれど、
    どんな人なんだろう?と気になって
    5㍍くらいまで近づいたのですが、
    (とてもひっそりしてらしたので
     きっと、在宅なら闖入者に気づいてられるはず・・と思ったので
     そこでドングリ拾いして
     先方が気が向かれたら
     きっと出て来られると思ったし、
     タオル?手ぬぐい?の干し方が
     真っ直ぐで
     鎮守の森は手が入らず鬱蒼としてましたが
     何となく・・・
     出来る範囲で
    お家の前は
     何か、江戸時代か大昔の人の家の前のような感じ??で
     清浄?心地よさ?すがしさが感じられ・・
     虚勢はもちろん!怖さや威嚇は感じられませんし、
     最近のお祭りでよく見かけるお祭り集団に感じる不浄な
     心根?魂胆?を感じがなく、
     失礼で踏み崑ではいけない感じがありました・・
     六条町に
     子供時分から見覚えのある市大の博物学の先生や
     黒部ダムを設計した方のお家があり、
     のちのち、そこから引っ越すときに
     夕方、不動産屋さんへ子どもを抱いたまま入ると
     社長で当時の商工会議所会頭だとおっしゃる方が
     ハガキより小さいくらいの大きなお名刺を頂き、
     黒部ダムの関係者の方の右京のお家を
     お借りするというので
     六条のおうちにご挨拶に伺ったことがあります・・
     この右京の一角は黒部ダムの関係者の方々がお住まいで
     お借りしたお家は
     この学者さん??が分譲された土地ですが
     期限までに建てないといけないというので
     セキスイのモデルハウスが当たられ、
     アイランドキッチンで給湯器のある
     ハイカラなお家に住まわせて頂いたことがあります
     (たぶん、今ふり返ると・・・
      戦前、セキスイこそが実はマッカツ工策員として
      明治期の理化学研究所の流れで作られた会社?資本?で
      大英時代には
      英スコッチにも
      粘着テープ類の技術やスポンジなどを教え
      英スコットランド経済を樹脂系技術面で動かす手段??とし・・??
      日本では、
      大財閥日窒コンツェルン(現、チッソ、旭化成、信越化学工業)を
      破綻させるあために
      技術をもって入り込み
      戦争技術で鼓吹させ
      戦後、財閥解体させ
      1947年3/3、(倭文化では弥生の節句、マッカツらには桃の節句)に
      「積水産業」として創業
      そして、カネボウに接着技術で入り込み
      一時、建材として木を接着剤で継ぎ合わせたのが
      松下建材やツーバイーフォーはじめ
      あちこちの建築業界で多用され、家具にも好まれましたが
      その接着技術をカネボウに入れた時に、
      カネボウ(紡績と化学工業)が
      カネミ油事件などをおこされ
      解体されていった・・??・・??
      樹脂系というので・・
      台湾でヨットのカーボン部分を会社が
      フィリピンのヨットクラブにも繋がり。。
      ローレックス(金の王冠)にも繋がり
      アフリカで英金山ダイヤモンド鉱山から
    流通を支配したボーア戦争の本当の意味は・・・
    実は英セシル・ローズこそは
    実は敬虔な一種の世俗界でのブラザーとして
    独身を貫いたカトリック精神で
    ローマ教会を守る為に人略した人ではないだろうか・・??・・??
    敵対した蘭、仏は
    実は、アフリカから搾取する勢力で
    それを食い止めようと・・
    セシル/ローズは戦ったのではないだろうか・・??
    でないと・・・
    彼の人生はあまりにも欲がなさ過ぎる・・・??

    ローマ教会が
    オプスデイに占拠され、
    以降は、ユダヤ人としてカトリック信仰を堅持しようとする勢力が
    ユダヤ人というネーミングで
    分派したのではないだろうか・・

    千阿弥系の利休やそのあとの茶屋四郎次郎代々らは
    有馬氏や大村氏らをつかって
    天正期には天正遣欧少年使節で
    賢明で理性的で論理的でもあったフレゴリウスⅩⅢが
    仏、スペインに巣食うカルト、魔女裁判や火あぶりや拷問を楽しむカルト集団を
    徹底的に整理する方針を次々出していく
    グレゴリウス暦をだし、
    次代の教皇におさまる私欲煩悩深いシストⅤに
    情報偵察に使わすが
    そこで
    シストⅤは
    敵のスペイン・フィリップⅡになびき、
    天正遣欧少年使節をつかって、
    グレゴリウス暗殺計画を遂行する・・

    4人のリーダーが千々石ミゲルで
    明治期、西園寺を十代で十年間、仏留学させた大村陸相の先祖?
    大村純忠??
    有馬晴信の父と
    純忠とミゲルの父は兄弟・・
    帰国後も千々石ミゲルは
    天草でイエズス会士になり
    脱会し
    島原の有馬氏(実際は法華経=日蓮宗=多くの朝鮮半島の人の仏教?)の指示で
    キリシタン大名・大村喜前(のち西郷ドンの親戚??)につかえ
    伴天連追放させ
    その後、大村に追放され有馬氏の元に亡命するが、
    有馬氏も口封じに殺そうとし、
    結局は、長崎で隠れ住んだという・・
    千々石ミゲルの四男・玄蕃が
    妻が死んで翌々日に死んで・・
    お墓はキリシタンの墓地だというので
    晩年、再び、キリシタンに戻ったのではないかという・・??
    恐らく・・
    弾圧で死んだ??

    実行犯の中浦ジュリアンは帰国後、
    秀吉に千阿弥系の利休に拐かされ?
    朝鮮半島から大量の民や諸技術集団を
    5000人単位で移民させルのにリーダとして采配した小西行長(法華経)につかえ
    関ヶ原で
    家康に負けると
    家康に茶屋四郎次郎が武器流通としてもブロックしてるが
    拝火教系ナチズム、オカルトの魔女裁判などへの怒りは強く
    耳に届いていて
    ローマ教皇グレゴリウスⅩⅢ殺した成りすましカトリックの法華経集団に対して厳しい追っ手をつけた・・??
    1601年、ジュリアンはおっとりした伊東マンショとろもに
    マカオ、フィリピン??に渡り
    そこで潜伏・・
    家康を表向き引退させた茶屋四郎次郎(隠れ法華経?日蓮宗??)は
    ジュリアンを長崎に呼び戻し
    京都/博多で宣教という名の下で
    工策活動をさせる
    1608年、司祭として
    博多で天正遣欧少年使節をかつて告発したラモン神父の元で
    仕え、
    幕府のちゃや史朗次郎から幕府名で出される禁教令に対策し
    宣教師の国外追放令の船にのらず、
    日本に潜伏する・・
    マッカツ系実は法華経精神のキリシタン??高山右近!が国外に出る(大阪大司教の教会が仏系司教らが歴代)
    拝火教系ナチズム系の茶屋四郎次郎、
    京都でキリシタンを
    火あぶりに処す・・

    法華経・・
    イチイ科の伽羅キャラがシンボル・・??
    ←梵語タカラ(宝)
    確か・・・
    ★プゾル・ミネルヴォワのサン・サテュルナン教会(別名「サン・セルナン教
    会」):
    ミネルヴォワ地方のロマネスク教会共通の
    ロンバルディア帯
    のアーチには『黒い玄武岩』のラインが装
    玄武=スッポンにヘビが絡みついた状態・・?
    イチイ(唐制笏の材)樹木が植えられた墓地があるそうだ・・
    法華経のなごり・・??



    なお・・・
    信長を支援したポルトガル宣教師は
    グレゴリウスⅩⅢ勢力から送られてきて??
    伊賀に苦しめられてる志摩国の
    滝川一正が
    信長をサポートしている・・・
    この滝川一益の流れで??
    or信長に出入りするポルトガル勢力との繋がりで??
    滝川一益の働きがあり、
    一向宗という叡山僧兵らも渡来系の拠点だったため、
    たたきつぶさないと
    狙われていたからの叡山征伐のようで
    宗教寺を単に弾圧したという視点は
    おかしい・・??・・??

    また、
    信長も惚けていたのではなく、
    仏教に洗脳されてる弟たちを
    跡継ぎにしようとしてる一族の勢力と
    事を分かちて争うことを避けようと
    意図的に惚けを演じていて
    それを
    父が信長の聡いのを知っていて
    教育係を命じられた二番家老・平手政秀(茶道や三条西公条門下で
    後奈良・正親町帝の朝廷内大蔵相の人脈広い山科言継とも和歌つながり、
    朝廷との交渉係、斎藤道三の濃姫との縁談仲人、
    家業の有職故実や笙、製薬、蹴鞠から、漢方医学、酒宴、双六など多彩で
    つまりは・・織田家の外務大臣?)

    そんな小さな個人的な近親思いや感情や正義感ではなく、
    今は仏教という美名の元のマッカツ勢力が
    日本を占拠しようとしてる一大事だと自決して戒め??
    以降、信長は決意・・??
    尾張を治めた頃??から・・
    滝川一益の積極的なサポートが目立ってくる・・
    九鬼氏ら海賊?勢力の紹介・・

    気をつけたいのは・・・
    この時に、
    滝川一族が
    伊賀忍者系勢力とずっと隣接していて
    苦しめられてきたこと・・・
    現、伊勢が
    松阪や旧満州系の四国系の人達、
    企業で言うとセキスイ、松下、、
    亀山シャープもそこから近い・・・
    ことが当時の戦いと全く無関係とは言えないような期がする・・・??
    尾張の滝川一益を頼って、
    甲賀の佐治新助(現、サントリー?先祖?)は
    尾張にでる
    未だ調べ忠ですが・・・
    滝川先生のご主人様のお父様がメタセコイヤを植えられたというのが
    ヒョッとすると・・??
    杉が滝川先生一族?志摩国のシンボル・ツリーななろうか・・??・・??
    それと・・・
    先生のお宅滝川事件の教授だったがお父様が
    気に入られた山科のお宅だったこと・・・
    山科は
    信長に命をかけて育てた平手に
    出入りした山科言継の所領で
    言継の叔父で摂政である
    坂本にすむ前関白・近衛稙家のひとことで
    将軍・義輝生母が稙家の妹と言うことで
    実際は将軍・義輝は近衛稙家とは
    穏和で事を治めていたこと・・・
    また、本能寺の変後も
    子息を二条城(後醍醐帝系)に確か救い出したこと、
    また・・
    昭和60年代に行った緑の村の白峰村には白山信仰の参詣宿場村がありますが
    そこには驚くほどの!織田氏のお家が多く、
    偶々、その時の前、前、前村長さんのお葬式に
    緑の村で初めての飯盒炊さんでお世話になったバイトをされてらした学生さんのお家が
    その寺町で一番古いお寺で栗の河原があるというので
    連れてってもらい、
    丁度、昔式に駕籠でお葬式をなさるのを
    教えて頂いて夜、拝見しました・・
    その時は、
    瓦が腐りにくく軽い栗を使ったと言うことでしたが・・
    今、ふり返ると・・・
    『栗』の着く地名には・・・
    どういう分けか・・??
    栗栖などキリストを込めたところが、
    偶々なのか・・・いくつか気になっています・・・
    カトリック系だと思う方もいますし、
    スペイン&蘭仏系オプス系のキリスト教とがごっちゃになってますが・・・

    信長?織田氏は
    本当のカトリックだったのではないだろうか・・??
    カトリック信仰を
    ユダヤ人として生きたから
    本当のカトリックに戻る為には
    どうしてもユダヤ人には
    イスラエルが必要だった。。??
    それなら・・
    ナチス、ナチズムらオプスデイ系残虐火あぶりオカルト集団が
    ユダヤ人追放に執念を燃やしたのも理解出来るし
    その残虐さも納得できる・・・??
    ただ・・・
    オプスデイに占拠されたローマ教会でも
    前パウロⅡの正確な名前は
    ヨハネ・パウロⅡだそうで
    論理派のヨハネはアリストテレス哲学のシンボル??とすると
    プラトンとアリストテレスなどのピタゴラス系との
    折衷教皇がパウロⅡということになり、
    私たちはヨハネを抜かしてパウロⅡと慕っていた・・
    ギリギリまで、
    就任し続けられたのも納得できる・・・

    その間、多くのカトリック信者の大衆は
    何が教会で起こってるのか分からずに
    平和で暮らしていたのですから・・??・・??

    千という時の意味・・・
    十はクロスでもあり、
    Jewユダヤ人に名付けた・・・??
    百は白をイメージし、
    663:かつて皇極女帝が暗殺され
     神武女帝の元で
     聖徳太子が編纂した『天皇記』『国記」が焼失され
     紀氏(マッカツに懐柔され
        各地で理論的な編集事務能力がかわれ、
        紀貫之、 
        日本の歴史を込められた歌の編集、改竄を命じられ
        土佐赴任から帰郷して『土佐日記』などをかく
        彼自身の歌は理屈っぽくつまらない
        のち子孫らにより改竄
     大化の改新クーデターでマッカツ政権が
      孝德帝をたて
      倭から難波へるが
      奈良桜井付近の岩氏?伊和氏?磐氏?が
     長柄川の人柱にされた話しが
     『もの言わじ父は長柄の人柱、
    鳴かずば雉も射られざらまし』・・・
     小学一年の時、社会の副読本で大阪の町というのがあり
     それを配られた時に
     大阪市?府?の『澪つくし』のシンボルマークは
     実は人柱の思いが込められたマークだと
     先生はおっしゃられ、
     とても哀しく感じたことがある・
    『もの言わじ父は長柄の人柱、
    鳴かずば雉も射られざらまし』・・・
    たぶん・・このことだと思う・・
     日見子のゆかりの倭桜井の長?磐氏伊和氏?が
     マッカツ勢力に難波に宮を遷都したさい、
     長柄川を鎮めるというのを
     沈めるといったと言葉尻をとり
     人柱に処刑された・・??・・??
     マッカツどもならではの残忍で卑怯な歴史から言うと
     あり得るはなし・・
     火あぶりを批判したら
     水攻めをする・・・
     かれらは根本的にどう猛・・??野蛮・・??

     この皇極帝、
     通称は『カル軽』・・・アホというニックネーム??
    父は茅渟チヌの王オオキミの①皇子
    皇居=摂津国長柄の豊碕宮
    当時の摂津は
    東住吉区の山坂神社あたりまで??
    子供時分の遊び場の神社の古い石の裏に『せっつ』と掘られていて
    ここは大阪難波か和泉だとおもっていたので
    気になっているひとつ・・・
    皇極女帝が再度、
    斉明と言う名前でが即位し、:
    659:出雲大社の造営を祝し、
       宍戸国(長州)国司が白雉を捧げ、
      “大化”(大化け!)から“白雉”元年に改元される
    661:斉明女帝、
      藤原鎌足、中大兄皇子らに暗殺され、
      中大兄皇子、天智天皇として即位し
      改竄された『記紀』を『日本書紀』として公式に承認
    663:マッカツの天智帝、
      神武帝来、神武帝の故郷日本との友好国だった百済に
      唐・新羅らと謀り、
      全滅させる(白村江ハクソンコウの戦い)
      つまり・・・天智帝は唐系(闘鶏??)・・??or新羅系??
      百済は白唐ネーミング??
      神道では白、白木は神様にささげる色・・??



      伊賀系??
      偶々なのか・・
      イオン系の人が
      セキスイの役職者とお友達だという方と
      当時のサティ(現、イオン??)数年前にお会いし、
      お話ぶりからすると・・
      とんでもない、マッカツ的セレブ的な独裁的な印象をうけ、
      インフラ企業ですのに
      周辺にこういうマッカツ臭い人達に囲まれてると言うこと自体が
      胡散くさいなぁ・・と思ったことがあります・・
      電気原発勢力にも
      ガス勢力にも両方ともに出資し
      世論の流れでどちらをも利用し、
      結果的に、自分の思う方へ向けていく・・??・・??
      当時のサティには
      明らかに、スリ?万引きが横行してるだろうというくらいに、
      広い売り場に店員さんが少なく、
      しかも商品は比較的、デパートにも置かれるいいものが
      置かれていて、
      あれでつぶれないのが不自然だと
      誰もが感じた経営方針だったのを思います・・??

      そんな会社を税金でまかなうことに疑問を感じる!??
      カルト宗教の言葉遊びにかまけていて
      現実回避してる?? ヘン??
      
    公明の中に唯一、日本人視点の冬芝氏が
    民営化だか教育三方だかの強行採決で
    非民主主義的意見を吐いて、
    本性を現した田中康夫という強豪を
    最近、やたら、スウェーデン系核兵器武器産業国家の
    イケヤやトスコなどが
    尼崎で開店し、
    我が家でも
    北陸に実家のあるお父さんの飛んでもないマッカツ\セレブの
    弟のお嫁さんが
    阪大の医局秘書を
    小林一三氏邸に深くお茶で入り込んでる方の紹介で
    就職し、
    確か大学は渡辺ミッチーらが関西で最初に作り上げた同窓会ネットワーク?会??の甲南大だった??
    卒論も青少年期の性的なことをテーマにしていたとか
    披露宴で行っていたと思うが・・
    お兄さんもオリックス丹羽氏らの三和銀行・・・??
    ヘン??・・??
    小林一三氏の集められた茶器として拝見して
    あまりにお粗末だったのに驚いたことがある・・
    これほど、お茶室など立派に整えられて
    どうしてお道具がこんなにも貧相なんだろうと、
    7/8年ほど前、驚いたことがある・・
    今、思い浮かぶのは・・
    裏千家の業躰さんなる人が
    昔からの茶家に伝わるお道具を集めていて
    加賀と伊勢とが
    この業躰さんが君臨するところで
    これらの場所で
    お茶事で遊べるという・・
    お茶もいいのが手に入るという・・・??
    京都で甘党屋さんとしてずっと親しんできた文の助茶屋が
    辻利の甘党に高台寺の場所換えさせられてる経緯から
    辻利はマッカツ的思考を感じる・・・
    雑誌広告で宣伝し
    若(バカ?)者らに並ばせ、
    有り難がらせて
    甘党でありながら、
    抹茶風?にメニューをリフォーム・・・
    お茶の流通自体が日本中でつまらなkなった時期と重なる・・
    それまでは土地土地のお茶の美味しさがあり
    どこかへ出かけると
    そこのお茶屋さんを探してお土産に帰ったものですが・・

    辻利がこの業躰氏らとマッカツ系狢で
    お茶の流通を独占してる・・??・・??
    辻正信・・戦中、英と日本の兵隊を
    互いに戦わせて殺し合いさせる時に
    無残な作戦を打ったマッカツ系人物・・
    沖縄の『茶にしずく』石けん資本も仲間??・・??

    公明内のマッカツ勢力と民主党マッカツ勢力が協力し、
    マッカツ、ナチズム、ファシズム勢力の太田氏ら北側氏らには
    民主は選挙協力してる・・??

    尼崎ではマッカツ知事・田中氏を間違っても当選させては
    神戸が
    マッカツに占拠されてしまう・・

    この際!、冬芝氏も
    公明から脱退してきれいな身になった方がいいように思う・・
    不要な尽力がなくならないだろうか・・??

    マッカツらの見分け方は・・・
    『安倍&渡辺氏&公明&吉本&山口系らの
     竹中経済を
     小泉経済』と定義づける人・・!

     




      
    さて・・
    菅沼氏も・・・
    この仏教勢力が猛威をふるいはじめる垂仁帝期に
     防衛大臣として立派な采配をふるっていた当麻蹴速を失脚させようと
     神武帝の弟・素戔嗚尊ら子孫が
     すでに主権を握ってる出雲国から力自慢の
     野見宿禰ノミノスクネが相撲で殺し、
     時分が防衛大臣職につき、
     倭文化を継承する蹴速が統治していた
     大和国当麻(or河内国)の地をもうばい
     垂仁朝に黒幕として君臨??・・??
     (のち、マッカツ系成りすまし日本人が
     7/7をめでたく、自分たちマッカツ系が
     倭の軍部を掌握した日として
     祝い、
     中国にも七夕として星神話をつくる・・??・・??
     皇后の葬儀で、
     垂仁御陵近くの地は
     県立病院の庭でも
     昭和60年代までは
     遺跡というので開発されないままだったので
     雨が降ると水たまりが出来、
     畑をするのに掘り起こすのですが
     10㌢も掘ると
     真っ赤な赤土の粘土層が出てくる・・
    (一刀彫りや赤肌焼きの窯がいくつか近くにあった)
     この赤土(埴ハニ→ハニかむ(赤面する)
     万葉集『大和の宇陀のまハニのさ丹つかば・・』
     これも、、当時、倭の人が真実を見分ける時に
     顔色で見極めたのを
     のち、マッカツらは
     下世話に女性が外で男性と寝て、土が顔についてという
     マッカツ視点での解釈をしてる・・??)
    その赤い粘土土で
    たぶん、
    (関係ないですが・・調べていて・・
      我が家に出入りし、
      父に不動産を紹介したり、
      十三軒吉向さんの曳舟をもってこられ、
      神主さんや色々な資格を持たれてる千種さん・・
      この方にも『千』がつく・・つまり・・・千阿弥系・・??
    成りすまし?拝火教系素戔嗚尊系の神武帝系の
    日向高千穂の『東征』伝説に出てくる・・
    母や私の居ない診察時間を狙って受診し
    コソコソと父に飛んでもないことを耳打ちして
    結果、上六に住むことになってる・・
    さて・・
    拝火教系の民の特徴の残忍性が
    以下にも表れている・・
    BC663?(戊午)6/1?(乙未朔)、
        クモ池周辺で名草(名草姫)の戸畔トベを討ち、
        頭、胴、足がバラバラにされ
        民は頭は宇賀部神社(別名おこべさん)、
        胴は杉尾神社(別名おはらさん)、
        足は千種神社(別名あしがみさん)に埋葬され
        紀氏が統治し紀伊とす
     千種氏・・・
       千阿弥系統・・??
       一族がつかってる号に千千廼舎(千の舎弟??・・??)
       『人十能之、己千之』
       “己”・・・象形文字で糸先がぐるぐるまがった形
            “紀”の基字
            “おのれ“=自分の相手をののしったり怒りをもって言う語
                 (傲慢、闘争的?→倭の文化ではない??)
            “土のエ(弟)”=元々は十干(数字が出来きるまでの数字の役割)の6つめ=己
            “土のト(兄)”=元々は十干の5つめ=戊≒戎=そもそもは倭国と安保協定をもっていた??漢??の神武帝が
           のきなみ全てを支配下におくという統一信仰をもってる戎賊に襲われ、
           漢が後漢に国が改造?(人事替え?)され
           漢の武鑑??だった神武帝が
           安保協定していた卑弥呼(日見子)のもとへ
           かけつけるのに
           まず、日向に立ち、
           そこから北上するのに
           かつて加羅(カラ、任那ミマナ)で戎マッカツと
           戦った地理や地形に感と経験ある八咫烏(巨大なカラス???大きな体格で
           カラスをシンボルにしてる??アンチ拝火教の武鑑?
           カラス→火の消えた?火を消して作られた?“炭”の
              黒の意から
              VS火の鳥信仰のシンボル?)の指示?で
           日見子たち桜井の社会までたどり着き
           その山に阻まれたところのはずれの
           出入り口となるところで       
           橿原(モチノキの原っぱ?)に宮(橿原宮)をつくり、
           日見子社会に蛮族・戎賊が入り込まないように
           村周辺を防衛・・??
           やがて、戎賊がきて、
           戦いになるが敗戦し、
           神武帝、卑弥呼を連れ、大山にまで逃げ延びるが
           生まれてすぐの子は
           長旅に耐えないというので
           乳母に預け、桜井に残し、
           戎賊がその赤ん坊を神武帝として
           樫の木がはえて、炭を作りやすいところに
           新たな橿原神宮カシハラ宮として
           ゼネコン力で大きな宮を造り
           天下を統べる生き神のシンボルにして
           成りすまし神武帝社会を構築・・??し
           大衆から搾取社会をつくり、
           倉を大きくしてどんどん富を自分たちに集中させ
           自分たちを権威づけすることで
           格差を明確する・・・??
          (本当の日見子と神武帝社会と全く違う資本主義勢力が
           桜井社会のごく少数トップの指導者として君臨・・
           同時に、)   
        
       日見子の
          
             

     紀氏・・・
        一夫多妻でマッカツらが
        マッカツ系で天皇についた応神帝に
        マッカツ族が次々女性を与え
        こぞって、朝廷の血族になったときに出来た??氏族ということを
        昔からの氏族と改竄おうと
        神話を書きかえている??・・??
        上記の話しには
        日本の神話の特徴の大らかさ、健やかさがなく、
        改竄されてると言う視点・・・?    
        
        (つづき)熊野を経、
        再び船出し暴風雨に遭う
        陸海とも進軍が阻まれ
        兄の稲飯命と三毛入野命が入水
        (自殺するほどまで過酷な戦いを
         自ら進めていく性自体がマッカツである所以??)
        磐余彦は息子の手研耳命とともに
        熊野の荒坂津に進み
        丹敷(姫)の戸畔女を討つが、
        土地の神の毒気を受け軍衆は倒れる
        (この毒気に当たって死ぬという発想も
         マッカツらしいおどろおどろしさ?!
         後々、改竄された??話し??・・・??)
      
     さて・・・
     ハニ・・
     

     埴輪をつくり、
      (のち、土師ハジの臣の姓となる)
     代々、天皇の葬儀を司り、
     のち、
     大江や菅原に改称
     (大江匡房や大江広元、菅原道真、毛利元就など)
    後醍醐帝だかのとき、
    その後




    マッカツ系山口系?の野中氏・・・
      小渕氏暗殺?と民営化で
      富と権威を掌握したひとり??
      北海道の戎目の鈴木宗男氏を渡辺ミッチー勢力とサポートしてきた人??
      戎目の民主の岡田氏(戎賊の日本侵略政治工策員につかわれてる??)のサポーターのひとり
      渡辺氏の元に走った浅野?氏も
      確か??露関係からの渡来系由来があり・・
      渡辺氏と政治取引し??
      自民に残ってる素戔嗚尊系神武帝系??マッカツと対立してきた人??
      
    麻生総理の高齢者論・・・・
      高齢だからと言って、
      すべてが現役や実社会から引退させてしまうここ十数年間の
      異常な資本主義化社会をふり返り、
      経験がない為に、
      目新しさに何も考えずに流されてしまうことがないよう、
      高齢者も
      実社会の中に倭文化がそうであったように
      (日本神話で、
       息子の大国主の皇子が水田開拓した豊つ葦原の水穂の国に
       どうなってるか遣いをやるが
       戎系の神武帝勢力が侵略してきて
       遣いが帰ってこない、万の神(みんなを呼んで)に
       遣いをやって、様子を聞きたいがどうすればいいだろう?
       と大会議をしてるが
       その大会議を開く前に
       日見子現役と前卑弥呼と神武帝とが
       会議を開く事を相談してる・・
       日見子現役を前卑弥呼がサポートして
       民主主義を置かすことがないように
       また、侵されないように、
       出来れば、人を見定め社会が煽られないように・・
       安定した社会を維持していく為に
       日見子現役(天照大御神)と前日見子(大御神)と
       高見結びの神(大山へ移って、
         高いところから見て
         出雲で10月、結婚の相談を開催する神??)が協力??
         ここにオプデイや統一教会系マッカツが
         転用し??
         集団結婚を正当化させている・・??
         戦略、政略結婚の相談をすると改竄・・・
       本来は、
       万の神を集めて
       日見子の結婚について相談するところ・・・??
       つまり・・・
       今の皇太子や皇女の結婚を
       相談するところで、
       一般人を戦略工策員として結婚で潜入させるという卑劣な
       発想は、人が大自然にそって健康的な謙虚さを兼ね備え
       伸びやかに生活することを大切にする倭文化では
       こういう社会は『穢れ』に感じる??

    日米チジ協定見直し論・・・
     下地氏、一見、穏健派保守に見せてマッカツ系米軍を外し
     マッkツによる日本の一挙占領派の回し者??・・??

     今までも、
     マッカツらは
     ルール、法規を詳細にして
     制限を細かくすることで
     活動を制限し、
     実際に動けなくしてしまってきている
     つまり・・・
     協定を見なおしすることが
     防衛の首根っこをつかまれることになり得るので
     そうではなく、
     米防衛相人事に繰り出しできる日本の防衛省重鎮の人事が
     重要!
     マッカツ系や特高系の公安系(つまり・・公明系や民主系、渡辺安倍系など)は
     防衛相や次官など、
     防衛学校長などの人事が大切・・??
     特に海軍系(裏千家前宗家も海軍の飛行予備生に入れられ
       特高に配属され、公安系ファシズム勢力がマッカツでもあり、
       千家をも牛耳っているということ・・その一人が業躰さんなる伊勢や加賀に力を持つ人物??・・??)
     ファシズム勢力の海軍勢力と
      吉本ら林氏一族との繋がり・・・
       ex)高木兼寛(マッカツ系成りすまし日本人1849~1920年4/13)のプロフィールは
        十代から、
        オプスデイ系マッカツのウィリアム・ウィリスとともに抗日地下活動し
        20才、当時、抗日活動テロリストに対し
           尤も!頼りになり有能な幕臣として動いてる
           会津藩が年貢財源としてる田畑に害虫を放し、
           天保初年来連年の大飢饉を仕組み、
           藩の年貢が重い為に
           多くの民が飢えたと実態を改竄し伝承・・??
           赤子が母親の乳にかぶりつき、血が滲んだというのを
           鬼のように乳を食いちぎったと
           マッカツ配下にした大衆に洗脳伝承し、
           民主主義哲学をめざす幕府有力者らに
           敵意を燃え立たせた・・??・・??
        戦後、ウィリスの支持で
           東京慈恵会医学長、就任
           (東京慈恵医大=オプスデイ系として
            生物兵器研究の黒幕・・・        
        慈恵大←オプスデイ系・福沢諭吉と
        和歌山の湯浅(お醤油の最高級品を売りにしてきた点で
               ←四国系マッカツ???高級口コミ戦略
               ex:淡路のタマネギで
                  競合の泉南と河内長野の
                  タマネギ畑をマネギ畑をつぶし
                 甲府のブドウで河内長野の葡萄畑、
                 十津川の梨と競合する広島の梨を牽制し、
                 自分たちマッカツが移住する住宅地に変えてきた歴をふりかえると・・!?)出身の
        松山棟庵(髯も出自もマッカツ臭い、本名が不明??蘭医系唐人??)、
        ★

         
    秋山兄弟・・・島津藩から託された?
     Or二宮敬作ら伊予藩主らに託された
     アレクサンダー・シーボルトの落し子?
    好古:(1859~1930年11月4日)
    真之:(1868~1918年2/4)
    林洞海
    子=林研海:1844~82(M15
    赤松(大三郎)則良:
    1841年12/13~1920年9/23(79)
     1862:明治~大正の政治家
     海軍中将・男爵・貴族院議員
    父=吉沢雄之進(幕府15番組御徒士)、
    江戸深川での次男として誕生
    実祖父の後嗣となり赤松姓
    蘭語を学び、番所調所に勤務。
    1857:長崎海軍伝習所第三期生で入所
    1863:蘭留学。
    戊辰戦争で幕府海軍副総裁。
    戊辰戦争後、
    徳川家と共に静岡藩へ移る。
    のち明治政府兵部省に出仕。
    佐世保・横須賀鎮守府長官。
    長女=森鴎外の妻
    嫡孫=静岡県磐田市長
        
       
    サンプロにでた梁氏族が
    ドラゴン銀行資本の山口系や渡辺・吉本・公明ファシズム勢力と
    結びついて
    略奪??
    城?梁氏・・・
      給料の企画のルールを詳細に決めることが
      結果的に
      これまでマッカツらの戦略通り、 
      決めることで
      縛り付け、
      格差を確定していく・・・
      つまり、詳細を決め、それで統一化させる事は
      却って、非民主主義化へ進め
      すべきことは、
      民主主義哲学の人物を
      企業体制の実態を采配する権限におき、
      その五感とアンテナ力、推察力で
      実態にあった方針を実行できる状態にすべき・・!
    つまり・・・
     巨大資本至上主義経済を撤回し、
      資本主義化に歯止めを掛ける為に
      巨大資本家の権限を
      企業運営から
      大きく、削ること・・・
      つまり・・
      民間資本による株式依存する経済から
      脱退させ、
      土地を国有化させ、
      世界中で農業人口を増やし・・??
      地球や宇宙の健全さや寿命を
      根本的にむさぼらざるをえない方向へ進む商業重点経済を
      農業・漁業、林業、酪農経済へシフトさせ
      お金が無くても
      食住にはこまらない経済にする・・??!? 
      農業を工業化することもまちがい!?
      一生物として
      大自然の環境を保護する立場で
      一次産業をする・・??
    城氏・・・
      西川きよしの子分間寛平ら“桃“系勢力の黒幕??
      生命に選民主義思想があり??
      巨大資本で
      地球征服を目論む??
     


    デンマーク・・・オプスデイとマッカツの
      戦時中の拠点だったフィリピンの
      民がデンマークに移民し占拠状態??・・??
      ウェールズの港にあるデンマーク教会に
      イギリス観光客も入って、
      『桑原!』って感じで大慌てで出てくる・・
      私が入ってもよく分からないのですが
      ただ・・・
      外観に感じる教会らしさは
      内部では全く!感じられず、
      何らかの拠点のような感じ・・??


    北里柴三郎、野口英世・・・・
     日本人初の生物兵器開発者??


    どうも・・・
    伊勢神宮の歴史を調べてると・・
    やたら、
    拝火教的?ナチズム的な
    ①乱暴者の素戔嗚尊が穢れや失礼に怒り
    ②惨殺記述があって
    ③屍体から食物を起源させる
    記述が多く・・・
    ①②は大石内蔵助らの話しにある怨念?情緒?に似ているし・・

    全体に感じるのは・・
    伊勢神宮のはっきりしている?歴史からも感じるのは・・
    選民思想を熱烈に持った氏族が
    利用して来た神宮ではないかということ・・・
    (桓武系の渡来系としてはっきりしている千葉氏が
     伊勢神宮の下司職になろうと
     相馬庄を寄進し(これもワイロですよね!
     つまり・・伊勢神宮がいかに!ワイロで動いていたかということ・・
     そのことが、私利私欲の煩悩の勢力者らの格好の餌食とされてきた歴史があるということ・・
     それが
     信長ら戦国時代の本当は・・
     黒幕でもあった千族(秀吉を関白にする時に
     利休に成りすましてる・・つまりは・・忍者でもあったこと・・
     その伊賀系勢力が現在の経済界でも
     そして・・世界大戦をも黒幕として?公安?特効警察?スタッフ養成??に??
     弘道館(1841)にまね?明治期、神宮皇道館をつくったり・・??
     要は、
     マッカツ勢力が
     近代化や民主主義化という美しいキャッチフレーズで
     薩長藩士らをあおって討幕させて
     実際に作り上げた明治政府スタッフの黒幕は
     戦争の借財で貸し金側のマッカツ達で
     彼らが牛耳った明治期は
     まず、十代の明治帝を
     マッカツらの日本侵略のメモリアルの山に参拝させ
     伊勢神宮へ挨拶に向かわせる習慣(新嘗だか神嘗だか・・
     ともかく!天皇の勅使が挨拶に伺う習慣)を確立したこと・・
     子供時分、母とお風呂に入ると
     開業してとても疲れていて
     お風呂に入った母が
     夢うつつのように、
     早世した祖母が言っていて
     ずっと、気になってること??を
     私の体を洗いながら
     前後の脈絡なし(というよりは・・私に理解出来なかっただけ?笑)で
     突然の文脈で
     『ママのお母さんが言ってはったのは・・』
     で始まる話しに
     伊勢神宮は戦前はあまり今ほど言わなかって
     そこから皇室に(お嫁??に)来られたというので
     とても驚いた
     だいたい、伊勢神宮には
     お茶の千家が(姻戚として??・・??)出入りしていて・・』ということ立ったと思う・・
     皇室が降下されたのか??
     お嫁入りされたのか??分かりませんが・・

    戦前は、
     どうも・・日本神話を読んでいても・・
     お伊勢さんの起源そのものがいろいろ・・
     垂仁帝のころから、
     ハ丹(赤土・・・垂仁御陵のあるところは
     昭和60年ごろまで遺跡があるので一切!開発禁止で
     その中にぽつんと建てられた県立HPの官舎の庭が
     雨になると水がたまり、
     蚊でなくブト(だそうだ・・腫れてずっと、かゆみが続く)がわくので
     土を掘り起こし、粘土層を耕したときみると・・
     10㌢も

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